気持ち
高校時代の恋愛が人生に及ぼす影響は如何ほどか?
そんな問いがあったとする。
答えはどうなるのだろう。
大人になってしまった人は、こう言うのかもしれない。
『良い思い出だ。人生に影響はないかもしれないけれど』
当の高校生は、こう言うのかもしれない。
『もしかしたら、数ある思い出の一つとして埋もれてしまうのかもしれない』
どうなのだろう。
正解なんてものがあるならば誰だって将来を不安には思わないだろうが。
正解がなければ誰も答え合わせができない。
つまり、答えがない。
答えがないのだから、どんな文言も正解だと言えるし、どれも間違いだと言える。
第一、未来のことなど誰もわからない。
仮に。
仮に未来のことを知っている高校生がいたとして。
その者にこの問いをしたとして。
どんな回答が出てくるのだろう。
作麼生。
高校時代の恋愛が人生に及ぼす影響は如何ほどか?
説破。
その影響は、今から過去までである。
弥々は昼休み、当たり前に生徒会室へ向かった。
特に何も言われてはいなかったものの、普通に綾、櫛夜、奏音と共に昼食をとるだろうと思ってのことだ。
教室で若干友人と談笑し、その後ゆっくりてくてくと廊下を歩いていた。
頭で考えるのは、姉、綾のことだ。
何かを悩んでいるらしい姉はだが、恐らく自分には相談してくれない。
そう思う。
(全然、話してくれていいのにな)
自分は頼りないだろうか。
(頼りには、うん、ならないかも)
弥々は自己を正当に評価することができない。
出来の良い、完璧すぎる姉のイメージを誰よりも引きずっているためだ。
そこに引け目を感じているでもないのだが、むしろそんな姉を誇ってさえいるのだが。
綾を誇り、綾を好き、綾を守らんとするその精神の根幹には、ある種諦めが混じっている。
自分は、あぁは生きれないのだ、と。
そんな哀しい自分から目を逸らしているから、弥々はいまいち綾に踏み込むことが出来ない。
せいぜいが綾に群がる、どうしようもない男共を始末し、綾の快適な生活を保障するくらいしか、出来ない。
(いや、櫛咲先輩の言う通り、普通に犯罪なんだけどね……)
そこは一旦思考から外しておく。
外し、再び綾に思考のリソースを割いていく。
今までの生活で綾がわかりやすく悩む場面というものに弥々は出くわしたことがないので、一体どういう類の悩みなのか、正直見当もつかない。
(綾お姉ちゃんが悩むレベルって)
天変地異かなにかだろうか。
いや、姉は今、未来が視えると言っているのだ。
そのことに関連する何かであることは間違いないだろう。
実際ここのところ、弥々からすれば先輩にあたる友莉のことで綾は悩んでいたのだ。
それでも綾はそれを前面に出そうとはしなかったものだ。
つまり、度合いとしては友莉の件よりも、綾にとってクリティカルなもの、なのだろう。
(わっかんないなぁ。櫛咲先輩にも聞いてみようかな)
などと考えているとあっという間に生徒会室の前に来た。
と、同時に中から光が出てきた。
実はまだあまり関わりないなこの先輩、と思いながら簡単に挨拶をしておく。
「どうも先輩」
「あぁ、綾文さん」
「何かしていたんですか、生徒会室で」
すると光はやや神妙な顔で答えた。
「ごめん。今お姉さんにお呼び出しをしたところなんだ」
その言葉を瞬時に理解することが出来ず、弥々は首を捻る。
姉にお呼び出しをした、とは。
生徒会室にいるんじゃあないのか。
「告白のお呼び出しを、いついつにどこそこに来て欲しい、って」
光は全くいつもと同じ口調であっけらかんと自分の行動を話してみせた。
普通、こうした恋愛に関わる話をする時、人は多かれ少なかれ羞恥の心を持つものだが。
あまりそうした感情を表には出さない人なのかもしれない。
それよりも。
「どうして、それを私に?」
「だって、邪魔をされるかなと思って。機先を制しておこうかなって」
「はぁ」
(っと、思わず櫛咲先輩の口癖がでちゃったよ)
