第64話:沈黙の邸内のその先で
西側の壁穴を塞ぎ終えたたきびは、今までの事を考えながら久々に訪れた自由な時間を満喫していた。
一方でドーザとテレスタリアは重苦しい雰囲気に包まれる侯爵邸の前で、クロードに合う。
果たして、彼は何のために侯爵邸に来たのか?
そして、これから何が起こるのか?
「貴殿は、クロード殿でしたな。先日の審議会での一件、私とテレスタリア様も助けられました」
音もなく背後の暗がりに佇んでいた男へ向け、ドーザは油断なく向き直り、小さく頭を下げた。
隣に立つテレスタリアも、それに倣う。
「いえいえ。私のことは、たきび殿からお聞き及びであったとは存じますが、お気になさらず。それにしても、見事な捲土重来でしたな」
クロードは、普段の鋭い眼光を緩め、ふわりと人の良さそうな笑みを浮かべる。
しかし、ドーザは警戒の糸を緩めなかった。
――足音はおろか、呼吸の気配すら感じさせなかった。
いつからそこにいた?
内心の驚愕を分厚い胸の内へ押し込み、ドーザは一歩踏み込んで問いただした。
「色々と話を伺いたいところではあるが……この異常事態だ。貴殿もここへ来たということは、何か明確な理由があるということで間違いないだろうか?」
「ええ。審議会以降、サーベツェリ侯爵様にもご報告したいことがあり、何度も足を運んでいたのですが、全く取り合っていただけず。ですが先刻、メイアス様より急ぎの連絡がございまして」
「メイアス姉様からですか!?」
思いがけない姉の名に、テレスタリアの強張っていた表情が僅かに綻び、声が弾んだ。
「内容をお聞きしても?」
ドーザの問いに、クロードは静かに頷く。
「審議会以前より、ハルティア様やフローディア様の件で、メイアス様が侯爵様に何度か魔法書簡をしたためておられたのです。ですが、審議会後から一切の返事が途絶えた、と」
「……なるほど。そういうことか」
ドーザとテレスタリアの間に、驚きというよりも「やはり」といった納得の空気が流れた。
「そこで、メイアス様の責任において構わないので、強引にでも邸内に入り、状況を確認してほしいというご要望をいただきました。故に、ここに」
「我々も同じだ。明日のスタンピードの件で、侯爵様から何の下知も下りないことが腑に落ちず、直接伺いに来た所存。ところが、来てみればこの有様だ」
ドーザは、冷たい鉄門越しに広がる、墓場のように静まり返った屋敷を睨みつけた。
「ええ、私も驚いております。何度か足を運んではおりますが、ここまでの雰囲気は今までありませんでした」
クロードが呟きながら門の前に立つと、何も言わずドーザもその隣に並び立った。
「……さて、テレスタリア様やメイアス様のお墨付きも得たことです。この門、少々荒っぽく押し通らせていただくとしましょうか」
「私も、微力ながら手伝おう」
二人は言葉少なに頷き合うと、腰を落とし、態勢を低く沈める。
直後——
両者の身体から立ち上る魔力が、陽炎のように周囲の空気を歪ませた。
「はっ!」
「シッ!」
鋭い呼気と共に、二人の足が左右の鉄門を同時に蹴り飛ばす。
ガキャンッ!!
