第60話:崩壊寸前の町の中で
ギルドでの一連の立ち回りが成功し、喜ぶたきび、テレスタリア、ドーザとレーヴァ。
スタンピードを乗り越える為、4人はそれぞれの役目、準備の為に動き出す。
西の壁の修復を目指して、町中を歩き始めて30分が経過した。
ギルド周辺の騒がしさが嘘のように、この辺りは静まり返っている。
廃墟と化した石造りの建物が、光に溶け込みながら、不気味な影を落としていた。
まだ先は遠いが、歩くにつれて、この町の『今』が段々と見えてくる。
「殆どの人が町を出ると思ってたんだが、結構残ってる人がいるな」
物陰からこちらを伺う視線、半開きのドアから漏れる生活音。
逃げ遅れたにしては、その気配はあまりに生活に馴染んでいた。
『あの老婦人と同じく、この町以外で生きていく術がない者たちが、僅かな防衛の希望にすがり、残る選択をしていると考えられます』
アカシャの声が脳内に響く。
この世界のことを俺はまだよく知らない。
だが、彼らにとって、住み慣れた土地を離れることは、迫りくる魔物の大軍以上に絶望に近い何か。
あるいは、逃げた先にある不確実な未来への恐怖が、死の足音を上書きしているのだろう。
「やりきれないな……」
色々想いにふけっていると、ふと、右足の裾を引っ張られた。
「ん?」
立ち止まり、視線を落とす。
そこには一人の少女が立っていた。
ひと目で、この町ではまともな生活を送れていないと分かる。
汚れきった衣服、泥のついた顔、そして、虚ろな瞳。
彼女の体からは、嗅いだことのないような、鼻につく匂いが漂っていた。
俺に敵意がないことで、アカシャの警戒もすり抜けてきたんだろう。
「お腹、空いたの……。何か、下さい」
少女は、震える声で俺に食べ物を求めてきた。
その瞳には、恐怖も、絶望も、そして、この町を襲おうとしている危機の気配も、何一つ映っていなかった。
ただ、純粋な空腹だけがあった。
「君は、逃げないのかい?」
俺はしゃがみ、少女の目線に合わせて問いかけた。
「逃げる?なんで?」
少女は、不思議そうに小首を傾げた。
『状況を把握できていないようです。恐らく、スタンピードという言葉の意味すら理解していないかと』
……そうか。
だから、こんな極限状態にあっても――。
「今、この町にね、魔物の大軍が近づいているんだよ」
「魔物の大軍?でも、騎士さんたちがやっつけてくれるんでしょ?」
「……」
無邪気な信頼。
国や騎士が魔物たちから自分たちを守ってくれる。
この少女にとって、それは疑う余地すらない当たり前のことなのだろう。
「それより、弟もお腹、すかしてて……。何か、くれませんか?」
少女は、再び食べ物を求めてきた。
確実な死を招く足音が、すぐそこまで迫っているというのに。
日常続いてきた空腹感は、彼女の中で、生存に関わる状況判断を上書きしてしまっているように見えた。
その現実に、もがけばもがくほど抜けだせないヘドロの沼にはまり込む感覚を覚えた。
「君と、弟くんの二人だけ?」
コクッ、と少女が頷く。
俺は周囲を見渡し、人目がないことを確認してから革袋に手を突っ込み、お菓子を取り出した。
実は、革袋には何も入っていない。
インベントリのスキルを誤魔化すために持ち歩いているだけだ。
以前テレスタリアさんにあげた、色鮮やかな包み紙に包まれた、甘い香りのする焼き菓子。
それを見た瞬間、少女の瞳に眩しいくらいの光が宿る。
「何それ!?それ、くれるの!?」
「シーッ」
俺は人差し指を立て、自分の口元に当てる。
「二人で三つずつ、仲良く食べるんだよ。でも、誰にも持ってる所を見られないように!そして、絶対に人目につかない場所でね。約束できる?」
コクコクコクッ!
