待ち合わせb
目覚まし時計が爽やかな朝を演出する。
早起きがそれほど苦手ではない櫛夜は、実はカーテン越しに届く柔らかな日の光で意識そのものは覚醒しているのだが、早く起きすぎても仕方がないので目覚ましが鳴るまでは目を瞑って横になっている。
それは休日である今日でも例外ではない。
ごくごく普通に売っているアナログ式の目覚まし時計がいつも通りジリリリと鳴り響き、それをすぐに櫛夜は止める。
世の中には目覚まし時計の音で目を覚まし、きちんと時計を止めたにも関わらず二度寝を始めてしまう人も多いそうだが、櫛咲家ではその様子は見られない。
それほど広くはないマンションの一室に二人で暮らす櫛夜とその姉はよく片付いた和室に布団を並べて寝ている。
櫛夜の姉もまた、朝は強い方らしく、休日でも櫛夜と共に平日と変わらぬ時間には必ず起きている。
「んーっ、おはよ。櫛夜くん」
「おはよ。姉さん」
寝癖でぼさぼさの髪だけを見れば随分ひどい有様の姉であるが、挨拶はしゃきっとしたものだ。
そしてそんな風に思っている櫛夜もまた、髪がぴょんとはねている。
今日は日曜日である。
思い返すと、恐ろしい一週間であった。
月曜日、綾に生徒会に誘われた。
火曜日、綾に推薦され生徒会役員になった、ついでに弥々に脅された。
水曜日、弥々に告白もどきをされた、ついでに奏音にジャンケンで負けた。
木曜日、綾にもジャンケンで負けた、奏音とも少し話をした。
金曜日、ジャンケンで生徒会役員全員に勝った。
いやはや、列挙するだけでもこれだけのことが起きた一週間とは密すぎるだろう。
確かに人付き合いの少なかった櫛夜でなくともこれは中々に疲れるだろう。
ちなみに土曜日は幸魂高校では午前授業があり、午後は部活や委員会、補講などにあてがわれている。
櫛夜もそんなわけで土曜日(昨日だ)は普通に生徒会役員として、会長補佐として奏音の仕事の手伝いに回っていた。
平日には時間のとりづらい生徒会は土曜日こそ本番、とばかりに本気で動いていた。
平日、資料整理を中心に行っていたのはこのためか、と櫛夜が思わず納得してしまうほど。
弥々、みもり、詩織の一年生トリオが若干引くほどに。
皆々勢いよく進めていた。
資料整理だけでなく、ジャンケンによる新競技の決定も金曜日に行った理由も次の土曜にすぐ動けるように、ということもあったのかもしれない。
まずは男女の新競技を含めた体育祭の企画書の作成。
そこには今更行う必要もなさそうな各種目ルールの明文化、タイムスケジュール、保護者応援席の確保などが当然含まれる。
企画書を教員に見せ許可を貰う必要は当然あるものの、それを待ってから生徒に伝える準備をするのでは遅いため、各クラスの体育祭実行委員にプリントで手配する準備も同時に行う。
さらに地域との密着、ということで体育祭の日程を周辺の住民に軽く伝えておくことも忘れてはならない。
近々地域清掃も執り行われるので、その持ち場の割り振り、ごみ袋や軍手等必要な用具の残数の確認も必要だろう。
などなど。
その他もろもろ。
生徒会は全開で動き始めていた。
そういう意味で土曜日は一番櫛夜ら役員初年度組にとってかなりてんやわんやした日となっていた。
そんな怒涛の一週間を駆け抜けた櫛夜としてはようやくの休みを是非とも堪能したいところなのだが。
そうは問屋が卸さない。
というようなことでもないのだが。
高校生男子としては健全極まりない用事があるだけであり、普通にその話を聞いた他人は十中八九羨望の眼差しを向けることだろう。
所謂男女の逢引きである。
今風に呼べば、デート、だ。
櫛夜は弥々に手紙でデートに誘われている。
それが今日だ。
午前十時に枸杞駅に集合せよ、とのことらしい。
櫛夜の住むマンションからこの枸杞駅はそれほど遠くはないが、しかし近くもなく、家から最寄駅へ歩き、電車に揺られることを考慮すると一時間弱はかかるだろう。
まぁ起きた時点ではまだ六時半なので時間に余裕はあるのでそれは大した問題ではない。
問題なのは、デートそのものである。
デートが問題である、とは、中々贅沢な悩みであろう。
