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カイムは皆無を知っている。  作者: RK
少年編

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4/4

3話

 早朝の空気はまだ冷たく、いつも喧騒につつまれたギルドも今は静かだ。

 アルトはギルドが開くのを待っていた。昨夜からほとんど眠らずに考えていた。カイムの「真ん中」という言葉が頭を離れなかった。

 鍵の開く音がして、アルトは顔を上げる。

 セシルが顔を出し、アルトの姿を見てわずかに目を見開いた。


「……おはようございます。早いですね」

「早く強くならないと、いけないから」


 アルトは短く答えた。

 セシルは小さく息を吐き、扉を大きく開いて中へ招き入れた。


「どうぞお入りください。ただ、カイムさんが来るかどうかは……私にもわかりませんが」


 アルトは礼をして中に入った。広いホールはまだ静かで、昨夜の残り香のような空気が残っている。

 アルトは中央近くに場所を取り、自然体で立ち始めた。足を肩幅に開き、膝をわずかに緩め、腰のあたりに意識を集める。昨日教えられた「真ん中」を、一人で探り続ける。

 少しして扉が再び開き、バルトルドが入ってくる。

 セシルがカウンター越しに声をかけた。


「バルトルドさん、いつもより早いですね」

「まあな……」


 バルトルドはそれだけ答えて、いつもの場所に腰を降ろし、アルトの方を一瞥して腕を組む。そんなバルトルドにセシルは苦笑を溢して業務に戻る。


「……坊主、早いな」

「さっきも言われたけど、強くならないといけないから」

「そうか……」


 セシルも同じことを言っていたかと、バルトルドはバツが悪そうに顔を顰める。

 セシルが依頼を張り出すのを、アルトは眺めていた。

 時間が経つにつれ、依頼を受けに来た冒険者で賑わい始めても、カイムの姿はなかった。

 アルトは立ち続けた。重心が崩れるたびに自分で修正し、また真ん中を探る。今まで使っていなかった筋肉が震える。ただ立つというだけでも、意識するだけでこんなにも違うと、アルトは気づいた。

 バルトルドも、昨日とは全く違うアルトの姿勢に感心していた。あのボンクラがいい指導をしたという事実が、いまだに飲み込めないでいる。


「昨日よりもだいぶ姿勢が良くなった。自分でも意識しているんだろう?」


 動機はどうであれ、真剣に向き合う人間を無碍にはできなかった。


「……真ん中を意識したら、何か変わった気がするんだ。何がどう、はまだわからないんだけど」


 アルトの額に薄い汗が浮いていた。

 バルトルドはその言葉を聞いて、内心で驚く。


(たったあれだけで重心の重要性に気づくとは……。トウヘンボクはそれに気づいて……いや、それはないはずだ)


 やがて冒険者たちが依頼に出かけ、ギルドの騒がしさも落ち着きを見せ始めるころには、既に昼どきを過ぎていた。

 だというのに、カイムは来なかった。

 バルトルドが舌打ちをした。


「……遅いな。本当に来る気があるのか、あいつは」

 セシルは帳簿のページをめくりながら、静かに言った。

「……カイムさんは、本当にどうしたものかと思います」


 それ以上は何も言わず、仕事に戻った。

 アルトは二人の会話を聞きながら、立ち続けていた。怒りがなかったわけではない。ただ、怒りよりも先に、昨日感じた「真ん中」の感覚が体に残っていた。それを失いたくなかった。

