155:鍛錬と狩り②
ハヤトが使用人に借りたランタン片手に階段を降りると、出口のすぐ近くの椅子に腰掛ける二人組が目に止まった。
「計画は進んでいるかい?」
「はい、クリオ様。村への布告は完了しております。農具もすでに半数を配り終えました。」
「わかった。今後は配った農具が質に入っていないかの調査に力を入れてほしい。」
「はい、そのように。」
「苦労を掛けるね、フィルリスティア。いつもありがとう。」
「……痛み入ります。」
そこまでの会話が聞こえたところで、互いに映し合っていた無機質な青い瞳と琥珀色の瞳がこちらへ振り向く。どうやら足音に気がついたらしい。
「すいませんクリオさん。今、いいですか?」
「構いませんよ。どうしましたか。」
リオンが狩りに出かけたいと言い出し、「銀の短剣」の傭兵も乗り気になっていることを話すと、クリオは形の良い顎に手を添えて眉を少し寄せる。
「少し複雑なのですが、モンカソー家で管理しているのはこの書庫とトーカ城だけで、城の外の土地は全てローゼイ家の領地でして。」
「えっ。そうなんですか?」
「ええ。ですから私では許すかどうか決められないのです。」
イメージとしてはローゼイ王家の領地の中にポツンと、城と書庫が建つこの土地だけのモンカソー家の領地がある、という形だろう。直感的には城と周りの土地がセットだと想像してしまうだけに、想定外の返答であった。
しかしクリオは少しだけ考え込むと、「なので。」と柔らかく微笑んでみせる。
「今回は『訓練中に誤って殺めてしまった』ということにしておきましょう。」
「たまたま森で訓練してて、たまたま武器が当たっちゃったってことですね。」
「ええ。事故とはいえ捨ててしまっては、女神ウルンへの冒涜となりますから。」
つまるところ、建前と本音というやつである。
こうしてモンカソー男爵に密猟を黙認してもらえることになったところで、書庫の奥の方から灯火が二つ、ゆらゆらと揺れながらこちらにやってきた。
「にいちゃんだ!」
「ぁ……ハヤト、くん。」
「ああ、二人とも。書庫はどう?」
「つまんなあい!カルリスティアおねーちゃん、ずぅーっと本読んでるし!リオンおねーちゃんどっか行っちゃうし!」
「ハルハルには早かったかもね。」
ハルハルは読み書きできる……かどうか、実はまだ知らない。まあ、おそらくできないので、ここに収められている知識の塊たちは栗色の髪の幼女にとってまったく価値のないモノである。
「ちょっと、疲れた。」
「カーリーはずっと読んでるもんね。休憩したら?」
「うん。りふれっしゅ、する。」
「うんうん。リフレッシュ、大事だもんね。」
三日間、朝から夕方までこの暗い地下書庫に籠りきっているのだ。手元のランタンだけを頼りに何時間も本を読んでいれば、さすがのカルリスティアも疲れを感じるだろう。
ではカルリスティアの休憩がてら、四人でまた「狩り」にでも出かけようか。
「リオンと一緒に来た傭兵のみんなで狩りに行くんだけど。カーリーとハルハルも行く?」
「行くー!」
ハルハルが即答するのは想定内だ。さて、カルリスティアはどうか。
「私も、行く。」
「わかった。じゃあみんなで行こう。」
ロウネ以来の、四人揃っての森林探索。しかも頼れる傭兵たちのおまけ付き。
さらに、もう一人のおまけ候補がすでにどこからか飛んできている。
「師!城の外へ行かれるのですか!」
「ああ、うん。狩りに行ってくるつもり。」
「僕もお供します!」
「え。うーん……。」
ルイナークたち王立学園の学生は、地下書庫で知識を得るために来たはずなのだが。
ただ、暗い地下にいて焦げ茶色の瞳をキラキラと輝かせる、このブロンドの髪の美少年からの申し出を無下にできるかと問われれば……。
「いいよ。一緒に行こうか。」
「ありがとうございます!」
四人揃っての森林探索。頼れる傭兵たちとブロンドの髪の美少年のおまけ付き。
あっという間に大所帯になることが確定した今度の「狩り」に思いを馳せつつ、ハヤトは皆を引き連れて地下書庫を出る。
ところが中庭に戻ると、厩舎の辺りで何やら騒ぎが起きていた。
ハヤトたちが急いで駆け寄るとそこでは一人と一匹による、一つまとめにした赤毛が激しく揺れるほどの攻防戦が繰り広げられていた。
「クソッ!こンの犬ころがッ!なんなんだよクソ!」
「こぉらロバルト!やめさないっ!やめなさいったら!」
どうやらロバルトと呼ばれたあの犬はリオンが抱えている布の包みが気になるようで、布地に牙をガッチリと突き立てている。使用人の女の制止を振り切ろうともがいているせいで、その動きはかなり危なっかしい。
そんな二人と一匹の様子を少し離れた所で、数人の傭兵と共に眺めている黒光りする胸当ての男にハヤトは声をかけた。
「何事ですか?」
「ここの兵士に狩りに行くってったら、そこの犬っころも連れてけって頼まれてよ。だのに、さっきからお前んとこの女と荷物の取り合いしてやがんだ。」
「中身はなんです?」
「わからん。まっどうせ、犬の気ぃ引くモンってったら食い物じゃねぇか。」
「ああー……。」
夫婦喧嘩は犬も食わぬとはすなわち、犬はそれ以外ならなんでも食べるということ。鼻が利き、かつ食欲旺盛な彼らが食べ物に興味を示しやすいという話はよく聞く。
いいや。そのようなことを考えるよりも先に、やるべきことがあるではないか!
