第71話:夜の町を翔ける
助けを求めに町の中央に向かうテレスタリアだったが、ようやく家々が見えてきた所で、体力も気力も限界に達してしまう。
祈る事しかできないテレスタリアの前に、現れたのは?
暗闇に沈む石畳の道。
そこに倒れ込み、掠れた声で助けを呼ぶ小さな影を見つけて、俺は駆け寄った。
泥にまみれ、無残に引き裂かれたドレス。
そして、帯状の布きれで不格好に胸元へ縛り付けられた左腕。
その痛々しい姿に、思わず息を呑む。
「テレスタリアさん!大丈夫……じゃなさそうですね」
片膝をつき、倒れ伏す彼女の背中に手を添える。
ゆっくりと仰向けにさせ、上半身を支えて抱き起こした。
「うあああああああん……っ!」
俺の顔を認めた瞬間、彼女は張り詰めていた糸が切れたように、子供のように声を上げて泣き始めた。
無理もない。
彼女はまだ、十六歳の女の子なのだ。
泥にまみれ、傷だらけの顔と震える体を見れば、どれだけの絶望、恐怖と戦い、ここまで一人で走ってきたのかが痛いほど伝わってくる。
それだけで、俺の胸がギリッと内側から締め付けられた。
「よく頑張りましたね」
泥に汚れた髪を手のひらで優しく撫でてやる。
すると、彼女は俺の服の裾を強く握りしめ、胸に顔を埋めてさらに激しく泣きじゃくった。
アカシャ。彼女から直接話を聞きたいところだが、この状態じゃ難しそうだ。
何があったか予測できるか?
『彼女が走ってきた北東の方角、サーベツェリ侯爵邸の周辺から、異様な魔力波長を二つ感知。片方は極めて巨大な質量体であると推測されます』
即座に現状の分析結果を返してきた。
『小さい方の魔力反応には一人、大きい方の反応には四人の生命反応が確認できます。質量の衝突音も継続して観測。現在進行形で、激しい戦闘が行われていると考えられます』
なるほど。
ドーザさん達がテレスタリアさんを逃がしたに違いない。
「テレスタリアさん、とりあえず安全な場所へ移動しますよ」
俺の言葉に、彼女は顔を埋めたまま、上下に振って同意する。
俺は体をもう一度ゆっくりと石畳に寝かせ、彼女の顔を優しく拭った。
アカシャ、テレスタリアさんにエア・ゴーレムでタクティカル・シェルを頼む。
『了解しました』
見えない空気の鎧――エア・ゴーレムを用いた流体装甲が、彼女の全身を柔らかく包み込む。
圧縮空気のクッションが外からの物理的な衝撃を完全に遮断し、脱臼したままの左腕を適切な圧力で優しく固定する。
治癒院へ飛べる?
『すでに治癒院前へ、エア・ゴーレム二体の設置を完了済みです』
相変わらず、痒い所に手が届く完璧なサポートだ。
「それじゃ、いきますよ」
同時に、視界が一瞬で切り替わり、治癒院の扉が目の前にある。
俺たちは、シフトチェンジによって夜の町を一気に跳躍した。
夜の静寂を打ち破るように、俺はすぐに治癒院の頑丈な木扉を強く叩いた。
「レーヴァさん!開けて下さい!」
しばらくして、奥からドタバタと慌ただしい足音が響いてくる。
「なんだ、こんな夜更けに急患か?」
「たきびです!けが人を連れてきました!」
「たきびだと!?」
ガチャリと重い鍵の開く音がして、内開きのドアが勢いよく開かれる。
相変わらずの軽装に白い上着を羽織っただけのレーヴァさんが、顔をしかめて立っていた。
「こんな時間にけが人って……おい、お嬢ちゃんか!?」
俺の背後を見た瞬間、彼女の目の色がパッと変わった。
「なぜ、お嬢ちゃんがこんな!?ってお前、なんで彼女を地面に……いや、浮いてるのか?」
話が全然まとまってないよ、レーヴァさん!
