デートa
まず櫛夜が弥々に連れられたのは、映画館だった。
まだ時刻は朝の十時半過ぎである。
こんな時間から映画ってやっているんだな、と常識外れの見解を得たのは櫛夜が映画を観たことがないからだろう。
弥々が観たいと言ったのは、ここ最近よくCMで宣伝をしている、有名な少女漫画が原作の実写映画であった。
親の不和の原因を作ったのは自分である、と自分を嫌う少女が、高校で初めて仲間と呼べる人に出会い友情を育み。
そして恋に落ちる。
物語としてはありきたりなものであるが、しかしそれ故にはずれもない。
家族を壊した自分が、こんな幸せになってしまっていいのだろうか、と葛藤する等身大の少女の姿が妙にリアルで痛々しい。
その少女が初めて手にした希望の色は、果たして輝いているだろう。
鮮やかに染まっているだろう。
物語は、そう締めくくられていた。
売りに出したいのであろう新人アイドルが拙いながら主役を演じており、その相手役にはやはり駆け出しの二枚目俳優が起用されている。
弥々がこの映画を観たかった理由は結局櫛夜は聞かなかったのだが、原作が好きだったからか、特に内容に感動したわけではないらしく、終わった後もその表情に変化は見られなかった。
「……面白かった、か?」
「え、ああ、まぁ、良かったと、思います」
その声に覇気はない。
櫛夜もそれ以上の事までは踏み込めない。
今日は朝から弥々の様子がおかしい、と櫛夜は感じていた。
感じてはいたが、それをどうこうできるような言葉を、櫛夜は持たない。
流されるがままに、また弥々に手を引かれる。
「結局、彼女は幸せだったんでしょうかねぇ」
ぼそっと、呟く弥々は空白を見つめた。
その行間を読み取るかのように。
物語と物語のすき間を自分で埋めるかのように。
物語のその先を、見据え物語るかのように。
「幸せを掴んだら、その後はどうなるんでしょうね」
「その後?」
「はい。今回のお話は、ずばり家の問題に一応の解決をみて、二人が想いを確かめ合ったところで終わりました」
「だったな」
「その後です」
「原作の話か」
「いえ、私原作は読んでいないんですよ」
「そうなのか」
「はい」
先ほど感じていた、弥々が原作ファンであるから不満があったのか、という予想はどうやら間違いらしい。
ならば余計に、どうしてこんなにも。
こんなにも憂いているのだ。
この、綾文弥々という少女は。
「想いを確かめ合った二人は、その後ずっと一緒に暮らす……のですかね」
物語の、その先。
それは作品世界におけるラストシーンのその後、エピローグの更に後の時間軸を指している。
またどうしてそんなことを気にし出すのか、怪訝な顔を櫛夜は弥々に向ける。
「ずるいと思いませんか。なんていうか、フィクションは」
「そりゃ、フィクションなんだから現実とは違う所もさ」
「物語が終わるのって、嫌なことじゃないですか?」
「……終わらない物語の方がないだろうし」
「私たちの現実は、終わらないじゃないですか」
少しだけ逡巡して、櫛夜はしかし正直に答える。
「俺達だって、死んだら終わるだろ」
「いえ、終わらないですよ。櫛夜先輩」
弥々が櫛夜の手を引く。
櫛夜はそれに逆らわず、ただ弥々に合わせて歩く。
日曜の枸杞駅周辺は中々賑わっており、老若男女多くの人がそこら中を行き交っている。
映画を観終わり外に出てきた二人は丁度昼時にぶつかり、その喧騒に紛れて後ろ向きな会話を繰り広げている。
「例えば私が死んだとします。櫛夜先輩からすれば私は終わったわけです」
「まぁ」
「でも私にとってそれは認識出来ないことですよね。終わったかどうか」
「ん……」
ようやく櫛夜にも弥々の言わんとしていることがわかってきた。
本人は、自分が死んだことを自覚できない、それはつまり自分の中で、終わったと認識する脳がないからである、ということか。
「私たちは、安心して終わることも出来ない。なのに物語の彼ら彼女らは、幸せなままで終わることが出来て、羨ましいです」
「……弥々は」
「はい?」
「弥々は、どうしてこの映画を観ようと思ったんだ?」
「そうですね。櫛夜先輩と観たかったから、と、いいますか、櫛夜先輩に、愚痴りたかったから、ですかね」
「おぅ」
「あ、ちゃんと『はぁ』から変えてくれたんですね」
「弥々の前では、な」
「充分ですッ」
ようやくいつもの笑顔をやや見せた弥々に、櫛夜も少しだけ気を落ち着かせる。
落ち着いたついでに手をそっと離す。
若干、弥々から苦い顔をされるも、そこは目を逸らしておく。
