第70話:私はいつも
ドーザと騎士達は応戦するも、圧倒的な破壊力と回復力を見せるレギオン。
このままでは押し負けると判断したドーザは、テレスタリアの応援を呼びにいくよう伝える。
拒否をするテレスタリアだったが、自分にできる事をするために走り出した。
絶望的な重圧が背後から押し寄せていた。
『テレスタリア!走れ!ここは俺たちが足止めする!』
『お前がギルドへ駆け込み、救援を連れてくることだけが、今この場を打開する唯一の道だ!』
血を吐きながら叫んだドーザ伯父様の声が、鼓膜にへばりついて離れない。
きっと、私を助けるため…
夜の帳が完全に落ちた暗闇の街を、私は泣きながらただがむしゃらに走っていた。
背後の侯爵邸からは、時折、ズゥンと建物の構造が破壊される重い音が響いてくる。
あの肉の巨人——あらゆる死体を縫い合わせた『レギオン』が暴れ狂っている音だ。
クロード様は上の階で、侯爵の死体を相手にたった一人で殿を引き受けてくれた。
彼らが命を削って稼いでくれている時間だ。
一秒たりとも、一歩たりとも無駄にはできない。
魔力で脚力を強化し、石畳を蹴り上げながら、私は幾度目かの歯噛みをした。
前線で戦う騎士たちを置き去りにして、守られるだけの自分が逃げている。
私に、もっと戦う力があれば……っ
その事実が胸を内側から刃で抉るように痛めつける。
今、彼らはどうなっているの?
あの圧倒的な質量の暴力に、無事でいられるはずがない。
ひょっとして、もう——。
取り返しのつかない不吉な未来が頭に割り込んでくるたび、走りながら両手で自分の頬を思い切り引っぱたいた。
乾いた破裂音が夜の路地に響き、火の出るような痛みが思考の霧を強引に吹き飛ばす。
違う!私は一刻も早く助けを!
そう、助けを……
誰に?
あんな規格外の化け物に、真正面から勝てる人間がこの町にいるのだろうか。
私は再び顔を横に振る。
ギルドだ!
ギルドに行けば、ギルドマスターがいる。
高ランクの冒険者や、治癒院のレーヴァ様もいるかもしれない。
彼らなら、あるいは!
焦燥、不安、混乱。
コロコロと変わる感情に振り回されそうになりながら、私は肺が焼け焦げるような息を吐き出して、ただ前へと突き進んだ。
しかし、限界を超えた運動と極度の精神的ストレスは、確実に私の肉体を蝕んでいた。
全力で走り続けた疲労が、脚の筋肉を硬直させる。
暗闇の中、石畳のわずかな凹凸に爪先が引っかかった。
「あっ——」
空を切った足は次の歩幅を捉えられず、私の体は坂道へ向かって弾むように投げ出された。
視界が上下に反転する。
受け身をとる余裕すらなかった。
左肩から激しく地面に叩きつけられ、そのままゴロゴロと無様に転がり落ちる。
「あ……うぅっ」
数メートル転がってようやく止まった。
立ち上がろうと右手に力を込めた瞬間、左肩から全身の毛穴が粟立つような強烈な痛みが爆発した。
「ああああああっ!?」
悲鳴が漏れた。
見ると、左肩の骨の球体が本来あるべき窪みから脱落し、周囲の筋肉や靭帯を異常な方向へ引っ張っていた。
肩の奥で、神経の束が直接引きちぎられるような痛み。
息がうまくできない。
起き上がることすらできない。
そうして、ようやく絞り出した声は。
「どうして……っ、どうしてぇ!!」
地面にうずくまりながら、私は泥にまみれた石畳を右手で叩いた。
痛みの苦しさ、運の悪さ、そして何より、肝心な時に転ぶ自分の情けなさ。
ぶつける先がわからない憤りと無力感が熱い塊となって、ボロボロと涙腺を崩壊させた。
泣くな……泣くな、私……っ!
泣いている暇なんてない!
早く肩を固定して、動かないと!
