2話
少年はもう一度口を開いた。
「頼むよ……誰か俺に剣を教えてよ……」
声は低く。少年の指先が白くなるほど強く握られている。
バルトルドが少年の正面に立つ。
「……やめとけ」
巌のような巨漢が少年の覚悟の前に立ち塞がる。
「仇討ちをするんだといって、剣を持った若者を何人も見てきた。そのほとんどが途中で死んだ。成功してもそのまま抜け殻みたいになってどこかに行った奴もいる。力の目的が、復讐の奴ってのはどこかでおかしくなる」
少年は顔を上げたままなにも答えなかった。バルトルドの言葉が少年に届いたかは、固く握られた手と唇が証明している。
セシルが横から静かに言った。
「復讐は何も生みませんよ」
セシルはそう言いながら、この言葉で止まった例をほとんど知らないことをわかっていた。
「それでも、俺がやるんだ……!」
少年の意志は固く、どれだけ諭されようと折れる様子はない。
周囲の冒険者たちは顔を見合わせてバツの悪そうな顔をしている。
同情もしているが、よくある話でもある。
そして自分たちがリスクを背負うほどの悲劇でもない。
剣を教えようとするものは出ない。
カップを置き直す音だけがギルド内に響いた。
教える者など最初からいないのだ。
ただ少年が可哀想だな、と。かつてのこうやって死んでいった者たちがいたな、と。
少年を通して過去を見ているだけだった。
その沈黙を、壁際から破る声がした。
「……へへっ」
カイムが席を立つ。杖に体重を預けたまま、ゆっくり近づいてくる。猫背の影が床を長く横切った。
「教えてやろうかい、あんた」
少年がカイムの方を見た。
バルトルドの眉が動く。
「お前が、か?」
「ええ、オレでよければ教えますぜ」
カイムは肩をすくめた。へへっと喉の奥で笑う。
セシルが身を乗り出した。
「カイムさん、今はそういう話をする場面では……」
「まあ、そういいなさんな」
カイムは目を細めた。視線は少年から外さない。
「どうやらここにいるお方たちはだあれも、剣を教える気はねえみたいじゃあねえですか。なんなら、危ないからやめろーって諦めさせようとまでしてらっしゃる」
バルトルドが声を一段低くした。
「そうだとしてもお前みたいな奴に任せられるか。依頼もろくに受けねえでフラフラしてるだけの、空気も読めねえろくでなしのお前にはな」
「へへっ、そりゃねえですぜ旦那。まあその通りなんで何も言い返せやしないんですが」
カイムは否定しなかった。
少年が一歩前に出る。
「俺は、こいつに教わりたい」
声は震えていた。それでも途中で切れなかった。
「誰も俺に教えようとはしなかった。諦めろって、ただ止められるだけだ。でも、この人はそんな中で教えてくれるって言った」
カイムが、短く聞いた。
暗闇の中で藁にも縋る。チャンスをものにしようとする諦めない人間の姿。
カイムの好きな一途な人間ってやつだ。
「あんた、仇の顔は……知ってるんで?」
少年が一瞬だけ沈黙する。
「……知らない。でも探す。手がかりはあるんだ」
「へえ……、そういやどこから来たんで?」
「……スーン村だよ」
カイムはまた気のない様子で「へえ」とだけ言って、杖の先端で床を一度叩いた。
「そんで、名前は?」
「……アルトだ」
「アルト、か」
短く繰り返して、へへっと笑った。
「……へえ。いいぜ、アルト。俺が剣ってのを教えてやるぜ。オレはカイムってんだ。しがない冒険者で、まあ、周りからはろくでなしとか、チンピラとか、そんな感じで呼ばれてるがね」
バルトルドが拳を握ったままカイムを睨む。
「……お前に教えられるとは思えんが、本当に大丈夫なんだろうな?」
「心配しなさんなよ、旦那」
カイムは軽く手を振った。セシルが何か言いかけた唇を、ゆっくり閉じる。目だけが心意を探ろうとしてカイムの横顔に向けられていた。
カイムは二人に構わず、アルトだけに言った。
「とりあえず、裏に行きますか。ついてきな」
そう言って、カイムは先に歩き出す。丸まった背を追ってアルトが続いた。
バルトルドは、その場で一瞬だけ立ち止まった。拳を握ったまま、セシルの方を見る。セシルは何も言えない顔をしていた。
「バルトルドさん……」
「……くそっ!アイツは信用ならん!様子を見てくる!」
「お願いします」
舌打ちとともに、バルトルドも歩き出す。あのろくでなしを信用できない。見極めるためには自分の目で見るほかない。こうなってしまった以上、無責任にはなれなかった。
