恋人b
時間を繰り返しているのではないか。
ある時間をループしているのではないか。
弥々はそんなことを言った。
「そんなこと、あるわけ、ない、よな」
誰に向けるでもなく、櫛夜は呟いた。
弥々の表情は至って真剣である。
これまでのように、櫛夜をからかっている様子は見られない。
だからこそ、櫛夜の思考は弥々の発したその言葉に吸い込まれていく。
まるで渦の中心に引っ張られていくように。
ループしている。
そんなことはありえない。
櫛夜はまずは、彼自身の、というよりは人として当たり前の常識からそう考えた。
時間とはそういうものではないか。
過去から今へ、今から未来へ。
一直線に、真っ直ぐに、ぶれることなく進むのが、時間と言う概念ではないか。
時は早く進むことも遅く進むこともせず、等速で過ぎ行くものではないか。
当たり前だ。
当たり前だ、と考えることに違和感を感じるほどに普遍的なものだ。
世界中の誰に聞いても、ほとんどがそのように答えるだろう。
この事実に異を唱えるのは、恐らく精神の成長と共に体感時間が絶対時間に対して短く感じる、というような研究をしている人か。
あるいはタイムマシンの技術的な実現を研究している人くらいのものだろう。
そんな人間は全体の数パーセントにも満たないはずだ。
確かに光速に近づけば近づくほどにその物体の周りの時間の流れは遅くなることが知られている。
特殊相対性理論である。
光速で移動する何某と、静止している某とで、"一秒間"という長さが等しいと仮定すると、光の速さに矛盾が生じてしまう。
光の速さで運動する者にとっては、光は速さが零に見えるのだ。
細かい話は抜きにしてしまうが、兎も角、相対的な速さを考慮することで、これは実験的にも明らかにされている理論である。
もちろん、人間を光速で動かす機器など存在していないため、実証しないことには理論の域を出ないのだが。
しかしながら、体感的な時間の流れが変わることにせよ、特殊相対性理論にせよ、それらは時間を逆行しない。
時の流れが過去に向かって加速したりはしない。
時間は、絶対に、遡行など出来やしない。
だからこそ、今しかない、今から未来しかない、そんな現実を人々は逞しく生きていけるのだ。
もし、仮に。
やり直しが効くのであれば。
「もしあの時」
「こうだったら」
「こんなことを出来ていたら」
「あんなことをやっていたら」
「その選択を変えていれば」
後悔した時点に立ち戻って、自分の望みどおりに自分の人生を変えてしまえるのであれば。
きっと世界はひどくつまらないものになってしまうだろう。
欲望の全て満たされる世界になってしまう。
『私のしたかったことは、一体なんだったんだっけ』
そんな疑問に、疑惑に溢れかえってしまうだろう。
ループしている、それはそれだけありえないことであるし、仮に起きてしまっているのであれば世界そのものを変えてしまうかもしれない。
そんな危険性を孕んでいる。
櫛夜はだから、当たり前に自分達がループしているかもしれないと言った弥々の言葉を即座に否定したのだ。
しかし。
(思い当たる節は……ある)
櫛夜にも、不思議とそう思わされてしまうようなことに心当たりがある。
まずは、人間関係である。
弥々も指摘していたが、ここ一週間で、あまりにも仲良くなりすぎているような気がしてならないのだ。
櫛夜は一年生の時には友人と呼べるような間柄の同級生など一人もいなかったほどに、人間関係に対して消極的な性格だった。
それが、綾に誘われて生徒会の役員になってしまい、更には後輩の問題に首を突っ込むなど、櫛夜自身としても中々理解しがたい感情の変化であった。
自分の知っている櫛咲櫛夜はそんな人間であっただろうか、などと思わず考え込んでしまうほどである。
また、こちらも単純に気のせいと片付けてしまっても構わないほどの小さな違和感なのだが、櫛夜はここ一週間の出来事に、どことなく既視感を覚えていた。
既視感、デジャヴ。
起きたはずのない事柄なのに、起きたことがあるような錯覚を感じる現象。
現代科学でははっきりと解明されていないが、今、デジャヴの起きる仕組みはどうでもよい。