壊れたおもちゃのように、全力で首を縦に振る。
「食べたら、どこでもいいから、できれば明日の夜まで安全な場所に隠れているんだ。いいね?」
同じように頷く少女に、俺はお菓子を握らせた。
「ありがとう!おじちゃん!」
少女は大事な宝物を握りしめるようにして、もの凄いスピードで走り去っていった。
「こらこら、俺はお兄さんね!」
去っていく背中に、思わず声をかける。
テンプレみたいなやり取り。
だが、今の俺には、それが少しだけ救いのように感じられた。
『あの子は分かっていますね。将来有望です』
え?それって俺へのディスり?
それとも、あの子に何か特別な才能でもあるっていう伏線?
『乙女の秘密です』
ズルいぞ、アカシャ!
俺は、去っていく少女の背中を見つめながら、溜息をついた。
『インベントリに増え続けるスタレーニを渡しても良かったのでは?』
実際、俺も最初はそうしようと思った。
あの子たちの空腹を満たすなら、お菓子よりも栄養価が高く、量も多いスタレーニの方が絶対いいに決まっている。
しかし――。
「あの子が、あんな大きな野菜を抱えて歩いている方が危険だと思ったからな」
ここまで歩いてくる道中、薄暗い家屋の周辺で目を光らせる、ハイエナのような連中を何人も見かけた。
家の中を堂々と物色している者も。
そう、いわゆる『火事場泥棒』だ。
気づく限りは気絶させたが、その殆どがスラムで住んでいるような、明日をも知れぬ人々だった。
絶望に満ちたこの状況で、飢えた獣たちの前に食料をぶら下げて歩くような真似をさせれば、あの小さな命はあっという間に奪われる。
「安全にあの子達が口にできるものは、あれしか持ってなかったからね」
『いい判断です』
アカシャの声が、いつもよりほんの少しだけ優しく感じた。
「さて、仕事仕事」
俺は気持ちを切り替え、再び西の壁へ向かって歩き出した。
◆
一方――。
冒険者たちは、明日の決戦に向けて、準備を整えていた。
武器の手入れを行う者、道具を買いに行く者。
各々が、今できる最大限の準備を進めていた。
そんな緊張感から少し離れた場所。
以前、ドーザとたきびが訪れた酒場『メイオス』の奥の席に、ドーザとテレスタリアの姿があった。
店主以外、客は誰もいない。
光が差し込む店内は、埃が舞い、沈黙が支配していた。
カウンター内で店主が何かの準備をしている音だけが、虚しく響く。
テレスタリアは、目の前の飲み物に手を付けず、ドーザに問いかけた。
「伯父様。サーベツェリ侯爵が、この町に対して一切の防衛指示を出さないのは、なぜなのでしょう?」
テレスタリアの鋭い眼差しに、ドーザは重々しく頷いた。
「私も、その不自然さはずっと気になっていた」
木製のジョッキに入った水を一口飲み、眉間に皺を寄せる。
「通常であれば、警備の騎士や情報収集機関から、領主の元へ急報が届いているはずだ。数千のスタンピード。そして防壁の崩壊。これほどの事態が起きているにもかかわらず、騎士団が動く気配すらないというのは、あまりにも異常すぎる」
「この異常事態を察知し、疑問に思っている騎士もいるはずです。おそらく、領主の館へ直訴に向かっている者もいるはずですよね?」
テレスタリアの瞳には、不安と微かな希望が混じり合っていた。
「そうだと信じたいが……。ノリアの言葉にあった『デア・ドゥペル』の関与を考えると、詰め所自体が既に敵の手中にある可能性も否定できん。一度詰め所に戻り、どうなっているのか、この目で確かめてみる必要があるな」
「私も、それがいいと思います。ロンブリッツ家の名を出せば、引き出せる情報もあるはずです」
テレスタリアの毅然とした態度に、ドーザは心配そうに眉を下げる。
「君は疲れていないか?先ほどのギルドでの立ち回りも見事だったが……無理はしてほしくないのだが」
「大丈夫です!」
テレスタリアは力強く微笑んだ。
その瞳には、先ほどギルドでガボンを気圧した時のような、凛とした意志が宿っていた。
ドーザはそんな姪を見つめ、静かに頷く。
二人は飲み物を飲み干すと、メイオスを後にした。
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次回、第61話は【守る者、狙う者】(※次の話の予定タイトル)を更新予定です。




