第25話:摩天楼のバディ、1.5メートルの異邦人
黄色いキャブのけたたましいクラクションと、多国籍な群衆の話し声が、マンハッタンの乾いた秋風に混じって鼓膜を震わせる。
大和重工の自社製偽装ロンダリングの闇を暴き、ネオ・ロボティクス日本支社を強制解体へと追い込んでから数週間。 桐生カレンとシオンは、インターポール(ICPO)との合同タスクフォースとして、ニューヨークの地に降り立っていた。
目的はただ一つ。 父の開発した超自律型AIの悪用を阻止するため、そのオリジナルデータを握る総本山「ネオ・ロボティクス本社」を完全に社会から解体すること。
「……はぁ」
カレンはこっそりとため息を漏らし、制服の襟元を正した。
時差ボケによる慢性的な寝不足、合わないアメリカンサイズの油っこい食事、そして日本とは異なる規格の、体に馴染まない支給装備。 さらに、かつて両親と相棒を奪った「ネオ・ロボティクス」の本社が同じ街にあるという無言のプレッシャーが、カレンの肉体と精神をじわじわと摩耗させていた。
焦りからくる呼吸の浅さを、隣を歩く鋼鉄のバディに悟られまいと、彼女はわざと早足で歩く。
ガシャッ、ガシャッ、と規則正しい重厚な金属音の足音がカレンの真横にぴったりと寄り添う。
100キロの中空チタンフレームで構成されたシオンの強固なボディは、異国の摩天楼の影にあっても、微塵の揺らぎも見せず、寸分のブレもない端正な歩調でカレンに付き従っていた。
『カレン刑事。歩行速度ノ、急激ナ、上昇ヲ、検知。バイタルスキャン:心拍数ノ、著シイ、乱レ、並ビニ、呼吸深度ノ、低下、アリ。休息ヲ、推奨シマス』
スピーカーから響くのは、一切の抑揚を排した、極限までフラットで無機質な機械音声。 摩天楼の雑踏に溶け込みながらも、シオンは完璧に統制された「警察の盾」としての役割を遂行していた。
「……平気よ。ただの時差ボケ。それより、次の警戒エリアの座標を送って」
カレンは張り詰めた声を返し、シオンの青いセンサーアイを避けるように前を見据えた。
(カレン、無理すんなって……。目の下にクマができてる。日本とは空気も水も違うんだ、そんなに自分を追い詰めたら身体が保たないよ……)
シオンの冷徹な鉄面の奥、新しくなった電子の脳の奥底で、ユウキの魂は、気弱に、けれど必死に相棒の体調を気遣ってじたばたしていた。
夕刻。 二人はマンハッタンの一角にある、天童湊の会社が構えるアーク・システムズのニューヨークオフィスである「先端技術研究ラボ」にいた。
日本にいる天童がネットワーク経由でシオンの精密スキャンとフレーム調整を行う、異国での唯一の安全なセーフハウスだ。
「カレンさん、お疲れ様です。冷たいお水、どうぞ」
声をかけたのは、オフィスで機材整理や事務のアルバイトをしている日本人留学生の大学生、ハルカだった。 彼女は年齢の割に非常に落ち着いた雰囲気をまとっており、威圧感のあるシオンの巨躯にも物怖じしない。
「ありがとう、ハルカちゃん……」
カレンは紙コップの水を受け取り、一口喉に流し込んだ。 冷たさが頭の芯の熱を少しだけ冷ましてくれたが、慢性的な疲労感までは消えない。
「あまり無理しないでくださいね。何か手伝えることがあれば、いつでも言ってください」
「ええ、ありがとう。……少し、時差ボケが抜けないだけだから、大丈夫よ」
カレンは努めて穏やかに微笑み返したが、その声には隠しきれない硬さがあった。 ハルカはそれ以上深くは踏み込まず、ただ静かに頷いて自分の事務机へと戻っていった。
(ハルカちゃん、いい子だな……。ニューヨークに一人で留学して、バイトまでこなして。……それに比べて俺は、カレンの隣にいながら、気の利いた言葉をかけることも、その焦りを和らげてやることもできない……)
壁際に直立不動で佇むシオンの、その冷たい胸の奥で、ユウキは不器用なロボットとしての歯がゆさを抱きながら、ただ目の前の相棒をじっと見守っていた。
