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確率を操るのは  作者: 安藤真司
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30/34

ちゃんと

 あっという間に、一ヶ月が過ぎた。

 四月末は慌しかった。

 櫛夜は思い返す。

 生徒会に入った。

 ジャンケンをした。

 時間を繰り返していることを知った。

 綾文弥々に告白された。

 櫛夜はそれを受け入れた。

 綾文弥々に別れを告げられた。

 櫛夜はそれを受け入れた。

 それから、一ヶ月と少し。

 今日は六月初めの土曜日。

 幸魂(さきみたま)高校の一大イベント、体育祭開催日である。

 生徒にとっても学祭に並ぶ大きなイベントである。

 特に一年生にとってはクラスメイトとの交友の機会として重要であり。

 三年生にとっては高校最後のイベントとして重要である。

 そしてそれを運営する生徒会にとっても非常に意味のあるイベントである。

 高校三年生の役員はこの体育祭で完全に役員を引退し、二年生、一年生へとバトンを渡す。

 体育祭の終わりを宣言する場で現行生徒会長から直々に次期生徒会長を指名するのが通例となっている。

 勿論指名といってもそれは予め話し合いをした上でのことなので、特にそれ自体にイベント性はないのだが。

 体育祭の持つ特有の空気が、それすらも盛り上げる要因たらしめるのは非常に面白いことだ。

 

 

 さて。

 そんな当日の早朝。

 生徒会役員は最終準備のために、七時半に生徒会室に集合することになっている。

 なお、普通の生徒は普段よりも三十分ほど遅い九時に体操着に着替えた状態で校庭に集合することになっている。

 一時間半で一日の動きを改めて共有することと、想定されうる問題の対処法などを話し合うのが朝の生徒会役員のまず最初の仕事ということも出来よう。

 そんなわけで朝早くに家を出た櫛夜であるが。

 彼は今、生徒会の集合時間よりも更に三十分早い時間、七時前に学校に到着しており、資料室で、ある人物を待っていた。

 全てに片をつけるために、だ。

 既に呼び出しは行っており、返事も貰っている。

 来なければそこまでだが、恐らくは来るだろう。

 メールの文面にはこう書いた。

 『明日、朝の七時に資料室に来てください。そこで話がしたいです。主に、時間の繰り返しについて。』

 こう書けば、櫛夜の思惑が正しく伝わらなくとも、その人物は来ざるを得ないだろう。

 友莉とは結局、和解できた。

 和解、と呼んでいいのかどうか微妙なところではあるものの、彼女は確かに自分の意思で前に進むことを決意し、体育祭では新競技、つまり騎馬にはでないことを表明した。

 きっと櫛夜が思うよりもずっと勇気ある決断だったのだろう。

 自分を騙し続けてきた、演じ続けてきた友莉にとってそれは、今までの自分を否定することと同義だったはずだ。

 その選択を強要したのは櫛夜だが、それでも全く罪悪感がないわけではない。

 だから、その思いに応えなければならない。

 勿論、友莉だけではない。

 間違ったことを正すだけだというのに、幾人かが本望でないことをさせられている。

 そんな未来をこのまま、許すわけにはいかない。

「俺は、この下らない時間を終わらせて、未来に生きたいんですよ」

 櫛夜は目の前に立つ人物に、話しかける。

 その人物は、櫛夜の言葉に、哀しげに笑う。

 

「だから、終わらせに来ました。光瀬光先輩」

 

