助けが必要なら
狩野奏音は基本的に友人想いの人柄である。
例えば彼女は色恋沙汰にはあまり積極的ではないため、想いを寄せる男子生徒よりも、共に生徒会活動に勤しむ友莉や優芽との時間を大切にしている。
それは別の意味では、そこまで燃え上がるような気持ちを自身の内に感じたことがないから、とも言えるかもしれない。
しかし奏音の場合はなにも、好きな人がいないわけではない。
恋焦がれる相手がいる。
いてなおも友人を優先的に考えてしまう彼女は単にお人好しであり、ついでにちょっぴりと奥手らしい。
そんな自分を、自分で評するには。
(別に、それでいいじゃないかしら、なんて考えてしまうのよね)
駄目な理由が見つからないのが、むしろ自分の良い所なのではないか、と自信を持ってさえいる。
好きな人はいる。
それは間違いなく。
嘘偽り無く。
好き好きなわけだが。
奏音に言わせれば、全く同じくらいに大事な、大事だと思える友人がいることなど。
誇らしい限りではないか。
嬉しい限りではないか。
(で、ぐずぐずしていた結果がこんな、なんだからひどいわよね)
奏音は一人、駅で彼女を待つ。
時刻は早朝。
今日は待ちに待った体育祭だ。
だからこそ、今日この日を、櫛咲櫛夜は選んだのだろう。
間違いを正すために。
間違いを正して、それを、きちんと後悔するために。
(後悔できないなんて、そんなことは、認められない)
烏兎怱怱な日々は楽しいが、しかし閉ざされた時間を繰り返す日々は、要らない。
もしも、後悔の日々を無かったことに出来るとしても。
奏音は前に進みたい。
進むために、彼女に立ち向かいたい。
彼女の理論を壊したい。
と、電車が到着したのだろうか、ややではあるが人の流れが改札に流れ込んでくる。
体育祭の始まる時間には十二分に間に合うくらいに早い時間だというのに中々幸魂高校の生徒の姿が見える。
恐らくは朝の時間にも練習をするのだろう。
それだけ体育祭というイベントを楽しみにしてくれているのだ。
体育祭を運営する生徒会役員として、こう嬉しいものもない。
そして、さほど待つこともなく、奏音は目的の人物の姿を捉えた。
穏やかに声をかける。
「おはようございます。優芽さん」
「……おは、よう?」
夢叶優芽。
奏音と同じ二年生で生徒会役員として活動、現在書記を担当している。
人見知りだが芯は強く、やるべきことはやり遂げるし、言わなければならないことはきちんと言える、そんな純な女の子。
「一緒に行きましょう?」
「うん、うん」
奏音の真意を不思議がりながらも優芽はいつも通り人懐っこく奏音の横に並んだ。
奏音と優芽は端から見ても仲良さげに寄り添って歩く。
徐々に温まる体を、その体温を互いに感じつつ、早速奏音が口火を切った。
「優芽さん、私に隠し事をしているでしょう?」
「……隠し、事?」
やっぱり自分は甘いわね、と奏音は自分の胸中が案外穏やかであることに気付く。
どうやら自分は人を怒るのに向いていないらしい。
人を怒れる、というのが一つのスキルであることを今更知って、しかし怒る必要は別に今ないのかも、と思い直す。
怒っているわけでは、恐らくない。
(いえ、怒ってはいるのですけどね)
二転三転する感情を上手にコントロールできるほど大人ではない、と勝手に解釈をつけて優芽の顔を伺う。
まだ、自分が何を話されるのか分かっていない顔だ。
ならば、気付かせてしまおうと考える。
奏音に嗜虐趣味はない。
「そうね、玉川珠子さん? 綾文会長? 時間の巻き戻し? どこから聞けばいいのかしら?」
「……え、と」
奏音の捲し立てるような台詞に優芽の顔が曇る。
せっかくの晴れ間が台無しだと思うけれど。
止めてやるわけにもいかない。
