第36話:もううんざりだ
空の教会まで、距離にしておよそ一キロメートル。
視界の端に映る見慣れた街並みを切り裂くように、俺は石畳を蹴りつけていた。
「アカシャ、空の教会付近にエア・ゴーレムを設置できるか!?」
脳内に語りかける。
即座に、頭の中で涼やかな声が応じた。
『解析。座標確認。設置完了しました』
「——【シフトチェンジ】!」
走りながらスキルを発動する。
視界が一瞬でぐにゃりと歪み、世界が反転した。
物理学における位置エネルギーと座標情報の瞬時置換。
俺とエア・ゴーレムの位置を入れ替えたのだ。
俺が走っていた場所には、今頃空気の塊が置き去りにされ、近くにいた通行人は俺が一瞬で消え去った事に目を丸くしているだろう。
だが、今はそんなことに構っていられる状況ではなかった。
シフトチェンジした先で、俺の視界を埋め尽くしたもの——。
「……くそっ……!」
轟々と激しい音を立てて燃え盛る、教会の姿だった。
俺を優しく迎え入れてくれたあの聖なる建造物が、今は赤黒い凶暴な炎と黒煙に包まれていた。
「おい!誰か水を持ってこい!」
「樽だ!井戸から汲み上げろ!」
見物している野次馬の一部が、果敢に消火活動にあたっている。
だが、火勢はあまりにも強すぎた。
俺は近くで呆然と立ち尽くしていた男の胸倉を掴まんばかりの勢いで声をかけた。
「この中にいた神官さんは!?神官さんはどこだ!?」
「え?うわっ、お前……スパウンか!?」
「そんなの今どうだっていいだろ!!」
俺の怒号に気圧されたのか、男は怯えたように身を縮こまらせ、指をさした。
「し、神官様は大怪我をしたらしく……今あっちに運ばれて……」
男が指し示した方向へ視線を送る。
数人の男たちが手製の担架のようなものを担ぎ、人垣を押し分けるようにして人を運んでいた。
俺は躊躇うことなく、その場所へと全力で駆け寄った。
「神官さん!」
「何だお前!今、神官様は大怪我をされて……っ!」
担架を担いでいた男が俺を睨みつける。
だが、その制止を遮るように、担架の上から弱々しい声が響いた。
「いいのですよ……」
神官様が、痛みに耐えるように片目を開けた。
「また折角来ていただいていたのに、こんなことになってしまい……申し訳ありません……」
「神官さん!喋らないでください!」
「本当なら……お話の続きを……ゴホッ、ゴホッ!」
「お前、離れろ!」
不意に、付き添っていた男の一人に強く突き飛ばされた。
石畳に手をつく。
「お前のせいで、神官様はこんなことになったんだぞ!」
俺の、せい……?