 言われて光瀬光――現三年生、生徒会副会長――は、眉をひそめる。

 櫛夜以外では唯一の男子生徒の役員である彼の柔らかな笑みが、今の櫛夜にはいっそ不気味にすら映る。

「急に、何のことかな?」

「とぼけなくてもいいです。もう、わかってるんです」

 櫛夜は早口になる。

 早口にもなる。

 これからやろうとしていることは、戦争だ。

 戦争であり、一方的な暴力だ。

 一方的な暴力を、争いと呼べるかどうか、櫛夜にはわからないが。

「時間を繰り返すことに、侑李を救うこと以外の意味があったことを、俺は知っています」

 その言葉に光は口を閉ざす。

 閉ざしたことで、櫛夜は今度こそ本当に確信を得て、饒舌に語る。

「例えば侑李は言いました。自分にもそんな理由がある、と。櫛咲櫛夜に自分を否定してもらえるチャンスがあって、何度でも自分の元へ来てくれる、そんな時間を永遠に繰り返すことが出来る、と」

 それでも櫛夜は応えることは出来なかった。

 出来ないと伝えた。

 自分には弥々がいるから、何度繰り返したって、侑李友莉の思いに応えることはない、と。

 そう言い切った。

「でも、それが、それこそが正解だったんです。今回のこの事件の、この現象の、本質はそこにあった」

 友莉の言った、繰り返せば、自分に振り向いてくれるかもしれない、という気持ち、それこそが。

 違和感の正体であり、時間を繰り返す、原因なのだ。

「俺は少し前に、綾文会長と狩野と話して時間を繰り返していることに気付きました」

 視えた未来は二つ。

 一つは、奏音が提案した騎馬戦を、ジャンケンで勝った櫛夜が新競技として選ぶ道。

 一つは、綾が提案した飛びつき綱引きを、ジャンケンで勝った櫛夜が新競技として選ぶ道。

 前者を櫛夜は便宜上仮に"a"と呼び、後者を仮に"b"とした。

 そして今はといえば、櫛夜は騎馬戦を選んだ。

 つまり、aの世界だ。

「気になっていたんです。どうして二つの未来があったのか。だって原因は侑李の事故だとわかるじゃないですか。それを救うために時間を巻き戻していたのが夢叶で当の夢叶は巻き戻す前の記憶を引き継げない」

 だとするならば、それらを全て信じるならば。

 友莉をただ救うためだけであれば、櫛咲櫛夜はどうして選択を変えたのだろうか。

 自分自身に問うてみる。

 しかし、あの時の自分は本当に、ただただ正しいと思う方を、良かれと思う方を直感で選んだ。

 だから見方を変えれば、どちらの未来を存在していて、繰り返す中で偶々それが交互に発生したとも言えるが。

 その選択によって、明らかに変わってしまっていることが一つ、ある。

 あった。

「綾文弥々」

 櫛夜はその愛しい名前を丁寧に発音する。

「彼女の、俺に対する好感度とでも言えばいいのでしょうかね、それが全然違うはずです。何せ、俺は弥々の大好きで堪らない『綾お姉ちゃん』を裏切ることになるのですから」

 そう、奏音を選ぶとはつまり、綾を裏切ることになるのだ。

 櫛夜と弥々は綾に呼ばれて同士であることを確認しているので、弥々目線では、それはもう完全に裏切り者である。

 たかがジャンケンであれど、だ。

「それによって何が変わったとも思いませんが、そうですね。今までの時間だと弥々は恐らく、ジャンケンをした週の終わりに告白をしなかったのでしょう」

 弥々は一度、告白まがいの発言を櫛夜に対してしている。

 櫛夜の言葉を弥々が告白だと勘違いした次の日のこと、屋上での出来事だ。

 そして改めて、とばかりにきちんとした形で告白をしたのが、今櫛夜が言った、デートの時のことである。

「具体的に何が原因かはわかりません。でも、俺が騎馬戦を選んでいても綱引きを選んでいても弥々は告白をしなかったはずです」

「どうして、そんなことがわかるんだい?」

 ようやく口を挟んだ光に、櫛夜は真っ直ぐ答える。

 嘘など要らない。

 事実は、事実だ。

 認めるしかない。

 

「綾文綾が、櫛咲櫛夜のことを好いていたからです。もしくは、綾文綾と櫛咲櫛夜が付き合っていたからです」

 

