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確率を操るのは  作者: 安藤真司
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悔しいよ

 朝の雰囲気が好きだ。

 少女、綾文弥々は静寂から解き放たれようとする街を見つめながら思考に耽る。

 弥々にとって朝とは一日の始まりであり、自分という存在が今日もここにあることを実感できる時間でもある。

 六月という初夏にも滲むほんの少しの冷たさと、そこに差す陽の光の暖かさが矛盾もせずに共存している。

 常ならば姉の綾と登校する弥々は今、一人風景を楽しみながら歩いていた。

 風景には色が付く。

 そのことを知ったのは、まだ弥々が幼い頃のことだ。

 近所の公園で姉の綾と共に遊んでいた時のこと。

 よく一緒に遊んでいた少年が言ったものだ。

 今にして思えばその少年は大して何も考えてはいなかったのだろう。

 だが不思議と心に残る言葉だった。

 だから弥々は、その少年の事だけは何故か幼少期唯一の記憶として残っていた。

 ずっと忘れたことはなかった。

「結局、でも、虹色に見えたことはないです。櫛夜先輩」

 ぼやいて、大人しく学校へと足を進める。

 今日は決戦の場だ。

 きっと今頃、櫛夜と奏音は対決しているのだろう。

「頑張れ、先輩」

 弥々も決意を新たに、学校へと向かう。

 

 

「ではこれより、体育祭を開催します。選手一同、怪我の無いよう、正々堂々と頑張りましょう」

 選手宣誓の後に簡素な注意喚起をして、綾は朝礼台から降りる。

 湧き上がる歓声と、活気に満ち溢れた校庭が今日という日を演出する。

 中には体育祭を苦々しく思う者もいるはずだが、そんな者たちすら木陰で互いに趣味の話に耽っている。

 自覚がないのかもしれないが、それはそれで体育祭の魔力なのではないか、と弥々は思う。

 体育祭の本分からは外れているのかもしれない。

 だが、こうした特別感のある日に楽しくお喋りが出来る友人がいるということは、良いことなのだろうと、やはり思う。

「弥々、ちょっといいか」

「あ、はいです」

 各人が最初の競技のために移動を開始する。

 ある者たちは自分達の試合のため、ある者たちはその応援のため。

 ぞろぞろと動き始める中、弥々は櫛夜に呼ばれて隣を歩く。

 これから体育祭という状況だからか、或いは弥々と櫛夜のことなど興味も無いのか、別に二人が並んでいるからといって野次馬精神を顕わにしてくる輩もいない。

「とりあえず、こっちは終わらせた」

「ですか。お疲れ様です」

「おぅ、それでさ」

 弥々は櫛夜の顔を見て頬を緩ませる。

 言いたいことを先読み出来たからだ。

「わかってます。私はこれから勝負です。あと、それが終わったら会いたいです。綾お姉ちゃんも、一緒に」

「あぁ。そのつもりで声かけたんだ」

「そのつもりで声掛けられました」

「なんだそりゃ」

「櫛夜先輩」

「ん?」

「私も綾お姉ちゃんも、ちゃんと選んでます、選んでここにいます。だから、櫛夜先輩の選択は、間違ってないです」

「そっか。ありがとうな」

「いえいえですッ。それじゃ行って来ます」

「おぅ、任せた」

「任されましたッ」

 勝手に宣言だけして、弥々は走り出す。

 彼女の元へと。

 

 

 喧騒を眼下に置く。

 ここは、屋上。

「風も緩やかで、最っ高」

 呟きながら扉を潜る、一つの姿。

 弥々はその姿を捉えた。

 ここは件の屋上だ。

 件の、とは要するに、幸魂(さきみたま)高校二号館の屋上である。

 告白のために用いられる、女子だけの特権の場所。

 弥々が櫛夜を連れ出した場所だ。

 そんな場所からはサッカーグラウンドが見下ろせる。

 早速どこかのクラスが練習を始めている。

 そんな中、弥々はこの屋上で、彼女と向かい合う。

 もう、全部を終わらせるために。

 自分の心にケリをつけるために。

 

「来てくれてありがとうございます、玉川先輩」

 

