156:鍛錬と狩り③
今回の「狩り」の舞台は、トーカ城から西へ少し行った所に広がる手付かずの森林。鳥がさえずり、枝葉は茂り、清水のせせらぐ穏やかな森である。
老猟犬の手綱を持つハヤトを中心として、前方の離れた位置を元狩人の傭兵、ハルハル、リオンが進んで痕跡を探す。左右に黒光りする胸当ての男とルイナーク、すぐ後ろにカルリスティア、さらに後ろは槍を担いだ三人の傭兵が横並びに歩いている。
可愛らしい栗色の短髪と一つまとめにした赤毛が揺れるのを目印にして、黒い髪の少年は一歩、一歩と奥へ分け入る。
行く手を阻む低木の枝をするりと避けて歩くロバルトを羨ましく思いつつ、少年は背後にいる仲間の道を斧で切り開いていく。
「にいちゃん!」
しばらくそうして歩いていたところ、前から声がかかった。そちらへ急いで駆け寄ってみると、ハルハルがある所を、じ、と見つめていた。
「どうしたの?」
「足あととうんちだよ!」
ハルハルが指差す先には二本指に見える十センチ足らずの足跡と、黒光りする粒状の糞が塊になって残されていた。
駆けつけてきたリオンと元狩人の傭兵は、一目でそれらの主を理解する。
「こりゃ猪か。」
「けぇなり新しぇんでねか?」
「だな。まだ近くにいるかもしれねぇ。」
リオンは足跡と自身の手を照らし合わせ、首を傾げる。
「大きさは、まあ、そこそこってとこか。」
「おいさ!木の実の欠片とかぁ、ねぇんか食っち跡はねか?!」
元狩人の傭兵の指示に従って辺りを探ってみると、少しだけ離れた位置に木の実を貪り食ったような跡や、軽く掘り返された穴が見つかった。
リオンたち三人も足跡など別の痕跡を探し、三人で寄り集まって頷きあう。
「間違ぇねく猪だ。」
「たぶん一匹しかいないよ。」
「ってこたぁ野郎の猪だな。」
「雄の猪って危なくないの?」
「ンまぁそうだが、ガキ連れてる雌どもの方が厄介だ。ヤツら、ガキ守んのに必死だからな。」
仔熊を連れた母熊には、絶対に近寄ってはいけないという話はよく聞く。ある動物に限った話ではないのだろう。
何にせよ、一定の大きさがある猪は今晩の食材にはちょうどいいはずだ。
問題は、一定の大きさがある猪とどのように戦ったらよいか、である。
「猪はどうやって狩ったらいい?」
ハヤトが訊ねると、リオンは険しい表情で一行を見渡す。
「とにかく離れろ。初めは弓とクロスボウで抑える。近づいたら槍で突け。ヤツらに思いっきし走らせちまったら怪我人が出る。」
猪突猛進、という言葉があるほどである。少年は猪の突進を見たことも、まして直に受けたこともなかったが。
ただ、リオンが珍しく真剣な顔をするほどのことだ、と少年は内心で頷いた。
「おし。ンじゃこっからは犬ころの番だ。」
「わかった。ロバルト、仕事だよ。」
名を呼ばれた老猟犬は、すく、と立ち上がると、ハヤトの足元にピタリと張り付く。
「ロバルト、嗅げ。」
黒い髪の少年が指差した先には、足跡と掘り返した跡がある。彼は黒い鼻を近づけて入念に匂いを嗅ぎとると、やがて地面を伝うように歩きはじめた。
老猟犬の尻尾を追って、ざくり、ざくりと茂みを破っていくハヤトは、背後にいるはずの銀色の髪の少女に目を遣る。
「カーリー、大丈夫?」
カルリスティアは特段変わりない表情で小さく「ん。」と頷く。ロウネやキハロイで森を歩いたことで慣れたのだろう。
「ふっ、ふっ……。」
ただ、右隣を歩くブロンドの髪の美少年の顔には疲れが表れている。
彼の体力の無さはまだ解決できていなかった。
「ちょっと休憩する?」
「だっ、大丈夫、ですっ。」
「わかった。でも無理はしないでね。」
彼は顎を伝う雫を拭って「はいっ。」と答えたが、額から新しい雫が垂れてきている。
ロバルトは依然として地面に鼻を伝わせながら奥へ進んでいるし、他のメンバーもざっと見渡したところ異常はなさそうだ。