今のは普通に失礼だったか、と思い直して、そして綾の事もきちんと考えて返答する。
「別に、私がなんでもかんでも邪魔するわけではないです。当の私だって櫛咲先輩とお付き合いさせてもらっていますです」
「そうか、それは良かった。それじゃ」
光は言葉少なく去っていく。
その姿にほんの少しだけ、胸のざわつきを覚えながらも、しかし弥々は平静を装って、生徒会室に入ろうと、した。
入ろうとした、その時。
聞こえてしまった。
生徒会室から僅かに零れる、その音。
その声。
自分が聞き間違えるはずもない、姉の声。
そして紡がれた内容は。
「過去の時間で、私と櫛咲くんが好き合っていただなんて、そんなこと」
そんなこと、が。
あるのか。
あってしまうのか。
誰よりも大好きで誰よりも尊敬している。
最愛の姉と。
今の自分を受け入れてくれて。
今の自分を見てくれた。
愛おしい恋人とが。
この巻き戻っていく時間のどこかで、好き合っていたと。
そんな認めたくない言葉を。
(……な、んで)
どうして自分はこうもすんなりと受け入れることが出来てしまうのだろう。
そうだったのかもしれない、と。
弥々はその場で崩れ落ちそうになるのをどうにか堪えて、生徒会室に入ることなくその場を立ち去った。
昼休み。
櫛夜は実の所、そわそわしていた。
理由は至極単純で、綾が来なかったからだ。
ここのところ毎日毎日、綾はわざわざ櫛夜を教室まで迎えに来ていた。
どうせ生徒会室に行くならば待ち合わせればいいのに、だ。
ご丁寧に毎度、玉川珠子経由で呼ばれていたわけだが、綾は一向に来る気配がない。
(別に、何も話すことがないならないで構いやしないが……)
昨日友莉とのことに一段落つけたとはいえ、しかしあれは宣戦布告であって、解決には至っていない。
何度でもぶつかって説得する、と言っただけだ。
友莉もそれを受けてたつと言っただけだ。
(あー、なら侑李の所に行ってみるか)
どうせ綾が来ないならば一人で昼を過ごしていてもいいのだが。
そうしていられるほどの余裕はない、というか、ぶつかると言った手前、暢気に昼を楽しんでいるのは如何なものかと櫛夜は思い、立ち上がる。
と、目の前に女子生徒が立ち塞がった。
何のことはない、クラスメイトの玉川珠子だ。
さらさらと柔な髪を手で払い、屈託のない笑顔で櫛夜を通せんぼしている。
文字通り、通せんぼしている。
「えと、何やってんだ」
「通せんぼ。見てわからない?」
「なんで、通せんぼしてんのかって聞いてるんだが」
「櫛咲くん。乙女の行動に一々意味づけなんて必要ないんだよ」
「意味がないなら行動なんてすべきじゃないだろ」
「そう? 自分で自分が何を考えてどんな行動をしているのか、なんてわかりっこないでしょ」
「別に感情が思考に先んじて起こる行動を否定しているわけじゃあないが、少なくとも今ここ教室内で一女子生徒が一男子生徒を通せんぼしているのに意味がないわけあるかよ」
「ふむふむ。それは言い得て妙だね」
「意味わかって使ってるかその言葉?」
にひひ、っと珠子は笑い。
櫛夜は諦めて腰を下ろす。
なんにせよ、何かしらの話があるらしい、という程度には察する。
櫛夜が座ったことに満足気な珠子はそのまま空いている櫛夜の前の席の椅子に腰掛けた。
「ここ使ってもいい?」
一言、その席本来の使用者に断りを入れて、櫛夜の机に弁当を広げる。
「じゃ、一緒にお昼でもいかが?」
狭いから嫌だ、と言う言葉は通用しないだろう、と判断した櫛夜は無言で頷く。
ちなみにその二人の様子をクラスメイトは興味深々に見つめている。
無理もないだろう。
高校とはそういう空間なのだ。
男女が一緒の机でご飯を食べていれば、目立つことこの上ない。
第一、そうでなくても櫛夜は綾のせいで悪目立ちしているのだ。
「で、なんだよ」
「いやいや、なんだか楽しそうなことしてるねって思って。綾文会長と、さ」
