陽㉕
そうして十一月も半ばに入った頃、嬉しい出来事があった。
琴ちゃんと有希さんが、遊びに来たのだ。
「久しぶり陽君! どう? ちゃんと真面目に仕事してる?」
琴ちゃんは相変わらず能天気で、入院していた頃に比べると血色も良くなっていた。一時落ちた体重も、戻りつつあるのだという。
そして有希さん。最後に会った時はまだ半袖姿だったはずなのに、今日はタートルネックのセーターだった。あれからもう、二月近く経ったのだ。久しぶりに会うというのに、あっという間だったような、でも物凄く長かったような、不思議な気分だった。
「陽君の場合、仕事より大学の方が問題よね。ちゃんと勉強してる?」
流石に有希さんはよくわかっている。答えはノーだ。元々授業も課題も少ないから大学はどんどん希薄になってしまっている。最低限の時間だけ出席し、必要な課題だけ提出する。面倒なだけの事務手続きみたいなものと化しているのだ。
「自分こそどうなの? まだニートしてんの?」
「ううん。もう働いてるよ」
有希さんがあっけらかんと言うので、俺はショックを隠せなかった。聞けばもう先月の半ばから、実家近くのリラクゼーションサロンで受付のような仕事をしているのだという。バイトではなく準職員としてパートのような扱いであり、健康保険や年金を始め福利厚生も受けられるので、悪くないのだそうだ。
「あ、有希っぺ。それ陽君に報告してなかったんでしょ。駄目だってば、ちゃんと言わなきゃ。陽君ずっと心配してるんだからね」
「そうだよ。教えてくれても良かったのに」
「だって、陽君だって何の連絡もくれなかったし」
拗ねたように言う有希さんに、俺は懐かしい胸の痛みを覚えた。まったく、なんて愛らしいアラサーなんだろう。こっちは連絡したくてしたくて堪らなかったけど、特に用事もないのにメールしたら迷惑かと思ってじっと我慢を決め込んでいたというのに。一体どれだけのメールが未送信ボックスに溜まってると思ってるんだ。
「それで、今日は何か食べて行くの?」
久坂マネージャーも珍しく笑顔を見せて、二人に声を掛けた。しかし二人は、困ったように顔を見合わせる。
「実はもう、済ませて来ちゃったんだよね」
「うん、だから飲み物だけでいいかなって」
「あ、いいなぁ。どこ行って来たの?」
「マンマミーヤ」
『マンマミーヤ』と言えば、りーやモモちゃんが移った店だ。
「マジで? りー達いた?」
「いたよー。行くって言っておいたし。元気で働いてた。もうすっかり馴染んじゃって。りーちゃんはチーズ削ってくれたし、モモちゃんはホールじゃなくてピザ焼いてたよ。びっくりしちゃった。普通に美味しかったし」
『マンマミーヤ』のピザと言えば、客前でくるくる回したりパフォーマンスをしながら焼く事で知られている。不器用なモモちゃんがこの短期間でやっているんだとしたら、きっと相当の練習を重ねたんだろう。二人とも、新しい職場で頑張っているのだ。
一緒に働いていた後輩が余所でも活躍してると聞けば、こんなに嬉しい事はない。ましてやりーは俺を「先生」だの「恩人」だのと言って慕ってくれた子だから、後輩というより弟子に対するような思いもあって尚更だ。
「りーちゃん寂しがってたよ。先輩全然来てくれないんですって」
ちょうどりーの事を思い出していたところに、さっきのお返しとばかりに有希さんが言う。完全にしてやられて、俺は言葉に詰まった。
花火大会の日に会ったのが最後で、りー達には連絡すらしていない。あの時、「マンマミーヤに食いに行く」って約束したのに。りーは今でも忘れずに待ってくれているのだろう。
それにしても、それを面と向かって俺に言う有希さんも相変わらず意地悪だ。どう考えたって、俺の気持ちに気づいてる癖に。
結局二人は一時間ぐらい過ごして帰っていた。とにもかくにも、悟さんが辞めてしまったのは二人にとっても大きな衝撃だったようだ。特に琴ちゃんは悟さんと仲が良かったから、てっきり知っているものとばかり思い込んでいた。
「何やってるんだろうねぇ、もったいない。今度連絡してみようかな」
琴ちゃんは言った側からメッセージを送っていたようだったけど、悟さんからはなかなか返事が来ないようだった。
帰り際、他に客もいなかったので店の外まで送って行くと、耐えかねたように琴ちゃんがポツリと言った。