「あっおいッ!」
黒光りする胸当ての男の声を背に聞いて、黒い髪をたなびかせる少年。
仄暗い黒に染まった瞳は、暴れる犬の首輪を捉えている。
「はッ!」
包みに夢中の犬はハヤトの接近に対応できなかった。太い首に巻かれた革の輪は激しく動く中でも簡単に掴みあげられる。
「やめろッ!離せ!」
犬はリオンにも使用人にもハヤトにも抵抗しつづけていたが、さらに二度、三度と首輪ごと体を浮き上がらせてやると、とうとう布地に立てていた牙を引っ込める。
けれども犬の眼は恐ろしいほどに煌めいていて、先ほどまで自分が噛んでいたところを、じ、と睨みながら激しく唸っている。
「こらっ!いいかげんにしなさいっ!」
すると突然、使用人が犬の尻を思い切りよく引っぱたき、途端に、ぎゃう、という悲鳴が上がった。
首輪ごと持ち上げられたり尻を叩かれたりと散々な目に遭って、さすがに堪えたらしい。犬の呼吸がだんだんと静まっていき、喉の奥でグルグルと唸るだけになった。
まあ、静まっていない飼い犬がもう一匹いるわけだが。
「ッたくよ!犬ころ一匹もろくに躾けらんねぇのかァッ?!」
「ももっ申し訳ございません!でもっ!いつもはこんなことする子じゃないんです!」
「ハッ!どいつもそう言うんだよ!」
「本当なんです!信じてくださいっ!」
リオンと使用人が犬一匹を挟んで口論する中で少年は、ふむ、と内心で唸りながらその犬を見遣る。
顔や体を覆う肉厚な皮、男女三人と張り合える筋力と体格、獲物に噛みつきつづける根性。
このような特徴を持つ犬の種類に、ハヤトは偶然にも心当たりがあった。
「この子……ロバルトって猟犬ですか?」
「え、ええ、昔は。でももう九歳ですし、最近はお昼寝してばっかりだったんですけど……。」
犬の寿命はせいぜい十数年。十年も生きれば大往生なのだと、ハヤトは犬を飼っているクラスメイトから聞いたことがあった。
ただ、それは医療技術が発展している現代での話。この中世ヨーロッパ風の世界観においては、九歳といえば随分の老犬だろう。
九歳にして、この体格と根性。若かりし頃のロバルトは優秀な猟犬だったに違いない。
「んだよ。まさかそンの犬ころ、連れてくとか言わねぇだろうな。」
と、リオンはロバルトへの悪印象をあからさまに出しているが。何を狩ることになったとしても、優秀な猟犬が一匹くらいいても損は無いはずだ。
問題は、人間の指示をちゃんと聞いてくれるか、だけである。
「この子って座れとか待てとかは教えてあるんですよね?」
「はい。いつもはちゃんと言うことを聞いてくれます。」
「お姉さんだけ?誰でも?」
「みんなの、です。私たち使用人も、ここを守ってるみんなも、お客様も。」
客人からの指示にすら従うのが本当ならば、少なくとも人見知りはしないタイプだろう。現にリオン以外へは警戒心を向けていない。
ならば、まずは試してみなければ。
「おっおい!危ねぇぞ!」
ハヤトはリオンの警告を無視してロバルトの前にしゃがみ、彼と目線の高さを合わせるが、その瞳はまだ背後にいる人物を注視している。
「ロバルト。」
柔らかく、しかし鋭い調子で名を呼ぶと、彼のつぶらな瞳はすぐにこちらを向いた。
「座れ。」
同じ調子で声をかけると、ロバルトは後ろ足を畳んで腰を落とす。
「伏せろ。」
そう声をかけると、ロバルトは前足と腹を地につけ、口元を緩ませる。
「立て!」
強く厳しい調子で指示すると、ロバルトは舌を引っ込め口は締め、素早く立ち上がる。
やはり、と少年は頷く。初対面の人間の指示にも忠実に応えられるではないか、と。
「これなら大丈夫そうですね。」
「で、ですよね!よかったぁ……。」
「……はぁ……。」
使用人の女は口ではそう言っているものの、淡い茶色の瞳は「それ見たことか。」と言わんばかりに、後ろにいるはずの仲間を睨んでいる。
「ロバルトも連れていっていいですか?」
「ぜひお願いします!もうおじいちゃんですけど、たまには運動させてあげないといけませんから。」
「わかりました。無理はさせないように気をつけますね。」
使用人の女は「ありがとうございます!」と朗らかに微笑んで、首輪に通された手綱を差し出してくる。
ちらり、と後ろを見れば、苦々しい表情をする仲間が一人いるものの。
「任せてください。」
と答えて、ハヤトは使用人から手綱を受け取った。