金属がひしゃげる凄まじい轟音が夜気を劈き、巨大な鉄門が弾け飛ぶように内側へ開け放たれた。
ドスンッ、と太い鉄のかんぬきが宙を舞い、石畳に深々と突き刺さる。
「お、おい……鉄の扉を蹴り開けるとか、隊長クラスかよ?」
「いや、下手をしたらそれ以上だぞ……」
門に縋り付いていた騎士たちが、唖然として後ずさる。
それを尻目に、クロードはコツコツと優雅な靴音を響かせ、邸内を進み始めた。
ドーザとテレスタリアは目を合わせ、静かに頷く。
テレスタリアは振り返り、立ち尽くす騎士たちへ向けて毅然と声を張り上げた。
「騎士の皆様方。話は聞いておられたかと思いますが、私はロンブリッツ伯爵家三女、テレスタリア・ロンブリッツと申します。もし可能であれば、私たちと共に邸内の状況確認に同行していただけないでしょうか。責任は、全て私が負います!」
少女の細い肩に宿る、決して折れぬ貴族としての矜持。
その凛とした決意を込めた瞳に見つめられ、騎士の一人が弾かれたように前へ出て、姿勢を正した。
「我々も、この事態を激しく危惧しておりました。ぜひ、お供させてください!」
「ありがとうございます!」
月明かりの下で可憐に微笑むテレスタリアの姿に、騎士たちの表情が緩み、頬が微かに紅潮する。
しかし直後、背後のドーザから放たれる『つまらぬ気を起こすなよ』という無言の重圧に当てられ、彼らは慌てて騎士らしい険しい表情を引き締めた。
そうして一行は、三人の騎士を伴い、クロードの背を追った。
◆
侯爵邸の正面扉に近づくにつれ、冷たい風に乗って、鼻腔を直接殴りつけるような匂いが濃くなっていく。
錆びた鉄と、ドブのヘドロをとことん煮詰めた、胃を持ち上げるような臭い。
静まり返った屋敷に一歩近づくたび、「引き返すべきだ」という本能の警鐘がその場の全員の血を冷たくしていく。
思わず足を止めそうになる感覚に何度も襲われた。
扉までの距離は短いはずなのに、足取りは鉛のように重く、何時間も歩き続けているような疲労感。
得体の知れない重苦しさに押しつぶされそうになる自分を奮い立たせ、一行はようやく巨大な木扉の前へ辿り着いた。
テレスタリアは震える手を強く握り込み、声を絞り出す。
「私は、ロンブリッツ伯爵家三女、テレスタリア・ロンブリッツ!どなたか、いらっしゃいませんか!?」
返事はない。
クロードがドアノブに手をかける。
カチャリ。
軽い音と共に、扉が僅かに動いた。
「……鍵は、掛かっていないようですね」
ドーザが太い右腕を伸ばし、テレスタリアを庇うように一歩前へ出る。
姪が後退したのを確認すると、ドーザは即座に大剣の柄に手を掛けた。
三人の騎士たちも、一斉に武器を抜いた。
「行きますよ」
クロードが、一気に扉を開け放つ。
「うっ……!」
テレスタリアは咄嗟に両手で口元を覆った。
開いた扉の奥から、先ほどまでの比ではない、むせ返るような濃密な腐臭と血の匂いが、壁のように押し寄せてきた。
「……」
クロードは無言のまま、きつい死の匂いが漂う邸内へと足を踏み入れる。
ドーザと騎士たちが、テレスタリアを囲むようにして後に続いた。
エントランスホールは、窓から差し込む月明かりで、周囲がようやく視認できる程度の明るさだった。
だが、その中途半端な明るさが、所どころに見える血糊で汚れた絨毯や壁の惨状を浮かび上がらせ、かえって不気味さを増幅させている。
その時だった。
コッ……ズリッ……。
微かな、だが不規則な摩擦音が響く。
音は徐々に、しかし確実に数を増し、四方八方から入口の大広間へと近づいてきていた。
「……来ますな」
クロードが静かに呟く。
「テレスタリアは俺の背後から離れるな!騎士団は彼女を中心に防衛陣形!」
ドーザの鋭い号令に、騎士たちが素早く動く。
しばしの沈黙、そして——
ギィ……
広間に通じる複数の扉が、嫌な音を立てて、一斉に開かれた。
テレスタリアは目を見開き、悲鳴を上げそうになる口を必死で押さえる。
入ってきたのは、人だった。
執事、メイド、護衛騎士、料理人……。
サーベツェリ侯爵邸で働いているのであろう者たち。
しかし、彼らはあきらかに『生きて』いる人には見えなかったのだ。
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次回、第65話は【還死者たち】(※次の話の予定タイトル)を更新予定です。