しかし一概に喜ばしいことであると言いづらい面があることも事実である。
確かに、基本可愛らしい後輩に誘われてしまった、こんなことの何が喜ばしくないのだという声も聞こえてくるので多少なり櫛夜の想いを弁解しておこう。
まずもって、怖い。
…………。
怖くない方が可笑しいというものであろう。
つい先日、本気で脅されたばかりなのだ。
怖くない、と言えば嘘になろう。
また、弥々の想いはものすごく、振り幅が大きい。
恋愛、という感情を持つのが初めてである、と弥々は言っていた。
そのためなのかどうか不明だが、弥々は脅すほどに嫌った相手に甘えだす、と負の感情も正の感情も一気に振り切っている。
そんな強い気持ちをぶつけられるのは、非常に危ない事である。
大きな感情にぶつかるためには、こちら側も本気でなければならない。
そうでなければ、暴走した感情は行き場を失い、最悪の場合、何かを傷つけてしまうかもしれない。
櫛夜は思うのだ。
例えばそれが自分の目の前で起きたとして、相手が自分を傷つけるようならそれも構わないが、相手が自分自身を傷つけてしまうような様は、見たくない、と。
そんなわけで、様々な思惑もあり、結果として櫛夜は弥々を放っておくわけにはいかない。
なお綾による監視が付くであろうという事実は櫛夜は頭から消し去ることにしている。
仲の良い姉妹の域を超える何か名状しがたい関係な二人のことは櫛夜の管轄外である。
そう思いたい。
「今日は、なんだっけ。デートなんだっけ?」
櫛夜とその姉、朝ご飯を二人机を挟んで向かい合いつつ食べていると唐突に話を振ってきた。
元々櫛夜と違いハキハキとよく喋る姉であるが、しかし今問題なのはそこではない。
「……なんで知ってる?」
「え、なんかお呼び出しのラブレター貰ってたし」
「だからなんで知って」
「普通に机の上に置いてあったし」
「あぁ、そりゃそうか……ん? いやあれ普通にしまったような」
「どっちでもいいでしょ。弟が手紙を捨てずにいたらそれはデートだよ」
「お、おぅ」
「で、どうなのさ」
「デートだよ。彼女じゃないけど」
「やだなぁ櫛夜くん女たらしはよくないよ?」
「色々あるんだよ」
「そかそか」
楽しそうな姉に反比例するようにテンションの下がる櫛夜である。
姉もこの辺りどこまでもぐいぐい聞いてくることはなく、言わなかったことについては、それ以上聞かない。
コミュニケーション能力の高い姉は、人が話したくないと考えている事や面倒だと考えている事を正確に察することが出来る。
もちろんここでの能力とは、櫛夜の持つ不思議な力、という意味ではなく単に人としての才能という意味である。
「じゃ、あんまりないけど、出来る限りおしゃれしなきゃね」
「そんな」
「駄目だよ女の子は櫛夜くんが思っているよりもずうっとずうっと頑張っておしゃれを勉強してその時の一番かわいい自分を相手に見て貰いにデートに向かうんだから」
「そ、そうなのか?」
「そうだよ。だから愛用してる安いけど生地がしっかりしている某洋服メーカーさんのはNG」
「駄目なのか」
「駄目だね。服としてとか意外とおしゃれとかそういうことじゃあなくって、やる気がないと思わせるのが駄目」
「やる気ってなぁ」
いまいち要領を得ない櫛夜を見て、姉がより饒舌になる。
「あのね、櫛夜くんは今、高校生だね」
「二年生だな」
「だから、お金がないことは誰でもよく知っている」
「誰でもかはわからないけど、そりゃあ、まぁ」
「だけどさ、デートというか、恋人付き合いってものはお金が結構かかるでしょ」
「付き合ったことはないけど、だろうなぁ」
「うん、だけど、二人でご飯を食べるのにファミレスってわけにもいかないでしょ?」
「……うん?」
「うん?」
間。
櫛夜は疑問に首を傾げ。
姉は衝撃に肩を落とした。
「あのね櫛夜くん、そりゃ絶対とは言わないよ。現実問題お金がないもの。でも、299円とドリンクバーで済むのは普通友達とだけだよ」
「そ、そうなのか」
実際そんなこともないとは思うが、櫛夜にはきちんと育って欲しいという思いから多少は強めに話を進める姉である。