私は涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、地面に横たわった姿勢で動く右手を伸ばした。
だらりと伸びきって感覚のなくなった左前腕の下へ、震える右手を差し込む。
「はあ……っ、ふぅ……っ」
息を詰め、すくい上げるようにして、脱臼した左腕を胸の前へと無理やり押し当てた。
「う、あぁぁぁぁっ!!」
視界が真っ白に染まった。
ずれた骨が筋肉を圧迫し、神経が悲鳴を上げる。
痛みのあまり胃液がせり上がってきたが、それすらも無理やり飲み込んだ。
大きく肩で息をしながら、動く右手でドレスのスカートの裾を固く掴み上げ、胸の前に引き寄せる。
ほんのわずかに残った魔力を、右手の指先に集束させる。
私は魔力が少ない。
だから、本来なら木の枝すら傷つける事も難しい、そよ風のような軟弱な魔法しか使えない。
けれど、ドレス生地の繊維を断ち切るだけなら、これで十分なはず。
「第一階梯魔法【ウインド・カッター】……っ!」
短く詠唱すると、指先から小さな風の刃が生まれた。
ジョリッ、と嫌な音を立てて、スカートの裾に小さな横の切れ込みが入る。
そこからは力任せだった。
私は右手でその切れ込みを掴むと、全身の力を込めて引き裂いた。
ビリイイィィッ!
絹の生地が裂ける悲鳴のような音とともに、裾が一気に引き裂かれた。
何回か繰り返すうちに、帯状に千切れた長い布きれが一本、右手に残った。
「くっ……あぁっ!」
横たわったまま、胸の上に固定した左手首とドレスの生地を、その布帯でぐるぐると力任せに縛り上げる。
痛みのたびに意識が遠のきそうになった。
首の裏に通すと、私は迷わず、布の端を口にくわえ、泥と砂の味がするそれを奥歯で強く噛みしめた。
「ぐ……っ!」
右手で残りの布端を力いっぱい引っ張り、歯と右手で互いに引き合って固く結び目を作る。
口の中にドレスの染料の味と泥、そして切れた唇からの血の味が広がったが、吐き捨てる余裕すらない。
左腕が胸の位置に固定されたのを確認すると、私は右手を地面につき、ガクガクと震える膝に力を込めて、泥まみれになりながら立ち上がった。
行かなくちゃ。
無残に破れ、不格好に左腕を吊り上げたワンピース。
泥と汚れにまみれた体。
もはや、ロンブリッツ家の三女と言っても誰にも信じて貰えないかもしれない。
それでも私は、右手で胸元の左腕を上からしっかりと抱きかかえると、助けを呼ぶために再び重い足を引きずり、走り出した。
走る度に、着地の衝撃が左肩の患部に響き、激痛が脳を揺らす。
その度に脂汗が滲み出る。
痛みと極度の疲労のせいで、肉体はすでに完全な限界を迎えていた。
景色が二重にブレて見える。
でも、諦めるわけにはいかない!
ドーザ伯父様が、クロード様が、騎士の皆さんが戦ってくれている。
彼らを死なせるわけにはいかない。
その悲痛な思いだけが、すでに限界を超えていた私の体力の代わりに、強引に足を進めさせていた。
そして、ようやく遠くに町の中央部へ続く大通りの入り口が見えてきた。
そこまで行けば、建物も増え、誰か人もいるはず!
あと少し。
あと数十メートル。
しかし、無情にもその時は突然訪れた。
カクン、と。
まるで操り人形の糸が切れたように、右膝が沈み込んだ。
「あ——」
抵抗する間もなく、私は転がるように地面に叩きつけられた。
受け身をとる力も残っておらず、顔面を石畳に擦りむく。
痛みに声も上げる事ができない。
立ち上がろうと脳から命令を送っても、足は自分の物ではないかのように、ピクリとも動かなかった。
……なんで。どうして……。
私は、いつもそうだ。
肝心な時に、いつも力が足りなくて、誰かに守られてばかりで……。
このままでは……このままでは、皆が死んでしまう。
絶望が暗い影となって私を包み込み、涙がとめどなく溢れて石畳を濡らした。
「誰……か、誰か……神様、助けて……お願い」
誰もいない、暗闇の道の真ん中で、声にならない掠れた叫び声を上げた。
その時。
「この辺りだよな…いた!!」
夜の静寂を切り裂いて、誰かがこちらへ駆け寄ってくる足音が聞こえた。
私を見つけてくれた人が、いる……?
ぼんやりと霞む視界の先、暗闇の中から一つの影が近づいてくる。
そのシルエットがはっきりと形を結んだ瞬間、私の目からさらに大粒の涙が決壊したように溢れ出した。
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次回、第71話は【夜の町を翔ける】(※次の話の予定タイトル)を更新予定です。




