第109話:地上戦の攻防 その4
地鳴りのような重い音を立てて、ハイオークの巨体が地面に崩れ落ちた。
分厚い胸板に空いた穴。
向こう側の景色が丸見えになる程だった。
血しぶきが雨のように降り注ぐ中、倒れ伏したハイオークのすぐ正面に立っている一人の男。
——冒険者ギルドマスター、ウルノラである。
すでに同じようにして胸や頭を吹き飛ばされた上位魔物の死骸が、五体も転がっていた。
絶体絶命の危機に陥っているパーティの場所へ駆けつけては、その圧倒的な暴力で次々と敵を屠っていたのだ。
聖女レーヴァと並び称されるA級冒険者の実力は、まさに規格外だった。
時代が時代であれば、勇者と共に魔王討伐の旅をしていてもおかしくないほどの英雄的な力。
「城落とし」という物騒な二つ名は、決して伊達ではなかった。
ウルノラの戦闘スタイルは『格闘』だ。
己の鍛え抜かれた肉体そのものを最大の武器とする。
両腕にはめられている漆黒のガントレットだけが、唯一の武装だった。
そのガントレットの名は、リマ・ウイラ。
レーヴァが扱うものと同じ、認められた者だけが召喚できるプライマル・ウェポンである。
表面には微かに放電が走り、周囲の空気をジリジリと焦がしていた。
「す、すげぇ……あれがユニークジョブ『グラップラー』の戦い方なのか……」
「超接近戦での戦闘なんて、俺、絶対できない…」
「武器も持たずに、あの上位魔物を拳でぶち抜くなんて……どんだけだよ」
間一髪で命を救われた冒険者たちが、地面にへたり込んだまま、驚嘆と畏怖を隠せない言葉を次々と吐き出していく。
上位魔物の肉体をいとも簡単に貫通する拳。
魔物ですら彼に挑もうとするもはいないのではないかと誰もが思った。
しかし、魔物は怯まなかった。
ウルノラを最大の障害と判断したのか、二体の上位魔物が急接近してきたのだ。
身の丈三メートルを超える、巨大な類人猿ギガントロプスと狂暴なハイオーク。
異種族同士、本来なら相容れない。
しかし、明確な殺意を共有して、完璧な連携攻撃を仕掛けてきた。
ハイオークが槍を構え、低い姿勢から弾丸のように突進してくる。
後方から跳躍したギガントロプスが、自身の体重を乗せた巨大な棍棒を脳天めがけて振り下ろす態勢を見せた。
槍攻撃を躱した瞬間の硬直。
それを狙っているような、計算し尽くされた二段攻撃だった。
「な!?あいつら、完全に連携してやがるぞ!?」
「上位魔物同士の連携戦術とか、有りえんだろ!?支援魔法の詠唱も間に合わないぞ!」
「ギルドマスター!避けてくれ!」
周囲の冒険者たちが、絶望的な悲鳴を上げる。
だが、ウルノラは一歩も動かなかった。
「ふぅ」
軽く息を吐く。
鋭い槍の穂先が、その息を切り裂くかのように音を置き去りにして突かれた。
激突する、誰もがそう思った次の瞬間。
ズズンッ!
重く鈍い衝撃音が戦場に響き渡った。
「え……?」
冒険者の一人が、間の抜けた声を漏らす。
そこに広がっていたのは、彼らの理解を完全に超えた光景だった。
空中に跳躍し、棍棒を振り下ろそうとしていたはずのギガントロプス。
その位置に、なぜかウルノラが滞空していたのだ。
そして、眼下の地面には、巨大なギガントロプスとハイオークが、二体まとめて折り重なるように倒れていた。
ウルノラは、表情一つ変えずに右手を下へとかざした。
彼の掌から、膨大な魔力が圧縮されて放たれる。
土魔法の基本中の基本、【ロックバレット】。
だが、そのサイズと質量は、通常のものとは次元が違った。
直径二メートルはあろうかという岩塊が、隕石のような速度で二体の魔物めがけて射出された。
ブチャァッ。
大量の液体の入った分厚い革袋が、押しつぶされて破裂したような、嫌な音が響いた。
土煙が静かに沈む。
現れたのは、原形をとどめない肉の塊と化した二体の上位魔物。
その上の岩に静かに着地するウルノラの姿だった。
「……は、速すぎる。全く見えなかった」
「ギガントロプスを空中で掴んで、下のハイオークに叩きつけたのか!?いや、でもどうやって……!?」
「上位の魔物二体を、たった数秒で瞬殺とか……本当に、どうなってるんだよ……」
至近距離でその一部始終を見ていた冒険者たちでさえ、完璧にはその動きを捉えきれていなかった。
ただただ圧倒的な暴力の前に言葉を失うばかり。
しかし、一人だけ、その戦闘を見て呆れたように呟くものがいた。
「相変わらず、でたらめな格闘センスしてるな、あいつ」
少し離れた後方。
防壁近くで冒険者の傷を癒していたレーヴァだった。
