陽⑲
結局病院には一時間程いて、ずっととりとめのない話をしていた。
でも俺は、琴ちゃんの話を聞いた後はとてもじゃないが笑って話に混ざる事なんて出来なかった。
「なんか私と琴のくだらない話に付き合わせちゃったみたいで、ゴメンね」
車に乗り際、有希さんはそう笑って謝った。この人の精神状態はどうなっているんだろう、と不可解にすら思う。どうしてこんなに、いつもと変わらないような顔で笑えるんだ。
車は一路、来た道を戻り始めた。『フィオーレ』までは僅か十五分のドライブ。その間、俺は話しを切り出そうか迷い続けた。でもこれはあくまで琴ちゃんから言われたことで、有希さん本人から聞いたわけではない。本当に必要ならば、有希さん自身の口から語られても良いのではないか。有希さんが俺に言わないのは、俺は関係ないと思っているからじゃないのか。それなのに俺が口を挟んで良い問題なのかどうか。
迷っていると十五分は本当に早くて、あっという間に駐車場まで着いてしまった。
「着いたね」
とエンジンを切る有希さん。俺は彼女の横顔を見つめ続けた。この透き通るような肌の内側に、この人はどれだけの強靭な精神力を持っているんだろう。どんなに強い人なんだろう。そう思うと、目を離すことが出来なかった。
「何?」
視線に気づいた有希さんが、俺の方を向いて小首を傾げる。とても三十近いとは思えない。許される事なら今すぐにでも抱き寄せたいような愛らしさだ。
「琴ちゃんから……聞いた」
俺の言葉にも、有希さんは動じることは無かった。それだけで何を指しているかは察したらしく、
「そっか」
とハンドルから手を離し、座席に深く身を凭れる。
「琴はおしゃべりだなぁ。余計な事まで言うんだから」
「余計な事なんかじゃないよ」
俺は有希さんを睨み付けた。
「少しぐらい言ってくれたっていいじゃないか。俺は確かに有希さんから見たら頼りないかもかもしれないけど、でも俺にだって、絶対何か力になれる事はあるはずなのに。一言くらい、相談してくれたっていいじゃんか」
「……ゴメンね。陽君は巻き込みたくなくて」
「やめてくれよ、そんなの! そんな他人行儀な事言わなくたって! 俺は、有希さんの、俺は……」
それ以上続ける言葉が思い浮かばなくて、俺は唇を噛み締めた。放って置いたら零れそうな涙を、ばれない様に親指で拭う。
俺は、有希さんの、なんだ?
アルバイトの同僚という以外に、俺と有希さんの間に、何があったというんだ。
毎日のように顔を合わせ、琴ちゃんや久坂マネージャーやキッチンのみんなやりーやモモちゃんと一緒に、力を合わせて一生懸命仕事をして、手が空いた時にはくだらない話をしたり、バカ騒ぎしたり。前には琴ちゃんと三人で『マンマミーヤ』に行ったり、三人で花火を見たり。
でも結局のところ俺は、有希さんにとってアルバイト先の同僚の大学生という以外の、なんでもないというのか。
俺はずっと、有希さんだけを見てきたのに。
有希さんにも伝わるように、ずっと想い続けて来たのに。
少なくとも他のその他大勢よりは、有希さんに近い存在だと思っていたのに。
でも考えれば考える程それは自分勝手で、あまりにも独りよがりで、空しさは増すばかりだった。
有希さんの口から「そんな事ないよ」と言って欲しいだけなのに。「好きだ」とか「愛してる」なんて分不相応な言葉は望まない。ただ一言、「陽君は特別」と言ってもらいたいだけだというのに。
有希さんの言った「巻き込みたくなかった」という言葉はそのままの意味で、俺を思いやっての結果だという事はわかる。でも、余計な気は遣って欲しくなかった。困った時に「助けて」と真っ先に助けを求められるような、そんな存在でありたいと思っていたのに。
「陽君……」
彼女は戸惑いの表情で俺を見つめていた。助けになりたいはずなのに、逆に困らせるなんて。俺の思いとは反対にしか進んでいかない状況が歯がゆくて、悔しかった。
「ありがとう。じゃあ、一つだけお願いしていいかな?」
有希さんの言葉に、俺は顔を上げた。
「アパートに行って、荷物を取って来たいの。一緒に来て貰ってもいい?」
俺は深く頷きを返した。