だが、安らぎの時間は長くは続かなかった。
ピピピッ、とカレンの受信端末から鋭い警告音が響き、画面が赤く明滅した。 ハドソン川沿いの廃コンテナヤードにて、不審なドローンが徘徊しているのを目撃したという通報が入り、現地タスクフォースへ現場確認の急行要請が入ったのだ。
「シオン、緊急出動よ」
『了解、カレン刑事。直チニ、追跡、開始シマス』
カレンは、無期限の停職処分の決定が下された際に一度自身の手を離れた愛銃と、米国での任務に必要な真新しい警察バッジを手に取り、ラボを飛び出した。 シオンの青い瞳が、暗闇の中で鋭い光を放ち、その後に続く。
現場は、濡れたコンクリートが冷たく月光を反射する、人気の途絶えたコンテナ埠頭。 カレンとシオンはコンテナの物陰に身を潜め、静かにヤードの奥へと歩みを進め、偵察を開始した。
巨大なコンテナの隙間から、カレンは息を潜めて前方を窺う。
ヤードの頭上やコンテナの影を、赤いセンサーアイを不気味に明滅させる、未登録の四足歩行型高速戦闘ドローン三体が、警戒パトロールのために静かに徘徊していた。
メーカーを示す刻印も、製品登録コードの識別子も一切存在しない、全身をマットな黒い特殊装甲で固めた異様なフォルム。 だが、その無駄のない駆動部の構造と、装甲がまとう独特のステルス素材の質感は、かつて日本でカレンを執拗に襲ったネオ社の暗殺ロボットの技術を強く想起させた。
(あの不気味な機動と装甲のステルス素材……。かつて日本で私を襲ったネオ社の暗殺ロボットの技術と酷似している。ネオ社は表向きクリーンな大企業を装いながら、裏ではマフィアに非合法にロボットを提供しているかもしれない……!?)
通報があったのは間違いなくこのドローンだ。カレンは息を潜め、この不自然に厳重な警戒網のさらに奥へと視線を巡らせた。
コンテナヤードの最も奥まった場所で、不気味なロングコートを羽織ったマフィアと思われる男たちと、高級なスーツに身を包んだ男が、複数の頑丈なアタッシュケースを開け、不穏な取引を行っていた。
ケースの中に整然と並べられているのは、高出力の電磁銃や、最新型の電子信管といった非合法な兵器群だった。やはり、裏社会の闇取引が行われているのだ。
「現行犯で押さえるわ。シオン、突撃よ!」
カレンが銃の撃鉄を起こそうとした瞬間、シオンの静かなスピーカーが冷徹な電子音を紡いだ。
『警告、カレン刑事。敵戦力、並ビニ、未登録戦闘兵器三体ノ、存在ヲ、確認。現地警察、並ビニタスクトフォースヘノ、応援要請、並ビニ、支援待機ヲ、提案シマス』
「応援を待っていたら、取引を終えて逃げられてしまうわ! 今ここで押さえるしかないの。行くわよ、シオン!」
『了解、カレン刑事。直チニ、突入、並ビニ、援護ヲ、開始シマス』
カレンはシオンの合理的な進言を焦燥で拒絶し、物陰から一気に飛び出し、取引の最中である男たちへ向けて銃を構えた。
「NYPDよ、全員動くな!」
その凛とした叫び声に、取引現場は一瞬にして騒然となった。 マフィアたちは慌ててアタッシュケースを抱えて逃走を図り、スーツ姿の男は懐の通信端末を狂ったように操作した。
「やれ! 警察を消せ!」
その命令に呼応し、周囲を徘徊していた三体の未登録ドローンが一斉に方向転換する。 路地を塞ぐように現れた鉄の獣たちが、一斉にカレンたちへと牙を剥いた。
「来るわよ!」
カレンは銃を構えるが、やはり蓄積した疲労とプレッシャーから、呼吸が浅く、身体に不自然な硬さがあった。
ユウキの頭脳とリンクしたシオンの電子の脳は、敵の弾道予測や最適な回避座標をコンマミリ秒単位で演算し、カレンへと伝えることができる。 だが、それを受け取るカレン自身の心身が万全でなければ、シオンの超高速の演算指示に肉体と同調して動くことはできない。