「お前みたいなスパウンが教会に入ったから、襲われたんだ!邪神の呪いが伝染したんだ!」
「やめなさい……!」
激しく咳き込みながら、神官様が声を荒げた。
「彼は……彼は全く悪くありません!そもそも邪神などという言い方自体……がはっ!?」
「神官様!吐血が……!もう喋らないでください!」
吐血した神官様の顔色が急速に土色へと変わっていく。
俺は立ち上がり、インベントリから硬貨の擦れ合う音のするズッシリと重い革袋を取り出した。
それを担ぎ手の一人の胸元に押し付ける。
「!!こ、こんなに……!?」
「どんなに金がかかっても構わない!どうか……どうか神官さんを死なせないでくれ!」
「おまえ……わかった!行くぞ、急げ!」
男たちは金貨の入った袋を握り締め、疾走していった。
遠ざかる担架を見送った後、俺の耳に不快な笑い声が飛び込んできた。
燃え盛る教会のすぐ近くで、ギャーギャーと騒ぎ立てる一人の男がいる。
「スパウンなんか入れるからだ!天罰だ!燃えちまえ!ギャーハッハッ!」
——あいつか。
『マスター、どうしますか?』
脳内でアカシャの静かな声が響く。
「……とにかく、消火だ」
俺は消火活動をしている周囲の人々に向かって叫んだ。
「教会の中に人は残っていませんか!?」
「誰もいない!全員避難した!」
その言葉を確認した瞬間、俺は大気中の窒素分子を集束する。
常温で不活性であり、燃焼の三要素の一つである「酸素」を物理的に遮断するための最高の消火剤だ。
「出ろ……ナイトロ・ゴーレム!」
俺の前方、燃え盛る教会のすぐ前に、目に見えない気体の巨人が出現する。
不可視のそれは、燃え盛る教会の出火元を覆い尽くすようにドサリと被さった。
一瞬にして酸素供給が絶たれ、絶望的な火柱がみるみる鎮火していく。
「流石に一回では消しきれないか」
延焼範囲が広すぎる。
俺は間髪入れず、同規模のナイトロ・ゴーレムを再度生成し、残火へ叩きつけた。
「な、なんだ!?火が……火がどんどん消えていくぞ!?」
消火活動をしていた人々が、手に持ったバケツを抱えたまま呆然と立ち尽くす。
「はあ!?なんで消えるんだよ!クソが!」
ギャーギャーと騒いでいた男が、不機嫌そうに地跳ねて荒ぶった。
ちょうどその時、群衆を押し分けて息を切らしたドーザさんが現場に駆け込んできた。
「ハァ、ハァ……たきび殿!一体何が……!」
「ドーザさん……すいません、急に飛び出してしまって」
「これは……思った以上に酷い!一体何が?」
「あいつが空の教会に火を放ったようです」
俺が嘲笑う男を指し示していると、その男が鞄から何かを取り出した。
両手で収まる程度の、黒色の球体。
「いけない!あれは……!」
ドーザさんの顔色が劇的に変わり、悲痛な叫びをあげた。
「ヒャーハッハッハ!吹き飛ばしてやるよ!全部まとめてな!」
男が怪しい呪文を唱えると、球体の表面に禍々しい魔法紋様が浮かび上がった。
ドーザさんが野次馬に向かって大声で叫ぶ。
「マナ・フォールアウトが爆発するぞ!全員逃げろ!」
「嘘だろ!?本物かよ!」
野次馬が一斉にパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い始めた。
「禁制品が……なぜこんな場所に!?たきび殿も早く!!」
ドーザさんは戦慄しながらも的確な判断を飛ばしてくる。
アカシャ、あれは何だ!?
『マナ・フォールアウトと呼ばれる魔道具です。供給された魔力量に比例して爆発威力が上昇します。以前の戦争で使用された際は、一つの町を消滅させた事例があります』
!!…あいつの残存魔力から算出して、爆発までの時間と被害範囲は!?
『解析。爆発まで約五秒。被害半径は約百メートル』
半径百メートル……この密度の住宅街だ、十数軒の民家と避難が遅れた人々が確実に巻き込まれる。
「させるかよ……!」
「たきび殿?!」
俺は『思考加速』で対応策を高速で構築していく。
爆発エネルギーは、体積と密度の物理障壁によって封じ込める。
まず、爆弾を持っているあいつの右腕以外を、最高硬度に高めた土粒子によるタクティカル・シェル——マッド・ゴーレムで急速密閉する。
これで頭から下をガッチリと固定し、動きも封じられるはずだ。
さらに、全体を包み込む為にその外側を巨大なエア・ゴーレムで覆う。
そして最終外殻として、エア・ゴーレム全周を再び最高硬度のマッド・ゴーレムで重装甲化した。
「な、な、なんだこれ……体が……動かな……!?」
イカれた男は何が起こっているのか理解できないまま、土と空気の多重装甲の中に閉じ込められていく。
外から見れば、高さ五メートルを超える巨大な土のゴーレムが、丸まってうずくまっているような異様な形に見えるはずだ。
「アカシャ、これでいけるか!?」
『十分な構造強度です。爆発エネルギーの遮断率、九九・九パーセントと予測』
五、四、三、二、一——。
——ゴーン……!
