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【7/14完結】アヌビスティア国物語 アイシアの婚姻 〜大鷲に恋した巫女の献身〜  作者: 御堂


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7/10

直談判

ゼフュロスが駆け付けた時、アイシアは目に涙を浮かべてネリの名を呼びながら、白麗の廊下を走り回っているところだった。

「アイシア様」

ゼフュロスの声にアイシアが弾かれたように立ち止まって振り返る。綺麗に結い上げられた黒髪はほつれ乱れ、顔や首筋に汗が浮いている。それだけで彼女の必死さを見て取ったゼフュロスは、胸を突かれて二の句が継げなくなった。

ゼフュロスの姿に一瞬だけ顔を歪めたアイシアは、それでも息を吸い込むと彼のもとに駆け寄って頭を下げる。

「ゼフュロス様、申し訳ありません。私が目を離したばかりにネリさんが」

「委細は聞いてます。落ち着いてください」

落ち着き払いながらアイシアの肩に手を乗せる。手のひらに伝わる動悸と震えに、彼女が今、とても怯えて不安に駆られているのを感じたゼフュロスは、安心させるように小さく笑った。

息を整えながら、アイシアはハンカチで汗を押さえて目を伏せる。

「お詫びを申し上げなければと分かってはいるのですが、今はネリさんを、探させてください」

「わかっています。あなたを責めませんから、一緒に探しましょう」

「……はい」

目を伏せて目頭をそっと抑えたアイシアは、次の瞬間には顔を上げて、辿ってきた道を振り返る。

「ここから食堂への通りにはおりませんでした。目撃情報もなくて」

「わかりました。ひとまず食堂に戻りましょう。カミルが何か見ているかもしれません」

カミルは「ホルスの目」を持っている。何か手掛かりになるようなものを見ている可能性が高い。ゼフュロスはそう説明をすると、アイシアは小さく頷いて踵を返した。

廊下の向こうから走ってくるレネがアイシアを呼んでいる。駆け寄ってきたレネは、ネリが騎士団の区域を訊ねていたと話す。

「騎士団の? どうして……」

絶句するアイシアをゼフュロスが横目で見てから、レネに向き直った。

「カミルはどこだ」

「カミル様は一足先に、目星の場所に向かっています」

「それはどこだ」

「それが商業区域に向かったんです」

「……なるほど?」

レネの言葉に、ゼフュロスが苦笑する。アイシアはそんなゼフュロスを見上げて首を傾げた。

「ゼフュロス様、何か……?」

「いや。騎士団の詰所に行こうとして道を間違えたのでしょう」

「なら、私たちも早く……!」

駆け出そうとするアイシアの腕を取ってゼフュロスが首を振る。そして顔を上げて前を見ろと促すと、向こうからカミルの手を引いて、ネリが走って来るところだった。

「ネリさん!」

半ば振り払うようにしてゼフュロスの腕から逃れたアイシアは、走ってくるネリに向かって駆け出す。

「あ! アイシア様!」

走って来たネリを抱きとめたアイシアは、小さな身体を抱きしめてその場に崩れ落ちた。

「アイシア様……?」

「もう、……どれだけ心配したと……!」

半ば泣き崩れるように呟くアイシアは、ネリの細い肩に顔を埋めて息を吐き出す。ネリはそんなアイシアの様子に呆然とした様子だったが、ややあってから恐る恐るという風に抱きしめる華奢な腕をポンポンと優しく叩いてみせる。

「ごめんなさい、アイシア様。わたしどうしてもお父さまに聞きたいことができて」

「聞きたいこと? それは帰ってからでは駄目だったのですか?」

汗と涙で化粧が崩れている。それでもアイシアの艷めくような美しさは変わらない。そんな聖女の顔を見つめながら、ネリはぎこちなく笑いかけながら呟いた。

「あの、なら、いまアイシア様に聞いてもいいですか?」

「……私で良ければ……」

首を傾げるアイシアの後ろから、ゼフュロスとレネが歩いてくる。そんな父と聖女の護衛を見たネリは、アイシアに向き直って口を開いた。

「アイシア様、ネリのお母さまになってくれますか?」

「っ!」

「ぐふっ……!!」

娘の言葉に、ゼフュロスが咽る。アイシアはと言うと、耳を赤くして俯いた。

「ね、ネリ……! それがみんなに黙って居なくなってまで俺を探す要件なのか」

咳払いをしたゼフュロスにネリは向き直る。

「お父さま。わたしはアイシア様が家に滞在してくれている理由くらいは分かります。むずかしいことは分からないですけど、お父さまが新しいお母さまを決めるためなんですよね? それがアイシア様なんですよね?」