それに事実、安いファミレスに行くことを認めることとその内なる感情は一致していない。
「仕方なしにファミレスに入るにしたって、高校生にはそれでも大きな出費でしょ」
「まぁ、確かに」
「それで、ただ遊ぶのにだってお金はかかるでしょどこ行くにしても。散歩だって、少なくとも交通費はかかる」
「かかるな」
「そして記念日ともなれば、お年玉を使う勢いでプレゼントを買うでしょう」
「そこはケチったらよくないもんな」
「つまりね」
「つまり?」
「中学生高校生の女の子は、洋服に一番気を遣うのよ」
「はぁ?」
さっぱりわからん、という櫛夜が首を傾げ。
さっぱり駄目な弟に姉は肩を落とした。
「いい? 今話したモノって全部、デート当日に目に見えるでしょ?」
「目に見える、って、あー、交通費は当然、遊んだりご飯食べるならその場で使うし、プレゼントは値段は互いに気にしないのがマナーだとは思うけど物はそこで受け取るもんな」
「そういうこと。でも、そういうものに該当しないのが、洋服なわけ」
「そう、なる、かな」
「もちろん買い物してそのまま着るってこともあるけど、高校生でそれは珍しいでしょ」
「少なくとも普通の男子じゃないだろうな」
「だから、その場で価値が目に見えない、ううん見えづらい洋服で相手の本気度を測ってるんだよ」
「そんな、面倒なことを」
「逆に言えば、自分の本気度もそこに出るんだよ。『今日はもうこれでいいかなー別に気がある人がいるわけでもないし』とかってね」
「はぁ」
「しかも中高生は普段制服で接してるから私服を見る機会って少ないでしょ?」
「見ないな、しばらく知人の私服を見ていない」
「そこで友達の四音が出てこない櫛夜くんが異常なのは自覚しておいて欲しいものだよ」
「とにかくまとめると、珍しく見る私服がやる気ないと、女子的には幻滅しやすいと」
「うん、ひとまずまとめには合格点をあげよう」
「よかった」
姉から合格点を貰い、特に嬉しそうでもない返事を適当に返す櫛夜である。
姉としてはこの合格点はかなりの温情からのぎりぎり滑り込み繰り上げの合格なのだが。
櫛夜には恋人はおろか友達がろくにいないのである。
いつからそんな風になってしまったのか、姉としては弟が心配である。
そしてそんな弟が女の子と二人で遊ぶというのだから余計心配である。
だがそれも人生経験と、軽く流して、もう少しだけ心構えの部分だけ確認しておく。
「ちゃんと遅くならないうちに帰ってくるんだよ」
「大丈夫だって」
「家まで行かなくてもいいから、最寄駅くらいまでは送っていくんだよ」
「はいはい」
「待ち合わせ時間に遅刻したら土下座して詫びてきなさい」
「ど、土下座ですか」
「そ、土下座」
「お、遅れないようにします」
「よろしい」
姉はそこまで言って、丁度ご飯を食べ終えた。
「ごちそうさまでした」
言って、櫛夜を待たずにさっさと食器を片づける。
「まだ時間はあるし、なるべくきちんとした格好で行ってきてよ」
「ん」
その後櫛夜は、胸に刻んだ姉の心からのアドバイスを思い返しつつ、自分なりに服を選んだ。
その作業は決して簡単なものではなかったが、とりあえず櫛夜なりには本気で考えた。
姉に感謝しつつ、櫛夜は待ち合わせ場所の枸杞駅に向けて早めに動き出した。
「櫛夜先輩遅いですッ!」
「なん、だと」
「一時間前行動は基本です」
「いや十五分前だって十分早いだろ」
「いいですか、男性は女性よりも早く来なくてはなりません。女性よりも遅ければそれは遅刻なのです」
「なんだその謎理論は」
「謎理論ではありません。光華揺れる気ままな乙女心です」
「頼むから日本語で喋ってくれ」
「櫛夜先輩こそ常識で行動してください」
「常識を疑え常識を。たぶんそれ綾文家でしか通用してないぞ」
「え、いえ。綾お姉ちゃんとは家から一緒に出掛けますし」
「それは知ってるよ……なんで人との待ち合わせの例が姉なんだよ家族なのに遊びに行くの待ち合わせてたら怖いっつの」
「……それありかもですね」
