第412話:月夜の戦い その2
ヘクターの疑問が込められた声が響く。
その声色には疑問だけでなく困惑も含まれており、それまでの余裕ぶりが嘘のように動揺を見せている。
「そんな、馬鹿な……貴様は“こちら側”の存在だろう!?」
心底からの疑問を込めたような声だった。何かの演技かと思ったレウルスだが、目を見開いて叫ぶその姿からは嘘も虚飾も感じ取れない。
ありえないものを見たような、“ありえない出来事”に直面したような、激しい動揺が垣間見える反応だった。
「一体何故」
「――――」
“だからこそ”レウルスは動いていた。何やら騒いでいるヘクターを気にも留めず、無言のままに動いていた。
『熱量解放』を使っているというのもあるが、今は戦いの最中なのだ。エリザ達の動きを止められている以上、問答は無用と言わんばかりに掻き消えるような速度でヘクターとの間にあった距離を瞬時に走破する。
微塵も躊躇せずに踏み込んだレウルスは、ヘクターが反応するよりも先に『龍斬』を振るう。一応、ヘクターが操られている可能性を考慮して峰打ちだ。
もっとも、峰打ちとはいっても『熱量解放』を使った状態の腕力で、金属の塊である『龍斬』を繰り出すのだ。直撃すればその衝撃だけで死ぬこともあり得るだろう。
「っ!?」
問答に付き合わず即座に仕留めにかかったレウルスに、ヘクターは驚きの声を飲み込みながらも後方へと跳ぶ。その動きは俊敏だったが、虚を突かれたのか僅かに遅い。
後退しようとしたヘクターの脇腹に『龍斬』の峰がめり込み、右から左へと振るわれた斬撃に押し込まれるようにしてヘクターの足が地面から離れ、体が浮く。
レウルスの両手には肋骨をまとめて圧し折った感触が伝わってきたが、それに構わず『龍斬』を振り切った。するとヘクターの体が人形のように水平に飛び、近くにあった木に衝突して鈍い音を立てる。
仮に峰ではなく刃で斬りつけていたならば、そのまま胴体を両断したであろう一撃だった。峰打ちとはいえ『龍斬』を叩き付けた以上、骨を折るだけでなく内臓が破裂して即死したかもしれないが。
それほどの一撃を叩き込まれたからか、あるいは集中が途切れたのか、レウルスとレベッカ以外動きを封じられていた面々が自由を取り戻す。
それに気付いたレウルスは、即座にネディへと声をかけた。
「ネディ! あいつの動きを封じてくれ!」
「……わかった」
レウルスの指示を受け、ネディがヘクターへ向かって右手を向ける。すると木に叩き付けられた衝撃によって地面に倒れ伏していたヘクターの動きを封じるよう、氷の杭が何本も出現した。
地面に対して斜めに出現した氷の杭はヘクターの両手両足、首や胴体を地面に“縫い付け”て動きを封じる。
それでもヘクターほどの魔力があれば『強化』を使って抜け出せそうだと考えたレウルスは、即座に駈け寄ってヘクターの背中に右足を乗せて押さえ込んだ。続いて『龍斬』を首のすぐ傍に添え、不審な動きを見せれば即座に首を落とせるようにする。
「ぐっ……やはり、司教……いや、それはおかしい……何故……」
そうやってヘクターを押さえ込んだレウルスだったが、ヘクターは目だけレウルスに向けてブツブツと呟いていた。
レウルスが『龍斬』を振るえば首を落とせる状況だというのに、ヘクターは呟きを漏らすだけで恐怖心を見せることもない。
「何をわけのわからないことを……ジルバさん、こいつの首を落として問題はないですかね?」
「バルベリー男爵本人だった場合、問題にしかなりませんが……少々お待ちを」
そう言いつつ歩み寄ってくるジルバだが、その顔には警戒が色濃く宿っている。
動きを止められた結果、動けたのがレウルスとレベッカの二人しかいなかったのだ。この場にレウルスやレベッカがいなかった場合、その時点で勝負が決まっていた可能性が高い。
そのためジルバは最大限に警戒しながらヘクターの傍へと歩み寄ると、右手に魔力を集め始める。そしてぶつぶつと呟くヘクターの顔面を鷲掴みにした。
「……何をしてるんです?」
「『変化』でバルベリー男爵に化けているのなら、『無効化』を使えば解けるはずですからね……試してみようかと」
(王都に行った時に城門で使った魔法具みたいな感じで『変化』を解くのか?)
