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乃愛㉔

 陽君の部屋を出ると、外は一面の白に染まっていた。

 空には雲一つなく、太陽の光が温かく感じる。この陽気では、あっという間に雪も溶けてしまいそうだ。

 たった一晩明けただけなのに、華やかなクリスマスのムードそのものがすっかり消え去ってしまったようだった。陽君と長い時間話し続けたせいか、あれからもう何日も経ったようにすら感じられる。

 でもやっぱり、陽君はいいやつだ。

 気がついた時には陽君の部屋に向かっていた。これ以上彼にも縋れず、かといって一人きりの部屋に帰る気にもなれず。無意識の内に歩き続けた結果、たどり着いたのが陽君の部屋だった。

 陽君の部屋に来るのはりーちゃん達の歓迎会に続いて二度目でしかないというのに、何も聞かずに中に入れてくれた。その上、私が話したがらないのを知ると、それ以上の詮索をやめて、ただただ聞き役に徹してくれて。相手が相手なだけに誰にも言えず、相談もできず、彼本人にすら拒絶されて、一人ぼっちになってしまったかのような孤独感でいっぱいだった私に、静かに寄り添ってくれた。何よりも、一緒に産婦人科に行くと言ってくれたのは、涙が出る程嬉しかった。

  今になってみれば、最初から陽君に相談すれば良かったと思えてくる。彼を頼って、彼を待ち続けた事で、だいぶ長い時間を無駄にしてしまった。

 それを言うなら、そもそも彼と関係を結んでしまった事こそが最大の過ちなのかもしれないけど。

 頭では理解していても、私の心はなかなか簡単に割り切ってくれはしない。もしかしたら彼から連絡が来るのではないかと、携帯をチェックせずにはいられない。

『昨日はごめん』

 そう一言言って貰えただけで、すぐにまた彼の元へと心は雪崩れてしまうに違いない。そんな脆い自分が、信じられなかった。

 いずれにしても、陽君のお陰で前を向く力が湧いて来たのは確かだった。私は何度か看板を目にしたことのある産婦人科へと向かった。

 まだ朝早い時間だというのに、病院は意外と込み合っていた。年末だから、最後の診察と考える人も多いのかもしれない。

 お腹が突き出て、明らかに妊婦とわかる人もいれば、妊婦ではなさそうな人もいて、割合は半々ぐらいか。結構な年配の人は、産科というより婦人科の人なのだろう。

 間違いないのは、私のような二十歳前後の学生は珍しい、という事だ。

 年を取ってくれば、婦人科にかかるような病気や症状も増えてくるのだろうが、若い女性の場合にはそうそう多いものでもないだろう。病気と言っても、若い女性がかかるのは性病のような不名誉な感染症、というイメージがある。でなければ、やはり私と同じように、妊娠か。他の内科や外科、眼科や耳鼻科に比べると、若い女性が気軽に来る場所でない事は確かだ。

 なんとなく注目を浴びているような気がして、私は心なしか体を小さくして、待合室のソファーに蹲る。

「きっとあの子、妊娠したのよ」

「あんな若いのに。避妊しなかったのかしら?」

 なんて詮索されているように思えてくるのは、自意識過剰か。

 私の心配を意にも介さず、受付の看護婦さん達は至って普通だ。何の表情も感じさせない平静な表情で、

「倉田さん、二番へお入り下さい」

 と声を掛けられる。

 私は立ち上がって、診察室へと入った。

 応対したのはキリッと引き締まった表情をした年配の女医で、診察台に上るのかと思いきや最初は問診から始まった。年齢は。最後の月経は。月経の周期は。過去に妊娠や出産の経験は。病気の経験は。アレルギーは。

