ゼフュロスの堂々巡り
「おかえりなさいませ、ゼフュロス様」
近頃は遠征や大規模な演習もなく、ゼフュロスの帰宅は早い。鍛錬の為に朝早くに出掛けはするが、夕方には邸宅に戻る日々が続いている。煩雑な仕事はカミルの補佐役のオリバーが買って出てくれるので、ゼフュロスの仕事は大幅に減っていた。
それと言うのも一つしかない。
ゼフュロスは玄関まで出迎えに現れたアイシアを見て、小さく頭を下げた。
「戻りました。……出迎えは不要ですよ。いつも言ってますが」
苦笑交じりに告げるが、アイシアはやはり小さく笑って首を振った。
「居候の身で、この家の主の帰宅を無視はできませんから」
アイシアがこの邸宅に来てひと月近く経つ。
あの舞踏会以降、ゼフュロスはアイシアに対しての見方を少しずつ変えていた。
アイシアは多くを語らないが、意外と表情や仕草に感情が出やすいのが分かってきた。そして何よりも、どんな相手にも敬意をもって接することを心掛けている、ということ。そして相手をコントロールしようとせず、ありのままを受け止める姿勢を一貫していること。などだ。
家令に荷物を渡してから、ゼフュロスはアイシアを誘って庭を散策するのがこの頃の日課となっている。
主な内容は、ネリの様子や、邸宅の修繕箇所や備品の補充や変更の提案などを聞くこと。そしてゼフュロスからは、職務上知りえた地方貴族の動きについての意見を求める、などの実務的な会話が多い。
アイシアは声高に自分の意見を押し付けるようなことはしない。冷静に客観的な視点でもって最善の方向性を口にする。それはネリのことでも地方情勢のことでも、彼女の中では自分事として同列に扱われているかのような話し方だった。ゼフュロスにはそれが新鮮だった。
セルケトとも実務的な話しかしてこなかったが、多くは彼女の中の決定事項を聞かされる、ということが多かった。彼女に相談したり意見を求めるということはなかったので、女性と対等な目線で話すことがなかったせいもあるのだが。アイシアの、否定せずにまずは受容して考える、という在り方は、ゼフュロス自身も少なからず興味深く思うところではあった。
「ところでネリは……?」
ゼフュロスの問いにアイシアが小さく笑う。
「本日はウラエウスのお祖母様のところへ泊りに」
「ああ、そうか」
そういえば数日前にそんなことを聞かされていた。ゼフュロスは頭を掻いて苦笑する。
「すいません。忘れてました」
セルケトだったら、冷たい一瞥を寄こされていた。だがアイシアは相変わらず穏やかに微笑んで首を振るだけだ。
「今度サフィアに乗せてもらうんだと、お祖母様に自慢するんだと言ってましたよ」
「そんな約束もしてましたね。……いつにしますか」
「え」
「あなたも行くでしょう? 予定をたてないと」
ゼフュロスの言葉にアイシアが、これまで見せてきた微笑み方とはまた違った笑い方をする。
「ゼフュロス様のご都合に合わせます」
アイシアはそういうと、恥ずかしそうに目を伏せてしまった。その表情が見れなくなったことにゼフュロスは少しだけガッカリしつつも、スケジュールの確認は忘れないようにせねばと頭の中にしっかりときざみつけるのであった。
アイシアについては、日々観察をして表裏があまりないことがわかって来たものの、それが本性なのか装いなのかがイマイチ掴みきれていない。
家令や使用人たち、果てはカミルを通じてレネにまでアイシアの人となりを伺っては見るが、全員が判を押したように同じことを口にする。
「思慮深く聡明な女性です」
バステト家のお嬢様であり、バステト家の巫女でもあり、聖女でもあるアイシアは、それぞれの立場で求められる振る舞いをきちんと弁えている。
恐らく、ゼフュロスやネリが彼女に対して何らかの役割りを求めれば、アイシアは忠実にそうするだろうことも想像がつく。
よく言えば器用で頭が良い。だが悪い見方をすれば己自身が見えにくいのである。
ゼフュロスの引っかかりはどうやらここにある。
バステト家からの試験期間の申し入れに対して、アイシア自身の本音がゼフュロスには見えていなかった。
良くも悪くも、家門の決定に諾々と従うだけのように見える。だが、アイシア自身を観察していると、婚姻に向けてとても前向きに捉えているような節も見られるのであった。
「だから、なんで俺なんだ」
彼の懸念は結局そこに落ち着く。
24歳の花盛り。高位家門の出で、地位も名誉もある女性。45歳の子持ちで草臥れたジジイに嫁ぐメリットは何も見当たらない。
カミルのような同じ家格で、次代当主の指名を受けている立場の若者であれば釣り合いも取れるはずなのに。
結局のところ、ゼフュロスはひと月近くアイシアを見てきて、同じところでまた悩むのであった。