後輩の女子と手を繋いでいて(正確には手を引っ張られた状態)で歩くのはやはりなるべく避けておきたい櫛夜である。
今更感が溢れてはいるが。
「で、なんで愚痴りたくなったんだよ?」
「あー、それ聞いちゃいますか?」
「そりゃ、あんな雰囲気で話されたら気にもなるだろ」
「そうですね、そうですよね」
櫛夜は先ほどのテンションではなく、軽めに尋ねる。
弥々もその櫛夜なりの気遣いは受け取り、同じく普段通りの軽い受け答えをする。
この辺りはさすがに空気を読む、良き後輩である。
「ただ、少し難しい、と言いますか。言いづらい話では、あります」
「おぅ」
「いえ……言いづらい、とも違うんですかね」
「なんだよ煮え切らないな」
「私自身、まだ整理できていない、ということですよ櫛夜先輩」
「整理できてない、って、映画観て何を感傷的になってんだって話がか?」
「そこもそうですけど、どうして感傷的になったのか、の部分ですね」
「それ何か違うのか?」
「物語の続きを悲しむことと、なんでそんなことを考えているのか、の違いでしょうか」
「わかる……ようなわからないような」
因果関係、つまり原因結果の違いがあるということか。
と勝手に櫛夜は納得したが、それでも分かる部分と分からない部分がある。
しかし櫛夜の理解は待たず、弥々は話を先に進める。
まぁ確かに弥々が言ったように、弥々の中でも順序立てて話すことは出来ないらしく、途切れ途切れに言葉を紡いでいく。
「えと、私たちは今をこうして生きているわけです」
「だな」
「でも、物語の登場人物は、その世界の、そのどこかにあるかもしれない今を生きて、そして終わるわけです」
「難しいな」
「私もちょっと自分で何言ってるのかよくわかんないですけど、まぁ聞いてください聞き流してください私も話を垂れ流しています」
「そ、そうか」
「とにかく、彼らはもう完全に一つの物語にキャラクターとして組み込まれているんですよね。それはそれは道化の如く」
「道化の意味はちょっとそういうんじゃ」
「櫛夜先輩?」
「おぅ」
「……ちょっと『おぅ』の使い方かっこいいじゃないですか」
櫛夜の素直な反応に毒気を抜かれたのか、弥々の表情も随分と豊かになる。
素直、というよりはただ弥々の突拍子もない会話のテンポについていけていないだけではる。
むしろよく頑張って毎度反応してはいる、と櫛夜は思っている事だろう。
ちなみに広義でいえば、映画や漫画のキャラクターは道化と言えないこともないだろうか。
微妙なところだ。
「台本通りに、盛り上がる所で盛り上がるべくして盛り上がり。そして綺麗に、時には後味悪く幕を下ろします」
「さっきから同じことばっかり言ってるよな」
「あはは、まぁ、そんなところです。台本通りですよね、あの世界は」
「原作の漫画を台本通りと言うのは少し違う気もするけど。弥々が今言ってるニュアンスで話すなら、作者の考える予定通りに、脳内の台本通りに話は進むだろうな」
「ですです」
「ですですって」
「そここそ聞き流してくださいって」
えへへ、という仕草が板についている。
露骨な『かわいい女の子』の立ち振る舞いが櫛夜には眩しい。
「でも私たちの生きているここは、そうじゃない、と思う」
「証明のしようがないけど、たぶん物語ではなさそうだよな」
「ですよね……ですよね?」
「は? いや、だから、証明のしようがないけど、さすがに違うだろ」
自分達の生きているこの世界が、物語の中であるという懸念。
誰もが一度は考えたことがあるのではないだろうか。
もしくは一度はそのような作品に出くわしたことがあるのではないだろうか。
古今東西、と、呼べるほどに普遍的なテーマには成り得てはいないかもしれないが、しかしそのような作品は探してみると意外と多い。
最も分かりやすい形式としては、劇中劇だろう。
劇中劇、劇の中の劇。
現実の世界にいる人『A』が、『○×物語』という作品を鑑賞しているとする。
その『○×物語』に出てくる登場人物『B』は、実は『○×物語』の世界の中で公開されている『△□物語』の『B』役である役者『C』であった。
これが劇中劇である。
もちろんこれは多数のパターンが存在している。
単に高校を舞台とした作品の中であれば、文化祭の劇などが出てくるだろう。
これも立派な劇中劇である。
また、先ほど例に挙げたように、作品で行われていることが劇中劇であることが隠されていることもある。
それは裏設定として語られることもあれば、その設定自体が物語の盛り上がりとして登場することもあれば、最後の最後で明かされることもあろう。
