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乃愛㉖

 帰りのバスは一時間おきにしかなくて、私達が新舞子ハイツまで戻ったのはちょうど次のバスが出てすぐだった。

 だいぶ着込んできたつもりだったけど、ずっと外にいたせいで身体は芯まで冷え切ってしまっていた。ホテルで温かい飲み物でも、と期待して行ったのに、ラウンジはクローズしていた。

 本当はロビーの片隅でも借りて休んでいたかったけど、フロントに立つ小太りなおばさんは、明らかに宿泊客ではない私達を不機嫌そうな目で睨みつけるので、自動販売機でホットココアを二つ買って外へ出た。うちはラブホテルじゃないよ、とでも言いたげな目線だった。


「大丈夫か?」

「うん、平気」


 停留所の側に置かれたプラスチック製のベンチに座って、バスを待つ。強がりではなく、甘くて温かいココアを口にした途端、じんわりと身体の奥から温かさが広がるのがわかった。


「あのさ、今度の日曜日なんだけど、悟さん達と会う事になった。一緒に行くだろ?」


 陽君が言い出した時、ついに来たと思った。


「悟さん達って、誰?」

「誰って……琴ちゃんと、有希さんだけど」


 出た名前に、キュッと胸が締め付けられる。


「俺達の給料だってどうなるかわからないし、悟さんから本社の電話番号とか住所とか、担当者の情報とか教えて貰おうと思って。乃愛も行こうぜ。勿論体調が良かったらの話だけど」

「……うん」


 私は曖昧に頷いた。

 今更悟さんや琴ちゃんに会おうとは思えなかった。いや、合わせる顔が無かった。 

 私と彼の関係に、悟さんは気づいていた。琴ちゃんだって。それは間違いないだろう。

 いずれきっと、陽君だって気づく時が来るはずだ。

 私の相手が彼だと気づいた時――それでも陽君は、私の側にいてくれるだろうか?

 出来る事なら、陽君がみんなに会うのを止めたかった。でもそれは迷う必要もないぐらい私のエゴでしかなくて、止めさせる方法なんて何一つ思い浮かばなかった。


「でも良かったね。有希さんに会えるなんて。もうずっと会ってないんでしょ?」


 答えから逃れるようにして、私は陽君をからかってみせる。


「十一月に店に来て以来だから、もう二ヶ月近くなるかな」

「店の事なんて本当はどうでもいいんじゃない? 有希さんに会えれば」

「ば、馬鹿言うなよ。みんな俺達の為に骨折ってくれてるんだぜ。せめて半分でも給料払ってもらわないと」


 頬を赤く染める陽君が、微笑ましかった。

 やがてバスが来て、二人並んでシートに座った。バスの中は暖琴が効いていて、今度こそほっと安堵のため息が漏れる。

 陽君には申し訳ない事しちゃったな。

 この寒い中、わざわざ海まで付き合わせて。陽君には何の関係もないのに。

 でも、一人じゃ絶対に来れなかった。新舞浜に来れたのは、陽君がいてくれたからこそだ。

 私の中では一つ、何かが片付いたような気がしていた。牡牛座のオブジェに捧げたのは、殺してしまった赤ん坊の死に対する祈りであり、彼との思い出に対する祈りでもあった。

 陽君がいてくれた事で、私の中で区切りを付ける事が出来た。

 そう思うと、なんだか勇気が湧いてくる。陽君が一緒にいてくれるなら、悟さん達に会ってもいいのかもしれない、と。半ば過ぎまでは、行こうと決めかけていた。

 でもバスの中で外の景色を眺める陽君の手の中に握られたものを見た瞬間、私の中で何かが弾けた。ベビーピンクの三色ボールペンは、有希さんからのプレゼントだ。本当に肌身離さず、大事に使っているんだ、と聞いたことがあった。

 そう。陽君にもまた、大切な人はいるんだ。

 以前からよく知っていたはずの事実を思い出して、私は陽君に気づかれないよう、深く息を吐いた。

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