櫛夜は不意にそれを感じることがあった、その事実が重要なのだ。
例えば、綾に誘われたとき。
例えば、昼休みクラスメイトに声を掛けられたとき。
例えば、弥々に屋上に連れられたとき。
例えば、奏音からも何かを打ち明けられたとき。
はっきりとしたものなど何もなかったが、どこか違和感を覚えたのも事実である。
だが、それでも。
「さすがに、ループは、ないんじゃあないか」
櫛夜は今度ははっきりと弥々い向けて言葉を発した。
弥々の表情からは、自分の言いたいことを言い切ったからか、先ほどまでの緊迫したものは失せている。
「まぁ……はい。そりゃあそうですよね」
まさに、文字通り、ですよねー、といった顔をして見せる。
櫛夜もしかし、自分の感じている違和感については一応報告しておく。
「ただ、そうかもしれない、と思う要素が全くないわけでもないのも事実だ」
「へっ?」
「俺もなんか変だなって感じることはある。それが時間が巻き戻っているせいだとは思わないけど」
思わない、というか思いたくないけど、とそこは少し言い直す櫛夜である。
「うーん。でも、だとしたら私たちだけが変なんですかね」
「んー、そればっかりは聞いてみないとわからないが……無理だろうな」
「ですね」
誰に何をどう聞けばいいのだ。
ループしていないか、などと聞いて真面目な話であると考える人などいないだろう。
そもそも聞いている弥々と櫛夜も半信半疑、よりも疑いが大きいくらいである。
ありえない、ということは二人とも重々わかっている。
「まぁ、そんな不思議な感覚の所為で、少しナーバスになってるんですよ。私」
「おぅ」
「悩んでいる、っていうのは……それだけでもないんですけど」
「ん?」
「そろそろ移動しますですッ」
「お? おぅ」
なんだかよくわからないテンションの弥々に振り回されつつ、櫛夜も倣って立ち上がる。
また弥々に腕を掴まれつつ。
身長差を考慮して歩くスピードには注意しつつ。
てくてく並んで歩く二人。
「で、今度はどこ行くんだ?」
「んー、行ってみたかった場所があるんです」
「教えてはくれないんだな?」
「内緒ですッ」
「内緒か……」
そんな弥々が連れてきたのは、意外にもバッティングセンターであった。
枸杞駅からは少し離れた位置にある、地元感溢れる寂びれた場所だ。
入口の戸は立てつけが悪くなっているのかスムーズには動かず、力が要るらしい、櫛夜は結構な力でようやく開ける。
さすがにコインの自販機は設置されているらしいが、百円玉しか入らず、両替機はない。
どうやら両替は直接話をしなければならないようだ。
その受付には寝ているのか起きているのか怪しげな、某プロ野球チームの帽子を深く被った老人が一人座っているだけである。
櫛夜と弥々が入ってきたことに対して何も反応を見せることなく、じっとしている。
今日は休日ということもあってか、少年野球チームに属していると思しき数人の少年や、かなりガタイの良い男性もそこそこ打席に立っている。
それほど大きくはないため、十分に賑わっているようには見える。
ひとまず二回分のコインを購入し(無論櫛夜が払っている)、弥々が周りを見渡す。
「んー、あっちですね櫛夜先輩」
「お、おぅ」
中をずんずんと進み、バッティングセンター内で唯一、ソフトボールを打てる場に席を陣取る。
「へぇ、ソフトボールもあるのか」
「ここなら他の方の邪魔にもなりづらそうですし。そもそもど素人ですしね」
「俺も野球なんてやったことないし、まぁなんでもいいけどさ」
まさにそのような野球の素人がただ打つのを楽しみたいだけ、という時に使う用なのだろう。
球速もだいぶ抑えられている。
「しかし、なんだ。ここも来てみたかったのか?」
「今を生きる女子高生にはここも縁がありませんからねぇ」
「そんなもんか」
「そんなもんですッ」
「とりあえずは俺からやろうか?」
「ですね。なんとなく速さを見ておきたいです」
「わかった」
櫛夜はコインを一枚機械に入れて、ネットを潜り仮のバッターボックスに立つ。
そこからおよそ二十球ほどに対して、櫛夜は普通に当てたり空振ったりを繰り返し、あっという間に一回分が終わる。