 姉である綾が、櫛咲櫛夜を好きだ、ということを知った弥々は、どうするだろうか。

 その櫛夜を自分も好きらしい、と知ってしまった弥々は、どうするだろうか。

 問うまでもない。

 何もしないだろう。

 綾と櫛夜のことをただ、見守るのだろう。

 そんな時間が、きっと。

 存在していたのだろう。

 しかし、だからこそ、だ。

 今この時間は、異常だと推測できるのだ。

 まずもって、綾文弥々は櫛咲櫛夜に告白した。

 今まで温めていた想いがどれほどだったのかはわからないが、しかしそれは綾文綾も同じなはずで、それでも弥々は想いを告げたのだ。

 それも、恐らくは櫛夜への好感度が低いはずの、時間軸aで、である。

 それがどこまで操作された事実なのかは不明だが、櫛夜にとってみればこの繰り返しを抜け出すのに好都合なとっかかりだ。

 勿論、過去の事は、振り返らない。

 

「時間を繰り返す中で、変わってしまっていることが一つあります。もちろん侑李を救うことはこれから変えるつもりの話ですが。後は俺の選択もそうですけど」

 

 不意に風が吹いた。

 閉じているはずの窓から風が吹き抜ける。

 隙間から入り込んだらしい。

 夏に向けて少しずつ温暖になっているだろうに、心地よくもない、むしろ底冷えする感覚すら与える風が胸を突き抜ける。

 冷たいのは櫛夜か、光か、その両者ともにか。

 

「先ほども言いましたね。俺と綾文会長の関係です」

 

 櫛夜はもう、薄っすらなどではなく、はっきりとそのことを思い出していた。

 自分は綾文綾と付き合っていた。

 好き合っていた。

 そんな時間を幾度か分からないが、繰り返していた。

 

「それ自体はどうでもいいことです。わざわざ光瀬先輩に話すまでもない、他愛もない妄想の話です」

 

 どうでもいい、と聞いて光がぴくりと反応する。

 密かに拳を握ったのを櫛夜は観察して、しかし止まることはしない。

 

「重要なのは結果です。俺と弥々は付き合い、綾文会長とは何もありません。それが繰り返しの中で変わったことだと言うのであれば」

 

 そしてそれが、それこそが、変わったこと、変えたことこそが時間を繰り返す意味なのだとすれば。

 わざわざ言葉にしなくとも。

 誰もが皆同じ答えに辿り着くことだろう。

 

「綾文会長と俺を、別れさせたかった。そして自分が綾文会長と付き合えるまで時間を繰り返そうとした。そうですよね、光瀬先輩?」

 

 謎でもなんでもない。

 珠子から話を聞き。

 友莉から告白され。

 その友莉から、友莉自身にも繰り返す意味があるかもしれないことを聞いた。

 綾文綾と櫛咲櫛夜が付き合っているものだと思っていたことを聞いた。

 その段階でおよそ察しはついていた。

 

「何せ俺たちはいくら優秀だのなんだのと評されようと、所詮はただの高校生です。悩みらしい悩みなんて大体は恋愛か勉強、ついでに狭い人間関係でしょう」

 

 高校生は高校生なりに自身に出来る精一杯で悩むものであり。

 櫛夜とてそうした悩みが皆無なわけでもないだろうが。

 彼はそれを、狭い人間関係、と一蹴した。

 社会人と比べれば幾分狭いかもしれないが、決して狭いはずもない、狭いも広いも関係なく、重要なのはその浅深だとも櫛夜は知っているが。

 呆れてしまう。

 時間を繰り返すなんて非現実で超科学的で全世界の科学者が夢見るタイムトラベルが起きているというのに。

 その使用用途は、自分が恋する少女とその交際相手の仲を裂く、というものなのだ。

 これが呆れずに、どうすればよいと言うのだろう。

 

「光瀬先輩は綾文会長のことが好きだった、それは今も昔もそうなのでしょう。しかし綾文会長は俺と交際を始めた」

 