その真意を、咄嗟には汲み取れない。
無言で先を促す。
「いや実は昨日あのあとやっぱり気になっちゃって、二人を追いかけちゃったんだ」
「それで?」
「友莉ちゃんが珍しく声を荒げてるからさ」
「あぁ」
「何が、あったのかなって」
「別に、生徒会の話だよ」
「本当に? そうは思わないけどなー」
珠子はわざとらしい声と表情で、櫛夜を煽る。
櫛夜もしかし、珠子が何が言いたいのか、まだ全然わからない。
一気に険悪な空気になる二人だが、しかし教室内の喧騒がせめて重くなりすぎないように状況を演出している。
それがいいことなのかどうかは、わからないが。
「ねぇ。櫛咲くん、櫛咲くんはさ」
珠子は笑顔を崩さない。
「櫛咲くんは、恋愛ってものをどう捉えてる?」
「どう、って」
「例えば、自分の事を好きな女の子が目の前にいたとします。その子に対して、どんな感情を抱きますか?」
櫛夜は、いきなりの質問に面食らいつつも真面目に考える。
目の前に浮かぶのは、必死の表情で告白をしてきた、綾文弥々。
彼女に対してまず感じたのは。
「まぁ、嬉しくは、あるかな」
「じゃあもし、目の前に四人、自分の事を好きな女の子が現れたら?」
「よ、四人か?」
「そう、四人」
「なんだその妙な仮定は」
「いいからいいから」
「しかも侑李のことと関係あるのかこの質問」
「いいからいいから」
「いい、か……?」
納得はいかないものの、仕方なく考えてみる。
目の前に、自分を好いているらしい女性が、四人いたとして。
何を感じるか。
「なんというか、いや一人でも考えるけど、こいつら何がそんなに俺のこと好きなんだ、とは思うかもな」
「そうだね。櫛咲くんはそういうこと言いそうだね」
「誰でもそんなものだろ。そこまで自分に自信がある奴なんていまどき珍しい」
「かもね。でもさ、それで櫛咲くんは、誰も選ばないんじゃない?」
「……は?」
「よっと、頂き」
一瞬、ぽかんとした間に珠子は櫛夜の弁当から玉子焼きをくすねた。
それを非常に美味しそうに頬張る。
「んん、おいしい。櫛咲くん料理上手だね!」
「お前な。いや、いいけど……」
盗まれたことに苦言を呈す前に美味しそうな顔をされて櫛夜の勢いも止まる。
自分で作ったものが美味しいと言われて嬉しくない、ということもない。
「で、その謎の設定において、俺が誰も選ばないんじゃないかってのはどういう意味だよ」
「うん? そのままだよ。仮に、仮にさ一人の子が熱烈にアピールしてきたら、櫛咲くんは『まぁ、とりあえず付き合ってみるか』みたいなノリでひとまずお付き合いするんじゃない?」
「ん、いや、そんなこともないと思うが」
「そうかな、少なくとも私にはそう見えるよ。勿論悪い意味じゃなくってね」
どうだろうか。
今はまさに珠子の言うとおり、弥々と付き合っているわけだが。
付き合ってみれば、というか、きちんと向き合ってみれば弥々はかなりいい子だ。
いい子であり、可愛い。
だから櫛夜は自分の選択を特に後悔もしていないし、むしろ断らずにいて良かったとまで思っていたりする。
あまりよくわからない仮のお話だが、もし。
もし、あの場で、弥々以外にもう一人告白してきた人がいたならば。
どうだろう。
確かに自分は、誰も選ばないのかもしれない。
誰を選んでも角が立つ。
そもそも、告白された時点では、別に自分に好きな人などいないのだ。
そういう意味では、全員に断りを入れる、というのが最も自分が選びそうな選択肢ではある。
あるが、依然として珠子の裏が見えてはこない。
「それも間違いじゃないと思う。誰も好きじゃない状態で誰かを選ぶなんて、それは本当に失礼だとも思う」
珠子は軽い口調ながら、しかし言葉の一つ一つに不思議な重みを持たせた。
「でも、それでも恋する女の子の想いは、そんなことで止まったりはしないと思うよ」
「……よく、わからんな」
「櫛咲くん、初恋っていつ?」
また話が飛んだ。
初恋?