裏手は荷車と古い木箱が置かれただけの空き地だった。斜めの光の中で埃がゆっくり動いている。
カイムは近くの木箱に腰を下ろし、杖を壁に立てかけた。アルトの正面から少し低い位置で彼を見る形になる。
少し離れた位置に、バルトルドが腕を組んで立っていた。いつでも止められる距離を取っている。
「まあまずは、立ってみな」
アルトが両足を揃えて立つ。戦い方を知らない人間、素人の立ち方。
緊張からか、それとも意気込みからか、肩に無駄に力が入っている。
カイムは肘を膝に乗せたまま黙って見ていた。足の位置。肩の高さ。呼吸の仕方。全てがダメ。
「まずは自然体になることからだあな、ほら、力は抜きな」
言われたとおりにしようとアルトが息を吐き、肩を落とそうとする。落とすと背中が丸くなった。無意識なのか拳も握ったまま。
カイムは何も言わず、ただ見ている。
「肩がジジイみてえにガチガチだぜ。若いのにさ」
アルトが唇を噛む。力を抜こうとするほどに別の場所に力が逃げる。呼吸が浅くなる。
「背中もずっと丸まってるな。いい姿勢ってのは慣れてねえとすぐ疲れるぞ。年取ってからだと辛くてよー」
「……っ」
「息も止まってるじゃねえか。死体かよ、へへっ」
アルトはもう一度姿勢を作り直す。足の指が地面を掴む。いったん伸ばした背中が、またゆっくりと丸まってくる。
「真ん中だよ、真ん中。あんた、それじゃあ獣だ。これから襲い掛かりますって言ってるもんだぜ」
カイムの声がくどく落ちる。アルトの眉間に皺が寄った。
少し離れた位置で、バルトルドの腕の組み方がわずかに変わった。口を開きかけて、閉じる。指摘の内容自体は、間違っていなかった。
戦う為の基本の基本。あのろくでなしの男はアルトに剣の振り方という短期的なやり方ではなく、姿勢という基礎から教えようとしている。
それは未来を見据えたもので、バルトルドはカイムという男がただのろくでなしという印象からは想像できないほど真面目に教えようとしていることに驚いた。
カイムが短く続けた。
「いい姿勢ってのはな、それだけで強えんだよ」
アルトの顔がぴくりと動いた。
「……でもアンタは猫背じゃないか」
カイムはへへっと笑っただけだった。否定も弁解もしない。ヘラヘラとした笑い。
アルトはその笑い方が引っ掛かった。馬鹿にされていると思った。
だからアルトの足が動いた。半歩前に出る。拳に力を込めて。自分の思う戦う為の体勢をとるために。
次の瞬間、カイムの姿がブレた。
木箱に座っていた体が、ほとんど予備動作なく前に出る。杖の先端が音もなくアルトの前足の内側を払った。軽く、正確に。
アルトの体が大きく傾く。踏み込めなかった足が空を切り、背中から倒れ込む。
「……っ!」
顔を上げると、カイムはすでに一歩分だけ前に出た位置で杖を戻していた。猫背のまま、息ひとつ乱していない。
「おいおい、いい姿勢は強いって言ったろ?」
「なにするんだ!」
アルトの声に悔しさと怒りが混じる。
カイムは肩をすくめた。
「重心がしっかり取れてりゃ、あんな惨めに転ばなくて済んだんだぜ?」
アルトは歯を噛んだ。掌が砂埃で汚れている。背中は倒れた痛みで熱い。
「素人が考えてもいいこたあねえぜ?へへっ」
少し離れた位置で、バルトルドが黙ってそれを見ていた。止めるタイミングを測っていたが必要などなかった。適当に遊んでいるようには見えなかった。
カイムは杖の位置を少し変え、アルトを見下ろしたまま言った。
「取れてねえと、何やっても途中で崩れるからな。だから最初は基礎から。……嫌ってんなら復讐もやめたほうがいいってもんだ」
アルトはゆっくりと立ち上がった。膝がまだ安定しない。
胸のどこかが、ざらついたままだった。
カイムはすでに視線を巡らせ、空き地の端を確認するように顔を向けている。
「今日は、まあこんなもんだろ」
アルトは拳を開いた。掌の痺れがまだ残っている。
「……わかった」
頭を下げる。カイムは短く「へえ」と言い、杖を拾って歩き出した。
アルトはその後ろ姿を見送る。猫背の男は振り返らずに手を振る。
「また明日きたら、教えてやんよ」
バルトルドは、しばらくその場に立ったままだった。腕は組んだまま何も言わない。信用したわけではない。ただ少なくとも今日の指導がいいかげんなものではなかったことだけは、認めざるを得なかった。