__ちゃんと気をつけてあげれば大丈夫か。
ルイナークなら辛くなれば自分から声をあげるだろう、とハヤトは内心で頷いて、薮をくぐりぬけて進む老猟犬の尻尾を追うことに集中するのだった。
足跡や糞を見つけた場所から十数分ほど奥へ進んだ所で、ロバルトはふと四つ足を止める。喉の奥で上げている唸り声は、手綱を握っているハヤトにしか聞き取れないほど低い。
頭を持ち上げて、じ、とどこかを見つめるその瞳からは、冷ややかな熱が放たれていた。
「見つけたか。」
彼の変化に気がついたらしく、リオンがすぐに目の前にやってくる。
「わからないから、ちょっと見てきて。」
「あいよ。」
深みのある赤褐色の瞳でロバルトの視線が指す方向を確認してから、リオンは薮よりも低い姿勢で先を行く。まるで獲物を見定めた狼のように。
それから、少し経って。放たれた豊かな赤い毛並みの雌狼は、得意げな笑みを浮かべながら戻ってきた。
「こン先の、ちっと開けたとこだ。」
「数は?」
「一匹。思ったより大物だぞ。」
それはいい、と少年は頷いて元狩人の傭兵に視線を当て、すぐにリオンへ戻す。
「二人で反対からこっちに追い立てて。用意できたら合図する。」
「あいよ。おし、行くぞ。」
「わっち。」
二人が歩き去るのを半拍だけ確認して、槍を担ぐ三人の傭兵の方へ振り向く。
「三人は距離をとって囲ってください。猪に狙いを定めさせないように。」
「ようし、やってやるぞ。」
「今晩の飯は猪鍋だな。」
「猪っつったら塩かけて焼くもんだろ。」
彼らののんきな皮算用は片隅に置いておいて、黒光りする胸当ての男とハルハルを交互に見遣る。
「俺たちは三人で一段後ろに控えましょう。」
「それでいくか。」
「わかった!」
それからすぐ近くにいるカルリスティアとルイナークを瞳に映す。
「ルイナークとカーリーは俺たちの後ろにいて。二人は逃げられそうになったら一気に仕留めにいく役ね。」
「ん。」
「わかりました。」
ほとんど息をつかずに指示を出し切ってから、ハヤトは右腰の斧に手を伸ばす。左手では低く唸るロバルトの手綱をガッチリと抑えてある。
彼にも頼ることになる。だからこそ今はまだ、手元に留めさせなければ。
もうそろリオンたちが位置に着いた頃合か、というところで、こちら側も割り当てた配置に皆が立つ。
「ゆっくり進もう。」
枝葉が触れるかさり、かさりという音を立てながら、一団はリオンが言った「ちっと開けたとこ」を目指して進む。
老猟犬の唸り声は大きく、鋭くなり、一団に流れる緊張感が大きく膨れ上がったところで。先頭にいた傭兵が茂みの側で、握り拳を掲げた。
ぴたり、と止まる足。
汗ばんだ頬を撫でる、涼風。
皆の視線が、一人に集う。
「始めよう。」
仄暗い黒に染まった瞳には、指輪っかを咥えるハルハルの姿が映っていた。
草は茂り、葉の萌える森に響き渡る、ピョー、という甲高い音。
直後。茂みの向こうのさらに奥から、ガスン、と機械音が聞こえる。
微かな、しかし間違いなく聞き慣れているその音の後、槍を担いだ三人の傭兵は茂みの向こうへ身を投じていく。
「行けッ!」
三つの背中が消えると同時に、左手で握っていた手綱の片側を放す。
強い調子の声か、拘束が緩まったことか。どちらかに反応したロバルトを妨げるモノは何もなく、雄々しく吠えながら駆け出た彼はあっという間に茂みを突破してしまう。
「行くよ!」
四つ足の友人を追って、ハヤトも薮を突き破る。
緑色の天蓋にぽっかりと開いた穴から太陽が差し、低背の草と降り落ちた木の葉の絨毯が広がっているその場所で。野獣と人間の対決が始まった。
「はッ!この畜生が!」
「走ってねぇんならこんなもんかッ!」
「そのまま肉ンなっちまえ!」
先んじて飛び込んでいた三人の傭兵はずんぐりとした茶色い毛玉を取り囲み、構えた槍の穂先を差し向ける。
対して、茶色い毛玉は黒く平たい鼻先から荒く息を吹く。しかし背中に矢が、右の後ろ足にボルドが刺さっていて、太い牙を振りかざす動きはどこかぎこちない。