「一つ。櫛咲くんと綾文会長はこのループしている前の時間軸において、お付き合いをされていたそうよ」
「……あの」
「一つ。けれど今の櫛咲くんは知っての通り、弥々ちゃんとお付き合いをしています」
「ねぇ」
「一つ。時間を繰り返している違和感を感じるのは何故? 記憶が残っているから? それとも、前とは変わっている事実があるから?」
「ねぇってば」
「一つ。変わってしまっている事実があるのに、友莉さんは助けられないまま? どうしてそこは変わらないのかしら」
「奏音ちゃんってば」
「一つ。時間を繰り返したって事実だけは残るのに記憶が残らない能力があったとして、友莉さんを助けられなかったとして、なのに変わってしまう事実ってどんな意味があるのかしらね」
「聞いてよ」
「一つ。目的が達成されていないから何度も繰り返しているというのであれば、その過程はきっと少しずつでも変わるはずよね。例えば体育祭の新競技が、飛びつき綱引きから騎馬戦に変わったりとか」
「私の話を聞いて」
「一つ。櫛咲くんと綾文会長が別れたことが、櫛咲くんと弥々ちゃんが付き合ったことが、それに意味があるのなら、そこに目的があるのなら」
「やめて、やめてよ」
「一つ。例えば櫛咲くんのことを好きな人は得するわよね」
「やめ、て」
「一つ。例えば綾文会長のことを好きな人は得するわよね」
「お願い」
「一つ。だから光瀬先輩はきっと、得するのよね」
「奏音ちゃん、もう言わないで」
「一つ」
「やめてってばっっっ!!!」
優芽が歩みを止めて叫ぶ。
普段声の小さな優芽にしては、最大限の叫びだったのだろう。
周囲を歩く生徒が一斉に二人のことを見る。
その視線を無視して、ついでに優芽の悲痛な叫びすらも無視して奏音はそのままのペースで真っ直ぐ歩いていく。
立ち止まろうともしない奏音の後ろを優芽は付いていく。
奏音は先ほど遮られた言葉を続ける。
「優芽さん。どうしてわざわざ、私の恋を応援してくれたのかしら?」
「っ!!」
声にならない声で優芽が悲鳴を上げる。
勿論そんなことで、今更追撃をやめるはずもない。
「どうして、綾文会長と、光瀬先輩が、合わないんじゃないか、なんてずっと強調していたのかしらね」
思わず皮肉めいた声色になってしまう。
別に責めたいわけではないのだが、一々粘着質な物言いになってしまうのはきっと。
自分で自分を許せないからだろう。
「ねぇ、優芽さん。違うなら違うと言って欲しいのだけれど、たぶんあなたは別に、私の恋を応援してくれたわけじゃあないのよね」
「そん、なこと」
ない、とは言えない。
奏音にはわかっている。
ないわけないから、ないとは言えない。
言えないことを隠し切れない彼女こそ、奏音の良く知る優しい優芽だ。
「それと、櫛咲くんのことが好きなわけでも、ないわよね」
もちろんありえなくは無いだろうが。
優芽が櫛夜を好きだ、ということはない。
仮にそうだったとして、櫛夜に対する想いを遂げたいのであれば、櫛夜と付き合っていたはずである綾の意識を逸らす意味でも光には綾へ真っ直ぐいて欲しいはずだ。
無論、そんなことはないのだから、仮定からして間違っているわけだ。
意味の無い話だ。
「ねぇ、優芽さんは知ってたわよね。私が光瀬先輩をお慕いしていること。いえ、友莉さんも知っていたけれど」
それは、仲の良さが為せるものだった。
曲りなりにも一年間共に過ごしてきた日々は、そんな心の機微を捕らえる程度には大切なものだったはずなのだ。
奏音とて、自分が光のことを好いていることを知られていたと名言された時には恥ずかしさを感じたものの、同じくらい「そりゃあ、そうだ」とも思っていたのだ。
そのくらい、ばれてしまうような仲じゃないか、と納得したのだ。