「ご結婚は?」

 という質問には詰まったものの、小さな声で「まだ」と答えた。けれどそう珍しい事でもないのか、女医は何の反応も見せなかった。

 問診が終わると、体重、身長を測って、尿検査。市販の妊娠検査薬と似たような検査薬をもう一度行う。結果は――陽性。

 そうしてようやく、触診と内診に入る。なんとなく聞いてはいたが、恥ずかしさを感じられるような状況ではなかった。体の中に棒のようなものを差し込まれたかと思うと、

「見て」

 と白黒のモニターを見るよう促された。

 バウムクーヘンの欠片のような砂嵐が、鼓動のようにドクドクと波打っている。その中に黒い穴のような丸があった。中に、落花生の中身のような塊が二つ。

「これが赤ちゃんよ。十一週目というところね」

 女医は落花生を指して、「これが頭で、これがお尻、この小さなのが足ね」と説明する。

 私はただただ、モニターに目を奪われていた。

「まだ大きさで言ったら五センチもないぐらい。でも、心臓も動いてるし健康な赤ちゃんよ。良かったわね。おめでとう」

 女医の言うおめでとうの声が、私の胸に突き刺さる。

 器具は私の体内から抜かれ、私は促されるままに衣服を整えた。

「今が十一週目として、予定日は七月の半ばぐらいかしら。妊娠初期はちょっとしたショックでも赤ちゃんに刺激が伝わりやすいから、出来るだけ安静にしてくださいね。次はまた二週間後に来て下さい。帰りに受付で妊婦さんになる人へのしおりも渡すから、それもよく読んでくださいね」

 女医はそう言って微笑んだ。

 おめでとう。あ 陽君の部屋を出ると、外は一面の白に染まっていた。

 空には雲一つなく、太陽の光が温かく感じる。この陽気では、あっという間に雪も溶けてしまいそうだ。

 たった一晩明けただけなのに、華やかなクリスマスのムードそのものがすっかり消え去ってしまったようだった。陽君と長い時間話し続けたせいか、あれからもう何日も経ったようにすら感じられる。

 でもやっぱり、陽君はいいやつだ。

 気がついた時には陽君の部屋に向かっていた。これ以上彼にも縋れず、かといって一人きりの部屋に帰る気にもなれず。無意識の内に歩き続けた結果、たどり着いたのが陽君の部屋だった。

 陽君の部屋に来るのはりーちゃん達の歓迎会に続いて二度目でしかないというのに、何も聞かずに中に入れてくれた。その上、私が話したがらないのを知ると、それ以上の詮索をやめて、ただただ聞き役に徹してくれて。相手が相手なだけに誰にも言えず、相談もできず、彼本人にすら拒絶されて、一人ぼっちになってしまったかのような孤独感でいっぱいだった私に、静かに寄り添ってくれた。何よりも、一緒に産婦人科に行くと言ってくれたのは、涙が出る程嬉しかった。

  今になってみれば、最初から陽君に相談すれば良かったと思えてくる。彼を頼って、彼を待ち続けた事で、だいぶ長い時間を無駄にしてしまった。

 それを言うなら、そもそも彼と関係を結んでしまった事こそが最大の過ちなのかもしれないけど。

 頭では理解していても、私の心はなかなか簡単に割り切ってくれはしない。もしかしたら彼から連絡が来るのではないかと、携帯をチェックせずにはいられない。


『昨日はごめん』


 そう一言言って貰えただけで、すぐにまた彼の元へと心は雪崩れてしまうに違いない。そんな脆い自分が、信じられなかった。

 いずれにしても、陽君のお陰で前を向く力が湧いて来たのは確かだった。私は何度か看板を目にしたことのある産婦人科へと向かった。

 まだ朝早い時間だというのに、病院は意外と込み合っていた。年末だから、最後の診察と考える人も多いのかもしれない。

 お腹が突き出て、明らかに妊婦とわかる人もいれば、妊婦ではなさそうな人もいて、割合は半々ぐらいか。結構な年配の人は、産科というより婦人科の人なのだろう。

 間違いないのは、私のような二十歳前後の学生は珍しい、という事だ。

 年を取ってくれば、婦人科にかかるような病気や症状も増えてくるのだろうが、若い女性の場合にはそうそう多いものでもないだろう。病気と言っても、若い女性がかかるのは性病のような不名誉な感染症、というイメージがある。でなければ、やはり私と同じように、妊娠か。他の内科や外科、眼科や耳鼻科に比べると、若い女性が気軽に来る場所でない事は確かだ。