 向かい合うのは、玉川珠子。

 二年生の、何の変哲も無く、同時におかしなところしかない、女子生徒。

「急に呼び出されてびっくりしちゃった」

「すみません」

「いいよ別に。それで、話って? まさかこの場所だからって告白ってわけじゃあないんでしょう?」

「あ、いえ、告白ですよ?」

「うん?」

 弥々はもったいぶるつもりもないので、本題に入る。

 今はまさに体育祭が始まったばかりだ。

 弥々も勿論、珠子も勿論、それぞれの試合がある。

 時間はそれほどない。

 弥々があえて時間もそれほど長くはとれない今この瞬間を選んだのには理由があり、それはやはり、この活気の中で言いたかったから、なのだろう。

 そして何より、決断がぶれないように、だ。

 何かが上手くいっても、何かが上手くいかなくなれば、人の決意は簡単に揺らいでしまうから。

 弥々はこの決断を、無かったことには、したくはない。

 

「久しぶり、たまちゃん」

 

 純粋に微笑む弥々に、少しだけ嗜虐的な笑みを浮かべる珠子。

 

「うん。久しぶり、やーちゃん」

 

 無言で見つめあう二人。

 互いに言いたいことを伝えるには、これから先のことを伝えるには、こんなやりとりだけで十分だったらしい。

 珠子が呆れた風で話しかける。

「なんだ、覚えてたんだ。忘れられてるのかと思ってた」

「覚えてましたよそりゃあ」

「いいよ、あの時みたいに喋ってよ」

「そう? ならそうしようかなッ」

「そうそう、やーちゃんはそうじゃないと」

 そう笑いあうは、先輩後輩の笑いではなく。

 幼馴染の笑いだ。

「正直、忘れてるのかなって思って、声かけ辛かったんだよね。櫛夜先輩は実際、忘れてたし」

「あはは、櫛咲くんはひどいよねー、私の事も覚えてないんだもん」

「だね、まぁ私は小さかったから、あんまり遊んだ覚えはないんだけど」

「それでも結構一緒にいたじゃない。言っても私、やーちゃんと一つしか違わないんだし」

「やっぱり櫛夜先輩はひどいやッ」

「そう! 櫛咲くんはひどいっ!」

「全く、本当になんであんなに記憶力悪くて、しかもやる気なさそうで」

 

「でも私はずっと好きだったんだ。櫛咲くんのこと」

「もちろん知ってるよ。だからたまちゃんをここに呼んだんだから」

 

 改めて弥々は自分にスイッチを入れる。

 ここからだ。

 戦う準備は、出来た。

 言いたいことも決まってる。

 

「私は当時のたまちゃんの気持ちを知ってる、ようにも思うし知らないようにも思う。そこは正直ちゃんとは覚えてないんだ」

 

 実は珠子と小さな頃に遊んだ記憶がはっきりと残っていたわけではない。

 『たまちゃん』『やーちゃん』と呼び合い、仲良くした女の子のことはよく覚えていた。

 だがそこに、櫛夜の記憶も混ざっていたりする。

 小さな頃の記憶とはなかなかに曖昧なものであり、女の子も男の子も混ざり合ってしまっていたらしい。

 弥々は三つの要素、つまり櫛咲櫛夜、及び玉川珠子の存在そのもの、綾が櫛夜と一瞬にして仲良くなったこと。

 この辺りの手がかりを得て記憶を思い出しつつあった弥々は当時の事を誰よりもよく知っているであろう人物に話を聞いた。

 言わずもがな、母親である。

 子どもの頃の交友関係を知らないわけがないと踏んでの予想だったがそれは弥々の思惑通り、母は全てを覚えていた。

 そして、自分から零れ落ちてしまった記憶の話を知る。

 細かいことは置いておき、仲が良かった一人の少女、玉川珠子のことをはっきりと思い出す。

 思い出し、そして、今回起きた事件の全容に気付く。

 気付く、というよりは、感じた。

 結局自分達の手の届く範囲などというものは学校と家と、習い事と、過去の自分くらいが精一杯だ。

 初めから、所詮非日常的な現象だって自分達の手の届く範囲の話なのではないかと考えていた弥々であったから。

 綾の気持ちを知り、光の気持ちを知り、友莉の気持ちを知り、奏音の気持ちを知り、優芽の気持ちを知り、櫛夜の気持ちを知り、珠子の気持ちを知った弥々であったから。

 その全てが繋がった。

 