逆に言えば友莉が櫛夜に振られたと聞いた時は驚いたのだ。
それはさすがに知らなかったよ、と。
しかし聞けばほんの少しの間に好きという感情が芽生えてきていたらしい。
一年間ずっと友莉が櫛夜の事を好いていたわけではないので、それは確かに気付くための時間がなかったように思う。
それでも若干、気付けなかったことを勝手に悔しく感じたものだ。
「なのに、気付かなかったの?」
気付かなかったの、なんて質問の形をとってはいるが。
気付かないわけがないよね、と言ってしまいたい。
奏音はずっと知っていたのだから。
優芽が奏音の想い人を知っていて。
奏音が優芽の想い人を知らないわけがない。
「私は、あなたの好きな人を知ってたわよ。優芽さん」
優芽が何かを言う前に奏音は止めを刺す。
「綾文会長に恋人が出来ることが、許せなかったの?」
静まる。
音が霧散し、優芽の世界から色が消失する。
黒か白か、どちらでもない何かが優芽の目の前を覆う。
ただ一つ消えずにあるのは、ついさきほどまで大切な友人だったはずの、今この瞬間には夜叉のように見える一つの横顔。
「ど、どうして」
「だから言ったでしょう。知らないわけはない、わからないわけがないって。友人なのだから」
奏音は言い切ると、ふぅ、と息を吐いた。
一度話してしまえば、心も穏やかになってくる。
落ち着いてきた奏音とは対照的に優芽の心は大きく揺らぐ。
「責めるつもりなんてないから、優芽さんも落ち着いて聞いて?」
どうせすぐには落ち着かないだろう、と踏んで奏音は勝手に自分で話を続ける。
「まずは普通に優芽さんや友莉さんが私の好きな人に気付いたのと全く同じように。私、ええ、私だけでなく、友莉さんも、優芽さんが綾文会長に憧れていたのを知っています」
「そ、う」
「それが、そうね。多少行き過ぎてるのかもしれない、程度までは気付いていたわね」
奏音も友莉も綾のことは信頼し、尊敬している。
当然優芽もそのような言動を取るわけなのだが、それでも気付くくらいには優芽は綾のことを見ていた。
綾のためになら慣れないこともしてきた。
そんな優芽の態度を、勿論奏音は可笑しなことだとは思ってもいない。
割合と、そういう人はいるらしい、という事実からではない。
単に、綾と同じくらい、優芽のことを敬愛しているからだ。
信じているから、どんな道を選ぼうとも、きっと間違わないだろう、と。
得手勝手に。
奏音は自分の考える優芽像を押し付けてしまっていた。
結果、それは上手くはいかず。
優芽は間違えてしまった。
やり方を。
自分の心の在り方を。
間違えてしまった。
「それはそれとして、友莉さんと優芽さんと三人でカフェに入ったことがあったでしょう? 私を慰めるって目的で」
あれは、光が綾に告白すると宣言したときのことだ。
奏音は覚えている。
友莉はこう言った。
『私は、今の自分を肯定したい。今の自分を私らしいって言ってあげたい』
さらにこうも言った。
『私を怪我から助ける、のとは別の想いで時間を繰り返している人がいる』
そこまで聞いて、奏音はすぐに友莉の意図に気付いたのだ。
「友莉さんて、あれで無駄なことをあんまりしたがらないのよ。今となっては、あの家庭を見た今は何も不思議なことでもないのだけれど」
友莉は意味の無いことはしない。
ならば、胸に秘めておけばいいことは言わないだろうし、逆もまた然り、である。
無駄なことではないというのなら。
あれらの言葉が、意味のあるものなのだとしたら。
『いつまでも『こうだったらな』なんて時間に縛られているんじゃないよ!!』
と、そう言った彼女の本当のところは。
全て。
優芽に向けた言葉だったはずなのだ。
