陽⑰
必修科目を欠席するのなんて、俺にとっては初めての経験だった。
「別に大丈夫だよ。実験の時はごちゃごちゃしてるから代返余裕だし。その代わり後でレポート作成する時は頼むよ」
友人は二つ返事で代返を買って出てくれたものの、罪悪感は晴れなかった。
それでも俺を駆り立てたのは、たった一人になってしまった有希さんを思えばこそ、だ。
「ごめんね。本当はバイトどころじゃないんでしょう?」
俺の顔を見るなり、有希さんは謝った。
「何言ってんだよ。琴ちゃんが大変なんだから、そんな事も言ってられないだろ?」
「それはそうだけど、学生にとっては学校だって大事なんだから。無理しちゃ駄目よ」
有希さんからまた大人ぶった忠告を受けて、俺は少しばかりむっとした。そんな言い方、しなくたっていいじゃないか。
「来てくれてありがとう。陽君が来てくれなかったら一人で大変だった」
と、そんな風に言って欲しかっただけのに。
ところが、意外な程ランチは平穏だった。平穏というより、閑散と言い換えた方が良いかもしれない。夏休み明けの反動もあるのかもしれないが、その日の客数は僅かに三十人強。全テーブルが満席になってそのままろくに回転もせずに終了、という寂しい結果だった。
「最近はずっとそう。五十人入るのは週末ぐらいじゃない? 楽なのは助かるんだけど」
ランチの片づけをしながら、有希さんは複雑な表情を浮かべた。
「だから、正直私一人でも大丈夫なんだ。久坂さんもいるし。一気に来たらちょっとバタバタしたりするけど、そんなのほんの一瞬だし。多分久坂さん的にも、今はあんまりバイト呼びたくないんじゃないかな」
本当に驚く程の変貌ぶりだった。
稲谷シェフの中華定食のみならず、どうやら悟さんのパスタランチ、ピッツァランチに関しても稲谷シェフの手によりだいぶ改変が為されているらしい。パスタは以前百二十グラムだったものを八十グラムまで減らしており、ピッツァに関しても生地の大きさはもちろんの事、具材もだいぶ絞っているらしい。
「見たでしょ? 前菜のサラダだってちょびっとだし。スープももうずっと中華出汁の卵スープばっかりで、悟さんも前みたいにブロード仕込んでないんだから」
改変という名の改悪ばかりだ。日を追うごとに客数が減るのも当然と言える。中には高杉シェフから続く悟さんの味が忘れられず足を運ぶリピーターもいるようだが、きっとそう長くは続かないだろう。
「だから琴にも、急ぐ必要も悪く思う必要もないから、ゆっくり治してって言ったの」
「言ったって……もしかして、病院行ってきたの?」
「うん。昨日仕事が終わった後、真っ直ぐ病院に行って来たの。とりあえず状況だけでも聞いておこうと思って。琴も不安だろうし。そしたら、胆石だって」
肝臓の中にある胆嚢から胆汁を十二指腸に運ぶのが胆管で、その胆管というヤツに石が詰まっていたのだという。肝臓を悪くした時と同じで、顔色が悪いと言ったのは黄疸が出ていたのだ。
「色々検査して、今日には手術って言ってた。その後一週間ぐらい入院して、退院できるだろうって。でも退院した後もしばらくは安静にしてなくちゃいけないから、今月いっぱいは戻れないんじゃないかなぁ」
「そうなんだ。でも良かったよ。もっと重い病気なのかと思った」
「ホントよ。緊急入院なんて! 私、琴死んじゃうのかと思った。だからお見舞い行ったのに、平気な顔しちゃって。信じらんない」
居ても立ってもいられず駆けつけた有希さんと、惚けた顔で迎える琴ちゃんの顔が目に浮かぶ。とはいえ大した事がなかったからこそ笑える話で、一つ間違えば決して笑っていられるような状況ではなかったかもしれないのだ。
「お見舞いって、俺が行ってもいいのかなぁ」
「いいんじゃない? 琴、喜ぶと思うよ。毎日暇してるみたいだから」
「今日手術って言ったよね? 水曜日あたりなら大丈夫かな?」
「金曜日手術して、五日だから……きっと大丈夫じゃない? もしなんだったら、琴伝えて言っておくけど」
琴ちゃんのお見舞いに行こうというのは本当に自然に思いついたアイディアだったのだけれど、有希さんと話している内につい、別のアイディアがむくむくと首をもたげてきた。
「有希さん、あのさ……もし大丈夫だったら、俺と一緒にお見舞い行ってくれない?」
「えっ、私と?」
有希さんはこちらが驚くぐらい、意外そうな顔をした。
「だってほら、なんか一人で行くのも変だしさ。間違って旦那さんに会ったりしても気まずいじゃん」
「別に間男じゃあるまいし、琴の旦那に会ったって問題ないでしょ。琴の旦那さんって、そんなの気にする人じゃないよ」
「うーん、まぁ、そうなのかもしれないけど……」
言いよどむ俺に対し、有希さんは言った。
「じゃあ、乃愛ちゃんも誘って三人で行く? 四人しかいないアルバイトだし。みんなで一緒に行こうか。陽君、乃愛ちゃんに聞いてみて貰っていい?」
「あ、うん……」
そう言われてしまうと断る理由もなく、俺は曖昧に頷きを返した。
有希さんと二人で出かけたいという下心をすっかり見透かされてしまったような気がして、なんだか情けなかった。