実際、まともにバットを振ったことのない櫛夜である、こんなもんかな、という程度には当たっただろうか。
「へったくそですねー」
「言うなよ恥ずかしい」
「へ、恥ずかしいんですか? ?」
「なんでそんなに楽しそうなんだよ……」
「えへへ、楽しいですよ。櫛夜先輩って弱点らしい弱点が少ないことが弱点みたいな所がありますし」
「なんだそれ、つーか弱点あるのが嬉しいのか?」
「まぁ、人付き合いが絶望的ってわかりやすい欠点はありますけどそれもう弱点みたいな可愛げはないですもんね」
「ひどすぎんだろ」
「じゃ私いきますね」
弥々も同じようにコインを入れて、そして防護用のメットも被り軍手も付けて、と完全装備でバッターボックスに立つ。
初めの三球くらいはまったく当たる気配もなかったが、コツを掴むのが早くすぐにバットに当たるようになってきた。
耳触りの良い金属音が高らかに響く。
「ね、櫛夜先輩」
「ん?」
弥々が、「ね」から始める時は、何かを言いたい時なのか、と口癖を察する櫛夜。
その予想に違わず、弥々は櫛夜には背を向けた格好のまま、バットをリズムよく振りつつ続ける。
「もう一つ、伺いたいことがあるんですけど」
「なんだよ」
「綾お姉ちゃんの事です」
「綾文会長?」
次に向かってきた球を盛大に空振る。
マットに当たり、鈍い音と共にボールの衝撃が吸収される。
足元に転がるボールを弥々は「ていっ」と言いつつ軽く蹴る。
バッティングセンターでは足元にボールが転がっているのは危ないので、普通下り坂になっている前方に転がせばよい、というルールとも言えないルールがある。
「なんですかねー、これまた言い切ることが難しいんですが」
「今日はずっとそんなんだな」
「そんな時もありますよ女の子ですから」
「そうかよ」
弥々は自分の考えをはっきりと言うタイプである。
が、言いづらいことを隠そうとはしない。
そこまで含めて、自分に正直なのだろう。
最終的にはしかし、ちゃんと話すのだから、誠実さが伺える。
「焦ってるんです私、綾お姉ちゃんに対して」
「焦り? どうして」
「それがわっかんないんですよね。だからこそ焦ってるといいますか」
「よくわかんないな」
「また、今から可笑しなこと言いますよ?」
「おぅ」
「私、なんか綾お姉ちゃんと櫛夜先輩が付き合っちゃうんじゃないかって思ってるんです」
「はぁ」
「戻ってますよ」
「おぅ」
「なんでかは分からないです。でもそんな気がして、それが嫌で、少し焦って、こうして櫛夜先輩に猛アタックをかけているわけです」
「……それも、なら、ループしていた、前の時間では付き合っていたとでも言いたいのか?」
「うーん。そうではないかもしれませんし、そうなのかもしれません」
「まぁ、そんなこと聞かれても分かる訳ないか」
「ですですッ」
最後の球を思い切り前にかっ飛ばした弥々が満足気に戻ってきた。
メットや軍手を外して、ベンチに腰掛ける櫛夜の隣に座る。
またあからさまに腕に密着し上目遣いで櫛夜を見てくる。
「どちらでも構いやしません。そんな過去があったとしても無かったとしても、今私はここにいて、櫛夜先輩のことが好きなんですから」
「……おぅ」
「櫛夜先輩は、どうですか?」
「どうって」
「皆まで言わせないで下さい。私の事です」
わかっている。
質問の内容など。
ただ、櫛夜は、自分が弥々に対してどう想っているのか、という部分に自信が持てない。
人を好きになったことなどない櫛夜は、今この瞬間に感じているこれを、どう定義していいのかがわからない。
弥々はそんな櫛夜に、真っ直ぐに自分をぶつける。
どこまでも純粋に。
どこまでも真摯に。
「綾お姉ちゃんは、可愛いです」
「綾お姉ちゃんは、頭が良いです」
「綾お姉ちゃんは、体も綺麗です」
「綾お姉ちゃんは、誰かの事を思い遣れる性格です」
「綾お姉ちゃんは、色んな分野に聡いです」
「綾お姉ちゃんは、すごくすごく魅力的です」
「まだ出会ってほんの少ししか経っていないですけど」
「私は、綾お姉ちゃんと比べたら全然ですけど」
「でも、その、まぁ、ちょっと自意識過剰になってみれば、そこそこ可愛いと思いますし」