 なんとなく注目を浴びているような気がして、私は心なしか体を小さくして、待合室のソファーに蹲る。


「きっとあの子、妊娠したのよ」

「あんな若いのに。避妊しなかったのかしら?」


 なんて詮索されているように思えてくるのは、自意識過剰か。

 私の心配を意にも介さず、受付の看護婦さん達は至って普通だ。何の表情も感じさせない平静な表情で、


「倉田さん、二番へお入り下さい」


 と声を掛けられる。

 私は立ち上がって、診察室へと入った。

 応対したのはキリッと引き締まった表情をした年配の女医で、診察台に上るのかと思いきや最初は問診から始まった。年齢は。最後の月経は。月経の周期は。過去に妊娠や出産の経験は。病気の経験は。アレルギーは。


「ご結婚は?」


 という質問には詰まったものの、小さな声で「まだ」と答えた。けれどそう珍しい事でもないのか、女医は何の反応も見せなかった。

 問診が終わると、体重、身長を測って、尿検査。市販の妊娠検査薬と似たような検査薬をもう一度行う。結果は――陽性。

 そうしてようやく、触診と内診に入る。なんとなく聞いてはいたが、恥ずかしさを感じられるような状況ではなかった。体の中に棒のようなものを差し込まれたかと思うと、


「見て」


 と白黒のモニターを見るよう促された。

 バウムクーヘンの欠片のような砂嵐が、鼓動のようにドクドクと波打っている。その中に黒い穴のような丸があった。中に、落花生の中身のような塊が二つ。


「これが赤ちゃんよ。十一週目というところね」


 女医は落花生を指して、「これが頭で、これがお尻、この小さなのが足ね」と説明する。

 私はただただ、モニターに目を奪われていた。


「まだ大きさで言ったら五センチもないぐらい。でも、心臓も動いてるし健康な赤ちゃんよ。良かったわね。おめでとう」


 女医の言うおめでとうの声が、私の胸に突き刺さる。

 器具は私の体内から抜かれ、私は促されるままに衣服を整えた。


「今が十一週目として、予定日は七月の半ばぐらいかしら。妊娠初期はちょっとしたショックでも赤ちゃんに刺激が伝わりやすいから、出来るだけ安静にしてくださいね。次はまた二週間後に来て下さい。帰りに受付で妊婦さんになる人へのしおりも渡すから、それもよく読んでくださいね」


 女医はそう言って微笑んだ。

 おめでとう。

 また、二週間後。

 産婦人科に行けば、きっと「産むか、産まないか」の二択を迫られると思っていた。妊娠が確定となれば、残る選択は二つに一つ。「産むか」または「産まないか」。

 非常に苦しい決断となるだろうけど、どちらか一方を選ばなければならないと覚悟していたつもりだった。選択する先が、道徳的にも、社会的にも、親として、人間としても許されないものだったとしても。

 しかし、現実には違った。産婦人科は選択肢なんて与えなかった。当たり前のように「おめでとうございます」と祝福し、当たり前のように「次は二週間後」と再来を促した。

 それが当たり前だった。

 一度授かった生を拒む選択肢なんて、最初から無かった。授かった命は産まれる事を前提に母体の中で大事に育まれるのが、当然なのだ。

 私は自分の浅はかさを呪いたい気持ちでいっぱいだったあ

 また、二週間後。

 産婦人科に行けば、きっと「産むか、産まないか」の二択を迫られると思っていた。妊娠が確定となれば、残る選択は二つに一つ。「産むか」または「産まないか」。

 非常に苦しい決断となるだろうけど、どちらか一方を選ばなければならないと覚悟していたつもりだった。選択する先が、道徳的にも、社会的にも、親として、人間としても許されないものだったとしても。

 しかし、現実には違った。産婦人科は選択肢なんて与えなかった。当たり前のように「おめでとうございます」と祝福し、当たり前のように「次は二週間後」と再来を促した。

 それが当たり前だった。

 一度授かった生を拒む選択肢なんて、最初から無かった。授かった命は産まれる事を前提に母体の中で大事に育まれるのが、当然なのだ。

 私は自分の浅はかさを呪いたい気持ちでいっぱいだった。

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