「それでも、時間を繰り返すようなことは、よくないと思うよ。たまちゃん」

 

 そんな弥々を見て、珠子は意外そうでもなく、笑みを崩さない。

 事実を聞いても焦りを微塵も外には出さないのは、焦っていないからなのか、それとも。

「時間を繰り返すくらい、別にいいでしょう。だってそれを望んでいる人がいたんだから」

「でも、光瀬先輩と優芽先輩を利用したりして、さ」

 玉川珠子は、光瀬光と夢叶優芽と、手を組んでいた。

 言い方を変えれば、利用していた。

 光も優芽も、その想いの在り方は違えども、二人とも綾のことを好いており、綾と櫛夜が付き合っている時間を良しとはしなかった。

 そして珠子もまた。

 櫛咲櫛夜のことを好きな珠子も、櫛夜が綾と付き合っている時間など、まっぴら御免だと考えたのであった。

 何故か繰り返す時間。

 そして何故かそれを認識出来る自分。

 弥々は記憶を引き継ぐことはなかった。

 だからその現状に立ち会ったときに自分がどんなずるいことを考えてしまうのか、想像もつかないが。

 好きな想いをこんなことに使うことは、駄目、だと思う。

 明確な理由など、やはり、感情以上のものは弥々のなかにはないのだが。

「逆に光瀬先輩も優芽も私を利用していたわね。私も二人を利用していたわけだから、そこはお互い様だけど」

「利用、か」

「そ、いい結託でしょ? 二人は綾文会長を、私は櫛咲くんを好きで、二人が別れて皆ハッピーってね」

 珠子はその、皆、の中に綾と櫛夜は含まない。

 含んでいない。

 一瞬そんなことを考え憤りを感じるも、しかし続く珠子の言葉に納得する。

「櫛咲くんも私と一緒でハッピー、綾文会長もどうせ櫛咲くん以外はおよそ選り取り見取りでハッピー。いいじゃない、いい世界じゃない」

 なるほど。

 綾の事は無理があるにしても、櫛夜は自分といれば幸せであると確信しているのか、玉川珠子は。

 それが本音なのかどうか、未だわからないが。

「でもさ、まさかまさかなわけなの。まさかやーちゃんが櫛咲くんに告白して、しかも上手くいっちゃうなんてさ」

「ほとんど無理やり、だったけど」

「無理やりでも何でもさ、大事なのは結果だよ。過程なんてどうでもいい」

 弥々は口を結ぶ。

 確かにその通りだ。

 過程はどうあれ、今の自分は櫛夜が好きで、櫛夜も想いに応えてくれている。

 大事なのは結果、なのかもしれない。

「いいなぁ、羨ましいなぁ。そのポジションを私のものにしたくて頑張ってきたのに」

 飄々と語る珠子から感じるのは、ただの本音で、ただの雑談で、今この会話をしているようだ、ということで。

 弥々は少々自分に苛立つ。

(全く、こんな想いで私と櫛夜先輩が上手くいっても、何にも嬉しくないっての)

 事実としてはそうなのだが。

 認めたくない自分がいる。

「やーちゃんが櫛咲くんを好きなのは知ってたよ? でもお姉さんの気持ちを知って、いつも勝手に遠慮していたから」

「そう、だろうね」

「『そうだろうね』か、余裕ねイマカノは」

「……さぁ、よく、わからないよ」

「そう? いいけどね、どうせこの時間も失敗だし」

 本当にさらりと話すので、集中していなければ聞き逃してしまいそうになる。

 それくらいに、珠子は躊躇いなく、今を失敗と言ってのけた。

「たまちゃんには悪いけど、もう時間の繰り返しは起こさせない」

 ここは断固として譲れない。

 はっきりと伝える。

「へぇ、どうしてそんなこと言えるの?」

「友莉先輩は体育祭の新競技に出ない。それに光瀬先輩はもう一度ちゃんと綾お姉ちゃんに振られに行く。優芽先輩も綾お姉ちゃんにどこまでを伝えるのかは知らないけど、でも、今ある気持ちを話す」

