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151:ワルレイの地下書庫

 

「部屋は男女で分けた方がよろしいでしょうか。」

「あぁ、はい。その方がいいですよね?」

「然り、然り。」

「では殿方は右手の、婦女方は左手の部屋をお使いください。」


 宿泊部屋についてモンカソー男爵夫人……フィルリスティア夫人とそのようなやり取りがあってから、王立学園の一団は石造りの構造物の最奥に集結した。


 彼らの目前では頑丈そうな鉄柵の扉と、そのさらに奥の錆がやや目立つ鉄柵の扉が完全に閉ざされていて、暗がりへ伸びる石造りの階段を封じている。


「フィルリスティア。」

「はい、クリオ様。」


 二人は揃って、首にかけている鍵を取り出した。フィルリスティア夫人が手前の扉の鍵穴に、黒っぽい金属の鍵を挿し入れて時計回りに軽く回すと、かたり、という小さい音がこだまして響く。


 次にクリオが奥の扉で、同様に黒っぽい金属の鍵を使う。こちらからも小さな音が聞こえてきた。


「では皆さん、私たちの後に続いてください。」


 クリオの声かけと同時に使用人たちから火が灯されたランタンを受け取った一団は、鉄柵の扉の奥に広がる暗がりへ意識とつま先を向ける。


「……あれ、皆さんは?」


 ただ、「銀の短剣」の傭兵たちは立ち尽くしたままだ。ランタンも受け取っていない。


「オレらが行ってどうすんだよ。」


 茶色の革の胴鎧を着ている一人がぶっきらぼうに呟いて、少年は、ああ、と内心で頷いた。


 彼らはただの護衛、ただの傭兵。

 あえて同行者の教官から言葉を借りるとすれば……相応の()を持たない存在だ。


「それもそうですね。」

「ああ、そうだ。さっさと行けって。」


 冷ややかなわけでも温かいわけでもない、何事もないと言わんばかりの視線を背に負って、ハヤトは階段を降りていく生徒らの後ろ姿に意識と視線を遣った。


 十段ほど降りて曲がる、十段ほど降りて曲がる……を数回繰り返した所で、黒い髪の少年は暗がりの奥の奥にぼんやりとした光を見つけて目を細める。


 クリオを始めに一人、また一人とその光へ消えていって、少年が最後に入る。


 そうして全員が()()にたどり着いた。


「こちらが『ワルレイの地下書庫』です。」

「おお……!」


 読み書きが貴重な技術として扱われるこの世界で、どれだけの人がどれだけの「本」を読めたのかはわからない。


 ただ、少なくとも()()になら、今世で誰の目にも触れられていない本があるだろう……目の前に広がるのはまさしく、そういう光景だった。


 手元の小さな灯火でぽつり、ぽつりと照らされる石柱。側面にかけられた松明に火が移されるたびに明るみになる全容。


 書庫にしてはやや陰気だが、地下にしてはあまりにも広々としたこの空間には、書物や巻物で埋め尽くされた石造りの棚が幾十列か並べられていた。


 さらにランタンを高く掲げて、なおも光が届いていない辺りへ、じ、と目を凝らすと、階段を中心とした三方に同じような石棚の群れがあることがわかる。


「これ全部に本が?」

「うん。全部。」

「……。」


 巻物一つで小銀貨三枚になる、この世界で。ワルレイ・オーラ・モンカソーという人物はどれほどの熱量を持ってこの施設を作らせたのやら、ハヤトには見当もつかなかった。


「では皆さん。私たちはここにいますから、夕方までどうぞご自由に。」


 クリオがそう言い切る前に、教官を含めた何人かは慌てるような足取りで石棚の群れに飛び込んでいく。


 まあ、無理もない。このために来たのだから。


「カーリーはどうする?」


 ハヤトは左隣へ問いかけると、この人は「ん……。」と唸ってからしばらく周りを見渡す。


「あっち。途中のがあ、ある」

「わかった。そっち行こっか。」


 少年は少女の背中で揺れる銀色の髪を追って、暗がりに潜む石棚を暴きに向か……おうとして、後ろから凛とした舌足らずな声が聞こえて、すぐに振り向く。


(せんせい)っ!ご一緒してもよろしいですか!」


 ランタンの灯火に照らされてキラキラと茶色の瞳を、断る道理などない。


「俺はいいけど。いいよねカーリー?」

「ぁ……うん。」


 ブロンドの髪の美少年を加えた五人組が階段から少しだけ奥へ行ったところで、ふと銀色の髪の少女があちらからこちらへ紺碧の瞳を当てる。探しものを見つけられたのか、視線がある所で止まった。