まあ、情報量が多すぎるよね。わかるよ。
「エア・ゴーレムをクッションにして、なるべく患部を動かさないようにしています」
「これもゴーレムなのか!?一体どういう理屈で……」
「そんなことより、早く中へ!」
「そ、そうだったな!」
俺はエア・ゴーレムに包まれているテレスタリアさんを、慎重に治癒院の中へ運び込んだ。
案内された処置室のベッドへ彼女を寝かせる。
なるべく衝撃がかからないように圧縮を緩めつつ、タクティカル・シェルを完全に解除した。
レーヴァさんの右目が淡く光った。
治癒士としての鑑定眼なのだろう。
「左肩の脱臼と、全身の擦過傷および裂傷を確認した。命に別状はないな」
ふう!ひとまず安心した。
「よし、詳しい理由を聞く前にまずは治療だ」
「待って……ください!」
ベッドに横たわったテレスタリアさんが、苦痛に耐えながら声を絞り出した。
「お願いです……私のことは後回しでいいので、ドーザ伯父様たちを助けに!」
興奮して身を起こそうとするが、激痛に顔を歪めて再びシーツに沈み込む。
「サーベツェリ侯爵の屋敷でいいんですね?」
俺の即答に、彼女は一瞬驚いたように目を見張ったが、すぐに力強く頷いた。
「お願いします……!」
「分かりました」
俺は静かに立ち上がった。
「おい、ちょっと待て!何が起きているのかも分からないまま、一人で行く気か!?」
「行って確かめてきます」
「いや、馬鹿言え!俺も……」
「レーヴァさんは彼女の治療をよろしくお願いします。二人には通信用のエア・ゴーレムをつけておきますから、何かあったらすぐに連絡を」
制止の言葉を遮り、俺は脳内の相棒へ指示を飛ばした。
『了解しました。空間座標を確認。シフトチェンジ』
視界が引き伸ばされ、引っ張られるような感覚。
次の瞬間、俺の目の前には不気味な侯爵邸の扉があった。
◆
「あいつ……っ!」
たきびが一瞬にして姿を消した何もない空間を、レーヴァが険しい顔で睨みつけた。
「怒らないで……ください。たきびさんは……私の意図を汲んでくれたん……です」
テレスタリアが掠れた声でかばうと、レーヴァは大きくため息をついた。
「……とにかく、まずはお嬢ちゃんの治療だ。その後に、詳しい訳を聞かせてもらうよ」
テレスタリアは苦痛に顔を歪めながら頷いた。
「もう一度言うが、命に別状はない。ただ、肩の脱臼だけは回復魔法では直接治せないんだ。少し荒療治になるぞ」
「はい……覚悟はできています」
レーヴァがテレスタリアの背中に手を添え、ゆっくりと体を起こして座らせる。
彼女は一度部屋の奥へ向かい、清潔な包帯をきつく巻き付けた短い木の棒を持ってきた。
「これをくわえろ」
言われるがまま、テレスタリアは包帯の巻かれた部分をしっかりと口にくわえた。
「今から痛みを軽減する魔法をかける。痛みを一時的に感じにくくするものだが、完全になくなるわけじゃない。一瞬は耐えてくれよ」
テレスタリアはこくりと頷き、口の中の棒をギリッと強めに噛みしめる。
レーヴァが、布でがっちりと固定されているテレスタリアの左肩に右手をあてがった。
「苦痛の楔より解放せよ――【ナルコシアス】」
温かな光が患部を包み込む。
その瞬間、テレスタリアの全身を支配していた強烈な痛みが、嘘のようにスッと引いていった。
レーヴァがドレスの布で固く縛っていた応急処置の結び目を解く。
だらりと力なく左腕が落ちるが、その衝撃でもほとんど痛みを感じなかった。
驚いて目を丸くするテレスタリアを見て、レーヴァは真剣な表情を作った。
「効いてるな?――よし、絶対に動くな、よっ!」
ガコンッ!
「んんっ!!」
短い気合いと共に、レーヴァが容赦のない力加減で関節を押し込んだ。
鈍い骨の音が響き、肩の球体が本来の窪みへと綺麗に収まる。
一瞬だけ走った激痛に、テレスタリアは噛みちぎらんばかりの力で木の棒を噛みしめたが、すぐにホッと安堵の息を吐き出した。
「よく頑張ったな!」
口から棒を外し、テレスタリアはようやく本来の落ち着きを取り戻した。
「……ありがとう存じます」
「あとは他の傷口の泥を洗い流して、各箇所に回復魔法をかければ大丈夫だろう。ウォーター・ナース!」
レーヴァが声をかけると、部屋の隅から人間の女性の姿を模した透明な水の塊が歩いてきた。
「こ、これは……?」
「たきびが置いていってくれた水のゴーレムだ。こいつが作り出す不純物のない純水で、傷口を洗う」
テレスタリアへ木の桶が渡された。
ウォーター・ナースの指先から注がれる澄んだ水が傷口を洗い、赤く滲んだ滴となって落ちていく。
テレスタリアは慌てて桶を下に添え、その水を受け止めた。
「っ……!」
「少ししみるだろうが、我慢してくれ」
「はい。それにしても、相変わらずおかしなゴーレムを作りますね……水のゴーレムなんて聞いたこともないです」
「本当だよな。まあ、すげー便利だから助かってるけど」
レーヴァが呆れたように笑うと、テレスタリアの顔にも久々に小さな笑みが浮かんだ。
冷たい水が、泥と血を綺麗に洗い流していく。
「よし。治療のめどは立った。今のうちに、向こうで何があったのか聞かせてもらおうか」
真剣な眼差しを向けるレーヴァに、テレスタリアは小さく頷いた。
そして、あの屋敷で起きた惨劇を、できるだけ手短に語り始めた。
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次回、第72話は【アサシンロードの憂鬱】(※次の話の予定タイトル)を更新予定です。