「久坂さん、だいぶ痩せたね」
「……うん。今全部一人でやってるから」
「乃愛ちゃんは?」
「まぁ、乃愛は俺と一緒で、週末だけだし。平日も夜とかは時々遊びに来てるみたいだけど」
「そっかぁ」
琴ちゃんは小さくため息をついた。
「琴ちゃんさぁ、乃愛になんかあんの? この間もそうだけど、どうかした?」
「ううん、別にいいんだ。でも、陽君も大変だね。周りみんな手が掛かる人ばっかりで。かと思えば、有希っぺみたいに連絡も寄越さない薄情なのもいるし」
「別に薄情な訳じゃないし。便りがないのは無事な証拠って言うじゃない。ねぇ?」
有希さんが同意を求めるように俺を仰ぎ見るから、
「有希さん、違うよ。それって便りがないのは良い便りって言うんだよ」
と言い直してやった。
「さっすが陽君、ちゃんと勉強してるじゃん。でも有希っぺ、違うからね! 陽君は待ってるんだから、なんでもいいからちゃんと小まめに連絡してあげないと。おはようとか、おやすみ、チュッとか」
「いいの、陽君はちゃんとわかってくれてるんだから。ね?」
琴ちゃんの言葉に激しく同意したい反面、そんな風に有希さんに微笑みかけられると言葉に詰まる。有希さんの手のひらの上で転がされている気分だ。
「じゃ、陽君またねー」
琴ちゃんは手を大きく振って、駐車場の方へ歩いて行ってしまう。しかし何故だか有希さんは、その場に残ったままだった。
「あれ? 一緒じゃないの?」
と聞こうとしたら、
「はい」
と有希さんが小さな包みを差し出した。
「この間は本当にありがとう。だいぶ時間経っちゃったけど、ちゃんとお礼しなきゃって思ってて。これ、ホントちょっとした気持ちだけど」
俺は呆然と立ち尽くしてしまった。有希さんからの初めてのプレゼントだ。
「有希さん、そんなわざわざ……色々大変な時なのに」
「こらっ。大変なのに大変なのにって言われるのも傷つくんだから、あんまり言わないで。なんとかなってるから、こうして遊びに来たんでしょう?」
「ゴメン。じゃあ、だいぶ片付いてきたの?」
「全然。結局、そもそも借金作った張本人がいないから。片付くもなにも、本人不在じゃどうにもならないってお互いお手上げになってる状態。でも、なんとかなりそう」
「そっか」
何も進まないのは喜んでいいのかどうかわからないが、有希さん自身が「なんとかなりそう」と言うのだから、先行きは決して悪くは無いのだろう。
「じゃあ、遠慮なくいただきます」
俺は改めて、水色のパステルカラーの包装紙と、白いリボンに包まれた小さな長方形の包みを受け取る。軽いけれど、一体何が入ってるんだろうか。
「勉強にも仕事にも使えるのを選んだつもりだから、使ってね」
そう言い残し、有希さんは身を翻した。見れば駐車場で琴ちゃんがこっちを見ている。これを渡す為だけに、有希さんは残ってくれたのだろう。
「ねえ、有希さん!」
小走りに去ろうとする有希さんに、俺は慌てて声を掛けた。
「今度、ホントに連絡してもいいかな? しょうもない内容かもしれないけど」
俺の質問に、一瞬振り向いた有希さんはにっこりと笑みを浮かべると、無言のまま手を振って行ってしまった。その向こうで琴ちゃんもブンブンと手を振っている。俺は釈然としない思いを抱えつつも、笑顔で手を振り返した。
結局、気軽に連絡して良いのやら悪いのやら。ちゃんと言ってくれない有希さんはやっぱりズルい。段々わかってきた。あの人は色々とズルい人だ。単純に天然なのかもしれないけど。
店に戻って、仕事をしている振りをしながらこっそり包みを開けてみた。中に入っていたのは、ちょっぴり高級そうなアルミ軸の三色ボールペンだった。有希さんが仕事にも勉強にも使えると言った意味が、ようやく分かった。
「使ってね」なんて言われるまでもなく、使うに決まっている。後生大事にして墓場まで持って行く勢いだ。今までは百均の使い捨てボールペンしか使った事が無かったから、こういう高そうな物を使うのは初めてだ。確かにこれなら、客前で出しても格好良く見えるかもしれないけど。
色がベビーピンクなのは、ちょっと意外だったけど。
女の影を匂わせて、他の女の子が近づかないように、なんて意図があったりするんだろうか。
ははっ、まさかね。有希さんに限って、そんな事あるはずもないか。