勿論そのパターンは実に多彩であり、文字通り劇であるだけでなく、漫画やゲームの世界の話であった、という構成だけに止まらない。
人の妄想であることもあれば(これは夢オチとして忌み嫌われることもあるがしかし見せ方の問題であろう)電脳世界という設定すら存在する。
あまりに多彩すぎて、一概に表現することは叶わないが、しかし共通するあるテーマがそこにはあると思われる。
簡素に言って、『あるかもしれない』である。
そう、これらの作品は、あるかもしれない、という錯覚を起こしやすい。
起こしやすいだけならまだしも、完全に存在しないと否定できないことも多い。
もちろん、劇中劇そのものが、劇の内容そのものがあるかもしれない、という話ではない。
今ここにいる自分たちが劇中劇であることを否定出来る要素が果たしてあるのだろうか、という疑問に答えは出ない。
胡蝶の夢のように。
自分達を支配している、自分達の世界を創って楽しんでいる存在がいるのではないか。
と、考え出すとかなりど壺に嵌りそうな疑問を抱いてしまう。
感覚的には今いる自分の世界など、疑う余地もないほどに非情な現実である。
だが、世界には科学では解明できない何かがあるような気がしてしまうのも人の性であろう。
例えばあるはずもない何かが見えたような気がしたり。
記憶にない場所に見覚えがあったり。
理論は不明なのに動作する機械が存在していたり。
これらの現象の解明は長くに渡り行われているものの、所詮答えが出るはずもなくこじつけと思い込みから信憑性に乏しい何かに縋ってしまう。
つまりそんな時に思ってしまうわけだ。
この世界において科学では説明できない事象とは、ひょっとしてそもそも、この世界のモノではないのかもしれない。
それで、実は幸せな世界がどこかに広がっているのだ、と。
否定できない以上、それ以上突っ込むことも出来ないのだが。
その、あるかもしれないという思いは潜在的に持っているものである。
時として現実逃避の手段にすら成り得る、危険な考えと定義することも出来てしまう所がやはり虚実の難しい所か。
「そうですよねー。まぁ私もさすがにないとは思うんですが」
「……そうとしか思えない事でもあるのか? それともそう思っていたいような事でも」
「また絶妙に微妙な質問ですねぇ」
「両方、か?」
もちろん櫛夜も半信半疑である。
一体弥々が、何を考えてこんな話を振っているのか。
ただ映画の選定理由を聞くだけのつもりが思わぬ爆弾を抱えてしまった印象である。
二人して喧騒に紛れていたが、不意に弥々が無言で指を指した。
その先を見れば、高校生が入るには落ち着いた雰囲気が漂うカフェが佇んでいた。
入りたい、ということか。
映画を観た後ということで、ご飯時としては丁度良いだろう。
中に入るとレトロで洒落た概観に、まさしく絵に描いたような老紳士風なマスターの姿が溶けている。
駅前の雑踏からは隔離された空間に櫛夜も感嘆の息を漏らす。
「こんな雰囲気の店があったんだな」
「櫛夜先輩は知るわけがなさそうですよね。そもそも枸杞駅に遊びに来ないんじゃないですか」
「否定はしない」
「まぁここは、騒ぎ立てたいお年頃の高校生だとちょっと興味ない子が多いかもしれませんね」
「まさに、弥々なんかは来なさそうな印象だけどな」
「だから今日来てるんですよ」
「お、おぅ」
「やっぱ『おぅ』の汎用性が高いですね……」
「なんでそこに感動してるんだよ……」
櫛夜はオリジナルブレンドコーヒーをブラックで、弥々はアイスティーを頼んだ。
弥々が小食なので、という名目で、パスタを二人でシェアすることにして小皿に綺麗に取り分けた。
得てして洒落たカフェは割高であることが多いので、その提案には櫛夜もすぐに乗っかった。
食べながら会話するということはせず、まずはパスタをしっかり味わいながら食べきってしまう。
どうやら小食であることは嘘ではないらしく、弥々は随分と時間をかけて食べていた。
二人とも食べきって、食後の弛緩した間を感じ、櫛夜は話を戻す。
「で、両方なのか?」
「なんでしたっけ?」
「物語がどうこうって話で、自分たちの世界も誰かの描いた物語だったりするのか、とか」
「そうでしたね。はい」
ふぅ、と櫛夜はコーヒーをまた一口飲む。
苦くも味わい深い香りが口に広がる。
「おかしいと思いませんか?」
「……何が?」
「今、この状況です」
「は、弥々が俺を呼んだんだろ」
「そうではありません。それもそうではあるんですけど」
「そうばっかりでわからん。何が言いたいんだ?」