 それがどんな気持ちになってしまうものなのか、櫛夜には想像出来ない。

 恋い焦がれる相手に、自分ではない誰かがいる、自分よりも想いを通じ合わせている誰かがいる。

 自分では手の届かないどこかへ、行ってしまう。

 まさか幼少期、綾が引っ越しのために櫛夜の前から姿を消したことと同列に扱うわけにもいかないだろう。

 

「光瀬先輩は時間が繰り返していることを知った、いえ、感覚として分かったはずです。何故なら光瀬先輩には、過去の記憶が残っている」

 

 櫛夜は奏音と共に抜けたため参加しなかった生徒会面々の話し合いにおいて、二人の重要人物が挙げられていた。

 一人は、時間を巻き戻している人物。

 これは優芽が巻き戻していた。

 そしてもう一人が、時間の巻き戻しに、初めから気付いている人物。

 つまり、時間が巻き戻される前の記憶を引き継いでいる人物。

 本来これは時間を巻き戻している人物と同一であれば良かったのだが、優芽は引き継いでいないとの談である。

 勿論、誰も過去の記憶を持っていない、ということも考えられるが、櫛夜はそんなことがあるはずないと考えた。

 誰も彼もが繰り返しを全く覚えていないのであれば、何も変わるわけがないのだ。

 櫛夜や弥々のように違和感を感じたかもしれない。

 だがそれだけでは、何も変えられない。

 櫛夜達は僅かな違和感、綾と奏音による異なる未来の可能性があって初めて友莉を救う決断に至っている。

 繰り返した過去の記憶に相当するほどの情報がなければ、現実を今自分達のいるこの場所を疑うことなんて。

 出来やしない。

 

「そしてあなたは、この時間の繰り返しを利用して、俺と綾文会長を別れさせようとした。いいえ、自分と綾文会長が上手くいくように画策した、違いますか?」

 

「違う、とは言えないね」

 

 光は、櫛夜が思っていたよりもあっさりと認めた。

 あるいは最後までとぼけられることも想定していたのだが。

「一応、どうして僕がそんなことをしていると分かったのか、聞いてもいいかい?」

「ええ、勿論です。元よりそのつもりでしたし」

 状況証拠しかないため、あまり大きなことを言えるわけでもないが。

 状況証拠も揃えば帰納的に解を導くことが出来よう。

「まずはそうですね。細かい所を抜きにして、やっぱり綾文会長に告白する、と全員の前で宣言したことですかね」

「はは、確かにあれはやりすぎだったかな」

「ええ、あの時の違和感は相当なものでした。どうしてそんなことを言い出したのか、どうしてあのタイミングだったのかと」

「それも、わかっているんだろう?」

「後から弥々に聞きましたよ。その直前に、見計らったかのようなタイミングで綾文会長を呼び出して、見計らったかのようなタイミングで弥々がその会話と綾文会長の独白を聞いた、と」