 午後もだいぶ過ぎた頃、奥の扉が開いた。

 カイムが入ってきた。欠伸を噛み殺しながら髪を適当にかき上げている。目はまだ半分しか開いていない。杖を片手に持ち、ゆっくりとホールへ歩いてきた。


「おお、今日もおいでなすったんだな。こりゃ真面目なこって」


 その一言で、空気が変わった。

 バルトルドが先に動いた。大股で近づき、カイムの正面に立った。


「お前、何を考えている」

「おいおい旦那、いきなりどうしたんで?」

「昨日は少しは見直したんだがな! それを、お前! こんな時間まで何してやがったんだ!」


 カイムは欠伸の続きを噛み殺し、杖でトントンと地面を叩く。


「まあ、そんなカッカしないでくださいな。なに問題でもあるで?」

「問題あるはおおありだろうが!」


 セシルもカウンターから顔を上げた。声は静かだが、非難の響きを孕んでいる。


「カイムさん。引き受けたからには、責任を持っていただけないでしょうか。アルトさんは朝からずっと待っていましたよ」


 カイムはセシルの方を見て、軽く肩をすくめた。


「……へえ、根性はあるってこった」


 アルトが前に出て頭を下げた。拳は強く握られて震えていた。


「……さっさと教えてくれ」


 カイムがアルトを見る。


「そりゃ明日来いって言ったからには教えるぜ。なんだ、おせえって怒ってんのか?」

「怒ってるよ。だけど、教えてほしいんだ。昨日の続きを」


 カイムはしばらくアルトの顔を見てから、小さく息を吐いた。


「んじゃあ、まあ教えてやるとしましょうかね」


 バルトルドが何か言いかけたが、カイムはもうアルトの方へ向き直っていた。


「裏に行くぜ」





「じゃあ、始めるとするか」

「うん」


 アルトはすぐに自然体を取った。足の裏から腰、背骨のラインまで、真ん中を探るように意識を通す。カイムはそれを見て、杖の先で床を軽く叩いた。


「それで、何か分かったかい?」


 アルトは少し考えてから答えた。


「……良い姿勢が強いってのはなんとなくわかった。騎士の人ってみんな姿勢が良くて、フラフラしてないんだ」

 カイムはゆっくりとアルトに近づき、正面に立った。


「へえ……観察眼もある、考える頭もある。……いいねえ、あんた。やっぱ才能あるよ」


 そう言って、カイムは足元の小石をいくつか拾い上げた。掌でころころ転がしながら、あくびをする。


「んじゃ、ちょっとした遊びでもするか」

「……遊び?」

「そりゃ、ガキと何すんだってんなら遊びだろうがよ」


 カイムはそう言って、いきなり石を投げた。

 アルトは反射的に腕を出して払う。石は腕を打って落ちた。


「無駄に力んでんなあ」

「……」

「よく見ろって。相手が何しようとしてんのかなんて、みりゃわかんだろ。それを邪魔したり、崩せば疲れねえんだぜ?」


 カイムは連続で石を投げてきた。

 一発目をなんとかかわしたと思った直後、二発目が迫る。当たった場所がジンジンと熱を持つ。


「おめえはガキだ。体も小せえし経験もねえ。オレみたいなのに教えてもらうド底辺だぜ。へへっ……このままじゃ、敵討ちなんざ夢のまた夢ってなもんだ」

「うるさい……!」


 アルトは歯を食いしばって姿勢を立て直す。真ん中を意識し直しながら、カイムの手を見た。

 石が飛んでくる。今度はその軌道を目で追った。腕の振り、指の動き。石が手を離れる瞬間。アルトは半歩だけ横にずれた。石は空を切った。

 それからも何度も何度も石の痛みを味わった。

 避けて、当たって、避けて、当たって、避けて、避けて、避けて、当たって。

 見えたり見えなかったり。

 いつのまにか、日も沈むような時間になっていた。

 アルトは疲労と痛みで横になる。石が当たったところは痣になっている。

 カイムは残りの石を放り投げて、杖を拾い上げた。


「はあ、もう腕が疲れたわ。遊びに夢中のガキに付き合うのはラクじゃねえ」


 アルトは横になったまま、カイムを見た。

 こいつは適当だ。嫌なやつだし、指導も適当、仕事をちゃんとしてるかもわからないし、口も悪い。

 でも言っていることは、アルトの中の何かを変えた。

 剣を教えるといって、まだ教えてくれてないけれども。


「……明日もお願い」


 アルトは短く言った。

 カイムは欠伸をしながら手を振った。


「最初はこんな面倒だとは思わなかったんだがねえ。まあ一度引き受けたからには仕方ねえなあ」


 ムカつくし、変な人だと思う……けど。

 アルトは心の中で「師匠」に頭を下げた。

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