「そこそこ、お勉強も頑張れますし」
「ちょっと、体型は幼いですけど」
「でも、割と優良物件だと思うのですが」
「どうでしょうか、ね……?」
沈黙が流れる。
櫛夜は、あれこれと、自分の事を考えていた。
そして、すぐに答えを出した。
時期尚早かもしれない。
自分の中に確たる想いはないのかもしれない。
(でも、弥々も言っていたしな、今思っている気持ちが、嘘なわけがない、ね)
だったら。
「付き合って、みるか」
「……へぇっ!!」
「な、なんだその音」
「い、いえ……振られるか、こないだと同じくまだ時間が必要だと思う、と言われると思ってましたです」
「いや確かにそのつもりだったけど」
「つもりだったんですか?」
「そうなることを想定してもなお、こう言ってくれる後輩の気持ちを汲んだ、というか」
「気を遣ったんですか?」
「遣ってない。ただほら、人付き合いなんて久々で、恋愛沙汰なんて特に、自信がなかったからさ」
「それはまぁ私もそんなようなものですけれど」
「だけど、弥々の言うように、今感じているものを少しは信じてやろうかなと思ってさ」
「……良いことを言ってくれますね。ふふ、ありがとうございます」
「いや、っていうか、付き合って、何か変わるのか? その、例えば今この状況と」
「そうですねー。デートしてくれてますし一緒に下校なんかも地味に制覇してますからねー。あんまり変わらないかもですね」
「かもですか」
「でも、嬉しいじゃないですか」
「……そうかも」
「かもは要りません。消して下さい」
「嬉しい」
「それは良かったです」
弥々が大きく息を吐いて、隣の櫛夜の膝に顔を乗せる。
急なことに全く反応出来ない櫛夜があたふたしていると、弥々が弱い笑顔を浮かべた。
「よかった。こないだもそうでしたけど、これでも結構緊張してるんですよ。言いたいことを言う時は」
「ん、ありがとうな」
「いえ、応えてくれて、ありがとうございます。嬉しいです」
「いや、まだ、きちんとは応えられてない、と思うし」
「それは追々お願いします」
「わかった」
「浮気は、許しませんからね?」
「……もちろん」
「なんですか今の妙な間は」
「いや浮気する気はないけど、もしそんなことしたら命がいくつあっても足りなそうだなと思って」
「ですね、櫛夜先輩に相手も殺して私も死にます」
「最悪だな」
「そうならないようにして下さい」
「しないけどさ……」
「もう少し、このまま体を預けててもいいですか?」
「ん」
周りの子供たちからの視線を強く感じてはいるが、櫛夜は頷いた。
今くらいは弥々の好きなようにさせてやろう。
そもそも今弥々をこうさせているのは、他でも自分なのだろう。
弥々に言われるがままに、正直に自分の気持ちが、こうであると思って、返事をしたけれど。
それが間違いだとしても、正解だとしても。
後悔しないような方向に動いてくれると、いいんだけどな。
なんてことを考えながら、弥々の頭を優しく撫でる。
「そうだ、櫛夜先輩」
「ん?」
「知ってます? 枸杞駅の名前の由来」
「由来? いや、知らないな」
確か枸杞というのは花の名前だったか、と薄らと記憶を辿るが、何故花の名前が駅名なのかまでは聞いた覚えがない。
弥々は体勢を変えることなく、そのまま喋りつづける。
「枸杞って花は、まぁ、ご存じですよね?」
「あぁ一応」
「その花言葉から来ているそうです」
「花言葉」
「はい、昔、この辺りは二つの権力者による派閥争い、土地の奪い合いがあったそうです」
「それはなんか習ったことがあるな」
「それで、なんとかその両者が和解して、でも、争いの傷跡はもちろん残りますよね」
「そうだろうな」
「だから、ここを、その両者のちょうど中間あたり、和解したこの場所を枸杞と名付けたそうです」
「……枸杞の花言葉って」
「『お互いに忘れましょう』」
「……お互いに、忘れましょう、か」
「なんか、いい言葉のような、悲しい言葉のような、不思議な言葉ですよね」
「争いをやめるって意味なら、良い意味だと思うけどな」
「争って、お互い何も得るものなんてなかったけれど、互いに互いの軋轢は忘れましょうなんて、洒落た地名ですよね」