「さ、さぁ、覚えている限りでは特にそういう女の子はいなかったように思うけど」
「小さな頃に一緒に遊んでた女の子とかいないの?」
「んー、いや、いたかもしれないけど、けど覚えてはないな」
「そっか、まぁいいんだけどさ。例えば女の子、全員ってわけじゃないけど、女の子は結構初恋のことを覚えているものなんだよ」
「はぁ」
よく小耳に挟むのは。
男は名前をつけて保存。
女は上書き保存。
という価値観で恋愛を見ているらしい発言だが。
生物学的な見地から一般論を話すことは出来ても、結局それは人による、の一言で片付けてしまえるのかもしれない、と櫛夜などは思っていたが。
初恋に関してはそうでもないのだろうか。
考えても櫛夜にわかるはずもない。
「初恋の人と比べるとかじゃあないんだけど、初恋はやっぱり自分の中に初めてそういう感情が沸いた瞬間でしょう。言ってしまえば大人になる第一歩というか」
「そう、かもしれないけど」
それがなんなんだ、とは言えない。
言わせないオーラを珠子は発している。
「例えばさっきの四人の女の子の中に、初恋の人が櫛咲くんだって人がいたとするよ」
「本当に、随分と具体的な条件だな」
「その人はさ。たぶん、それでも諦めないんだと思うんだ」
「それでも、って」
「櫛咲くんが選ばないって選択をしたとしても、そんな選択を認めないってこと」
櫛夜は首筋にぞっとする感覚を覚えて、思わず身を震わせた。
なんだ、今の、おぞましい何かは。
妙に心臓の鼓動が早くなる。
珠子を見れば、相変わらずの笑顔で櫛夜を見ている。
傍から見ればただの雑談をしている男女に見えるだろう。
雑談?
冗談じゃない。
櫛夜は確信する。
この女。
玉川珠子。
何か、知っている。
それが、何に纏わる何かなのか、一切の検討もつかないが、何かを知っている。
何かを知って、その上で自分に圧力をかけてきている。
追い詰めようとしている。
全く目的がわからないが、櫛夜に対して何かしらを伝えようとしていることは確かだろう。
それも、明確な悪意をもって。
あるいは、明確な怒気をもって。
「たらればの話は好きじゃないな」
「そうだね、うん。現に櫛咲くんは今後輩の綾文弥々ちゃんとお付き合いしているんだもんね」
「……どうして知ってるんだ?」
そのことは、まだ生徒会の面々にしか話されていないはず。
校内を弥々と手を繋ぎ歩いたこともあったような気はするし。
休日に二人でいたところを見られている可能性もなくはないが。
こうもはっきりと断言するからには、確かな情報源があったはずだ。
「別に、そこは重要じゃないでしょ」
珠子は、答えなかった。
代わりに、元の話に戻す。
「ああやって、綾文会長と一緒に行動するのはどうかと思うよ? それに、友莉ちゃんの家に上がっちゃうこともね」
「それは、弥々に悪いからってことか」
「違う違う」
櫛夜の言葉に割り込むように珠子は否定した。
「綾文会長と友莉ちゃんに悪いでしょ」
「……?」
やはり掴めない。
確かに、二人には良くないのかもしれない。
例えば、自分と付き合っているという噂が広がるかもしれないのだ。
そういった危険性はあるだろう。
二人でいるところを見られたりも勿論、家に入ったという事実だけが一人歩きするかもしれない。
そこまで熟慮して行動はすべきなのかもしれない。
しれないが、それは結局、弥々に対しても同じじゃないのか。
弥々がはっきりと嫌がるかもしれない。
はっきりと嫌がらなくても、心内では嫌がるかもしれない。
そのことは、申し訳なくもある。
だが、珠子ははっきりと否定した。
ならば、何が違うのだろう。
今の話の流れとは、何が間違っているのだろう。
(きっと俺の想定が、玉川の考えてるそれに、追いついていない)
玉川珠子が何を考えているのか。
何を考え、こんな話をしているのか。
わかるわけもないが。
見当もつかない。
「玉川、お前一体何を知ってるんだよ」
「ちょっと女の子の気持ちを知ってるだけだよ。櫛咲くんと違って」
「そうかよ」
「別にいいんだけどね。私も今回のことは想定外だったし」
「今回のこと?」
「ああうん、今回のこと」
その内容は、言う気がないらしい、それ以上珠子は言葉を続けなかった。
「玉川、お前が何をしたいのか俺にはよくわからないが、一つだけ確認させてくれ」
だから櫛夜も、それ以上追求することはなかった。
聞いてもどうせ無駄だろう。
そんなわけで、一つだけ聞いておきたかったことは。
ほんの少し、覚えていた違和感について。
「昨日、玉川が帰るとき『友莉ちゃんもそろそろ来る頃合いだ』って言って帰ったけどさ。なんであの時点で俺と綾文会長が友莉を待ってるって知ってたんだよ?」
「言ったでしょ。ちょっと女の子の気持ちを知ってるだけだよ。私はね」
珠子は笑う。
手の内を見せることなく。
心の内を、透かすことなく。




