本心
「と、いうわけで。まぁ、微妙な感じではあるけれど、なんとかはなった、かな」
「そう、ですか」
綾、奏音、そして優芽が勉強机をくっつけてお昼を共にしている。
教室のど真ん中に構える目立つ三人の姿に、教室の賑わいもいっそうの高まりを見せている。
当の三人はそんな話し声など何処吹く風と軽く流してしまう。
ここ最近は櫛夜、あるいは奏音や弥々を交えて生徒会室でご飯を食べることの多かった綾だったが、しかし今日は他の後輩と親睦を深めに来たのであった。
なお、きちんと綾は早弁などせずにいる。
その意味を奏音と優芽が知るはずもないが。
あれこれあったばかりで三者三様に疲弊しているところではあるが、なるべく明るく歓談に務める。
先に綾のほうから二人が気になっているであろう昨日の友莉との出来事を話してしまい、ひとまずの安心をしてもらっていた。
まだまだ油断を許さない現状ではあるが、しかしあれはおおよそ和解できた、と言っても過言ではないだろう。
それも大体、櫛夜の行動力の結果なのだが。
「正直なところ、私には何も出来なかったわ。だから二人がちゃんとフォローしてあげて頂戴」
「わかりました」
「……はい」
綾は本心からそう思う。
結局悩みを解決できるのは、共有できるのは、同じ目線に立てる者だけなのかもしれない。
綾は友莉からすれば一つ上の先輩であり、自分で言うのもおこがましいが尊敬される先輩であり。
一歩、距離を置かれている身だ。
だからこそ出来ることも沢山あるかもしれないが、綾が何かしようとすればするほど、彼女は要らぬ気遣いを見せるだろう。
こういうとき、同級生ほど素晴らしい存在はない。
「でも、本当にこんなで良かったのかしらね」
「さぁ、どうなんでしょうか」
綾の問いに、奏音もなんとも言えない渋い顔になる。
こんな、という漠然とした言葉の裏に秘められた思いを正確に読み取ることは難しいが、話の流れから察するに友莉のプライベートな部分にまで入り込んでよかったのかということだろうか。
それとも、もっと他に友莉を救う方法があったのだろうか。
「……でも、友莉ちゃんが助かるなら、それで」
「そうね」
優芽が結論付け、綾も頷く。
実際の所それ以外は確かに重要ではない。
重要ではないのだが、しかしそれでも自分の中に『本当に良かったのか』という疑念は残る。
そして綾にはもう一つ、現在燻っている問題がある。
その問題を、ほんの少し相談でもしようかどうか、とこうして普段にはない奏音と優芽の元を訪れているのであった。
早速友莉の話が一段落ついたところで綾自身の話をし始める。
もちろん、なるべくぼかしながら。
「ところで二人は、なんか過去のこと、覚えていたりする?」
「過去のこと、ですか?」
「……いえ」
綾は妙な聞き方をした。
過去の事、つまり繰り返しているらしいこの時間の前の出来事を覚えているか、という質問だ。
覚えているなら初めから色々な場面で悩むこともなかったはずではあるので、誰も知ってはいないだろうその質問をどうして綾がするのか、奏音はその真意をまず問う。
大概において、綾がぼかすような話が初めからわかったことなど経験上ないのだ。
「それってどういうことですか?」
と、奏音の質問に対して何故か綾が不思議そうに首を傾げた。
意外とこの先輩、凛としている割に仕草が可愛らしいのよね、と奏音は心の中で思い、自分の疑問点をより具体的にする。
「ええと、誰も覚えてはいないんですよね? 私と綾文会長がたまたま異なる未来が視えたということと、櫛咲くんや弥々さんが違和感を覚えたってだけで」
少なくとも奏音はそのように認識している。
確かなことは何もわからないけれど、はっきりと視えてしまった未来を避けるべく、色々と話しあっているところのはずだ。
「そう、そうなんだけど、何かふわふわと思いだすようなことってない?」
「ふわふわですか。一応、自分で視えた未来なんかはその時の後悔も含めて思い出す感覚はありますけれど」
「あとは、前と違うとことがあるなぁって感覚とか」
「それは、騎馬戦か飛びつき綱引きかってこと以外にですか?」
「えぇ、それ以外で」
「そうですね……」
未だに綾の真意はよくわからない。
前と違うところがあるかどうかを知りたい、わけではないのだろう。
綾は、前と違うところに何か、気付いているからこそ、こんなことを聞いているのだ。
だから次に聞くべき言葉は。
一つしかない。
「何を、知ってしまったのですか?」