「あらそう、綾文会長モテモテね」

「当たり前。綾お姉ちゃんだもの」

 弥々は少し一呼吸を入れて、そして続ける。

「優芽先輩の時間を巻き戻す能力、これは、『巻き戻したい事件』が起きないと発動しない」

 この厳格な定義は優芽自身もわかってはいないが。

 その性格をよく知る奏音の分析では、『櫛夜と綾が付き合った』という『巻き戻したい事件』では能力が発動できなかったところを見ると、かなり優芽自身の心象だけでない何かがあるのではないか、とのことである。

 毎度律儀に友莉の大怪我でもって時間を巻き戻す必要は無いはずで。

 しかし、そうしなければならなかったと言うのだ。

 例えば最初に時間を巻き戻そうとしたのは本心から友莉を助けようとしていたはずで、それは特に問題ないだろう。

 しかしここ数回、なのか数十回なのかわからないがここのところは重きを置いていたのは櫛夜と綾の関係に関してであり、友莉のことは胸を痛めてはいたものの、なるべくと思考から切り離して、櫛夜と綾のために動いていた。

 それでも優芽にとって時間を巻き戻せざるを得ない事件というものが櫛夜と綾との関係になることはなく、あくまでそれは友莉の事故であり続けた。

 だから友莉が体育祭の新競技に出ない以上、優芽はどうあっても時間を巻き戻せないのではないはずだ。

 その友莉の決意を弥々は尊敬に値すると思っているし、それに伴ってきちんと自分の進むべき道を選んだ光と優芽もまた強い人物であろう。

「そう、そっか。光瀬先輩と優芽はじゃあ、この時間を認めちゃうんだ。まぁ、今回初めて櫛咲くんと綾文会長が別れたもんなぁ」

「違うよ、それは関係ない。ううん、もしかしたら遠因にはなっているのかもしれないけど、そこは今問題じゃないよ」

「違う? 何が?」

「想いが」

「わかるように話してくれる?」

「櫛夜先輩と綾お姉ちゃんが別れたからもういいや、ってこの時間で終わらせるわけじゃない。今まで心に秘めていた嘘を、解くために頑張って決めたんだよ」

「それは結局一緒でしょう。それこそ結果が全てじゃない」

「そうだね、否定は出来ないよ。たまちゃんから見たら確かに同じに見える」

 人は言う。

 結果よりも過程が重要であると。

 人は言う。

 過程よりも結果が大事であると。

 人は言う。

 過程があってこそ結果が輝くのだと。

 今度の珠子の理論に弥々は納得できない。

「でも大事なのは、今の気持ちだよ」

「そう、そうなんだ。そっかそっか」

 珠子は相変わらず微笑んだままだ。

 だがそこに、今までと違う感情が乗ったのを弥々は感じた。

 これは。

「藍色だ」

「ん?」

「悲しい色が混ざったよ。たまちゃんに」

「……そりゃ、悲しくもなるでしょう。だって、私の今までが無駄になっちゃったのよ。それも、私の願いは叶わなかった」

 かけるべき言葉が見つからない。

 今の自分は何も持っていない。

 過程がどうあれ、今の自分は櫛咲櫛夜と好き合っている。

 そんな自分が、この玉川珠子に伝えられる言葉があるのか。

 勿論無い。

「ねぇ、聞かせてもらえる? たまちゃん」

「……何を?」

「たまちゃんの話」

「私の、話?」

 だから、言葉を持たない弥々だから。

 聞くしかない。

 聞くことしか出来ない。

 聞いて、聞いて、聞いて。

 受け止めることしか、きっと。

「たまちゃんが、どんな想いでここまできたのか、どんな想いでここまで頑張ってきたのか、どんな想いを抱き続けてきたのか、聞かせて欲しい」

「やーちゃん、でも、それは」

「今の私は幸せ馬鹿なんだよ。違和感を感じたまま、誰かの後悔を残したまま櫛夜先輩と一緒になんて、いれない」

「そんなの、酷くない? 私に対する当て付け? ただの自己満足じゃない? 私の気持ちがそんなことで晴れるとでも思っているの?」

「自己満足だよ。全部」

「……」

 はっきりと宣言してみせる弥々に、若干押される珠子が、ため息交じりに座り込んだ。

 場所が屋上なので相当に汚れているだろうが、それも構わず思い切りよく座る。

 体育着が汚れるのは気にしないのだろうか。

 それにあわせて弥々も座る。

 座り、弥々は自分のことを探り探り言葉にする。

 