籠もった、重低音の打撃音が内部から響いた。
地面がわずかに揺れる。
爆発の衝撃波と熱エネルギーは、最高硬度の土壁によって完全にシャットアウトされた。
「おい、爆発は?」
「不発したのか!?なんにせよ、助かった!」
野次馬から歓喜の声が上がる。
「信じられん…!」
ドーザさんは驚愕を隠せないようだった。
内部の沈黙を確認し、俺はすべてのゴーレムを解除する。
土塊が崩れ去った中心には、あの男がぽつんと立っていた。
何が起こったのか全く分からないようで、完全に呆けている。
「おい」
俺が冷たく声をかけると、男はビクッと肩を跳ねさせ、我に返った。
「な、なんだてめぇ……あ!スパウン!!お前がなんでこんな所に!?」
「お前が、これをやったのか?」
教会に指をさすと、そいつは正気を疑うような下卑た笑顔を取り戻した。
「お前みたいなやつがこの町にいるから!俺や他の人が不幸になるんだよ!」
『マスター、対象の身元を照会しました。あの男は数日前、勤務先で横領していたことが発覚してクビになっています。その腹いせとして、以前入口で見たマスターに責任を擦り付けるため、すべての不幸はマスターのせいだと街中で吹聴して回っていたようです』
俺は無言で男を見据えた。
「この教会もな!お前が来なきゃこんな事にはならなかったんだ!不幸を運ぶ邪神の落し子がよぉ!」
男は地面に唾を吐き捨てた。
「貴様ぁっ!!」
ドーザさんが激怒し、拳を握りしめて掴みかかろうとするが、俺は手をかざしてそれを制止した。
「……お前のその魔道具、どこで手に入れた」
「はぁ?なんでそんな事をクソザコで不吉なお前に教えなきゃいけないんだよ!」
男は急に発狂したように駆け出し、俺の顔面に向かって右拳を振り上げてきた。
しかし——。
ブンッ。
虚しく空を切る音が響き、男は勢いあまって地面に顔面から激突した。
「は?あ、あれ……?」
鼻血を撒き散らし、地面に這いつくばりながら、男は呆然とした顔をしている。
「……無い腕で殴って、どうするんだよ」
「はぁ!?」
男はおずおずと自分の右腕を見下ろした。
そして、肘から先が綺麗に消失していることにようやく気づいた。
「う、うわあああああああああ!?腕が!俺の腕がああああああ!?」
俺はマナ・フォールアウトを持っていたあいつの右腕だけはシェル化しなかった。
爆弾そのものを握っていた腕が無事で済むはずがない。
自分の狂気による代償だというのに、今の今までそれすら気が付かない程、狂っていたのかよ。
俺はそいつの、吹き飛んで肘から先が無い右腕を容赦なく手で強く掴み上げた。
「痛い!痛い!痛い!!やめろ!やめてくれぇぇ!」
男は涙と鼻水、鼻血とよだれを顔中で垂れ流しながら暴れ回る。
「もう一度聞く。この魔道具は、どこで手に入れた?」
掴む手にぐっと物理的な力を込める。
圧迫された傷口から、ブシュッと血が吹き出した。
「ぐあああああ!言う!言うから許してくれええ!」
「早く言えよ」
「ネ、ネデル商会ってところで働いてるやつから貰ったんだよ!」
「——なっ!?」
後ろで見ていたドーザさんの顔色が劇的に変わった。
「ドーザさん、知っているんですか?」
「ああ……!今回の事件で審議対象になっている商会だ。ハルティアと裏で繋がりがある……!」
線が繋がった。
これは単なる狂人の暴走ではない。
裏で何かが進行している。
「この魔道具で、この教会を狙った理由はなんだ?誰かに命令されたのか?」
「違う!違うんだ!元々は外壁の強度を測るためだから、外壁の近くで爆発させてくれって頼まれたんだ!」
外壁……?