「参考にするなやめろ」
「とにかく、次は私よりちゃんと早く来てくださいよ」
「……次?」
「なんですか?」
「い、いや、なんでもない」
「で、どうですか?」
「どう、って……あ、あぁ、えと、いいんじゃないか? すごく」
「なんですかそれ」
「いや、それ以上の言葉が出ない」
「櫛夜先輩。まずは、私が何について、どうですかと発言したかは理解していますか?」
「おぅ、服だろ?」
「あぁそこはまぁ、さすがに大丈夫でしたか」
「何を試されてるのかわからないが、俺にだってそのくらい察するだけの気配りは出来るさ」
「なんとなくお姉さんに何か乙女心について叩き込まれた結果、という気もするんですが」
「そ、んなことはない断じて一切少しも」
「ひどい否定の仕方ですね……それで、私の私服は、どうなんですか櫛夜先輩?」
「だから、いいんじゃないか」
「どこが?」
「どこが?」
「ええ、どの辺がいいんですか?」
「おしゃれ、な、ところ?」
「櫛夜先輩ちょっと歯食いしばってもらっていいですかぁ?」
と、楽しく出会いがしらの会話を満喫する二人。
もちろん櫛夜と弥々である。
テンポよく話を弾ませる二人はそのままの調子でおよそ三十分近くは意味のない雑談に興じることとなる。
弥々はこの時間で櫛夜を質問の嵐に巻き込み。
櫛夜は姉に言われたこと以上の事には何一つ対処できず(言われていた服についてすらこの程度の返答しか用意できなかったわけだが)にいた。
ちなみに弥々は白のワンピースに身を包んでいる。
櫛夜の第一印象では弥々は今風の女の子、であった。
そんなわけで、正直櫛夜の予想では、名前も知らないような何かジャラジャラしたものでめかし込んで来るはずだった。
全く適当極まりない櫛夜の予想ではあるが。
当然のごとく、雑多な櫛夜の思惑は掠ることすらなく外れ弥々は白一色に染まっている。
春の心地よい風にひらりと舞い、柔らかな日差しを照り返している。
全体的に真面目で堅い印象を持つ幸魂高校においては比較的ラフにおしゃれをしている弥々だが、いざ私服になればそれは違和感ではなくはっきりと魅力として映っている。
ワンピースは膝上までしか伸びておらず、歩く度に、あるいは櫛夜に対して身振りを加えて茶々を入れると裾が揺れてしまうため、櫛夜は中々目の置き所がない。
強いて言えば、胸を強調するものでなかったのが救いだろうか。
袖はしかし肘を隠すくらいはあり、春といえども夜はやや冷え込むことは想定済みなのだろう。
その胸元には装飾としてリボンがあてがわれており、弥々としては割と櫛夜でも指摘できる箇所が分かりやすい服をチョイスしてきたつもりである、はずである。
白いワンピースから覗く肌は負けじと白く、透明感が増している。
普段はカールさせて下ろしている髪も、今日はサイドで一つに縛っている。
髪を縛るゴムにも兎をモチーフにした白色のアクセサリが付いている。
これだけの用意をしたにも関わらず何も言えない櫛夜に呆れることもなく、弥々はやりとりを楽しんでいた。
曰く、
「櫛夜先輩いじめるのって楽しいですよね」
ということらしい。
別にマゾヒストな気質のない櫛夜には迷惑で失礼な言いようだが、弥々が勝手に考えているだけなので櫛夜にどうすることも出来ない。
ついでに言えば、いじめているつもりは無いのかもしれないが、今回弥々の話についていけなかった櫛夜が悪いという見方が強いためむしろ櫛夜が後輩いじめをしているという説もある。
「はいはい、じゃあ行きますよ櫛夜先輩」
「そういえば、結局今日はどこ行くんだ?」
弥々からはただ、集合時間と場所を指定されただけである。
これからどこに行くつもりなのか、櫛夜は全く知らされてはいない。
弥々は、何一つ顔色を変えずに。
「内緒ですッ」
いつも通りのテンションで返事をして。
そして自然と櫛夜の手を取り、歩き出した。
「お、おい」
「だから、ちゃんと手を離さずに、付いて来て下さいね?」
弥々が悪戯っ子のように笑い。
櫛夜は父親のように苦笑い。
二人はゆっくりと、しかしテンションは高く、歩き出した。




