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陽㉙

 結局ラーメンを半分だったら食べるというので、インスタントラーメンを作って半分に分けた。


「あ、なんか食べ始めたらお腹空いて来たかも」

「だろ? 食った方がいいって。なんか買って来るか?」

「そこまでしなくてもいいけど。あ、でも今頃ケーキ安くなってるかな? クリスマスケーキ」

「かもな。でもなんか、売れ残りのクリスマスケーキって縁起悪そうだよな」

「そうかな? 別に普通じゃない?」

「だって売れ残りのケーキ買ってきて、俺とお前で食ったら売れ残りが売れ残り食ってるみたいじゃん?」

「あ、上手いねそれ。売れ残りが売れ残り食べるって」


 ははははは……と顔を見合わせて笑ったものの、まるでフェードアウトするかのように笑い声が消えると、後には沈黙だけが残った。

 話の流れとしては上手くもなんともなく、完全に失敗だった。


「あのさ、もしかして……お前、彼氏とかいたの? もしくは好きな人とか」

「どうして?」

「今日、仕事の後にそいつに会う予定だったんじゃねえの? それでなんかあったから、こんな事になってんだろ?」

「……鈍いよねえ、陽君は。相変わらず」

「鈍いって、どういう意味だよ」

「だって年頃の女の子がクリスマスの夜に一人で泣いて悲しんでるんだから、男と何かあったに決まってるでしょ」

「だから確かめてんじゃんか」

「確かめなくても察しろって事よ、鈍感。そんなんだから有希さんにも振り向いて貰えないし、りーちゃんにも逃げられちゃうんだからね」


 介抱しているつもりが、いつの間にかいつもの劣勢に戻ってしまっていた。

 それは悪くはないなと思いつつも、やはり男がらみだった事に少し驚いた。乃愛の口から彼氏の話題や意中の男性の話題なんて聞いた事がなかったから、まさかクリスマスに揉め事が起きるような相手がいるなどとは想像もしなかった。

 俺には駆け引きの相手すら存在しない事を思えば、先を越されたような、取り残されたような羨望を感じなくも無かった。

 それにしても――バイト先では仕事の事で悩み、終わった後で別に男とも揉めて――忙しい事この上ない。一人寂しく寝る準備を始めていた身からすれば、羨ましい限りだ。


「でも、陽君は優しい。何より一途だし。きっとその内いい人が現れるよ、絶対」

「なんだよそれ。他人事みたいに」

「本当よ。保証する。陽君なら慌ててがっつかなくても、可愛い彼女出来るって。今は陽君にもその気がないから、向こうも近づいて来ないだけで」

「まぁ、確かに今は急いで相手を探そうとも思ってないけどさ。でもなんだよ。もしかして心当たりでもいるのか?」

「そういう訳じゃないけど、勘よ勘。女の勘」

「すげえアテにならねえなぁ、それ」


 俺は笑い捨てたものの、


「私も陽君みたいな優しい人を好きになれば良かったのかなぁ」


 という続く言葉に、真顔にならざるを得なかった。


「そしたらこんな辛い想いする事も無かったのにね。陽君だったら優しいし、責任感もあるし、きっとこんな事にならなかったよね。馬鹿だなぁ、私……」


 気づけば乃愛の瞳には、再び涙が滲んでいた。

 化粧もしていないのにまつ毛は小指の爪程に長くて、俺の視線は無意識の内に、くっきりと浮き出た頬の輪郭や、するりと滑るような首筋、ジャージの首元から覗く浮き上がった鎖骨を順になぞってしまう。

 そこでようやく俺は、乃愛に女を感じている事に気づいて、はっと我に返った。

 婉曲的な告白ともとれる乃愛の言葉は、俺を動揺させるには十分だった。


「何言ってんだよ。何があったか知らないけどさ、元気出せよ。喧嘩したんだかなんだか知らないけど、仲直りすればいいじゃんか。流石に全部終わったわけじゃないんだろ?」

「駄目かも……私、もう駄目かもしれない……」


 突然乃愛の顔がくしゃりと歪んだかと思うと、あふれ出した涙を隠すかのように両手で多い、乃愛は嗚咽し始めた。


「おい、乃愛。泣くなよ。泣くなって」


 目の前で泣きじゃくる女の子を前に、俺はどうする事もできなかった。

 気心知れた相手ではあるけれど、それはあくまで仕事や大学生活を通しての事だ。こうして傷つき、取り乱した姿に直面するのは初めてだった。

 まさか抱き締めてやるわけにはいかないし、かといって頭や背中を撫でるのもどうなのだろう。しかしこうして文字通り手も足も出ずに見守っていて良いものなのだろうか。

 俺はどうすれば良いのか、乃愛はどうして欲しいのか、さっぱり見当もつかなかった。


「駄目って……そんなに急に駄目になっちゃうのか? 何があったんだよ。とりあえず落ち着いて、何があったのか教えてくれよ。俺で力になれる事ならなんでもするからさ。なあ」

「陽君……」


 乃愛は呻くように俺の名を呼び、


「私……妊娠したかも……しれない」


 乃愛の告白に、俺はガツンと頭を殴られたような衝撃を受けた。

 妊娠? 乃愛が?