「私ね、櫛夜先輩と、別れたんだ」

 

「……は?」

 突然の告白に珠子がようやく表情を揺らがせる。

 その顔を見て、弥々は満足気に笑ってみせる。

「あはは、たまちゃん驚いてるッ」

「え、えぇ? おかしくない? さっきまでやーちゃん、櫛咲くんと付き合ってるとかなんとかそんな話してなかったっけ?」

「そうだっけ? 忘れちゃったですッ!」

「こういうタイミングで後輩面しない!」

 互いに笑いあい、そして珠子は弥々に話の続きを促す。

「で、どういうこと?」

「単純明快、このままじゃ私が前に進めないと思ったから、一旦別れてもらっただけだよ」

「前に、って」

「だってさ、今この時間には櫛夜先輩の意思じゃないものが、私の意思じゃないものが多すぎる」

 世界なんてそんな風に、自分の意思とは違う何かによって動いているものかもしれない。

 だがそれでも。

 認めたくないものがあるならば。

 戦わなければならない。

「だから今の問題をちゃんと解決して、皆の想いを知った上で。櫛夜先輩には櫛夜先輩の道を選んで欲しい、と、いうか私を選んで欲しいなって」

「えっと、つまり、なに? 私と光瀬先輩と優芽を説得した上で、もう一度改めて話をしたいってこと?」

「それは勿論そうだけど……あとはやっぱり、ちゃんと綾お姉ちゃんとのことを考えて欲しくて、ね」

「あぁ、そういうこと」

 弥々は考えさせられた。

 綾は櫛夜のことを好きだった。

 櫛夜は綾のことを好きだった。

 光は綾のことを好きだった。

 優芽は綾のことを好きだった。

 友莉は櫛夜のことを好きだった。

 珠子は櫛夜のことを好きだった。

 奏音は光のことを好きだった。

 自分は櫛夜のことを好きだった。

 それらの想いを知り、弥々は、それでも。

「櫛夜先輩に、選んで欲しいなって、思ったんだ」

「そっか、そうだよね。ずっと好きだった気持ちを、ようやく伝えることが出来たんだもんね」

「うん、だから、聞かせて欲しい。たまちゃんの話を、たまちゃんの物語を」

「聞いて、どうするの?」

「うーん、そうだなぁ。わかんない、かも」

「あのねぇ」

「わかんないけど、聞きたいよ」

 真っ直ぐな視線。

 それを珠子は、受け止めた。

「わかった。なーんか乗せられた気がして嫌なんだけど、話せばいいんでしょ」

「うん、ありがと」

 流れるような会話を経て、珠子は思いを吐露する。

 