かつて日本での極限の包囲戦で見せた、神がかった連携。 あれはカレンが死を覚悟した際の、驚異的な集中力によって生み出された奇跡的な同調現象だったのではないか――そう推測した天才技術者・天童湊の仮説に基づき、アーク・システムズでの調整の際、シオンのシステムには二人の「精神的同調率(シンクロ率)」をリアルタイムで計測・可視化する機能が追加されていた。
だが、現在のシオンの視界に表示された同調率は、わずか「15%」という、目を疑うほど壊滅的な低さだった。 度重なる異国のストレスと張り詰めた焦燥により、カレンの心身状況は最悪に近く、シオンの超高速演算にその肉体が全く同調できていないのだ。
『危険、デス。右側、三秒後、格闘突進、アリ。カレン刑事、左斜メ後方ヘ、回避シテクダサイ!』
シオンの脳内プロセッサーが弾き出した、完璧な先回り回避指示。 しかし、シンクロ率が低下しているカレンの肉体は、その指示にコンマ数秒、どうしても追いつかなかった。
「しまっ――」
突進してきたドローンのチタンプレスが、避ける間もなくカレンの眼前へと迫る。
――距離、速度、回避猶予。
(カレンに当てさせるかよ!!!)
ユウキの魂が叫ぶと同時に、物理法則を無視した圧倒的な踏み込みで、シオンの100キロの強固なフレームが、カレンの前に滑り込んだ。
ズドォォォン!!!
凄まじい衝撃音が埠頭に響き渡る。 シオンは自らの左肩の装甲でドローンの強力な体当たりをまともに受け止め、カレンを守るための「物理的な盾」となった。 火花が激しく散り、シオンの関節部から悲痛な電気ノイズが漏れる。
「シオン……!?」
『警告。左肩駆動系、一時的、過負荷。問題、ナシ。空間スキャン、継続。……敵ノ、第二波、来マス』
かすれた音声合成ノイズを吐き出しながらも、シオンは一歩も退かずにカレンの前に立ち塞がった。 その鋼鉄の背中は、どれほど自分のフレームが軋もうとも、彼女を絶対に傷つけさせないという「誓い」そのものだった。
「……私のせいね。ごめん、シオン。でも、もう遅れはしない!」
傷ついたバディの背中を見て、カレンは必死に焦燥を抑え込み、愛銃の照準を合わせようとする。 だが、焦れば焦るほど呼吸はさらに浅くなり、シオンの視界に表示されたシンクロ率のインジケーターは、無情にも10%台の低空飛行をさまよったままだ。
『警告。同調率ノ、回復ヲ、検知セズ。カレン刑事、無理ナ、戦闘行動ハ、避ケテクダサイ』
シオンは自らの左肩から火花と微かなオイルを散らしながら、身を挺して敵ドローンの突進をさらに防ぎ止める。 しかし、本来の驚異的な連携を発揮できない二人は、ドローン三体の猛攻を凌ぎ、退けるだけで精一杯だった。
激しい火花を散らしながら、シオンが身を挺して三体の猛攻を防ぎ止めていた、まさにその時。 コンテナヤードの最奥から、けたたましいボートのエンジン音が響き渡った。
「……逃げられた……っ!」
カレンが焦燥に駆られ、コンテナの隙間から駆け寄ろうとした瞬間。 アタッシュケースを抱えたマフィアたちとスーツ姿の男を乗せた密輸ボートが、漆黒のハドソン川へと急速に滑り出していった。
それと同時に、カレンたちを執拗に足止めしていた三体の未登録ドローンも、戦闘を急停止した。 彼らはまるで回収されるかのように自律飛行でボートの甲板へと退避し、夜の闇の中へと完全に消え去っていった。
現場に残されたのは、証拠となるドローンの残骸すら一切ない、ただの静まり返った空っぽ の コンテナ埠頭。 そして、左肩から痛々しいオイルを漏らし、電気ノイズを軋ませるシオンの姿だけだった。
任務、失敗。 現行犯逮捕のチャンスを逃し、密輸された兵器の回収もできず、バディを傷つけた。
異国の地での、あまりにも手痛い、初めての敗北。 その冷酷な現実が、カレンの心に暗い影を落とす。




