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第2話 婚約者がやって来た

第2話 婚約者がやって来た


婚約破棄


その言葉が頭に浮かんだ瞬間


私は思わずベッドに腰を下ろした


「ちょっと待って……」


落ち着こう


まずは状況を整理しなくちゃ


私は海野紗代子


三十七歳の主婦


買い物帰りに車が迫ってきて


気がついたら小説の世界にいた


しかもよりによって


婚約破棄される伯爵令嬢エレオノーラになっている


「なんで主人公じゃないのよぉ……」


思わず天井を見上げた


でも文句を言っている場合じゃない


私はこの物語を最後まで読んでいる


つまり


これから何が起こるのか知っているのだ


原作のエレオノーラは


由緒ある伯爵家の一人娘


婚約者は王家を代々支えてきた名門公爵家の跡取り


レオンハルト


愛称はレオン


二人の婚約は恋愛から始まったものではない


約百五十年前から両家に伝わる約束によって結ばれたものだった


ところが


この婚約は破棄される


原因はエレオノーラの父親だ


父はある人物を信用し


その人物が持ち込んだ話に関わってしまう


それが罠だった


やがて伯爵家には王家への背信を疑われる事件が起こる


父は潔白を証明できず


伯爵家は没落へと追い込まれる


そして


公爵家との婚約も白紙になる


「いやいやいや……」


私は両手で顔を覆った


何も悪いことをしていない娘まで


人生をめちゃくちゃにされるなんて


あんまりじゃない


しかも私は知っている


伯爵家は偶然事件に巻き込まれたわけじゃない


最初から狙われていたのだ


ただし


誰がどこまで関わっていたのか


今ここで思い出せることには限りがある


「でも……まだ間に合うはず」


原作では父が罠にかかる前に


いくつかの出来事があった


それを避けられれば


未来は変えられるかもしれない


問題は


今が物語のどのあたりなのかということ


私は立ち上がり


部屋の扉へ向かった


ちょうどそのとき


控えめなノックの音がした


「お嬢様」


先ほどのメイドの声だった


「旦那様からお伝えするようにと」


「お父様から?」


自分の口から自然に出た言葉に


少しだけ驚く


お父様


なんだか妙な感じだ


「本日 レオンハルト様がお見えになるそうです」


「……え?」


レオンハルト?


「公爵家のレオンハルト様でございます」


いや


それはわかってる


わかってるけど


「今日⁉️」


思わず大きな声が出た


メイドが驚いたように目を丸くする


「あ……ごめんなさい」


私は慌てて取り繕った


「旦那様にご用があるそうで お話が済みましたら お嬢様にもご挨拶をと」


なるほど


そういうことか


婚約者といっても


二人は普段から頻繁に会っているわけじゃない


お互いの母親がお茶会に出かける際に


時々顔を合わせる程度


原作でも恋人同士のような関係ではなかった


でも


私にとっては初対面だ


「お嬢様 お支度をいたしましょう」


「あ……はい」


私はメイドに案内されながら


もう一度 心の中で自分に言い聞かせた


大丈夫


私は原作を知っている


婚約破棄を避ける方法だって


きっとある


でも


原作のエレオノーラと


今の私は違う


私が何かを変えれば


その先の出来事も変わるかもしれない


それだけは忘れちゃいけない


⸻


しばらくして


私は屋敷の応接室へ向かっていた


長い廊下を歩くたび


胸の鼓動が少しずつ速くなる


扉の前で立ち止まると


中から男性の声が聞こえた


「エレオノーラ様がお見えです」


扉が開く


窓から差し込む光の中


一人の青年が立ち上がった


整った顔立ち


落ち着いた立ち居振る舞い


そして


こちらをまっすぐ見つめる瞳


この人が


レオンハルト


私の婚約者


青年は静かに微笑んだ


「お久しぶりです エレオノーラ嬢」


私は慌てて礼をした


「お久しぶりです レオンハルト様」


ちゃんと言えた


たぶん


でも次の瞬間


彼の表情がわずかに変わった


「……エレオノーラ嬢」


「はい?」


「今日は少し 様子が違いますね」


どきっ


え


もう気づかれた?


「そ そうでしょうか」


レオンハルトは私をじっと見つめた


そして


少しだけ首をかしげた


「いつもより 緊張されているように見えます」


そりゃそうでしょうよ


初対面なんだから


……なんて言えるわけがない


「少し 寝不足でして」


とっさに出た言い訳に


自分でも驚いた


レオンハルトは一瞬目を丸くしたあと


小さく笑った


「それはいけませんね」


あれ?


笑うんだ


原作では


いつも冷静で


あまり感情を表に出さない人だったはず


私は少しだけ肩の力が抜けた


「ところで エレオノーラ嬢」


「はい」


「以前 お会いしたときのお話を覚えていらっしゃいますか?」


……え?


以前のお話?


ちょっと待って


そんなの知らない


私は今日初めて会ったんですけど⁉️


どうしよう


何の話をしたのかなんて 原作には書かれていなかったはず


「あの……それは……」


必死に言葉を探した


そのときだった


ふわりと


紅茶の香りがした


……え?


次の瞬間


目の前の景色が一瞬だけ変わった


明るい庭園


白いテーブル


色とりどりの花が咲いている


少し離れた場所から 女性たちの笑い声が聞こえた


そして


目の前にはレオンハルトが座っていた


『エレオノーラ嬢は どう思われますか?』


彼が何かを尋ねている


私は答えようとしていた


いや


違う


これは私じゃない


本物のエレオノーラだ


そう思った瞬間


景色が消えた


「……エレオノーラ嬢?」


はっと顔を上げる


そこには先ほどと変わらず レオンハルトが座っていた


「大丈夫ですか?」


「あ……はい」


何だったの 今の


夢?


それとも……


私はそっと胸に手を当てた


確かに見えた


庭園も


紅茶も


レオンハルトの姿も


まるで自分がその場所にいたかのように


でも


あれは私の記憶じゃない


もしかして……


本物のノーラの記憶?


「エレオノーラ嬢」


レオンハルトが少し心配そうに私を見つめた


「無理に思い出していただかなくても構いませんよ」


私は慌てて首を振った


「いえ 大丈夫です」


そう答えたものの


頭の中は大混乱だった


だって


そんなことがあるなんて聞いてない


原作にも書いてなかったじゃない!


でも


もし今のが本当にノーラの記憶なら……


私はもう一度 レオンハルトを見た


そして ふと気づいた


さっきの記憶の中で


レオンハルトは何かを尋ねていた


でも


私はその答えを聞いていない


あのとき


本物のノーラは何と答えたんだろう


それに……


どうして今 その記憶が見えたの?

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