「そう、だな」
弥々が立ち上がる。
その勢いのままにぴょんと一度小さく弥々が跳ねた。
櫛夜は合わせて目線を上げる。
弥々の着る純白のワンピースがひらりと小さく舞う。
同じように弥々の髪もふわりと、ワンピースと同じように優しく舞った。
一連の、何のことは無い弥々の動きに思わず櫛夜は見惚れてしまう。
感想としては、チープなものだが、綺麗だな、そんな風に思った。
「行きましょうか」
「え、あ、あぁ」
弥々がまた櫛夜の手を引く。
どうやらバッティングセンターは一度きりで満足したらしい。
先ほどまで繰り返してきた動作だが、一度意識してしまうとなぜか恥ずかしいものである。
掴まれている手が、熱い。
しかしそれは弥々にしても同じらしく、弥々も先にはなかった顔をしているようだ。
バッティングセンターを出て、再び人混みの中に混じっていく。
今度はどこへ行くのやら。
「忘れたくないものも、ありますよね」
「……ん?」
櫛夜を見ることなく、弥々が何かをぽつりと呟いた。
「お互い忘れましょう、なんて、いい言葉ですけど、忘れたくないものも、ありますですッ」
「まぁ、そりゃ、忘れちゃいけない事は、あるだろうな」
「人は私たちを、子どもだって言いますけど」
「何の話かわからんが、いや事実子どもだしな」
「子どもなりに、私たちにも私たちの想いがあるじゃないですか」
「おぅ?」
「その意味が分からんって顔をやめて下さい」
「意味が分からん」
「いつかは、忘れてしまうんですかね」
「……」
「今ここにある、気持ちも、熱も、何もかも」
「忘れたくは、ないよな」
「ないですね。それに、忘れて欲しくないです」
「……もうしばらくは忘れそうにないよ。こんな訳も分からず振り回されっぱなしな一週を」
「なら安心ですね。忘れちゃダメですからねッ?」
忘れようと思っても無理だろ、と再度脳内で突っ込みを入れて、櫛夜は苦笑する。
二人は仲良く歩いて行く。
歩きながら、櫛夜も一つ、この機会に聞いておこうと思っていたことを弥々にぶつける。
ぶつけてしまう。
一応は、恋仲になったのだから、あまり変に隠し事をしているのも悪い、などという櫛夜なりの気の遣い方ではあるのだが。
そこまで弥々に伝わっているのかどうかは微妙なところである。
「なぁ弥々」
「なんです?」
「一つ聞きたいんだけど、その、体育祭のというか、綾文会長の話なんだけど」
「死にます?」
「違う違う。別に今更綾文会長の事どうこうとか思ってないから」
「本当ですかそうだとしてもデート中に他の女性の名前を出すのはどうなんですかしかもよりにもよって綾お姉ちゃんとか」
「それは悪い。ただ弥々に聞いておかないといけないと思って」
「はぁ……ま、いいですけど。なんでしょう」
櫛夜がずっと気になっていたこと。
むしろ、気になりつつ、明言されてもいないのに、勝手にそうだと感じ、無視していたとある事実。
この一週間、何故聞かずにいたのかと今更思うほど、櫛夜にとっては重要な話。
「綾文会長の周りで昔、騎馬戦で事故にあった人って、いたりするか?」
綾はそう言っていた。
正確には、そう匂わせるようなことを言っていた。
しかし。
櫛夜はずっと思っていた。
それは、本当なのだろうか、と。
何か、何か上手くいきすぎてはいないか、と。
その答えを知るべく、弥々に聞いてしまったわけだが。
櫛夜の願いとは裏腹に。
弥々は、はっきりと言った。
「なんです、それ?」
弥々の表情は、本当に。
何を言っているのかわからない、というもので。
それはつまり、弥々は、少なくとも、『綾文綾が関わったと思われる騎馬戦での事故』について知らないという証明とイコールであり。
「……ちなみにだけど、弥々が何か怪我したことは?」
「え、怪我? いえ、ありません、けど。それに騎馬戦も小学校は男子だけでしたし、女子校ではなかった、ですし」
弥々は嘘を吐いていない。
ならば。
今考えられるのはもう、たった一つの真実しかない。
それ以外の選択肢は全て、弥々の僅かな言葉で否定されてしまったのだから。
「綾文会長は……嘘を吐いている?」




