第73話:死を殺す闇
超人的な体捌きで応戦するも、テキゼンの不死の身体とスキルがクロードを少しづつ追い詰めていた。
そして一瞬の隙をつかれ、大きなダメージを負ってしまう。
援軍も望めない状況の中、クロードは意を決して、秘められた力を解放する。
執務室の石畳──血と破片にまみれた床の上で、影が異様な蠢きを見せていた。
燭台の炎や月明かりにあおられた揺らぎではない。
クロードの足元から伸びる漆黒の影そのものが、まるで意志を持った不気味な生き物のように躍動していた。
やがて影は三方向へとしなやかに引き伸ばされ、重力を無視して立体的に隆起する。
ほんの数秒と経たずに形作られたのは、三体の人型。
身長、体格、構えのシルエットに至るまで、クロード自身を精巧に模した黒い分身だった。
クロードは無言のまま、次なる魔法を紡ぎ始める。
「そ、そんな影遊び、すぐに終わらせてやるわ!」
テキゼン侯爵の口から、焦りを隠しきれない声が漏れた。
得体の知れない気配への本能的な警戒からか、彼は生成した三体の【幻惑】(分身)を操り、立ち昇る影たちへ同時に襲いかからせた。
強固な質量を伴う大剣が、空気を引き裂く轟音とともに振り下ろされる。
標的は三体の影。
スカッ、スカッ──!
しかし、肉を断つ手応えも、金属が打ち合う不快な重音も響かない。
振り下ろされた刃は、まるで虚空を穿つかのように影をすり抜けた。
「なっ……!?」
幻影の一体が苛立ちに任せて影の顔面を打ち抜こうとするが、結果は同じ。
物理的な干渉を一切寄せ付けず、影たちは佇んだままピクリとも動かない。
「な、なんだこいつらは!?なぜ斬れん!」
テキゼンが困惑の悲鳴を上げた瞬間、クロードの二つ目の詠唱が完了した。
「第四階梯魔法────【アビス・ダガー】」
両手の掌に、尋常ならざる密度の魔力が顕現する。
黒い炎のごとく揺らめくそれは、周囲の光を呑み込む闇の結晶。
空間そのものを歪めるほどの『絶対的な闇』が、逆手持ちの大型ナイフへと圧縮されていく。
同時に、足元から伸びる三体の影の手にも、まったく同じ漆黒の刃が握られた。
クロードが深く腰を落とし、迎撃の構えを取る。
三体の影もまた、鏡に映したように寸分違わぬ動作で刃を構えた。
「げっげっげ!何だそれは!お前の猿真似をするだけの木偶人形ではないか!」
本物の侯爵が、安堵と蔑みを混じえた歪んだ笑声を上げる。
「闇魔法系統の高位詠唱のようだったから少しは警戒したが、お前の猿真似をするだけの木偶人形を生み出す魔法とはな!」
自らが作り出した三体も同調し、執務室に響き渡る下劣な笑いの四重奏。
「俺はこの町を統べる侯爵だ!貴様のごとき盗賊の極刑は確定しておる!死んで影と一生遊んでいろ!」
四人に分裂したテキゼンが同時に大剣を上段に構え、クロードへ一直線に肉薄する。
四方向からの同時急襲。
回避の隙など存在しない、完璧な包囲網。
しかし、クロードの瞳に焦りの色は一切なかった。
彼は静かに右足を高く跳ね上げると────石畳を爆砕するほどの力で、己の足元を強く踏み鳴らした。
ドンッ!!
衝撃音とともに、クロードの足元から分身へと繋がっていた『影の線』が強制的に切断された。
通常、影の分身は術者自身の動作をトレースさせる事で、魔力を節約している。
だが、その縛りを強制的に断ち切った瞬間、術者の脳と魔力回路には致死量に近い負荷がのしかかる。
引き換えに────影たちは限界突破した【完全自律型・攻撃無効の殺戮兵器】へと変貌を遂げた。
一瞬の出来事だった。
突進していたテキゼンの幻影三体。
その首と胴体が、何の前触れもなく斜めにズレ落ちる。
「は……?」
霧散していく自身の分身たち。
その不可解な現象に、侯爵の意識がほんのコンマ数秒だけ奪われた。
その隙を、影が見逃すはずもない。
物理法則を無視した不気味な挙動で床を滑り、三体の影が本物の侯爵へと肉薄した。
「この影人形どもがぁっ!」
侯爵が莫大な暗黒オーラを纏わせた大剣を振るう。──はずだった。
だが、己の腕が振り抜かれる感触は永遠に訪れない。
「あ……?」
白く濁った瞳が、己の右肩を見下ろす。
そこにあるはずの大剣を握る腕がない。左肩を見下ろす。
やはり、ない。
両腕が肩口から綺麗に切断され、足元の石畳に打ち捨てられていた。
「はあ!?どういうことだ!?俺の腕が……腕を返せ!」
無様に叫び声を上げ、後ずさる侯爵。
死の恐怖すら感じないはずのレヴナント(死体)が、露骨に身体を震わせている。
影の刃が、肉体だけでなく、彼をこの世に縛り付けている魔力構造そのものを削り取っているような絶望。
「……話になりませんね」
クロードが静かに歩み寄る。
その声には隠しきれない疲労が滲み、全身からは滝のような汗が吹き出していた。
高位魔法の連続行使と、完全自律制御の負荷が確実に肉体を激しく蝕んでいた。
それを見た侯爵の濁った目と口が、三日月のように折れ曲がる。
「げ、げっげっげ……!限界のようだな!」
腕を失いながらも、テキゼンは再び三体の分身を生成し、クロードへ向け突進させた。
「今すぐ楽にしてやる!」
しかし、その幻影がクロードの裾に触れることすら叶わない。
不可視の速度で駆け抜けた影の刃が、生み出されたそばから幻影の首を刎ね飛ばし、黒い霧へと還元していく。
生み出し、切り刻まれ、消滅する。
執務室の中で繰り返される、異様なまでの無慈悲な蹂躙。
「私の影遊び、ご堪能頂けましたか?」
「くそがぁっ!私は侯爵だぞ!貴様ごとき下賤なものに──」
侯爵が呪詛を吐き捨てるより早く。
彼の太い首が、ずるりと不自然な角度へ傾ぎ始めた。
「たおさ、な……」
ゴトリ。
鈍い音を立てて、頭部が石畳を転がる。
崩れ落ちる胴体の先には、逆手に握った闇の刃を静かに振り抜いた姿勢のまま立ち尽くす、クロードの姿があった。
「おっと……失礼。私も、限界でしたので」
限界を超えた肉体から白い湯気が立ち上る。
クロードが足先で軽く床を叩くと、役目を終えた三体の影は水が引くように足元へ吸い込まれ、もとの平坦な一つの影へと戻った。
直後、激しい眩暈がクロードを襲う。
崩れそうになる膝を必死で踏み留まらせ、彼は小さく息を吐いた。
「ふぅ……」
静寂を取り戻した執務室で、彼は天井を見上げ、深く目を閉じた。
両手に宿っていた『死を殺す刃』は、静かに夜の闇へと消え去っていた。
ご一読いただきありがとうございます。
面白い、続きが気になる! と思っていただけましたらブックマークや評価応援していただけると嬉しいです。
次回、第74話は【希望の見えない防衛戦】(※次の話の予定タイトル)を更新予定です。




