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乃愛⑲

 仕方のない事だった。

 そう思ってはみても、やっぱり割り切れない気持ちがあった。心のどこかで、琴ちゃんと珠ちゃんをクビにしたのは間違いだったんじゃないかという疑念が拭えない。

 宣言通り、平日一人でホールの仕事をこなし始めた彼は、日に日にやつれて行った。昼のオープンから夜のクローズまで店に立ち、終わった後でようやく裏での事務作業に入る。今まで私達がやっていたような在庫確認や発注といった雑務も含め、原価や売上管理に至るまで全てを一人でやらなければならない。

 どんなに彼が優れたサービスマンであったとしても一人で相手できる客数だって限度がある。いっぺんに三組も入ってしまえば、すぐに後手に回らざるを得なかった。席に案内して、水を出して、オーダーを取って。それだけでも手詰まりだ。

 幸か不幸か、客数は減る一方だった。平日のディナー客は一桁しか来ない日もあった。そんな日は稲谷シェフの望み通り二十時過ぎには店を閉めてしまうのだが、結局帰れるようになるのはその数時間後になる。

 私はこれまでも、自分がシフトに入っていなくても店に顔を出したりしていたけど、今やほぼ毎日のように足を運ぶようになった。とにかく彼を一人にしておくのが心配だったのもあるし、あまりにも会える時間が少なかったから、出来るだけ彼の側にいたかった。仕事が終わる時間は遅かったけど、少しでも早く終われるような日にはそのまま彼と車で出かけた。

 彼は目に見えて痩せていったけど、今まで以上に私を求めるようになった。私の身体を欲しがった。これまでのように少しずつムードを作ったり、会話を盛り上げたりという手間すら惜しむように、荒々しく私の身体を貪った。でも私はどんな形であれ、私を必要としてくれる彼が愛おしくて、少しでも支えてあげたくて、彼の望むがままにした。

 陽君はあれ以来、仕事に来なくなってしまった。大学で会っても、目すら合わせてくれない。陽君が有希さんに寄せる想いを考えれば、当然の反応なのかもしれない。陽君は有希さん目当てにアルバイトに来ていたようなものなのだ。理由が除かれてしまった以上、出てくる理由も無くなってしまう。

 でも私は、「本当にそれだけなの?」と問いただしたい気持ちもあった。有希さんがいないなら意味がないなんて、本当にその程度だったのかって。陽君だってアルバイトを初めて何カ月も経って、その中で沢山勉強も練習もして仕事を覚えて、成長して、色んなやりがいや達成感も味わってきたはずだ。『フィオーレ』での毎日は、有希さんがいなければ意味ないなんて、そんな単純なものではなかったはず。

 そう思ってはいても、陽君が避けている以上、私からはどうしようも無かった。今や頼りになるのは陽君だけで、彼の負担を少しでも軽減する為にも、陽君には協力して貰いたかったのだけど。

 九月最後の日曜日、ディナーはとにかく暇だった。十七時半からのオープンだというのに、十九時過ぎても一組しか入らなかった。


「悪いけど今日は先上がらしてもらうよ」


 稲谷シェフはそう言って、早々に帰ってしまった。

 その一組が帰ってからは完全に閑古鳥が鳴くような状況で、彼は入口でパソコンを操作していた。最近では客がいる、いないに関わらずそういう姿を見る事が多くなってきた。本来はあまり褒められた行動ではないのだろうけど、店番をしながら店の数字の管理もしなければならない以上、仕方のない事だった。

 私は裏でデシャップの片づけやら、倉庫で在庫確認等を行っていた。私がいる内に出来るだけ雑務はこなしてあげたかった。人件費の削減の為に彼は辛い立場にいるのだから、無駄と言われない為にも勤務時間中はより一層頑張って働かなくちゃという思いもあった。


「毎日大変だねえ、乃愛ちゃんも」


 いつの間にか悟さんがやって来て、煙草に火を点けた。以前は仕事中は絶対に煙草は吸わないはずだったのに、最近では一日に何度も喫煙する姿を目にするようになった。

 なんと答えていいかわからず、私は曖昧に頷く。


「そんなにあいつがいいかねぇ? 俺にはいまいちよくわかんねえけどな」


 悟さんの言葉に、私は弾かれたように顔を上げた。悟さんは批難するでも叱るでもなく、苦笑を浮かべていた。

 琴ちゃんには、なんとなくバレているような気がしていた。でもまさか、悟さんにまで気づかれているとは思っていなかった。とはいえ最近は仕事がなくても毎日のように来ているんだから、気付かれても仕方がなかった。私にも今までのように人の目を気にするような余裕はなかった。


「陽は? 辞めてはいないって聞いてたけど、このまま辞めそうな感じ?」


 私は答えられず、首を左右に振った。悟さんは憐みのような視線を向ける。


「あいつも無責任だよなぁ。気持ちはわからないでもないけど。でも久坂と乃愛ちゃんだけじゃあやってらんねえよな。なんとか出てくるように言ってみるか」

「言うって、どうやって……?」

「簡単だろ。有希さんに仕事行けって言わせりゃいいんだ」


 言うが早いか、悟さんは目の前で電話をかけ始めた。


「……あ、琴ちゃん? 夜遅くに悪ぃね。陽の事なんだけど、まだ仕事出て来ないんだわ。有希さんに言って仕事行けって言わして貰える? ……いや、そこは有希さんにも俺から頼まれたって言っとけばいいじゃん。うん、宜しくねー。はいよー」


 軽い感じで電話を切るや、悟さんは私にVサインを見せた。あんまりおかしくて、私はつい噴き出してしまった。


「ひどい。有希さん利用するなんて」

「何言ってんだ。本気で辞める気なら最初っから辞めるって言うだろ? 言わないって事は、その内戻ってくるつもりなんだよ。あいつもどうせ迷ってんだから、有希さんでもなんでも使って、戻ってくるきっかけを作ってやればいいんだよ」


 悟さんもそう言って笑った。

 悟さんが『フィオーレ』を辞めたのは、その翌日の事だった。

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