「見計らった、からね」

 手持ち無沙汰になり、櫛夜は手近にあった薄いファイルを指で軽く叩く。

 トン、トン、と。

 リズムをゆっくりと刻む。

「あとはまぁ、対象としてわかりやすかったのも一つでしょうか。俺と綾文会長が別れたとしてそれを喜ぶのはやはり、綾文会長のことを好きな人間だろう、と」

「君の方こそ、随分と好かれているはずだけどね」

「いえいえそんな」

 玉川珠子は例として、四人の少女が好意を寄せてきたら、などと言っていたが。

 櫛夜からすれば、なんだその終末的世界観は、と声高々に叫びたいくらいである。

 綾文綾は才色兼備な人物である。

 それは疑いようがないだろうと櫛夜も感じる。

 疑いようがないからこそ、何か支えがなければいけないのもまた事実だが。

 ひとまず男子生徒からすればその辺りの機微は重要ではなく、まずもって第一印象成り得る外見と、その後伝わる性格とが揃えば十分に恋愛対象となるだろう。

 しかし。

 櫛咲櫛夜は。

 何を持っているというのだ。

 自問する。

 自答する。

 何もない。

 精々が、一日に一度、ジャンケンに勝てるくらいだ。

「弥々に見せつけるように告白したのは、一つには弥々への牽制、一つには事を知ってしまった弥々に対して綾文会長が遠慮することを期待して、ですね」

「そこまで見透かされてるのかい」

「全部、綾文会長と付き合うため、ですか?」

 無意識に、ファイルを叩く指が加速する。

 心の荒れ方に合わせて、音も強く響き出す。

 隠す気など、少しもない。

 櫛夜の心は、荒れている。

「そうだね。僕は綾文さんのことが、ずっと好きだったんだ。だから、繰り返して繰り返して、もしも少しでも上手くいく可能性があるなら、その可能性を掴みたいと、そう願ってしまった」

 ガン、ガン、ガン。

 いつしか櫛夜は、ファイルではなく、机自体を叩いている。

 およそ先輩に向かう態度ではないが、光は何も言わない。

 ただ、初めから変わらぬ微笑で櫛夜と向かいあっている。

 資料室の窓から零れる朝日が二人の足下を照らすが、その空気は冷え切っている。

 対して櫛夜の怒りは、燃えるように膨れ上がる。

「光瀬先輩、本当にそれだけですか? 本当に、綾文会長への一途な恋心だけですか? まだ、言ってないことがあるんじゃないですか? ありますよね? それを俺は聞きに来たんです。その言葉を聞きに来たんです。綾文会長に恋い焦がれるだけの光瀬先輩なら、わざわざこうまでして呼び出すはずがない」

 櫛夜にしてはらしくもない、次々に光への攻撃的な言葉が口から出てくる。

 頭では冷静にいるように、とストッパーを掛けているのに、身体は止まる気配を見せない。

 どうして、と思わずにはいられない。

 どうして、この男は、こうも平気な顔をしていられるのだ。

「ただ純粋に、綾文会長を好きだった? そんなわけがない。それなら、それなら」

 櫛夜の怒りは、何処に向けてのものなのか。

 自分でもわかっているような、わかっていないような。

 大体において、自分が何に怒っているのかを冷静に説明出来るくらいなら、怒ったりはしない。

 そういう意味では櫛夜は、正確には怒っているわけではないのかもしれない。

 そう、怒る、なんて優しいものではなく。

 櫛夜は単純明快、切れているのだ。

 

「それなら俺と綾文会長が侑李の家に行った日、先に出て侑李含め生徒会役員の皆が帰路についていた時に光瀬先輩はどこで誰と何をしていたんですか!?」

 

 友莉のためだろうか。

 それは違うような気がする。

 何故とも言えないが、正解など知らないが、友莉のためにここまで切れているわけでは、ない。

 櫛夜から溢れ出す何かに対してか、はたまた櫛夜の発言そのものに対してか、光はこれまで余裕ぶっていた表情を歪めた。

「櫛咲くん、君は、もしかして」

 光のしどろもどろな回答など、櫛夜は受け付けない。

 途中で光の言葉を遮って、その名前を叫ぶ。

 

「玉川珠子!!」

 

