陽⑱
翌週の水曜、俺は有希さんと『フィオーレ』で待ち合わせをした。
店の前で俺をピックアップした後、有希さんの車で病院まで連れて行ってくれるという。
「ボロ臭い車だけど、気にしないでね」
二世代ぐらい型遅れの軽自動車は、それでも几帳面な有希さんらしく小奇麗だった。後ろには、普段は助手席に載せてあるらしい子ども用のジュニアシートと、キャラクター柄のひざ掛けがあった。きっと悠斗君の物なのだろう。こんな些細なところに、有希さんが子持ちの既婚者だという現実を改めて突き付けられた気がして、胸がちくりと痛んだ。
「手ぶらで行って、本当に良かったのかな?」
「大丈夫よ。まだ何も食べれないっていうし。花なんて買って行ったって仕方ないでしょ? 社会人ならお金包んだりもするけど、陽君はまだ学生だからそこまでされても逆に琴の方が困っちゃうだろうし。だったら、退院した後でみんなでお祝いでもしてあげようよ」
当たり前だけど、病気見舞いなんていう一般常識に疎い俺に対し、有希さんは流石に世間慣れした大人だった。いちいちがもっともで、頷くしかない。
お見舞いには有希さんに言われた通り、乃愛も誘った。が、しかし、
「私、行かない」
と乃愛には即座に断られた。
また俺に気を遣ってくれたのかと思いきや、そうではなく、
「琴ちゃん、多分私の事嫌いだと思う。だから私、行けない」
とびっくりするような理由だった。
乃愛はそれ以上は話したくない様子で、俺も気にはなりつつも、何故そう思うのか理由を問いただすのは憚られた。
有希さんには「乃愛は大学の用事があって、行けない」と伝えた。もしかしたらそれで、琴ちゃんへのお見舞い自体無くなってしまうかと思ったが、有希さんは単純にそれはそれとして受け止めてくれたようだった。
結果として俺は、有希さんと二人で琴ちゃんのお見舞いに行く事になったのだが。
こうして実際に出発する前は有希さんとドライブだと一人期待を膨らませていたものの、いざ走り出してみたらみたで、なんだか車も運転も有希さん任せの自分が情けなくなってくる。有希さんはやはり大人で、俺はまだ学生なのだ。
「琴ちゃんと連絡取ってるの?」
「取ってるなんてもんじゃないよー。もう毎日ウザぐらいメール寄越すんだから。暇だとか、悟さんのパスタが食べたいとか、稲谷さんの中華は見たくも無いとか」
「家の事とか大丈夫なのかな?」
「あそこは旦那がしっかりしてるから、一生懸命やってくれてるみたい。下の子はウチの悠斗と同い年だから保育所の送り迎えも必要なんだけど、毎日ちゃんとお弁当作ったりとか。実家からもお母さんが手伝いに来たりしてるみたいだけど」
旦那が好き放題しているという有希さんちだったらどうなるかな、なんて聞きたい気持ちもあったけど、ぐっと堪えた。あれからどうなっているかは知らないが、他人んちの事情に踏み込むのは流石に気が引けた。琴ちゃんだったらズンズン突撃してしまうのかもしれないが。
十五分ほどで車は、琴ちゃんが入院している共立病院へと着いた。この地域では一番の総合病院だ。
一度来た事があるとはいえ、手術前と後では病室も異なる。一応メールで部屋番号は聞いていたようだったけど、ナースステーションで確認しながら、有希さんは琴ちゃんの病室を探し出した。あまり病院に免疫のない俺にとっては、ずいぶん手馴れているように感じる。やはり人生経験の差というヤツなのだろうか。
「や、琴」
「おっ、来たないちゃいちゃカップル」
俺達が入口を潜ると、早速琴ちゃんは嬉しそうな笑みを浮かべた。しょうもない冷やかしは、俺も有希さんもいい加減慣れてスルーを決め込む。
口が減らないのは元気な証拠だ。そうは言っても少し頬のあたりがこけたようにも見える。
「手術からしばらくは重湯みたいのしか飲んでないし、ようやく米っぽいの食べられるようになったばっかりなんだから。早く美味しいの食べたーい。脂っこいの食べたーい。テリヤキバーガー買って来てよー」
ベッドの上でのたうち回ろうとする琴ちゃんに、有希さんは「絶対駄目だよね」と冷たく言い放った。
とにもかくにも経過は順調なようだ。それでももうしばらくは入院の上、退院した後も一週間おきに経過観察も必要になるという。当然ながら、やはりしばらく職場復帰は無理ということだった。