「初めて会ったのはさ、話したとおり、小さな頃だった」

「あの公園で出会った少年は、誰より活発で、誰より好奇心に溢れていて。他に何があったわけでもない。でも、とても魅力的だった」

「でもあの時から彼は、私のことをあまり見てくれたりはしなかった。そう、全然見てくれなかったの」

「私は彼が好きだった。明確な理由なんてなかったけれど、とにかく彼が、好きだった」

「それである時、あーちゃんとやーちゃんが……ふふ、やめておこうかしら。綾文会長とやーちゃんが引っ越すことになったよね」

「私ももちろん寂しかったし、同じように、櫛咲くんも寂しかったんだろうね」

「櫛咲くんは綾文会長とジャンケンをした。それで、負けた」

「綾文会長がどんなつもりで話をしたのかは知らないけれど、私は横で見ていたからよく覚えているんだ」

「ジャンケンで勝ったら、引っ越しをしないって。どこにもいかないって、そんな嘘をついて」

「ジャンケンに勝った綾文会長は櫛咲くんの前から姿を消した」

「それを悲しがっている櫛咲くんは、もう二度と私と遊ばないって言った」

「そんなこと私は嫌だったから、引き止めた」

「私だって二人がいなくなったことは哀しかったんだよ。そりゃあ小さな頃の遊び相手って、すごく大切な存在だし」

「でも、何よりも好きな男の子が自分を拒絶するなんてことが耐えられなかった。嫌で嫌で仕方が無かった」

「だから私もジャンケンをしたの」

「彼から仕掛けてきたジャンケン」

「これで勝てば、櫛咲くんは自分とまだ一緒にいてくれるなんて幻想を抱いて」

「でも、私は負けた」

「ううん、勝っても負けても、結局は同じことだったんだろうね」

「きっとあの頃から櫛咲くんは、綾文会長の事が好きで」

「綾文会長は櫛咲くんのことが好きだったんだろうね」

「私はずっと知ってた、知ってたんだよ」

「知ってて、それでも私は櫛咲くんに認めて欲しかった」

「知って欲しかったんだ、私の事を」

「あぁ。なんだ。嫌だなぁ」

「認めたくないなぁ」

「なんで、私じゃないのかなぁ」

「私はずっとずっと好きだったのにな」

「私はずっと、櫛咲くんのことを見ていたのにね」

「どうして私の気持ちは櫛咲くんに、届かないのかなぁ」

「私は、ずっと近くにいたんだよ?」

「どこかに引っ越して、また戻ってきた綾文会長とは違って、やーちゃんとは違って」

「私は小さな頃からずっとずっと、ここにいたのにね」

「なのに、私のことを、櫛咲くんはほんの少しも見てくれなくて」

「中学も高校も、ずっと私は櫛咲くんと同じ道を歩んできたのに」

「櫛咲くんは一度だって私の名前を呼んでくれない」

「口だけは呼んでいるかもしれないけれど、それを私の名前として、私を呼ぶための音として、表現してくれない」

「結局それで、また現れた綾文会長と出会って。綾文会長のことなんて、かつてのあーちゃんのことなんて、忘れてたのに。櫛咲くんは綾文会長と恋に落ちた」

「それが偶然なのか必然なのか、それとも自然なものなのか、私は知りようがないし知りたくもないけど」

「でも、おかしいと思わない?」

「ひどいと思わない?」

「こんな世界、なにか間違っていると思わない!?」

「だって、だってさ。ここに、ここにあるんだよ!」

「こんな気持ちがここにあるのに! 伝えることすら! させてもらえないっ!!」

「おかしいよね!? 間違ってるよね!? こんなの私の望んだ世界じゃない!!」

「小さな頃の思い出なんて忘れたって構わないけれど!!」

「過去の私を覚えていなくて今の私を見てくれないなら! それってもう彼の中に私なんて存在がいないも同然じゃない!?」

「だからね。この時間が繰り返していることに気付いたときに、こんなことを思ったんだ。こんなことを考えたんだ」

「これはね。間違ってしまった世界を私が自分自身の手で正してあげるべきなんだって」

「綾文綾と櫛咲櫛夜の過ちを、取り除いてあげるべきなんだって」

「そうして動こうと決めてすぐに気付いたのが、そう二人の存在だよ。三瀬先輩と優芽」

「二人もまた、二人なりの想いがあって、綾文会長と櫛咲くんとの関係を妬んでいて」

「私はそんな二人と手を組んだ」

「光瀬先輩には嘘をついた」

「光瀬先輩は綾文綾と付き合うべき人間だ、って勝手なことを言って。勝手に彼の想いを改ざんした」

「優芽には嘘をついた」

「綾文綾は孤高であり、唯一であるべきだ、って心にもないことを言って。優芽の心を傷つけた」

「でもさ、仕方がないでしょ」

「そうやって自分の事だけを考えて、自分の気持ちの成就だけを考えて」

「自分の想いが一番大事で、相手に自分の事を見て欲しくて」

「見てもらえるだけでいい、なんて言うのはただの綺麗事。見てもらうだけじゃ満足できない。でも私は見てもらうことすら叶わない」

「時間を繰り返すことで、もし、ほんの、ほんの一ミリだって櫛咲くんに近づける可能性があるかもしれないならさ!」

「なんだってするよ!!」

「好きになってもらえるならそれ以上のことなんて何も要らない!!」

「そう思える、それが正しいと信じれる!!」

「他から見て間違っているとわかっていたって、私にとってはこれしかない、そんな感情が!!」

「私にとっての全てを捧げてしまえるような、こんな感情が!!」

「周りが見えなくなってしまうくらいに盲目になっちゃう、これが!!」

「だってこれが!!」

 