そして、回復魔法を受けていた若い冒険者が、その言葉にすぐに反応した。
「レーヴァさん!今のギルドマスターの動き、正確にわかるんですか!?」
彼は目を輝かせながら、レーヴァに食ってかかる。
「ん?まーな」
「お、教えてくださいよ!後学のために!」
レーヴァは、面倒くさそうに顔をしかめた。
しかし、若い冒険者の熱意は止まらない。
「いいじゃないですか!俺たちも、あの戦い方を少しでも取り入れる事ができれば、生存率が上がるかもしれないし!」
若さゆえの純粋で熱い眼差し。
レーヴァは深く、長いため息を吐き出してから、渋々といった様子で説明を始めた。
「まず、ハイオークの槍が顔面に迫った瞬間。あいつは、それをジャンプして躱した。そこはわかるな?」
「はい!」
「その後、そのハイオークの槍を踏み台にして、さらにジャンプをしたんだ」
「……え?や、槍を踏み台に!?」
レーヴァが頷く。
若い冒険者の顔から、少しだけ笑みが消えた。
「そして、空中にいたギガントロプスから振り下ろされてくる巨大な棍棒の柄の部分を、左拳で下から突き上げて弾き飛ばした」
柄を弾き飛ばす、という言葉に理解が及ばない顔をする冒険者。
「すると、ギガントロプスの腹部がガラ空きになるだろ?」
「……はぁ…」
「その無防備になった腹の真ん中に、右拳をねじ込んで、風穴をあけた」
「……腹に穴……」
「完全に絶命したわけじゃないが、あいつはそのまま体を強引にひねり回して、自分の真下――つまり、さっきのハイオークの真上に向かって、投げ落としたんだ」
「……」
「上空から降ってきた数トンの肉の塊をモロに食らって、下のハイオークも潰れる。あとは…もうわかるだろ」
レーヴァはポカンと口を開けて固まっている、若い冒険者の顔を覗き込んだ。
「どうだ?参考になったか?」
「……全く……」
「だろ?あいつの戦い方は、普通の人間が真似しようとしても難しいんだよ。だから参考にするのは、今は絶対にやめとけ。逆に死ぬ」
「……はい……よくわかりました……」
強くなる為に参考にしようとしていた戦闘。
しかし、狂気の沙汰と言い換えてもおかしくない内容に、若い冒険者の顔はすっかり青ざめていた。
希望に満ちていた目は、現実の理不尽さを前に完全に死んでいた。
それを見たレーヴァは、さすがに不憫に思い、声をかける。
「まあ、なんだ、そう落ち込むなよ。お前はお前の体格と能力に合った、自分の戦い方を見つければいいんだよ。誰かの真似事じゃなく、自分が一番生き残れる方法をな」
バンバンと背中を叩いて元気づけた。
その力強い励ましに、若い冒険者の顔にようやく少しだけ血の気が戻り、笑みが溢れた。
「はいっ!ありがとうございます!前線に戻って、自分のやれることをやってきます!」
「おう!絶対に死ぬなよ!」
そう言って、再び武器を握り直して戦場へ駆けていく若者の背中を見送る。
その姿が見えなくなると、レーヴァの表情から笑みがスッと消え、厳しいものへと変わった。
上位魔物との苛烈な戦闘。
この場にいる殆どの冒険者にとって全くの未経験の事態だ。
一体でも小隊規模で対処するような化け物が、複数体同時に襲いかかってきているのだ。
それを考えれば、重傷者は多数出ているものの、死人が出ていない事は、奇跡に近いと言えた。
前衛で壁となっている冒険者たちの意地と、ウルノラの遊撃。
そしてレーヴァの驚異的な治癒魔法によるギリギリの綱渡りである。
しかし、たった数十体の魔物を相手にしているだけで、戦況は完全に膠着してしまっているのは間違いない事実だった。
この後、さらに多くの上位魔物が押し寄せてくれば、この防衛線は一瞬で瓦解するだろう。
「俺も前線に参加したいが……それ以上に、傷を負って運ばれてくる者が増えてきているからな……」
忌々しそうにそう呟いている間にも、遠くから「早くレーヴァさんのところに!」という悲痛な叫び声が聞こえてくる。
腹部から大量の血を流した冒険者が運ばれてきた。
息も絶え絶えで、意識は混濁している。
レーヴァは眉間に深い皺を寄せ、ギリッと奥歯を噛み締めた。
魔力の残量も、精神力も、徐々に削られ始めている。
「もってくれよ……みんな、死ぬんじゃないぞ……」
誰にともなくそう呟いて、彼女はウォーターナースとすぐさま新たな重傷者の治療へと取り掛かった。
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次回、第110話は【地上戦の攻防 その5】(※次の話の予定タイトル)を更新予定です。