「ここ、いて。」

「わかった。俺もなんか読んでるよ。」


 カルリスティアは「ん。」と小さく頷いて、視線を止めた所に歩いていく。


 さて、何か読むとは言ったものの。まずはどのような書籍があるのかを調べるべく、ハヤトは手頃なものを幾つか攫ってみて、内容をおおまかに改めていく。


 __どれもけっこう難しいな。


 これは樹木の生態と木材としての特性について。あれは地域ごとに採れる石材の特徴について。それは金属の精錬技術の発展と分布について。


 自然由来の素材に関する内容で、概ねまとめて置かれているようだが。どれも読み込むにはかなり骨が折れることは察するに易い。


 流し書かれた文字をぼんやりと眺めていると、すぐ右にルイナークがやってくる。手元には冊子一つと巻物二つがある。


(せんせい)は普段から本を読まれるのですか。」

「うーん。こっちに来てからは読んでないなあ。」


 ルイナークはブロンドの髪を揺すり、「ん。」と小さく唸る。


「故郷ではお読みになっていたのですね。」

「まあね。って言っても、冒険モノばっかりだけど。」


 自宅でも学校でも、手に取ってきたのは異世界モノや現代ファンタジーモノばかり。大学生やその上の人たちが学ぶような専門知識を収めた本など、視界に入れたことすらほとんどない。


 まあ、平凡な高校生ならきっとそうだろう、とハヤトは内心で自分を肯定してやった。


「僕も冒険モノは好きですよ。『器の剣《The Sword of Grail》』を初めて読んだ時のことは、よく憶えています。」


 ページをなぞる少年の指が、止まる。


 間違いなく__本当に間違いなく、聞いたことのあるタイトルだ。


 喉が、きゅ、と締まる。


 けれども少年は一度、二度と短く、けれど深い息をしてから、ゆっくりと口を開ける。


「……面白い?」


 なんともぎこちない調子で聞き返すと、ルイナークは穏やかな笑みでこちらへ振り向いた。


 こちらのことなど、知る由もないだろうから。


「ええ、とても。同じ名を冠する王家の遺物が題材になっていて、それを巡る人々の争いを少年と少女の視点から描いている物語なんです。」


 それからルイナークはしばらくの間、その物語が詩学的にいかに卓越した物語なのか、誰が語り記した版が人気だとかを色々と話してくれた。


 ランタンに照らされた横顔は穏やかなままで、声色だけは情熱的で。故郷のアニメ仲間がしてくれた、ノンストップトークを思い出してしまう。


 彼は本当に、本当に大好きなのだろう。


 そして、自分だって__


「ハヤト、くん。」


 いつのまにか、この人がいた。

 銀色に輝く前髪から紺碧の瞳を覗かせるこの人が、左隣に。


 それだけで十分だった。


「俺、一冊持ってるんだけど読んでないからさ。ちゃんと読んでみるよ。」

「ええ、ぜひそうしてください。(せんせい)もお気に召すはずですよ。」


 けれど、どうしても。()()()()は聞きたくなかった。

 楽しそうに語ってくれるルイナークに申し訳ないとは思うが。


 それからまた目を通した数冊を棚に戻していたところ、ランタンを片手に辺りを忙しなく見渡していたリオンがふと、灯火を高く掲げながら呟く。


「ッたく。ンな陰気なとこ、よく作ったな。」

「でもひろーいっ!」

「そうだよね。しかもこんなにたくさん本があるし。」


 どこに目を当てても冊子や巻物で満杯の石棚が並んでいて、その広さに反して窮屈な印象を受ける。


 しかし天井が高く、また空気は湿気をほとんど帯びていない。紙は多湿に弱いとはよく聞くが、空調も換気扇もないこの世界にあって、もしやこの環境を維持できるような構造になっているか。


 __ありえなくは、ないのか?


 故郷でよく読んだ物語の中には、中世ヨーロッパ風の世界観にそぐわないモノが登場することもあったが。()()もその類なのだろう。


 本を読みに来たはずなのに保管場所の構造を気にするとは、なんともおかしい話だ、と少年は内心で苦笑いを浮かべる。


 ただ、そのように考えていると顔に出てしまっていたらしい。左隣で粛々とページをめくっていたはずのカルリスティアが、左袖を軽く引いてくる。


「どう、したの?」

「え、いやぁさ。ここって地下なのに湿ってないの、不思議だなぁって。」


 他愛のない返答のつもりだった。けれども彼女は少しの間、手元に視線を落として、それから少しずつ言葉を続ける。


「ぁ……外と、地下だと、空気のお、重さが、違う。それをり、利用、して、る。はず。」

「空気の重さ?」

「うん。冷たいと、小さくて、重い。あったかいと、大きくてか、軽い。」


 少年はただただ純粋な感心の念を抱いていた。


 空気は温かいと膨張し、密度が減って軽くなる。冷えると収縮し、密度が増えて重くなる。故郷でなら常識だ。


 しかしここは、中世ヨーロッパ風の世界観。科学技術の面で故郷には圧倒的に劣っているとばかり思っていただけに、それなりに明確な回答が返ってくるわけがないと思い込んでいた。