「片想いってものでしょう!!?」

 

「結局何も叶わないとしても、それでも」

「それでも私は、せめて」

「片想いをしていたいよ……」

 

 

 全部を吐き出すように、全部を諦めたかのように、珠子は語った。

 きっと、これこそが玉川珠子の物語なのだろう。

 櫛咲櫛夜を想って。

 それ以外の全てを排除して。

 それでも。

 届かぬことを嘆き苦しむ、そんな物語が。

「ねぇ、たまちゃん」

 当の珠子が泣いていないのに、何故か弥々は涙が止まらない。

 きっと理由は単純で。

 でも言葉には出来ない何かなのだろう。

「私、たまちゃんに言いたいことができたよ」

「……なに?」

 悲しくて泣いているわけではない。

 嬉しくてないているわけでも、ない。

「私ね、悔しいよ」

「くや、しい?」

「そこまで誰かを想えることが。想えることを。堂々と、そうだ、って言えることが」

 弥々の言葉を聞いて、珠子はそれでも笑う。

 珠子は笑ったままだ。

 ずっと、そうだったのだろう。

 表面上はずっと、ずっと。

 心を閉ざして、鍵をかけて。

 彼女はそうして自分の心も櫛咲櫛夜に対するもの以外は捨ててきたのだろう。

 そんなことを出来るその精神力が、悔しい。

「そうかな。私は、やーちゃんを見てると、私の方が悔しいよ」

 そして、顔だけは笑ったまま、泣き叫ぶ心象を言葉に込めて、話し続ける。

「知ってる? やーちゃん。今、櫛咲くんのことを好きな人は四人いるんだよ?」

「うん。私と、たまちゃんと、友莉先輩と、綾お姉ちゃん、でしょ?」

「そう。それでさ、今まではずっとずっと綾文会長と櫛咲くんが付き合っていて」

「うん」

「私はさ。と、いうか私達はさ」

 私達、が指し示すものは当然、綾以外、珠子と弥々と友莉だろう。

 珠子は弥々を見ていた視線を不意に空へと逸らした。

 今日は非常に良い天気で、雲一つ無い、綺麗な青空がどこまでも広がっている。

 綺麗過ぎて、空と、自分達の立つこの場所の境界が、わからないくらいだ。

「たぶんずっと、櫛咲くんの側にはいられないんだと思っていたよ」

「そう、だろうね」

「でも、どうしてやーちゃんは櫛咲くんと付き合えたのかなぁ。今回の時間は一体何がいつもと違ったのかなぁ」

 弥々は珠子を断罪した。

 奏音は優芽を断罪した。

 櫛夜は光を断罪した。

 友莉は体育祭の新競技には参加しないと決めた。

 体育祭の新競技は、当初奏音たちが提案していた騎馬戦に決まった。

 櫛夜はジャンケンに勝った。

 櫛夜は弥々に告白された。

 弥々は櫛夜を好きになった。

 綾は、櫛夜を生徒会へと誘った。

「何が違ったのかなんてわからないよ。私には」

「そうだよね。記憶も、ないに等しいんだもんね」

「でもさ。それでもたった一つ。今までと違うだろうってことが、ある」

「違うこと? 記憶もないのにそんなことがわかるの?」

「わかるよ。当たり前のこと。当たり前すぎて、気付いていないだけだった」

「当たり前のこと?」

 弥々は珠子にぐっと顔を近づける。

 あまりに近かったため、思わず珠子は身を引くが、引いた分だけ弥々はその距離を詰める。

 じっとしていてもさすがに気温は高く、二人はほんのりと汗をかいている。

 湿気が高い時特有のジメジメとした体温が伝わる。

「そう。一つ、今までの時間と違うことが一つあって。それで、たまちゃんがやるべきことが一つある」

「それをすれば、私は、救われるのかな。それとも、やっぱり救われないのかな」

「知らない。人に幸せの在り方を求めないで」

「……そか」

「一つ違うこと、それは、『自分の本心』を伝えるべき相手に伝えていること、だよ」

「本心、を」

「今までの時間の私が綾お姉ちゃんに遠慮して何も言わなかったのに対して、今の私は、櫛夜先輩に好きだって言っている」

「……」

「全員、そうなんだよ。たまちゃん」

 弥々はそこで話を切って、そして、どこまでも通るような声で。

「言ったでしょ。私と櫛夜先輩、別れたんだって」

 自身に出来る最大限の大声で。

 叫ぶ。

 