「友莉さんの話し方で、友莉さんが優芽さんに何かを伝えようとしているのはすぐにわかったわ。そうしたら後は簡単よね」
奏音は確認する必要もないことを、しかし丁寧に順を追って話していく。
先に宣言しているが、責めたいわけではない。
ないのだが。
語気が強くなるのも、仕方ないのかもしれない。
「優芽さんが時間を繰り返す意味なら、それはもうすぐに綾文会長なんだろうって、わかるわよね」
「……そう、かな」
「そうよ。私が言うのもなんだけど、ばればれ、だからね」
「そっか。そうかな」
優芽の声にも、少しずつ余裕が出てきた。
奏音が、どうやら本当に怒りだけで話しているわけではない、ということが伝わったのだろう。
それでもちらちらと奏音の表情を見ながら、きちんと並んで歩いていく。
「あとは、そうね。櫛咲くんの事を好きな人と結託でもしていれば、綾文会長と櫛咲くんを別れさせるように動けるかもと思ってね」
「それで、玉川さん?」
「実は玉川さんのことは櫛咲くんと弥々ちゃん、それに友莉さんから聞いたのだけどね」
「皆も、知っているの?」
知っているの、という問いには、自分が女でありながら同性である綾文綾を好きである、という事実を知っているのか、というものだ。
それには奏音も正直に言わねばなるまい。
「知ってるわね」
「そっかぁ」
そのまましばし、無言のまま歩く。
ようやく奏音が、一言。
「全部、話してくれる?」
応えるように、優芽も短く頷く。
「うん」
「私は、小さな頃から人見知りで」
「弱くて、臆病で、そんな自分が嫌いで」
「ううん。自分よりも人付き合いが苦手な人だって頑張っているのに、頑張れない自分が嫌い」
「嫌い、なんて逃げてしまえば救われるんじゃないか、なんて考える自分すら、嫌いだった」
「でも、目標が出来たの」
「そんな私でも変われるかもしれない、なんて思えるような光に」
「私はね、初めから綾文会長に憧れて、生徒会に入ったの」
「綾文会長は凛々しくて美しくて私にない強さを秘めていて、何よりの憧憬の対象だった」
「ねぇ、奏音もわかるでしょ?」
「憧れはいつしか羨望と嫉妬に変わっていくの」
「自分にないものを持っている、その強さが妬ましい」
「でもね。そんな時知っちゃうの、見てしまうの」
「綾文会長が、強く清く正しい彼女が、櫛咲櫛夜と付き合って、幸せそうな顔をしているところを」
「綾文会長にも弱い部分があったんだ。あんな表情を浮かべてしまうんだ」
「そんな弱さを、私には見せてはくれなかった」
「けど、でもね。綾文会長のそんな姿を見てね、世界が変わったの。私の世界が動き始めたの」
「嫉妬に変わりつつあった憧憬に全く別の色が付いたの」
「これは、愛」
「完璧じゃなくていい、不完全でいい」
「その全部が愛おしい」
「けれど、その弱い部分は独り占めしたい」
「私以外の誰にも、見せては欲しくない」
「私だけに、全てを曝け出して欲しい」
「いえ、その私にすら弱い部分を見せられないならそれはそれで構わないとさえ思うの」
「でもそれならもう全世界の誰にも弱さを見せなくていい」
「綾文綾さんの弱さを知っているのは、私だけでいいの」
「だから、彼達は邪魔だったのよ」
「綾文綾という存在を穢す害悪」
「同じ空間にいるだけでも許し難いくらい」
「……でも今回初めて、同情の気持ちも湧いてきたの」
「綾文綾さんに群がりたくなる気持ちもよくわかるから、それを奪われたら確かに悲しい気持ちにもなるかもしれない、なんてね」
「ようやく、ここまで来たの」
「もう櫛咲くんは綾文会長に近づかない。光瀬先輩もそう」
「もう綾文会長の弱さを知ってるのは、私だけ、私だけなんだ!!」