『無効化』はその名の通り魔法を無効化する効果があるため、『変化』で化けているのならば文字通り“化けの皮”が剝がれるのだろう。
レウルスは何かあれば即座に首を落とせるよう、『龍斬』の柄を強く握りしめる。
しばらく『無効化』を使っていたジルバだったが、ヘクターの姿形が変わるようなことはなく、何の変化も現れないのを確認して眉を寄せた。
「……残念ながら、『変化』で化けているというわけではないようですね」
そう言いつつヘクターの顔面から手を離すジルバだが、手を離すなりヘクターは白目を剥きながら地面に顔を突っ伏す。どうやら気を失ってしまったらしい。
「あら……殺してしまったのかしら? さすが『狂犬』ですこと」
そんなヘクターの様子に、レベッカが軽口を叩くように言う。しかしその表情は僅かに硬く、気を失ったヘクターを警戒するように見つめていた。
「抜かせ『傾城』……貴様の見立ては?」
だからこそ、普段ならば即座に殺し合いに発展しているだろうジルバも矛先を収め、意見を求める。
「さて……王子様の行動が予想外だったのか、あっさりと攻撃を受けたけれど……」
レベッカは完全に動きを封じられているヘクターを頭から爪先まで観察する。そして怪訝そうに眉を寄せた。
「おかしいわね……ええ、おかしいわ。この程度で倒せるのなら、かつて現れたという吸血種も司教が数人がかりで仕留める必要はないもの」
そう言ってレベッカはヘクターの傍にしゃがみ込み、髪を掴んで顔を上げさせる。そんなレベッカの行動にヘクターは何の反応も返さず、白目を剥いて気絶したままだ。
「魔力の大きさはともかく、さっきの動きを止める魔法にさえ気をつければ司祭でも狩れるような強さしかなかったわ。わたしの拳を受け止めた時は、もっと“できる”と思ったのだけれど……」
「一応確認しておくが、この人って魔法人形だったりしないよな?」
慣れ合うつもりはないが、この場において最も魔法人形に関して詳しいであろうレベッカにレウルスが問う。するとレベッカはヘクターをじっと見つめた後、首を横に振った。
「『人形遣い』の名にかけて、それはないと断言しますわ。王子様の一撃がよっぽど堪えたのか……あるいはこの貴族すらも操っていただけか」
「……操られただけの人間が、アンタの拳を受け止めたと?」
「操った上で『強化』を使えば可能で――」
レベッカがそう話している途中のことだった。
不意に殺気と魔力を感じ取ったレウルスとジルバ、レベッカは瞬時にその場から飛び退く。すると次の瞬間、前触れもなく空気が爆ぜた。
「っ!?」
それまでレウルス達がいた場所を狙ったように炸裂した不可視の衝撃。それはヘクターが叩き付けられた木の幹を粉微塵に粉砕し、“支え”を失った木の上部が轟音と共に宙を舞う。
(チィッ――風魔法か!?)
魔力と殺気は感じたものの、何も見えなかったことからそうアタリをつけるレウルス。瞬時に飛び退いたため怪我はないが、突然放たれた魔法に警戒心を強める。
「――質問に答えよ」
そうして警戒するレウルスだったが、月夜に声が響いて反射的に空を見上げた。
「貴様は何故、“そちら側”に立っている?」
そんな言葉を投げかけてきたのは、一人の男だった。
一体いつからそこにいたのか、レウルス達を見下ろすようにして空に浮かんでいる。
そこにいたのは、顔立ちも背格好もヘクターによく似た男である。だが、その存在感は比べるべくもない。
むしろ何故今まで気付かなかったのかと疑問に思うほどに、重厚な存在感を持つ男だった。
「…………」
男の視線はレウルスに向けられており、その視線を受け止めたレウルスは無言で空を見上げる。迎撃に移りたい気持ちはあるが相手が空に浮かんでいるというのもあり、同時に、視線を外すのは危険だと勘が訴えていたのだ。
「質問の意味がわからねえな」
レウルスは男から視線を外さないまま、『龍斬』を肩に担ぐ。そちら側と言われても、“どこ”を指しているのかわからないのだ。
ヘクターに向かって峰打ちを繰り出した時のような不意打ちは通じないだろう。なにせ相手は空に浮かんでいるのだ。地面を駆けて斬り付けるのならばまだしも、跳躍して斬り付けるとなるとどうしても数秒はかかる上に隙を晒してしまう。
男の隙を探るレウルスだったが、それはジルバやレベッカ、クリスやティナといった面々も同様だった。エリザ達は後方に下げていた甲斐もあって男の視界には映ってないだろうが、不意打ちを仕掛けさせるには不安が残る。
男はレウルスを見下ろしていたが、やがて怪訝そうに首を傾げた。
「貴様は人間の敵だろう? そんな貴様が何故そんな姿で人間の味方をしているのか……そう問うているのだ」
「…………」
男の言葉にレウルスは眉を寄せる。これまでも“似たようなこと”を言われたことがあるが初対面の、それも明らかに敵と思しき男にそんなことを言われるのは心外だった。
「最初はわからなかったが、途中から理解できた。色々と混ざっているが、貴様からはあの“喰らうモノ”の気配がする……そんな貴様が何故、人間の味方をしている?」
「お前ら上級の魔物の中では俺をスライム扱いするのが流行ってんのか? それとも目ん玉が腐ってんのか?」
男の言葉を聞いたレウルスは、吐き捨てるようにしてそう言った。
以前会ったユニコーンのアクシスも、初対面にも関わらずレウルスをスライム扱いしてきた。それを思えば空に浮かんでいる男の言葉にも相応の説得力があるが、レウルスとしては男の疑問に付き合う気もない。
何故人間の味方をするのかと問われても、何故そんなことを問われなければならないのかと聞き返すぐらいには意味がない質問だとレウルスは思っている。
「生憎と、俺は人間だ。憚ることはないって大精霊にもユニコーンの爺さんにもお墨付きをもらってる、ただの人間だ。そして……」
言葉を切り、レウルスは『龍斬』の切っ先を男へと向ける。
「――お前の敵だ。それ以上、戦う理由がいるのか?」
そう言って、レウルスは殺気を叩き付けるのだった。