 今度こそ、光の額から汗が滴る。

 櫛夜は言い切って、ようやく自分が苛立ちに任せて机を叩いていたことに気付く。

 認識して初めて、手が熱を持っていることに気付く。

 腫れるほど強くファイルや机を指で叩いていたわけではないが、しかしそれまで麻痺していた感覚が指に戻るくらいだ、よほど脳が他の感覚を遮断していたらしい。

 恐らくは光の方も、焦りから脳が正常に回転していないだろう。

 そうでなければ、無駄に思考を掘り下げすぎてオーバーヒートでも起こしているだろう。

 ここで玉川珠子の名前を出すことには、それだけの意味がある。

 その名を叫んだことでようやく一つつっかえていた物を吐き出すことができた櫛夜は落ち着くために大きく伸びをして、大きくため息をついて、自分のスイッチを切る。

 冷静に。

 表面上だけは落ち着いていく。

「玉川珠子と、会っていたんですよね?」

 光は、答えない。

「玉川珠子と、話していたんですよね?」

 光は、答えない。

「玉川珠子と、何を話していたんですか?」

 光は、答えない。

「玉川珠子と、話したんじゃないですか?」

 光は、答えない。

「玉川珠子と、手を組んだんじゃないですか?」

 光は、答えない。

「玉川珠子と、綾文綾と櫛咲櫛夜の仲をそっと裂くように、取り決めたんじゃないですか?」

 光は、答えない。

「玉川珠子と、時間を繰り返す利用法を、決めたんじゃないですか?」

 光は、答えない。

「玉川珠子を、利用したんじゃないですか?」

「ああそうだよ!! そうだ!! 玉川さんを利用!? したさ!!」

 光は、答える。

 弾けたように。

 投げやりに。

 自分の言いたいことはおおよそ言い切った櫛夜は光の言葉を黙って待つ。

 光の余裕のない表情が櫛夜の心を揺さぶる。

 ここまで紆余曲折してきた生徒会での活動も笑顔を絶やさずにいた、様々な意味合いで超然としている役員の中で良心とまで言われている男が。

 辛苦に顔を歪めている。

 櫛夜は、比較的すぐに光の行動の意味に気付いた。

 自分と綾が付きあっていた過去が、現在はなくなっている。

 であれば、それで得するのは。

 綾文綾に恋慕を寄せる者か、櫛咲櫛夜に恋慕を寄せる者だ。

 そして光は全員の前で堂々と宣言した。

 自分は綾文綾が好きなのだと、そう言った。

 どうしてわざわざ生徒会全員の前で話したのか、その意図を汲み取ろうとした櫛夜はすぐに理由に行き当たる。

 綾文弥々と櫛咲櫛夜に対してのけん制だけじゃない。

 全員に知らしめたかったわけでもない。

 誰より何より、綾文綾に自身の姿を見せ付ける意味合いがあったのだろう。

 自分は、あなたを見ていますよ。

 妹の綾文弥々だって恋人を作っているのだから、自分も少し回りに目を向けてみてもいいんじゃないか、などと。

 奢った思考が、捻じ曲がった思考が。

 櫛夜と、そして弥々にヒントを与えてしまった。

 

「どれだけ、どれだけの想いがここにあったと思う!?」

「ずっと好きだった人が、急に現れた君に奪われるんだ!!」

「なら、こう考えても仕方が無いだろう!?」

「ちょっとの期間しか交遊を交わしていない君が綾文さんと付き合えるのなら!!」

「ちょっと時間を繰り返せば、僕だって好きになってもらえるだろう!?」

「君が出会ってから、ものの一、二週間だぞ!?」

「僕が過ごしてきた時間は、君とは比べ物にならない!!」

「なのにどうして!!」

「どうして彼女は僕に振り向いてくれない!!」

「どうして僕に気が付いてくれない!!」

「どうして僕を見てくれない!!」

「それならどうして僕に記憶が残ったままなんだよ!!」

「叶うことがないならどうしてこんな記憶を遺した!!」

「どうして僕は毎回こんな想いをしなければならない!!」

「繰り返すんだ、僕がどんな想いでも世界は繰り返すんだ!!」

「彼女が、侑李さんが傷つくたびに世界は元の形に巻き戻る!!」

「でも僕は記憶を遺していて、玉川さんも記憶を遺している!!」

「何もかもが元通りじゃない、少しずつ人間関係は変わっていく、過去の想いは届けられる!!」

「現に君と綾文さんは付き合わなくなった!!」

「僕の、この僕の想いが届いたんだ!!」

「そうさ、この世界は辛く悲しい想いに溢れた世界だが、僕の想いが世界を変えるんだ!!」

「あと少しだよ、綾文さんが僕を見てくれるのも」

「そうすればきっと侑李さんも救われる。僕がこの物語の主人公なんだ。僕が悲しみの連鎖を終わらせるんだ」

 

 

「ばっっっっっっっかじゃねぇのか!!!!」

 

 

 空気を震わすほどの怒声。

 生まれて初めて出したのではないかという大きな声に、自身も内心驚き、しかし驚く以上の怒りが脳を支配する。

 どうして綾が自分を見てくれないのか? 