「ばっかじゃない! とか、櫛咲くんなら言うのでしょうね」
奏音のその表情に、自身の胸の内を熱く語らんとしていた優芽は怯む。
そこには怒りを超えた何かが浮かんでいる。
優芽には悍ましい何かに見えたが、当の奏音にしてみれば、慈愛か友愛か、優しい気持ちで、悲しい気持ちで、全てを含んだ言葉を紡ぐ。
「でも、私にはこう言わせて」
「強がらなくて、いいんだよ」
「怖がらなくて、いいんだよ」
「ちょっと憧れを越えて同性を好きなくらい受け止めてあげる。時には軽い気持ちで聞いてあげるし、時には真剣に悩んであげる」
「いいじゃない。憧憬が羨望に変わって愛に変わった? 何も変じゃないわよね」
「でもあなた自身が、優芽さん自身が悩んでいるのではなくって? 立ち止まっているのではなくって?」
「だって、おかしいじゃない」
「記憶も残っていた。過去に戻る力もあった。綾文会長は櫛咲くんとは付き合わなくなった。なのに」
「どうしてそんなに辛そうにしているの?」
「知っているのよ。最初に言ったのよ。あなたが言ったんだよ。あなたが示してくれたんだよ」
「私たちはこんなにも仲が良いじゃない」
「ねぇ、優芽さん」
「あなたは友莉さんを、救えた?」
「救えたし、救えなかったのよね」
「『むしろ、最初、助けれなくて、ごめん』なんて。そんな言葉、どうして言ったのか、わかってるわよ」
「だってずっと不思議だったのよ。綾文会長のことだけを考えていたなら、友莉さんが事故に遭うまでなんて待っている必要はないもの」
「優芽さん。あなたの能力、時間を巻き戻す能力の欠点は"記憶を引き継げないこと"じゃなくて、"巻き戻さねばならない誰かの不幸"が必要なんじゃなくって?」
「だからあなたは毎回毎回、何度も何度も自分を呪ってきたのでしょう?」
「自分の欲と、そのために毎回大怪我を負う友莉さんと、それを救おうと動く私達との間で揺れてぶれて自分を保てなくて」
「自分の欲に進む以外に道が残されていなかったのよね? そうすることでしか、もう、自分を正当化することができなかったのよね?」
「ねぇ、だからちゃんと全部話して欲しいよ?」
「その後悔も、希望も、怨恨も、優芽さんの感じた全てを話してよ」
「一人でなんて、抱え込まないでよ」
「そんな哀しいこと、しないでよ」
「私は優芽さんのこと、嫌いになったりしない。全部認めてあげる」
「間違っていることをしていたら、こうやって間違っている、って指摘してあげる」
「でも、何もかもをなかったことになんてしたら駄目」
「今回、優芽さんが本当に一人だけ抱えたものは、綾文会長のことなんかじゃない」
「ただの孤独」
「だったら!! 私は!! どうしたらよかったの!!??」
また優芽の声が響き渡る。
いよいよ周囲を歩く生徒が心配そうな顔で奏音と優芽を見る。
二人はそれらを気にする余裕もない。
周りなどもはや、どうでもいい。
自分達は今ここで、目の前の相手と対話しているのだ。
「私には、全部は、選べなかったよっ!?」
優芽の悲痛な叫びがまた空気に染み渡る。
奏音の胸にも突き刺さる。
こんな。
こんなになるまで友人の異常に気付かないなんて。
(ほんと、どっちが説教される側なのやらね)
などと思いながら。
奏音は奏音なりの答えを伝える。
「罪の意識があるなら謝ればいい。感謝の気持ちがあるならお礼を言えばいい。想いが成就しないなら悲しめばいい。言葉や感情は結構豊富です」
「でも、言葉だけじゃ、心だけじゃ、何を伝えられるかわからないよ……自信が無いよ……何も伝えられないかもしれない」
「言葉だけで足りないならその分動きなさい。あなたの心からの行動なら、きっと誰かが見てくれる。生徒会でもそう言われてきたはずよ」