 乃愛は黙って、バッグをまさぐった。取り出したのは、体温計のような白い小さな棒だった。真ん中に小さく丸い穴が開いていて、その中には赤いラインが一本――妊娠検査薬だ。

 初めて見る器具に、俺は動揺を隠せなかった。これがどうやって使われて、ラインが何を表しているのかは知らないが、なんとなく察せられる。


「もうずっと、二カ月も生理が来なくて……あんまり遅れてるから昨日、検査してみたの。そしたら、陽性って……」

「陽性って……妊娠してるって事?」


 俺の頭はすっかり混乱していた。


「検査って、でも、間違っている事もあるんじゃなかったっけ? 良く言うじゃん。検査薬やったけど間違いだったって。あれ……」

「私も調べてみたけど、妊娠してるのに反応が出ない事はあるみたい。早過ぎたりとか。でも、逆に妊娠してないのに反応する事はほとんどないんだって」


 どこかで聞いたような僅かな希望を持ち出すものの、即座に打ち消されてしまった。俺に言われるまでもなく、当事者である乃愛は色々と調べもしたのだろう。


「相手には言ったのか? 相手……わかってるんだろ?」


 乃愛は黙って頷いたものの、自ら言葉を紡ごうとはしなかった。何を言うよりもその様子から俺は最悪の状況を薄々感じてしまっていた。


「相手は? なんて?」

「……終わりにしようって」

「そんなっ」


 俺は思わず立ち上がった。


「終わりにしようってどういう事だよ。意味わかんねぇ。そいつの子どもに間違いないんだろ? 乃愛一人でどうにかしろっていうのか? なんて奴だ。そいつ、誰なんだよ!」

「ゴメン……」

「ゴメンって……そうじゃなくて、相手は? 教えろよ。俺が直接そいつに会って話してやる。ふざけんなって言ってやるから」

「ゴメン……言えない……」

「言えない?」


 余りにも予想外の返答に俺は怒りのやり場を失って、茫然と立ち尽くした。


「言えないって、どういう事なんだ? 彼氏なんだろ? 赤ん坊の親なんだろ? どこのどいつなんだよ」

「言えないの。お願い。教えられない」

「教えられないって……そんな……だってお前、どうするんだよ。そいつ、責任取ってくれそうにないんだろ? お腹の子、どうするんだ?」

「わかんない! 私だってまだ、何も考えられない! どうするのかなんて、まだ、そんな……」


 乃愛は髪を振り乱して叫び、俺は口を噤んだ。

 口には出せないような相手との、子どもを妊娠した。

 そんな自分の身の回りには縁がないと思っていた事態に乃愛が陥っていると知って、俺には現実として受け止める事が出来なかった。

そうして乃愛は泣き続け、俺は鉛を飲み込んだような気分で途方に暮れ、悪戯に時間は過ぎて行った。

 その内思い出したようにポツリ、ポツリと俺達は会話を交わした。落ち着いてくれば、乃愛が現実を受け止めたくない気持ちもわかる。絶望に打ちひしがれた結果、雪の中を彷徨い続け、こうして俺の部屋へ来たのだろうから。今は乃愛を責めたって、どうにもならない。

 とはいえ現実問題としては、このまま何もせずにただ時間を過ごす訳にはいかない。

 まず乃愛がしなければならないのは――何よりも病院だ。とにもかくにも、産婦人科で診察してみなければならない。万が一にも何かの間違いかもしれないという可能性がほんの僅かでもあるのだとすれば、正式に医師に診断して貰う必要がある。


「早く行かないと、正月休みに入っちゃうんじゃないか」

「そうだね。すぐ行かないと」


 乃愛もようやく平静を取り戻しつつあった。


「そいつ、一緒に行ってくれそうにないんだろ?」

「……多分」

「……俺、一緒に行こうか? なんだったら付き合うぜ。一人じゃ気が重いだろ?」

「ありがとう。大丈夫。でも、行くのは一人で行ってくる」


 乃愛は微かに笑みを浮かべた。


「もしかしたらその後……色々相談するかもしれない。そしたら、ゴメンね」

「気にすんなよ。なんでも言ってくれ」


 気づけば空は白み始めていた。

 乃愛が後々する相談は、なんとなく想像がついた。これから先の話とはいえ、現実的に出すべき答えは一つしかないと、薄々感じていた。相手は協力的ではない上、乃愛はまだ学生なのだ。他に取るべき解決策なんて、あるはずがないのだから。

 乃愛が朝早くに部屋を出て行った後で、俺はふと思い出してベッドの上に投げ出した携帯を探した。通知を示すランプが、小刻みに点滅していた。

 有希さんから返事が来ていた。


『メリークリスマス。来年こそは彼女作りなさいよー』


 すぐに返事をくれたのは嬉しかったけど、内容は最悪だった。また、他人事みたいに。

 やっぱりあの人は、ズルい人だ。

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