 そんな想い、当たり前だろう。

 それが片思いで。

 それが失恋ということだ。

 櫛夜の方こそ、どうして、と叫びたい。

「純な願いだったはずだろ、ただ好きだっただけのはずだろうが」

「そうだ! 今だってそうさ! 僕はただ、綾文さんのことを――」

 

「だから!! なんで!! 侑李のことを考えない!!??」

 

「んなこと考えなくてもわかるだろうが!! 今の俺は綾文会長と何もないけど!! それでもわかるぞ!!」

 

「大切な生徒会役員の仲間を無視してまで自分の願いを叶えようとする奴のことなんて見るわけねぇだろ!! こっちはそんな余裕ねえんだよ!! 侑李のことでいっぱいいっぱいなんだよ!!」

 

「最初? 知らねぇよ俺には記憶がない。だから一番初め、まだループする前の光瀬光ならまだその可能性はあったのかもしれないが!!」

 

「今のあんたを!!」

 

「あんたの好きな綾文綾が!!」

 

「好きになるわけ!! ねぇだろうが!!」

 

 叫びすぎて喉が痛い。

 もう声は枯れて、口から出てくる声はまるで自分のものではないみたいだ。

 それでも言わねば、ならないのだろう。

 ここで櫛夜が全てを言わなければ、この光瀬光という男はずっとこの閉ざされた時間の中で永遠に間違え続けるのだろう。

 好きになられて嫌がる人はいない。

 好きでもない人に好きになられても迷惑。

 矛盾。

 だがそれはつまり、人間関係の問題なのだ。

 初めから関わり合いもなく、為人を知らない者から好きだと言われても嬉しくはないだろう。

 逆によく知って、相手がどれほど素晴らしい人間かが分かっていれば。

 そんな素敵な人に好かれてたなんて嬉しい限りだ、と感じるものだ。

 それに応えられるかどうかは。

 全くの別問題だが。

 たがよく知っているからと言って相手に甘えてはいけない。

 親しき中にも礼儀あり、などと言うまでもない話をするつもりもないが。

 自分の大切な後輩が危機に陥っている状況で色恋沙汰をするほど綾文綾は狂ってはいない。

 さらに言えば。

 ほんの一、二週間の出逢いだけで人を好きになるほど、恋に積極的でもない。

 真っ直ぐに生きる彼女だ、恋愛観だって一途でないはずがない。

 少なくとも。

 櫛夜の知る限りでは。

 十年は一人の少年を忘れない程度には自分の気持ちを大切にする人間だ。

「なら、僕は、どうしたらよかったんだよ……これからどうすればいいんだよ」

 さすがに櫛夜の言葉は光にきちんと届いたらしい、がっくりとその場に崩れ落ちた光は投げやりに言葉を零す。

 その姿を見て、ほんの少しだけ櫛夜は安堵する。

 全力でぶつけたものが、届いたのであれば。

 罪悪感が、心のどこかにあるのであれば。

 それはまだ正せるはずだ。

 話し合えるはずだ。

「そもそも、あの後なんて言われたんですか」

「あの、後?」

 うな垂れる光に合わせて、櫛夜もその場で座り込む。

 資料室は普通の教室である。

 大して綺麗でもない、むしろ直に座るには汚いくらいの床に制服が汚れるのも厭わない。

「綾文会長に告白する宣言をした日、というかその次の日です」

「あぁ、もちろん振られたよ。好きな人はいない、ってね」

 光の先までの覇気の一切を失った声に、櫛夜も乾いた声で返す。

「それでいいんだよ。それこそが、正しいんだろう」

「振られることが、かい?」

「ちゃんと振られることが、だよ」

 ちゃんと振られる。

 そんな曖昧にして中身のない表現をしたというのに、光は納得したように頷いた。