「でも、今更何をしたって、友莉ちゃんを、私は、見捨てたの。自分の欲のために見捨てて、そんなのもう、どうしようも」
「なら今すぐにだって、間違いを正しましょう。自分がそうだと信じる道を選びましょう。それが唯一で、一番の道だから」
「でも、でも、でも」
「助けが必要なら! 助けを求めなさいっ! 優芽っっ!!」
「なら助けて、私を助けて、助けて、助けて、助けてよ、奏音っ!!!」
奏音の言葉は、届いた。
恥も外聞も捨てて、ただただ優芽のことだけを想って。
頭で考えたわけではない、今此処にある心からの言葉。
それはきっと、全部が理解されたわけではないのかもしれないが。
それはきっと、全部伝わっているのだろう。
思いやりの心はきっと、どこまでも届いていくのだろう。
「じゃあ一緒に友莉さんに会おう? それで、ちゃんと謝ろう?」
「うん、うん」
「それで、その後はそうね。綾文会長にちゃんと伝えよう? 私も、途中までは一緒にいてあげる」
「うん、うん」
「櫛咲くんは……弥々ちゃんと仲良くいちゃいちゃしてるからね。謝らないでおきましょう」
「うん、う、ん?」
「大丈夫、これだけでいいのよ。優芽さん」
奏音がぴたり、と立ち止まる。
やや奏音に遅れて優芽も止まり、そして自分よりも背の高い奏音を少しだけ見上げる。
全く不思議なことに。
そこには先ほどまでの恐ろしさなど微塵も無い。
ようやく優芽は気づくのだ。
奏音は何も変わっていない。
勝手に怖がって、勝手に逃げていた、その心が勝手に怯えていただけだ。
奏音の優しい顔をようやく見ることが出来て、優芽も思わず笑みが零れる。
「良かった。やっと笑ってくれた」
「……奏音ちゃん?」
「それと、やっと私のこと、見てくれた」
「うん……ごめん」
「いいわよ。じゃあ呼びましょうか?」
「よ、ぶ?」
「どうせ呼べばすぐ来るわよ。きっと優芽さんのことが心配で心配で、でも話を聞くわけにもいかないしなぁ、なんて気を遣ってその辺にいるんでしょう」
「え、ええ?」
奏音はさらりと酷い発言をしてから、芯のある通った声でその名を呼ぶ。
相手は勿論。
「友莉っ!!」
「呼ばれたよっ!!」
打てば響くように、快活な返事が背後から届く。
二人は声のした方向を振り向き、全力で走ってくる友莉の姿を捉えた。
奏音は別に友莉と何も話していない。
優芽のことも綾のことも、当然今日の朝に優芽と話すことも、何も話しはしなかった。
そんなわけで、友莉がいるかいないかは実は賭けに近かったのだが。
(いえ、いないわけがないわよね)
奏音は信じていた。
信じているから、言葉にしない。
信じているから、言葉にする。
そこに矛盾などなく、奏音は友莉のことも、優芽のことも、どちらも信じているのだった。
「最後まで呼ばれなかったらどうしよう、って不安だったんだぞ!」
「ごめんなさい。でも、優芽さんがちゃんと助けを求めてくれるまでは、ね」
「そうだね! 何か、言いたいことがあるんだよね! なにかな!」
現れて早速、優芽に問いをかける友莉。
急に来たと言うのに、まるで二人のやり取りを全て聞いていたかのように、すんなり友莉は話を進める。
彼女も彼女なりに悩み、考え、そして自らの道を選んだわけだが。
(私と優芽さんのこと、信じてくれていたのよね)
だからあの日、三人でカフェに入った日、友莉わざとそれらしい言葉で、奏音に優芽のことを気付かせたのだろう。
きっとそれが、自分達にとって一番の選択であると、信じて。
「ゆ、友莉、ちゃん」
「うん、なに!」
優芽はそんな二人の優しさに触れて。
自分の後悔に苛まされながらも。
一つ一つを、丁寧に音にしていく。
それは拙い音色で、けれど心に染み入るように、愚直なまでに真っ直ぐ。