「ドーザさん、街の外壁の強度を測るのに、爆弾なんて使うのですか?」
「聞いたことがない!そんな荒唐無稽な調査方法など存在せん!」
ドーザさんは即答した。
「本当なんだよ!この街の安全を守るための公認事業だからと言われて、領主印が入った袋で金もたんまり貰ったんだ!」
「そんなバカな!」
ドーザさんが驚きを隠せない。
「……じゃあ、なんで教会に仕掛けようとした?」
「へっ……だってよぉ……」
男は激痛に顔を歪めながらも、気持ち悪いほどにニタついた。
「壁を壊すより、邪神の落し子をこの街から追い出す方が、街のためになると思ったんだよ……!」
——そうか。
こいつは、ただの腹いせのために、優しかった神官さんを襲い、教会を焼き払ったのか。
ドクン、と胸の奥で冷たいものが跳ねた。
一気に手に力がこもる。
骨が軋む音が響き、傷口からさらに血が噴き出した。
「うぎゃあああああああ!死ぬ!死んじまうううう!」
『マスター!!』
「だめだ!たきび殿、手を離すんだ!」
ドーザさんが慌てて割り込み、俺の腕を掴んだ。
俺は大きく息を吸い込み、冷めきった感情とともに手を離した。
男は地面に転がり、必死に腕を抱えて呻いている。
「見ろ!!スパウンの恐ろしさを見たか!皆、目を覚ませ!この街の不幸は全部こいつのせいだ!」
「貴様はもう喋るな!!」
ドーザさんが男の腹部に容赦ない一撃を叩き込み、強制的に言葉を絶たせた。
息ができなくなった男はうめき声一つ残さず沈黙した。
「たきび殿……今回の件、たきび殿のせいなどでは絶対にありませんぞ!」
ドーザさんは俺の肩を強く掴み、真摯な瞳で俺を見つめてくれた。
「……わかってますよ。世界の不幸を全て俺のせいにされたら、たまったもんじゃない」
俺は倒れている男に近づき、上から冷たく見下ろした。
「ひぃっ……!」
男は気絶しかけた意識の中で、顔を地面に擦り付けるようにして丸くなった。
「お前にその魔道具を渡した奴はどこにいる。どこで会った?」
「ま、街の中の裏路地……魔道具屋の近くの……」
ガタガタと震えながら、男は場所を吐き出した。
「ドーザさん、場所は分かりますか?」
「ああ、察しがつく」
「明日、そこへ行ってみましょう」
「わかった。こいつは私が責任を持って騎士団へ突き出す。それでいいな?」
「構いません」
俺は立ち上がり、ゆっくりと振り返って燃え跡の残る教会を見つめた。
黒く焦げ付いた木材、崩れ落ちた天井。
そして、この街で俺に親切にしてくれた数少ない人は、今、生死の境を彷徨っている。
どうして全く謝る必要の無い人達が、謝ってばかりいるんだ。
関係の無い人が苦しむそんな理不尽は、もううんざりだ。
「アカシャ、相談がある」
『なんなりと、マスター』
俺は静かに歩き始めた。
———同時刻、とある場所
「先程マナ・フォールアウトの爆発を検知した。」
「…外壁は壊れていないようだが…」
「はじめからあの男には期待していないわ」
三人の影が何やら話をしている。
「しかし、大きな被害も出ていないな。あの爆発場所なら数十人の死者が出てもおかしくないはずだが…」
「確かに。調べる必要がありそうね」
「ようやくここまで来たのだ。事を急いて、失敗は許されないぞ。この町の理不尽を正す為に!」
「わかっている」
3つの影はそれぞれ別の方向に歩いていった。
ご一読いただきありがとうございます。
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次回、第37話は【動き出すものたち】(※次の話の予定タイトル)を更新予定です。