「ここ、と、外は、空気のお、重さが、違う、から。か、勝手に、開く、弁で、制御し、てる。」


 しかも銀色の髪の少女が言うに、この施設は外と地下の気圧差を利用した構造になっているとか。


 思えばこの世界は、南や西にある別大陸からの移民がいたり、板金加工や染色の高い技術があったりする世界だ。


 それで少年は、ああ、と唸る。


 きっと……いや間違いなく、自分はこの世界の人々のことを侮っていたのだろう、と。

 もしかしなくとも「ご都合主義」の一言に片付けてはいけないのかもしれない、とも。


 ハヤトは疑問を確信に変えるべく、「?」とこちらを見つめるカルリスティアへ詰め寄る。


「ここってそんなすごい構造になってるの?」

「うん。天井、とか。隅、とかに、管が、ある。途中で、曲がってて、外に、繋がってる。()()があ、ある、から、鼠は、平気。」


 管で内外を繋げて換気している、ということか。返しもあるとは用意周到だ。

 ただ、この書庫は石材で作られていると見受けられる。


「でもここってかなり古いんでしょ?壊れちゃったとこから鼠が入らない?」

「ぇ………だい、じょうぶ。混凝土(こんくりど)で、固めて、る。」


 なんと!この世界にはコンクリートまであるとは!


「この世界ってコンクリートあるの?!」

「こんく、りーと……?」

「砂利と砂を水で混ぜるやつ!」

「ぁ……コンクリート、って、言うの?」

「そうそう!作り方も同じ?」


 カルリスティアは「ん。」と小さく唸る。


「た、たぶん。ぁ、あと、山の、灰と。石のは、灰も。」


 山の灰と石の灰とは、そのまま火山灰と石灰のことだろう。そこはこの世界特有の技術かもしれない。


 知識一つに、疑問も一つ。この世界の建築物は石材や木材で建てられたものばかりで、たまに煉瓦造りを見かけた程度だ。ずっと強度があるコンクリート建築が普及しているのなら、立派な建物が多く建てられているはずなのに。


「なんで城とか家とかにコンクリートが無いのかな。」

「ん……もう、無い、から。」


 いったい何が無いのか。そのように聞き返そうとしたところで、カルリスティアが石棚に収められていた巻物を手に取る。


「南に、古い、火山があ、ある。そこで、灰が、採れた。で、でも、ずっと前、から、採れてない。」

「材料が調達できないってこと?」


 少女は「うん。」と頷きながら、ある面を差し出してくる。


 内容は大陸の南東部にある「ドマ山」という火山についてだった。周辺には火山灰を大量に採取できる「灰溜まり」があるらしいが……巻物はかなり古びていて、端は崩れかけている。文字も掠れていて読みづらい。


「全部、枯れてる。だから、もう、作れない。」

「新しい採取場所は見つかってないの?」

「ぁ……三百年、は、探してる。でも、無い。」

「そっか。」


 彼女が言った「ずっと前」が、三百年以上の昔の話だとすれば、もはやこの巻物の向こう側にある場所では火山灰を採取できないだろう。


 三百年__この巻物は、そんな途方もない時間を超えてここにある。きっとさらに昔の書物だってある。


 この「ワルレイの地下書庫」は、そうして知識が降り積もる場所なのだろう。十年、百年とかけて、地層のように。


 それにしても。大貴族のお嬢様であるカルリスティアが、コンクリートの製法や材料の産地に明るいとは思ってもみなかった。


「コンクリートのことも詳しいんだね。」

「ん……ここ、うちのと、土地、だから。」


 はて、と少年は首を傾げる。うちの土地とは、つまり……。


「フィグマリーグ侯爵の領地ってこと、だよね?」

「うん。昔、の、戦争でも、貰った。」


 王宮には内務卿の席があり、各地の都市には傘下の組織が拠点を構え、コンクリートの材料が採れる重要な土地も与えられている一族。


 フィグマリーグ侯爵家。彼らの力を侮ったことなど一度もないが、これからも侮るべきではない一族である。


 そしてその一族を率いる男の三女……知識に富み、心優しいこの少女が仲間として共に居てくれて。コンクリートについて教えてくれたことへ感謝しなければ。


「ありがとうカーリー。」


 幾ばくかの気恥ずかしさと心からの感謝を伝えると、彼女は銀色に輝く前髪を揉みながら「ん。」と小さく頷くだけだった。


 それだけで、十分だった。


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