舞踏会の夜に
国の聖女ともなると、王宮ではアイシアの為の部屋が用意されている。そこには夥しい量のドレスや化粧品がズラリと並べられており、専属の侍女もつけられていた。
その日、王宮では国王主催の舞踏会が催されており、アイシアは聖女として招かれていた。
出かける前、ネリは寂しそうにしていたが、必ずここに、ウラエウス家に戻ってくる旨を伝えると、嬉しそうに笑って見送ってくれたのを思い出す。
──あの子はずっと寂しさを募らせながら、ゼフュロス様を見送っていたのかもしれない。
それを思うと、アイシアの胸はギュッと締め付けられるような痛みを感じた。
「アイシア様? どこか痛みますか?」
髪を結い上げていた侍女の声にアイシアは顔を上げる。
「いいえ、ごめんなさい。考え事をしていただけですから」
曖昧に笑ってアイシアは目を伏せる。
ウラエウス家に強引に乗り込んでから二週間。ここまでの日々は、主にネリとの親交が主となっており、それは意外とアイシアにとっては心地よく楽しい日々でもあった。
歳の割に幼いところもあるが、そこは大人しかいない環境で育ったのなら仕方がない部分がある。多忙な父親が寄越した家庭教師とは上手くやれているが、かと言って教育が身についているかと言うと、それは怪しいように見受けられる。母親の不在はネリにとって不健全なことのように思えた。
だがやる気が無いわけではない。基本的なマナーや教育は身についているので、応用の場を設ければウラエウス家の令嬢としての振る舞いは完璧になるであろう。そのくらいの伸び代をアイシアは見抜いていた。
ゼフュロスにはそれとなく伝えてはみたが、彼自身はこの試験期間に対して思う所もあるらしく、アイシアを観察するような眼差しや振る舞いを崩すことはない。ただ、ネリに関することには興味深く耳を傾けることは確かで、アイシアはそこで彼の価値観や親としての在り方を察し学んでいた。
ゼフュロスと婚姻を結ぶということは、アイシアもネリの親になると言うことだ。そうして彼らと家族になることを意味する。そのことに不満は無い。これまで受けてきた教育がネリのためになるのであれば、喜んで協力もするし、知識提供もするつもりだ。
──ただ、ゼフュロス様はどうなんだろう。
アイシアはそれが分からずに悩む。婚姻に乗り気でないのは見て取れる。アイシアやバステト家に何か思惑があるのではと訝しんでいるのも理解している。年の差もあるし、これまでに接点らしい接点も多くはなかったのだ。
アイシアが好ましく思っていた唯一の男性だから、ネフェルティ当主は動いたに過ぎないが、その実……山のように来た婚姻の申し込みを回避するための策略と聞いたら、彼でなくても怒るだろう……。
「……」
浮かない顔で嘆息するアイシアに、侍女たちは顔を見合せる。
「お気に召しませんか、アイシア様」
「!」
顔を上げれば、鏡には沈んだ顔の美しい聖女がそこにいる。持てるスキルの全てを使ってアイシアを磨き上げた侍女たちが、不安そうにこちらを見ていた。
アイシアは小さく笑ってみせる。
「とても綺麗にしてくれたんですね。ありがとうございました」
ようやく浮かべた笑顔に、侍女たちはホッとしたように微笑みを返してくれたのだった。
夕日が部屋に差し込み始めると、王宮の外は徐々に騒がしくなって来る。
部屋で一人待機するアイシアの元にゼフュロスがやって来たのはそんな時だった。
「ゼフュロス様……!」
天空騎士団の礼装でやって来たゼフュロスは、タイを首に引っ掛けた状態であり、急いでやって来たのか少し息が上がっていた。
「悪い、遅くなった」
「そんな……遠征だとばかり」
「まぁ、部下が優秀なんで……。急いで切り上げて来ました」
扉を静かに開ける音がして振り返ると、そこには礼装姿のレネとカミルが並んで立っている。レネはアイシアと目が合うとにっこりと笑った。
「お綺麗です、アイシア様。ね? ゼフュロス様もそう思いますよね?」
レネに水を向けられたゼフュロスは、アイシアを見下ろして少し固まる。少しばかり居心地の悪い間ができてアイシアは戸惑った。
「あの」
「あ、ああ。とても綺麗です、アイシア様」
レネなりに気を回したらしく、ゼフュロスが口篭りながら呟く。アイシアは小さく笑って礼を伝えるとレネはまた続けた。
「ゼフュロス様、タイはアイシア様にお願いしてみてはどうですか?」
「!」
レネの追撃にゼフュロスがたじろぐ。しかしレネの言葉に素早く反応したのはカミルであった。
きっちりと結ばれたタイを指で緩ませると、レネの前で屈んで、直せと無言で迫っている。手早く直してやるとレネはゼフュロスを見て首を傾げた。
「やってもらった方が早く整いますよ?」
カミルが無言のままレネの頬に何度も口付けている。レネと番関係になってから、カミルの独占欲はますます強くなったようにアイシアは見えた。ゼフュロスを振り返ると、彼は首元のタイをどうにか結ぼうとするものの、やり慣れないせいかなかなか結べずにいる。
「宜しければ、結ばせてくださいませ」