「この状況ですよ。今この瞬間です」
「だから、二人でいることじゃないなら」
「私と、櫛夜先輩は、まだ出会ってから、五日とかですよ」
「……だな」
「たった五日です。私も櫛夜先輩の事なんて知らないし、櫛夜先輩も私の事なんて知りません」
この知っている、知らない、とは、互いの内側まで、ということだろう。
もちろん知らない。
「でも、そうですね、ハッキリ言ってですね」
「おぅ」
弥々が顔を赤らめる。
耳まで真っ赤にして櫛夜を上目遣いで見る。
「あれからますます、というか、ハッキリと櫛夜先輩のこと好きになっちゃったみたい、ですッ」
「お……ぅ」
急な告白に櫛夜は言葉を失う。
互いに恥ずかしがる初々しいカップルのように黙り、そして弥々が続きを口にする。
「私は、これは、この気持ちは本物だと思っています」
「そうか」
「だって、自分がこんなになっちゃうなんて初めてで、だから、本当に、す、好きなんだと思うんです」
恥ずかしい話を聞くのも恥ずかしいわけだが、なんとか櫛夜は頭を回転させていく。
先ほどまでの弥々の様子から察するにただの告白ではないはずだ。
それに、本物、という言葉。
ならば、気持ちが偽物かもしれないという懸念があるはずで。
どう繋がるというのだ。
「でも」
「でも?」
「たったの五日で、こんな気持ちになるのが、おかしいと言いたい、わけではないんですケド」
「まぁ、そりゃあ」
恋愛感情に時間は関係ない。
とはいえ、確かに一週間程度の気持ちが強いものであることを認めたくないのも人の性である。
「あ、違うんです。この気持ちが弱い、とか、薄い、とかではない、んだと思います」
「……説明が遠まわしすぎる。結局何が言いたいんだ?」
「えーと、ですね……そうですね、言いたいことは、言わないとですよね」
弥々はそれでもまだ少しだけ「うーん」と悩み、アイスティーをちう、と飲んでから答えた。
「櫛夜先輩、私たち、何か、誰かに操られてはいないですか?」
「はぁ」
「それは禁止ですッ」
「おぅ」
「この際、ちょっと私自身の気持ちが本物かどうかとかそういうことは置いておきます本物ですけど」
「おぅ」
「連発も駄目ですッ」
「世知辛いな」
「私たち、私は綾お姉ちゃんに誘われて生徒会に入りましたそして櫛夜先輩も同じく」
「そうだな」
「それで、櫛夜先輩に突っかかって」
「脅してな」
「好きになって、あとたまたま櫛夜先輩はジャンケンにも勝って」
「たまたまな」
「でも見てると櫛夜先輩は奏音先輩ともなんだかすぐに仲良くなっていて」
「ほ、補佐だし」
「そもそも全然生徒会との繋がりもなかったのに櫛夜先輩はどうして綾お姉ちゃんに誘われたのかも不思議ですし」
「さぁ」
「ま、意外と仕事は出来るみたいですが」
「褒め言葉、だよな」
「もちろんですです。そのことはみもりも詩織も不思議がってましたよ」
「森崎なんか、変です、って言ってたもんな」
「そんな櫛夜先輩とこうして、デートしてるわけですが。これらの出来事が、全て、一週間のうちに起きてるわけですよ」
「そうだな。かなり疲れる一週間だったよ」
「だから、これは、おかしくないですか?」
「何が?」
「全部、上手くいきすぎているように思うんです」
「でも」
「誰かに操られていませんか、これ?」
「そんなことないだろ。これくらい、普通に」
「ジャンケンだって、あの人数で、櫛夜先輩の一人勝ちなんておかしいです」
「おかしくはないって。それくらい大した確率じゃあ」
「大した確率ですッ!!」
弥々が珍しく声を少し張り上げた。
店内に大きく響く。
少しだけ嗜めるような視線を受けて、弥々も落ち着く。
「ねぇ、櫛夜先輩、私たちは、誰かの紡ぐ物語の上で転がされてはいないですか」
「私たちは、本当に心から今を楽しんでいますかね」
「私、どうしてですかね。全然、今日は楽しかったのに、ものすごく幸せな気持ちのはずなのに」
「ずっと、今朝会った時からずっと、変なんです」
「だって、櫛夜先輩とこうしてデートに来るのが、初めてに思えないんです」
「ここに来るのが、当たり前のように、そうすべきだって思ってしまうんです」
「ねぇ、櫛夜先輩、私は」
「私は本当に、ここに生きていますか?」
「劇中劇のようでないと言うのなら」
「あるいは」
「私たちは、一度、この世界を経験してはいないですか?」
「私たち、同じ時間を繰り返していませんか?」
少女の吐露した想いが刺さる。
それは、虚構への不安であったために。
現実に生きる櫛夜には、何も言えることはなかった。