「でも暇なんでしょ? 大丈夫なの? 琴が復帰する前に潰れちゃうんじゃないの?」
「ホント、あり得るから怖いよね」
有希さんは俺の顔を仰ぎ見た。俺も無言で頷く。
ここのところ、ランチは三十人行くか行かないかだ。ディナーは俺と乃愛が代わる代わる入っているものの、席の半分も埋まればいいぐらい。満席にすらならないなんて、あまりにも悲惨過ぎる。
それでも稲谷シェフはどこ吹く風。むしろ客が切れればラストオーダーの二十一時半を待たずして閉めようとする有様だ。最近では駅前のキャバクラにお気に入りの女の子が出来たらしく、そちらにご熱心らしい。可愛い子だから、早めに行かないと他の客に押さえられてしまうのだとか。一度付き合ったという悟さんが言うには、お世辞でも「女の子」と呼べるような歳ではないらしいのだが。
それと反比例するように、久坂マネージャーの表情は日に日に暗くなっているように見える。時々物思いに耽っているようで、オーダーを通し忘れたりする。ほんの少し前まではあんなに元気に俺達を仕切っていたのが、まるで嘘のようだ。
そんな話を病床の琴ちゃんにしたところで逆効果にしかならないのだが、三人集まれば話題は自然と店の話にならざるを得ない。琴ちゃんもまた、自分が抜けた後の店の状況は気になるようだった。
「まぁウチらはどうせバイトだからどうにでもなるっちゃなるけど、久坂さん達は大変だよね。悟さんだってせっかくいい腕持ってるのに、勿体無い」
「稲谷さんなんて毎日キャバクラ行くぐらいだから、結構給料もらってるはずなのにね」
「高杉シェフも問題だったけど、今思えばまだだいぶマシだったよね。料理そのものは間違いなかったし」
「そうそう。いい加減だったけど、料理はちゃんとしてた」
「久坂さんがもうちょっと稲谷さんにも強く言えればいいんだろうけど……まぁ、久坂さんは久坂さんで色々と忙しいだろうしね」
琴ちゃんはそう言葉を切って、何故か俺の顔を見た。久坂マネージャーの最近の姿を思い起こしてみる。ぼーっとしている時は多いように感じるけど、バイキング初期の頃の大忙しに比べれば大して忙しくはないんじゃないだろうか。
「新しいバイトは? 募集してるの?」
「うーん、今のところその様子はないかなぁ」
「それじゃキツいよね。いくら暇だって言っても。有希っぺもなんかあった時に休めないじゃん」
「私は別に。とりあえずしばらくは平日休まなきゃならない用事もないし」
有希さんは笑顔を返す。琴ちゃんは意味ありげにもう一度俺の顔を盗み見ると、突然思い出したように有希さんに向かい、
「あ、そうだ。有希っぺちょっとおつかい行ってくれない? 昨日、ウチの旦那間違えてガーゼ持って帰っちゃってさ。今日の夜の分が足りないんだよね」
「え、いいよ。売店に行ったらすぐ分かる?」
「うん。三個セットのと一個のがあるから、出来れば一個のにして欲しいな」
「わかった。まかせて」
有希さんはそう言って、部屋を出て行ってしまった。
琴ちゃんは無言で俺の顔を見て、小さく息をついた。
「……みんな、色々あるよね」
「え?」
問いかけた俺に、琴ちゃんはもう一度ため息をついた。
「乃愛ちゃんは、様子どう? 元気?」
「乃愛? ああ、うん。そうだね。元気っちゃ元気かな」
「本当?」
琴ちゃんが珍しく真面目な顔で見つめるから、俺は動揺を隠せなかった。
「本当かって聞かれると……そりゃあ店があんな状況だから、あんまり良くは思ってないみたいだけど。ちゃんと俺と交代でバイト入ってるよ。バイトない時だって顔出したりもしてるし」
そう。乃愛は本当にあの店が好きなようで、俺が交代でシフトインしている日も突然姿を現したりする。大概「近くまで来たから」と寄っては、買ってきたおやつ片手に久坂マネージャーや悟さん相手に暇つぶししていたりするのだけど。
「……乃愛ちゃんも色々大変だと思うから、陽君、もしもの時はちゃんと味方してあげるんだからね」
琴ちゃんが神妙な様子で言うので、俺は状況が飲み込めず、惚けてしまった。とりあえず「わかった」とだけ答える。
乃愛が「琴ちゃんは私の事、嫌いだと思う」と言っていたのとは大きな違いだ。嫌いどころか、逆に心配してくれているじゃないか。今度会ったら、乃愛に言って聞かせようと思った。
しかし、琴ちゃんの話はこれで終わらなかった。
「陽君、頼みがあるんだ」