「そうか……そう、そうなんだよなぁ」

「どうせそんなことも初めからわかりきっていた、はずだろ」

「当たり前じゃないか。僕の好きな綾文さんは、こんな僕の事を好きには、ならないよ」

「なんだよわかっててやってんじゃねぇか」

「わかってても、心のどこかで、自分が主人公なんじゃないか、なんて思わずにいられないのが恋愛で、片思いだろう?」

「片思いって別に一人よがりって意味じゃないだろう。相手に好きになってもらいたいと願う心が片思いなら、相手の気持ちを尊重すべきだろ」

「君こそ、恋愛を語れるほどの経験なんてしてないだろう」

「してないな。少なくとも今の俺には、弥々が初めてだ」

「……君は、僕を恨んでいるかい?」

「いや、全く」

「本当に?」

「綾文会長と恋仲にあったのかもしれないがそいつは別の俺で、今の俺は弥々のことしか見えてない」

「……そうか」

「じゃ、一つだけ約束してくれ」

「なんだい?」

 櫛夜はすっかり疲れた顔をしている光に笑いかける。

 その笑いは、心からのもので、光もようやく端から笑みが浮かぶ。

 光の笑いはもちろん、櫛夜のものとは全く異なり、自分の過ちを認めた、悲しいものであったが。

 櫛夜にはそれが、素晴らしいものに見えた。

 もっと言えば、本物に見えた。

「今日、侑李は自分の道を自ら外れる。時間の巻き戻しはもう、起きない」

「そうかい」

 櫛夜としては割りと重要なことを伝えたのだが、光はそれに驚く素振りは見せなかった。

 ひょっとすれば、友莉の問題は既に過去の時間でも解決していたのかもしれない。

 だとすれば、やはりここは自分以外の二人に頑張ってもらわないとなぁ、などと考えながら。

 言うべきことを言ってしまう。

「だからもう一度、ちゃんと、振られて来い」

 予想していた答えだったのだろう、光はそのままの笑顔で応えた。

「そうさせてもらうよ。今度こそ、真っ直ぐな想いで。もちろん、振られることを前提になんてする気はないけどね」

「あぁ、そうだな」

「一応、僕からも聞くけれど」

「うん?」

「玉川さんのことは、任せていいのかな?」

「あぁ問題ない。弥々に任せておけばいいさ」

「そうかい」

 二人して時計を見る。

 もう少しで七時半、生徒会の集合時間だ。

 ズボンについた埃を払いながら二人、立ち上がる。

 この三十分、大したことはしていない。

 櫛夜はただ、断罪して、過ちを浮き彫りにしただけだ。

 ただ光の考え方を責めただけだ。

 光を否定しただけだ。

 櫛夜がやったのはただそれだけで、結局は後の事を全て光自身の良心に任せた。

 どの道、もう時間を繰り返すなんて事はないのだから放っておいてもよかったのだが。

 こうすることが、櫛夜なりに正しいと信じた道なのだった。

 

 資料室のドアを開けながら、光は櫛夜に向かう。

「そうだ、最後に一つだけ、いいかい?」

「なんだ?」

 苦笑いの光が、やけに先輩ぶって、一言。

「さっきから、タメ口になってるよ。後輩」

「……あ、す、すみません」

「仕方ない、君の彼女のお姉さんを紹介してくれたら許してあげよう」

「勘弁してください」

 

 野郎二人で共に歩き、生徒会室を目指す。

 一人はどうしようもない想いを抱いて。

 一人はどうしようもない想いを弾いて。

 繰り返した時間の先へと。

 進む。

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