奏音は言葉を間違えない。
綾が、何かを知ってしまったこと。
知ってしまったが故に、何かしらの理由で悩んでいること。
そのためにここに来て自分と優芽に話をしていること。
それらを暗に察して、言葉を選ぶ。
綾の考えそのものはわからないが、さすがに表情に揺らめく何かがあるくらいはわかる、と奏音は僅かながらの自身の成長を大切に想う。
友莉へは結局、届かなかった、自分の至らなさもまた、然り。
「……ううん。いいや。やっぱり」
そして綾から零れた言葉は、タイプは違うが、同じく、拒絶の言葉だった。
「ですがっ」
「ごめん。やっぱりたぶん、私の勘違いだと思うから。大丈夫大丈夫」
大丈夫なわけがない。
本当に大丈夫な人間は、大丈夫かどうかなど論じたりはしない。
「綾文会長は、そうやっていつも、お一人で片付けてしまわれるおつもりですか」
「違うわよ。協力できることは協力をお願いするけれど、自分自身の問題だと判断したから、やっぱりやめるってだけ」
「でも、今回の事件だって、綾文会長は一人で解決しようと」
「それは奏音ちゃんも同じでしょう」
「そう、ですが」
「優芽ちゃんも、いいわよね?」
「え、と」
「はい。じゃあこの話はおしまい」
「……なら、一つだけ確認させてください」
奏音はせめてもの抵抗として、綾に向けて言葉を放つ。
それがどこまで届くのかは、分からない。
「綾文会長が本気で悩んでいるのなら、私だって黙ってはいません。勿論、優芽さんも同じ気持ちだと思います」
それはつまり、宣戦布告。
このまま誤魔化したままにはしておかないと。
友莉に向かっていった櫛夜のように、どこまでもぶつかりますよ、と。
奏音なりの宣言。
「ん、心に留めておく」
一応は、綾にきちんと届いたようだった。
全く、生徒会の面々はどうしてこうも自分ひとりでどうにかしようとしてしまうのか。
奏音は自分の事を棚に上げてため息をついた。
周りからすれば奏音も相当に自分ひとりでどうにかしようとしてしまうタイプである。
優芽も心配性で内気な性格から、色々と助けを求めそうに思われるが実際彼女も能力が高く、相談してよいことなのかどうか悩んでいるうちに自己完結するほうなので意外と小まめに見ておかないといけないタイプだったりする。
まだ詳しくはないものの、恐らく櫛咲櫛夜も綾文綾と同様のタイプであろう。
櫛夜はこれまであまり積極的に人と関わろうとはしてこなかったらしい。
中学、高校とは普通に一人きりでやっていけるかというと、案外そうでもないはずだ。
無論、一人きりで上手くやっていく者も少なからずいるだろうが、本当の意味で一人でいることは結構難しいものである。
その点、櫛夜は一人でいても何でもそこそこそつなくこなす印象がある。
特に親しい友人がいなくとも、十分に自分らしく生きていくことが出来たのであろう。
そんなわけで、櫛夜は中々に勝手に動き出している。
それが良いことなのか悪いことなのか今の所はよくわからないが。
弥々、みもり、詩織の一年生がどうなのかはいまいちよくわからないものの、唯一生徒会において本当の意味で団体行動に向いているのは恐らく光だろう、と奏音は思う。
光瀬光。
綾と同じ高校三年生。
櫛夜が来る前までは生徒会唯一の男性。
勉強面はかなり優秀で、人当たりの良い笑顔、柔らかい物腰から信頼の厚い人物だ。
彼は、むしろもっと自分を出してもいいのに、と奏音が思ってしまうような性格だ。
彼はいつも生徒会の行く末を見守っている。
意見をしないわけではないのだが、それは大体保守的なものであり、折衷案であり、彼自身の考えから来るものではない。
だが、我の強い生徒会面々に対しては良い緩衝材となっている。
そういう意味ではそんな存在が必要なのだが。
むしろ今年の生徒会は光が抜けた穴をきちんとできるのだろうか、と不安に思う気持ちも当然あるわけだが。
それはさておき、光は機略も十分に発想できるだけの人であるのに、どうしてああもゆったりしているのだろう、とは奏音も考えてしまうのだ。
(長所であることはわかっているのだけど、どうも、ね)
などと考えていると噂をすればなんとやら、とでも言いたげに、光が教室に現れた。
これまた珍しいことである。
光がわざわざ二年生の教室を訪れるとは。
「や、お邪魔するね?」
奏音が近くに空いている席がないかをすぐに探すがそれを光は手で制止する。
「大丈夫、綾文さんにちょっとだけ用があるだけだから」
