第一期 第五話 「雨の日の相合い傘」
六月の終わり。
大阪では朝から蒸し暑い一日だった。
ユウキはいつものように営業先を回り、夕方になって会社へ戻る。
「課長、お疲れさまです!」
「お疲れ。今日はみんな早く帰っていいぞ。」
「ありがとうございます!」
部下たちを見送り、自分もパソコンの電源を落とす。
時計を見ると午後七時。
窓の外では、いつの間にか空が真っ黒な雲に覆われていた。
「降りそうだな……」
会社を出て駅へ向かう途中。
ポツリ。
ポツリ。
やがて大粒の雨が一気に降り始めた。
「しまった……傘、会社に置いたままだ。」
引き返すには少し距離がある。
駅前の屋根の下で雨宿りをすることにした。
周囲にも同じように足止めされた人が何人もいる。
その時だった。
「ユウキさん?」
聞き慣れた優しい声。
振り返ると、そこにはミヤビが立っていた。
「ミヤビさん?」
白いブラウスにネイビーのスカート。
手には一本の紺色の傘。
「偶然ですね。」
「本当ですね。」
二人とも思わず笑ってしまう。
「仕事帰りですか?」
「はい。今日は会社の近くで研修があって。」
「そうだったんですね。」
少し沈黙が流れる。
勢いよく降る雨を見つめながら、ミヤビが小さく言った。
「もしよかったら……」
「?」
「駅まで、一緒に入りませんか?」
傘を少し持ち上げる。
「一本しかないですけど。」
ユウキは少し遠慮した。
「でも、狭くないですか?」
「大丈夫です。」
ミヤビは柔らかく笑う。
「風邪をひいたら大変ですから。」
「……ありがとうございます。」
二人は一本の傘の下へ入った。
肩が触れそうな距離。
雨音が傘を優しく叩く。
自然と歩幅も同じになる。
こんなに近くで歩くのは初めてだった。
「なんだか不思議ですね。」
ミヤビが笑う。
「何がですか?」
「少し前まで知らない人だったのに。」
「確かに。」
「今では毎日のように連絡してます。」
「そうですね。」
二人とも照れ笑いを浮かべる。
歩いていると、一台の車が水たまりを勢いよく通り過ぎた。
バシャッ!
水しぶきが飛ぶ。
ユウキは反射的にミヤビの前へ一歩出た。
ほとんどの水はユウキのスーツにかかった。
「ユウキさん!」
「大丈夫です。」
「でも、濡れて……」
「これくらい平気ですよ。」
ミヤビは少し困ったような顔をする。
「いつもそうやって人を優先しますよね。」
「え?」
「飲み会の時も、聖地巡礼の時も。」
「そんなことないですよ。」
「あります。」
ミヤビは少しだけ頬を膨らませた。
「もっと自分も大切にしてください。」
その言葉に、ユウキは少し驚く。
心配してくれている。
それが素直に嬉しかった。
「ありがとうございます。」
「約束ですよ?」
「はい。」
駅へ着く頃には、雨も少し弱まっていた。
改札の前で立ち止まる。
「今日は助かりました。」
「いえ。」
「傘、本当にありがとうございました。」
「また返してください。」
ミヤビは少しいたずらっぽく笑う。
「返す口実ができますから。」
「え?」
「あっ……」
自分で言って照れてしまったのか、ミヤビは慌てて顔を赤くする。
「その……また会える理由になりますし……。」
ユウキも思わず笑ってしまった。
「じゃあ、近いうちにお返しします。」
「はい。」
二人は目を合わせて笑う。
それだけなのに、胸が温かくなる。
帰宅後。
ユウキは乾いたタオルで髪を拭きながら、玄関に立てかけた紺色の傘を見つめていた。
(返さなきゃな。)
そう思う一方で、
(また会える。)
という気持ちが心のどこかで嬉しかった。
一方、ミヤビも帰宅してソファに座りながら、スマートフォンを見つめていた。
画面にはユウキとのトーク画面。
最後のメッセージは、
「今日はありがとうございました。」
たったそれだけ。
それでも、自然と笑顔になってしまう。
「……また早く会いたいな。」
小さくつぶやいた言葉は、誰にも聞こえなかった。
雨の日に一本の傘を分け合った時間。
それは、二人の心の距離をまた少し近づけていた。
次回予告 第六話「初めての手料理」
ユウキがミヤビに傘を返す約束をした週末。お礼として手作りのお菓子を渡そうと考えるミヤビだったが、思わぬハプニングからユウキの家で一緒に料理をすることに。キッチンで過ごす穏やかな時間が、二人の心をさらに惹きつけていく。