アイシアの控えめな申し出に、結局ゼフュロスはぎこちなく頷くよりなかった。
ゼフュロスのエスコートで会場入りすると、アイシアは万雷の拍手で出迎えられた。人族も獣人族も、皆が麗しい聖女に見蕩れ、そして頬を染めて囁き交わしている。
決して前に出ず、居並ぶ王族の後ろにひっそりと佇む姿は珍かな花のようで、その儚げでありながらも芯の強い姿に、会場のあちこちからため息混じりの賛辞が交わされる。
ラー・セティ国王夫妻が挨拶と、ファーストダンスを踊りきる。次のワルツが始まる頃には、招待客たちはパートナーと手を取りあって、広間に続々と降りてきた。
舞踏の傍らで貴族たちは国政や、他国情勢、商売の話や、流行りの化粧品やドレスのデザインの話題に花を咲かせる。
ゼフュロスに手を引かれてフロアに降り立ったアイシアの周りにも、熱心な支持者や支援者が先を争って集まりだした。
「聖女様、先日は南西の地域への浄化行脚、誠にありがとうございました。お陰様で、民も恙無く過ごせております」
「アイシア様、先週お渡しした紅はいかがでしたか」
「聖女様」
「アイシア様」
次々にかけられる声に、アイシアは精一杯の微笑みを浮かべて対応をする。ある者は税収の状況に改善案を出すべきかと問いかけ、ある者は異国での飢饉についての意見を求める。傍らの貴婦人は化粧下地についての営業を行い、別の貴族はアイシアの手を取って涙ながらに口を開いた。
「聖女アイシア様、あなたの御業は女神の恩寵そのものです。あの、全てを浄化し生命を育む神秘的な光景に、わたしはこれまでに感じたことの無い多幸感と感動に胸がいっぱいになりました。……あなたこそ真の聖女様です」
涙を浮かべて何度もお礼を口にする貴族に、アイシアは少しだけ悲しげな顔で目を伏せる。
「……恐れ多い言葉ですわ」
そんなアイシアの様子を、ゼフュロスは隣で静かに見つめている。どんな話題にも一定の微笑みと敬意を持って返答をしていたのに、浄化の話題となると表情を微かに曇らせることにゼフュロスは気づいていた。
「アイシア様、あの──」
「すみません、ちょっと休憩させて下さい」
支援者を遮るようにしてゼフュロスが割って入る。そしてアイシアの肩に手を置くと、何食わぬ顔で会場から連れ出した。
「ゼフュロス様、お加減が悪いのですか」
アイシアの歩幅に合わせて歩くゼフュロスは、心配そうに見上げてくる彼女に苦笑して見せる。
「俺じゃなくて、あなたに休憩が必要かと」
「……」
気まずそうに顔を伏せたアイシアを見下ろしながら、ゼフュロスは小さく笑う。
「まぁ、ちょうど俺も逆上せそうだったんで。ちょっと涼みに出ませんか」
そう言うと、人気の少ない王宮庭園に足を踏み入れた。
石造りのベンチに並んで腰を下ろすと、ゼフュロスはアイシアに結んでもらったタイを少しだけ緩める。
夜風がそよと吹いて、体にまとわりついた舞踏会の熱気を拭いとっていくようだった。
「アイシア様は凄いですね。毎回、あんなに囲まれて質問攻めにされるんですか」
背もたれに寄りかかって夜空を見上げるゼフュロス。
アイシアは小さく笑って曖昧に頷いてみせた。
「そうですね。……以前はそんなことはなかったんですけど」
「なるほど。俺にはああいうのは無理なので、尊敬します」
「……ありがとうございます」
「いや、そうじゃないか」
夜空を見上げたままのゼフュロスは、考えをまとめるように低く呟く。
「俺は聖女の奇跡に期待していなかったので、こういうことを言えた立場ではないんですが」
「はい」
高位家門の令嬢らしい返事の仕方にゼフュロスが小さく笑う。巫女らしい、とか、聖女らしい、という姿がアイシアにはない。ただどこまでも、控えめで奥ゆかしい令嬢というのが、ゼフュロスが見るアイシアだった。
「なんと言うか、奇跡のようなことをするあなたではなくて、あなた自身がよくやってるな。と俺は思います」
ゼフュロスの言葉にアイシアが目を見開く。
じわりと胸に広がるゼフュロスへの想いに、アイシアは薄暗がりを良いことに、嬉しげな笑みを深く口元に刻む。
──ゼフュロス様は、私に何一つ期待をしてこなかった。
アイシアの心中を知ってか知らずか、ゼフュロスはことある事に周りに話していたと聞いている。
「聖女に期待はしていない。聖女の奇跡で国が救われるのなら、騎士団は何のためにいるんだ」
と。そして彼は必ずこうも続けていた。
「規格外だった先代聖女と比べるな。潰す気なのか」
彼の言葉に、何度、心が救われただろうか。
──私はやはり、この方が好きなんだわ。
夜空を見上げて涼んでいたゼフュロスが身体を起こす。
「戻りましょうか。護衛のレネが多分、泣きながらあなたのことを探し回ってるかもしれません」
「あ……」
専属護衛のことをすっかり忘れていた。ゼフュロスと目が合うと、どちらともなく小さく吹き出して、密やかに笑いあう。
立ち上がったゼフュロスが手を差し出して来た。その大きく硬い手のひらに触れた時、アイシアの心臓が大きく打ったことなど、ゼフュロスは知る由もなかった。