「あら、じゃちょっと席外すわね」
そう言って、綾は光とともに廊下へと出て行く。
あっという間のことに、奏音はほとんど何も出来ないままだった。
そしてそんな姿を、優芽が妙な顔で見つめる。
「ええと、優芽さん。何かしら?」
「……えっと、その、なんでも、ないです」
優芽にしては微妙に含みのある声色が混ざっていたことに、当然奏音は気付く。
気付き、その含む意味を考え、そして到達した結論に顔を赤くする。
「……もしかして優芽さん、知ってる?」
その抽象的な言葉に、しかし優芽は露骨に慌てる。
ぶんぶんと頭を横に振り、違う違うとジェスチャーを加えた。
「いえ、優芽さんや友莉さんに別に隠すようなことでもないのですけど」
「あ、う、友莉ちゃん、も、知ってると、思う」
「そうでしたか」
奏音は務めて平静を保つ。
確かに、こういう話をする機会はあまりなかったのかもしれない。
だからこんなに恥ずかしいのか。
それとも、今さっき本人がここにいたことに対する恥ずかしさが顕れているのか。
どちらにせよ、胸の鼓動は高まっている。
優芽の耳に口を寄せると、奏音は小声で囁いた。
「確かに、私、去年から光瀬先輩のことをお慕いしています」
「はうっ!?」
既に知っていたことであろうが、思いのほか優芽は恥ずかしそうに身を縮めた。
その仕草を見ながら、奏音もまた自分の体が火照るのを感じる。
好きだ、と言葉にしてしまうことで、余計に胸が熱くなるこの感覚。
きっとこれこそが、恋なのだろうが、未だ奏音はこれを制御することは適わない。
むしろ、上手に自分の手の内で転がすことが出来ている人がいるのならば是非ともご教示いただきたいものだ。
しかしながら、優芽に友莉と二人に気付かれていたとは。
あからさまに自分の態度がおかしかったのだろうか。
そのような仕草は意識的に控えていたつもりなのだが、意識的に行動している時点でわかってしまうものだったりするのか。
全く難しい。
「一応、他の皆には内緒ですよ?」
「も、もちろん、だけど」
実際、奏音の気持ちに気付いているのは同じ二年の優芽と友莉だけだったりするので、この忠告は奏音が思っている以上に重要なものだ。
優芽がつっかえつっかえに何かを言いたげにする。
奏音はそれを急ぐことなく、じっくり目を見て待つ。
心の中できちんと三カウント待つと、優芽の次の言葉がやってきた。
むしろ、たったの数秒で返事が来るようになったことに今更感動したくらいだ。
「もう少し、積極的にアピールしても、いいんじゃ」
「……意外と直球ね」
言葉が出てこないだけで、縦横に考えの至る優芽なので実はそれほど厳しい言葉は珍しくはない。
意外に思ったのは、色恋沙汰に真っ直ぐに意見してきたこと自体である。
本来は華の高校二年生、恋の話がないほうがどうかしている、のかもしれない。
しかし少なくとも去年一年間は友莉、優芽、奏音共にそういった話をしたことがない。
友莉、奏音に関しては少なからず男子生徒からの告白を受けたことがあるにはあるが、これまた共に一蹴しており、特に互いに話題に挙げたことはない。
優芽がそういった告白を受けたことがあるのかどうか、噂でも聞いたことはないのだが、その真偽は本人に聞くしかないだろう。
優芽が話すとも思えないが。
「わ、私が見た感じでも、もどかしい、ような、ちょっとだけ」
「これ以上はよして下さい。なんだか惨めに思えてきます」
「ご、ごめん」
「いいです。まぁ、折角ですから、いざって時にはさり気なくフォローでもしてくださいな」
別に本心からそう思っているわけでもないが、一応は声を掛けておく。
思いの外パァッと顔を輝かせた優芽が大きく頷いた。
どうやら友人に頼られたことが嬉しいらしい。
(それよりも綾文会長と光瀬先輩遅いですね……)
奏音はそんな可愛らしい友人を正面に見つめながら、止まぬ鼓動に耳を寄せた。
光に連れられた綾はここ最近昼休みにいつも使っている生徒会室へとやってきた。
奏音と優芽を外させたということはどうやら他の役員には聞かれたくない話なのだろう。
「それで、どうかした?」
どうせ光は回りくどいことをしないだろう、と綾は二年間連れ添ってきた仲間の性格から一番の近道を選ぶ。
対する光も、綾がそう判断することを見越していたようで、特に回答に詰まることなく滑らかに答える。
「これを渡したかったんだ」
そう言って光が綾に何かを差し出す。
片手に収まるくらいに折り畳まれた紙片。