「今!! 櫛咲櫛夜先輩は!! フリーなんですよ!!??」

「なら!! 玉川先輩!! あなたのやるべきことは!! 一つでしょうがッ!!」

 

 弥々の言葉遣いが敬語に戻る。

 そんなことよりも弥々が発した突然の大声に驚いたようだが、しかし珠子は冷静に答える。

「でも、フリーって言いつつ、櫛咲くんは私を知らないよ。たまちゃんを、知らない」

 ネガティブな発言に一々耳を貸しているほどの暇はない。

 食い気味に弥々は叫ぶ。

 

「告白もしたこと無い癖にッ!! 人を羨まないでくださいッ!!」

 

 その言葉に再度熱が入ったか、珠子も若干声の調子を上げて反論する。

「告白したこともないって、やーちゃんだって今回が初めてだったくせに!」

「でも、今回したんです!」

「今回だけで何を偉そうに!」

「言ってますよね。告白する勇気もないのに他の人を羨むのは止めてください!」

「な、やーちゃんだってずっと綾文会長のこと羨んでタイミングが私達のおかげで掴みやすかったから櫛咲くんの彼女になれたんでしょうが! そんなずるい人に言われたくないよ!!」

「告白出来ない言い訳をそうやって並べていたって、何も始まらない!!」

「なにをっ!!」

「それに、勘違いしてるッ!!」

「勘違い!? 何が!?」

「私が言う、玉川先輩のやるべきことは、ただの告白じゃない、ただ振られることじゃないッ!!」

「ただ振られること以外に、何があるっていうのよ!?」

 

 

「今の『玉川珠子』を見てもらうんでしょ!! いつまでも『たまちゃん』に拘るなッ!!!」

 

 

 たまちゃん。

 それは。

 幼き頃のあだ名。

 そして、成長と共に、過去に自分を縛り付けるアイテムとなる。

 楽しかったあの日々を。

 充実していたことを考えるまでも無く充実していたあの日々を。

 無かったことにしてはいけない。

 けれど。

 そんな過去の時間に縛られているのは、もう終いにすべきだ。

 今は今。

 今の玉川珠子はいつかのあの日の『たまちゃん』ではない、『玉川珠子』なのだ。

 当然櫛夜も綾も弥々も、かつてのことがあったから今の関係があるわけではない。

 そんなものは関係ない。

 今の関係は、今の自分達が作っているのだ。

「わ……わ、たし、言え、る、かな?」

「大丈夫。きっと、言えるよ」

「わた、し、大丈夫、かな?」

「大丈夫。大丈夫だよ」

「……弥々ちゃん」

「はい?」

「私、ね。櫛咲くんのことが、好きなんだ」

「はい、知ってます。私も、櫛夜先輩のこと、好きなんです」

「でもね、櫛咲くんは、私のこと、好きじゃないんだ」

「恋愛的な意味合いでは、そうかもしれません」

「私、強く、なれるかな」

「強くなんてならなくていいですよ。困ったときは私に言ってください。心が弱ったら誰にでも相談してください。強くなったならその時初めて自分以外の誰かを守ればいい」

 

 ようやく玉川珠子と成ることが出来た珠子が弥々を見つめる。

 初めからずっと綾文弥々であり続けた弥々も珠子を見つめる。

 

「私、櫛咲くんに、告白する」

「私も、もう一度櫛夜先輩に、告白します」

「泣いても笑っても、恨みっこなし、なんだよね」

「はい、そうです。神のみぞ知る、っていうか、櫛夜先輩のみぞ知るってところです」

「そっか。じゃあ低い確率で、私が選ばれることも……なくはないのかな」

「さぁ。確率を操れるなら、あるいは」

 

 そう言って笑いあう弥々と珠子の目には。

 どこまでも純粋な光を灯して、陽の光をどこか遠くへと反射してしまう人の感情の煌きと。

 力強い意志の強さを感じさせる、燃え上がる心象が浮かび上がり。

 小さな粒となって、輝いた。

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