「首をやれ!つうか土手ッ腹じゃなきゃあどこでもいい!」
反対側の薮の向こうで、赤毛の女がクロスボウに梃子を当てながら叫ぶ。
腹以外ならどこでも。なんともわかりやすい。
しかし、ぎこちないと言ってもそれの動きは予測不能。短い四本の脚で右へ左へと体を翻し、詰め寄ろうとする傭兵たちを威嚇している。無理に刃を立てに行けば、間違いなく怪我人が出る。
傭兵三人と野獣一匹による膠着状態が、少しだけ続いた後。茶色い毛玉がふと、ある傭兵へ顔を向ける。
「喰らえッ!」
まさにその時。再び、ガスン、という機械音が響いた。
つんざく悲鳴。左前脚の付け根に突き立つ一本のボルト。
直後。一人……ではなく一頭が、恐るべき野獣を強襲する。
斜め後ろの方向から飛びかかった老猟犬は鋭い犬歯で首に噛みつき、勢いそのままに引き倒してみせる。茶色い毛玉も持てうる全ての力で抵抗するものの、歴戦の戦士は技量と力で見事に抑え込む。
そしてこの機を逃すような間抜けは、ここには一人としていない。
「今だッ!」
「動くなオラァ!」
「ふんッ!」
「クソがッ!折れやがった!」
黒い髪の傭兵の叫びと同時に、三人の傭兵が攻めかかる。二本は背と肩に刺し傷をつけられたが、一本は厚い皮を突破できずに役目を終えてしまう。
すると一人と一本が脱落するのを見たブロンドの髪の美少年が隣から身を乗り出した。手は剣の柄にかかっている。
「師っ!」
「待って。」
だが、そうして木端が宙に舞うのに目もくれず軽やかに地を跳ねる小蛇がいた。
「やあっ!」
ここぞとばかりに鱗片鎧の裾をはらりと広げ、屈強な男たちの隙間を縫って現れた狡猾な小蛇が、茶色い毛玉の首の後ろを長柄の鉄牙で咬んで突く。
「むっ!」
彼女は小さな手でしかと握った得物を、グシリ、と捻ると、茶色い毛玉は二度、三度と小さく震え、はたと静まる。
「やった、のか?」
噛みつきつづけていた老猟犬が茶色い毛玉から牙を抜いたのは、そういうタイミングだった。
「おーいおい!なんか動かなくなったぞ!」
「お前がやったからか?!すっげぇなちびっ子!」
「へへーん!とうちゃんといっぱいやったもん!」
「生意気なガキンチョだな畜生がっ!」
黒い髪の傭兵は思い出した。普段は元気いっぱいな子どもでしかないハルハルが、狩猟を生業とする村の生まれであることを。
ロウネの大森林で魚を〆た時も、同じ位置をナイフで突いたことを。
少年は三人の傭兵たちにめちゃくちゃに撫でられた栗色の髪を、さらにめちゃくちゃに撫でてやる。
「トドメ差せて偉い!」
「へへーっ!」
ハヤトは思い出す。やっぱり、無邪気な笑顔が可愛らしい子どもであることを。
「おい、いちゃつくのは後にしろ。」
まあ、一つまとめにした赤毛を解きながら薮から出てきたリオンに、やさぐれボイスでせっつかれてしまったのだが。
「さっさと血ぃ抜かねぇと腐っちまう。」
「ああ、そっか。どうすればいい?」
「ンだなぁ。吊るせそうなとこねぇか。」
「あんの枝ぁはよかねか?」
「だな。おい野郎ども、帰る前にもう一仕事しやがれ。」
「へいへい。やらせていただきやすよう。」
「ひーっ、男使いが荒ぇ女だぜ。」
「お前のカミさんよりおっかねぇんじゃねぇか?」
「口ばっか動かしてねぇでさっさと働け、間抜けども。」
リオンに檄と悪態を飛ばされつつ、茶色い毛玉を元狩人の傭兵が指し示した枝まで担いでいく三人の傭兵の様子を、黒光りする胸当ての男とハヤトは少し離れた所から眺める。
「……いつも大変だろ、お前。」
「うーん、まあ。でもずっとこんなじゃないですよ。」
「そうなのか?」
「はい。飯とか洗濯とか俺がやってるんで、文句言えないんだと思います。」
「ッおいおい、奴隷の女にお前っ……マジか?」
「本人がやりたくないって言ってますから。」
「おいそこのバカども。その空いてる手ぇ、ちったぁ動かせ。」
まあ、深みのある赤褐色の瞳に見つかってしまって、無駄話どころではなくなってしまったのだが。