「それはそうだが」

「なら、わたしもお母さまになっていただきたい方にお願いしてもいいですよね? お父さまだけが考えることではないと思います」

娘に捲し立てられるゼフュロスは、返事すら返す間も与えられない。ネリはいつの間にかアイシアの腕の中から抜け出して、両足を踏みしめてゼフュロスを見上げていた。

「お父さまはなぜ、アイシア様に決めてくれないのですか?」

「……そ、それは」

言い淀むゼフュロスを救ったのはアイシアだった。ネリの肩に手を置いてその顔を覗き込んでいる。

「お父様を困らせては駄目ですよ」

「……でも」

「ゼフュロス様にはゼフュロス様のお立場やお考えがありますし、大人同士ですから、色々と向き合わなければならない問題もあるんですよ」

ネリを見つめたまま、アイシアは眉を下げて微笑む。

「でも、ネリさんの気持ちが知れて私は嬉しいと思っています。これは……本当です」

アイシアを見つめ返したネリは、そのまま抱きついて呟いた。

「アイシア様。わたしは、アイシア様をお母さまと呼びたいです」

ネリの言葉にゼフュロスは頭を搔く。アイシアはそっと少女に囁き返した。

「ありがとうございます。……光栄です」

白麗の長い廊下で抱きしめ合う二人を、ゼフュロスは黙って見つめていた。



白麗でネリが迷子になってから数日経つ。

アイシアがウラエウス家に滞在して、そろそろふた月。バステト家から三ヶ月の猶予をもらっているだけに、そろそろ結論なり方向性なりを固めないといけない頃だ。

ウラエウスの私室で持ち帰った仕事を片付けながら、ゼフュロスは合間にネリの言葉を思い返している。

ネリが迷子になったあの時、ゼフュロスはアイシアがあそこまで必死に探してくれているとは思ってもいなかった。

奥ゆかしく静かに佇む姿が印象的なアイシアが、髪や化粧が崩れるのも構わずに走り回ってネリを探す姿に心を打たれた。

知り合いの子ども程度の距離感であれば、カミルやレネのように、周囲へ冷静に聞き込みを行い、行先の見当をつけて探すのが普通だろう。だが、アイシアはいてもたってもいられずに、自身の足で探し回っていた。

あとから聞けば、回廊から落ちたかも知れない、という最悪の予想をして急いでいたというのだから、アイシアの肩が震えていた理由にも納得できた。女性らしい目線での不安や恐怖で、彼女は泣きそうになっていたのだ。

「……」

書類にサインを書き込んでからゼフュロスはため息をつく。──はっきり言って降参だった。

ネリがアイシアを母親にと望んでいる。それについては、本人の意見もだが、オリバーの言葉もゼフュロスを動かしていた。

──団長様? ネリお嬢様は見事な淑女の礼を披露してくださいましたよ。ホホホ! 本格的な令嬢教育が楽しみでございますねぇ。

──アイシア様がお嬢様の傍についてくださるのなら、間違いはないでしょうね。だってバステト家の方ですし。

あとは。

あとはゼフュロスの心次第だ。というよりも、ここまで来てはゼフュロスに、ウラエウス家に断る理由は無い。ではなぜここまで戸惑い、返事を保留にするのか。

「……もう少し、人となりを知りたい……というところなんだがな」

私室の窓から空を眺める。雲ひとつない青空で、鳥が数羽、パタパタと横切って行く。

ゼフュロスにとって婚姻とは、与えられた役割を演じ、役目をこなすことだ。余計な感情を交えたり、気持ちを量り、交流する場所ではない。

だがアイシアを見ていると、その信条が揺らぎ崩れる気がする。

恐らくないとは思うが、例えばアイシアがネリのようなわがままを言ったり、行動をしたりということをすれば? ゼフュロスはきっと許すだろう。

だがもしも、万が一、ゼフュロスが反対の立場だったら? ゼフュロスがみっともなく子ども返りをするようなことをしたら?

──きっとアイシアは、仕方なさそうに微笑んで受け入れるのだろう。

ゼフュロスの間違いも情けないところも、アイシアは黙って受け入れるのは……容易に想像がついた。

「あとひと月、か」

ネリが聞けば、父親を蹴ってでも返事を急がせるだろう。だが、時間的な制限が迫ってきてはいても、ゼフュロスはこの曖昧な温かい関係性の心地良さを、もう少しだけ味わっておきたい。

お互いに明確な責任がない今を、ゼフュロスは心の中で噛み締めていた。






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