ただのノートから切り離したものにしては丁寧に折られた、それ。
綾はそういった何かに、今まで幾らか見覚えがある。
主な出現場所は、下駄箱の中、机の中だろうか。
登下校中に有無を言わせずに手渡されることもあったろうか。
「つまり、そういうことだと思っていいのかしら」
「うん、差し支えなければ、そこに書いてある場所に来て欲しい。もちろん、真剣に考えてくれたら、嬉しいな」
「そう、わかった」
「それじゃあ」
「ええ」
全く簡単に、短くやりとりを交わした光はそれだけ言って生徒会室を後にした。
どうやら今は本当にメモを渡しに来ただけのようだ。
綾はたっぷり間を取ってから、大きく大きく肩を落とす。
「はぁー、そうきたかー」
誰に対してでもなく愚痴る。
両手で丁寧に紙片を開くと、中には随分と華奢な文字で時刻と場所だけが書かれていた。
光らしい、のかどうか、いまいち判断しかねるが、しかしながら。
「受け取ってしまった……」
別に今この状況では、無理やりではなかったはずだ。
今までの自分であれば、この場で即お断りを入れていたはずであろう。
勝手に下駄箱にでも入れられれば仕方がないので指定された場所に赴くが、直接来たのであればわざわざ時を改める必要はない。
(どうせ付き合いたいと思うような人なんて、いないんだしね)
だというのに。
今は。
今の自分は。
どうして何も考えずに受け取ってしまったのだろうか。
確かに想定もしていなかったので不意を突かれた感はある。
まさか光が自分を好きだとは毛ほどにも思っていなかった。
信頼しあえる良き生徒会のメンバーだとは思っている。
(なら、やっぱり弥々のことを無意識にでも引きずってるのかしらね)
無意識どころか、意識的に引きずっている、とは自分で認めはしない。
認めてしまえば、あまり良くない記憶まで思い出してしまいそうだ。
思い出してしまいそう、と考える思考がある時点で、はっきりと脳に刻まれてしまっていることも、認めてはいけない。
「しっかりしろー私」
自分の頭をぽんぽんと叩く。
混乱しているのは間違いない。
光が、自分のことを好きだという、身近な人間の意外な心情を知ったこと。
それに対して、自分が取った行動。
その背景。
自分の心の変容。
それらが全て、一つの事実に向かって収束してしまう。
「駄目よ綾文綾、ちゃんと、ちゃんとしなきゃ」
一つの、決して吐露できない感情。
一つの、決して相談できない過去。
一つの、決して容認できない事実。
それこそ、言葉にしてはいけないものだ。
言葉にしてしまったら、それは現実のものとなってしまう。
「現実にしたら、駄目。これは、起こってないんだから」
綾の独白が生徒会室を包む。
自分で自分を包み込み、そのせいで空気に圧迫される綾は次から次へと息苦しくなってしまう。
苦しくなって、呼吸の仕方を忘れてしまう。
忘れてしまったから、どうにかしようと足掻いて。
もがいて。
そのせいでまた、本心を吐き出してしまう。
「分からない。私は、全然、好きなんてこと、ないのに」
それでも、言葉は心の内から溢れてくる。
すっかり縮んでしまった心の容量に、膨らむ思考が追いつかない。
自分で発してしまった『好き』という言葉によって、さらに暴走が加速してしまう。
「そうよ。だって。彼は。櫛咲くんは、弥々の恋人なのだから」
言ってしまう。
言わずにはいられない。
言ってしまうことで。
楽になれるかもしれないから。
言ってしまうことで。
自分に素直になれるかもしれないから。
「過去の時間で、私と櫛咲くんが好き合っていただなんて、そんなこと」
ない、と信じたい。
ない、と思いたい。
ない、と安心したい。
ない、はずだ。
だって、過去の話だ。
過去の、それも無くなってしまった過去の話だ。
無くなったのだ。
時間は戻されてしまったのだ。
なかったのだ。
なかったことになったのだ。
だから、自分の記憶の方が間違っているのだ。
間違っていて、欲しい。
「今の私は、どうして、忘れられないのかな」
彼の事を。
忘れたことなど、一度だってないのに。
そう願わずにはいられなかった。
「どうして、櫛咲くんのことを、私は……」
そこまで嘆いて、ようやく綾の心は落ち着きをみせる。
けれど。
言葉にしてしまった自身の感情はもう。
嘘にできなかった。
そんな綾の本当の声を。
生徒会室の扉越しに。
全て聞いてしまった。
妹の姿がそこにはあった。