響く。
「わ、私。私は、友莉ちゃんの、こと。最初は本当に本当に助けたいだけで。でも、綾文会長のこと、どうにかできると思ったら、止まらなくて」
「うん!」
「私が時間を巻き戻すには、友莉ちゃんの事故がないといけなくて。でも、もう後戻りは出来なくて、ううん、後戻りできないって自分で自分を縛り付けて正当化して」
「うん!」
「何度も、何度も何度も何度も何度も、友莉ちゃんを見捨てて。私は私のために、綾文会長を偶像視して、間違ってることから目を逸らして進むことしか出来なくて」
「うん!」
「だから、ね。友莉ちゃん、友莉ちゃん、友莉ちゃん……」
「うん!」
「ごめん、ごめんなさい! ずっとずっと、見捨ててごめんなさい! ずっとずっと、助けられなくてごめんなさい!」
「うん、許すよ、優芽」
頭をこれでもかと下げた優芽に対して、友莉は柔らかく応え、その小さな体を抱き寄せた。
友莉は思う。
自分の理想の女性の姿を自分だけのものにする、なんて夢を叶えるために紆余曲折してきた彼女は、ここに新しい優しさを芽生えさせたのだ。
「まさか私が私らしさを見失うなんて思ってなかった。まさか私が誰かを好きになることがあるなんて思ってなかった」
自分と向き合ってくれた、櫛咲櫛夜の姿を思い浮かべる。
だがそれは、自分のものではない。
それが悲しくて寂しくて、胸が締め付けられる。
「今の私があるのはきっと、繰り返したからだよ。優芽が、今を創ってくれたんだよ」
「ごめん、ごめんね」
「だから、一緒に前を向こう? 辛いときは分かち合おう? 幸せは私達で三倍にしちゃおう?」
「うん、うん」
「いつまでも『こうだったらな』なんて時間に縛られているんじゃ駄目だよ、私達」
友莉が奏音に目線をやる。
奏音は笑いながら、涙を心の内に隠しながら、二人に混ざり、三人強く抱き合う。
「私は、櫛咲くんに振られちゃった。すごく悲しい」
「私は、告白する前に光瀬先輩に振られちゃった。でも、今からちゃんと想いを伝えます」
「私は、同姓なのに綾文会長に恋なのかどうか、もう訳が分からない感情を抱いちゃった。まずは謝って、それから想いを伝えてみるんだ」
言い合って、三人は笑う。
心から。
幸せだな、と。
こんな信頼関係が目の前にあったんだ、と。
今更思うのだ。
「奏音ちゃん」
優芽が、最後に一言、と奏音に声をかける。
「なぁに、優芽さん?」
「さっき、呼び捨てにしてくれた」
「……へ?」
友莉も悪戯っ子のような笑みを浮かべて、乗っかる。
「あー、私もさっき一度だけ呼び捨てにしてくれたよね!」
「実は弥々ちゃんとみもりちゃんと詩織ちゃんのやりとり、羨ましいな、って」
「私も思ってた! 奏音はなんかさ、『さん』付けは丁寧なんだけどさ、距離を感じるよー!」
奏音はなんだそれは、と思いながらも、自分の頬が緩んでいるのを感じる。
どうしようもなく、にやついている自分がいる。
(全く、同じ事を考えるものですね)
そうだ。
奏音もまた、一年生が呼び捨てにしあうやり取りを、実は羨ましく思っていたのだ。
三人抱き合っていた輪の中から一人外れ、奏音は数歩、前に出る。
そして思いのほか周りに野次馬が集っていることに気付き、ようやく羞恥心も沸いてくるが。
最後くらいはちゃんと締めてしまおう、と小さな勇気を振り絞る。
聞き逃さないでよ、などと前置きを心の中でして。
「さ、一緒に行こう? 友莉、優芽」
「うん、どこまでもね。奏音、優芽」
「うん、二人と一緒に、進んで行きたいよ。奏音、友莉」
三つの言葉を交わして。
三つの勇気に音が付く。
コツ、コツ、コツと。
楽しくリズムを刻みながら。
閉ざされた時間のその先を、目指す。




