009 雪鼬は台帳を選ぶ
その夜、大倉の中央台座で金属板を読み返していたわたしは、三度目のため息をついた。
「おかしい」
今日までに動かした箱、診療所へ回した薬草、漁獲用に開けた短期保管区画。全部を書き出しているのに、古代の記録板に刻まれた区画数と合わない。
数は合う。けれど、用途が足りない。
まるで、港のために使われるはずの棚が、まだどこかで眠っているみたいだった。
台座の上で丸くなっていた雪鼬の管理精霊が、のそりと頭を上げた。
青い目が、わたしの手元の金属板へ向く。
「あなたも、そう思いますか」
きゅい、と短く鳴く。
次の瞬間、精霊は台座から飛び降り、棚列のあいだをすたすた走り始めた。
「待って」
ランタンを掴み、後を追う。
深夜の大倉は静かだ。人の気配が消えると、古代の魔法陣の光だけが細く床を照らしている。
精霊は第三区画を抜け、種子棚の奥にある壁際でぴたりと止まった。
そこには、何もないように見えた。
ただの石壁。棚番号も途切れている。
「ここ?」
精霊が前足で壁を叩く。
こん、という軽い音。石にしては空っぽだ。
わたしは壁の継ぎ目を探し、指先でなぞった。ほんのわずかに段差がある。
隠し戸だ。
「ヨナスさんを呼ぶべきかしら……」
迷ったけれど、相手は精霊であり大倉でもある。ここまで案内しておいて、開けるなとは言わないはずだ。
わたしは継ぎ目へ手を当て、小さく息を吸った。
「保存」
青い光が壁をなぞる。
すると石の表面に細い文字が浮かび上がった。
『記録補助棚』
低い音とともに壁が横へずれ、その奥から細長い引き出しが何段も姿を見せた。
思わず息を呑む。
中に納まっていたのは、物資ではなく札だった。薄い金属札、小さな木札、区画札。それぞれに記号と色が刻まれている。
「荷札……?」
しかも、いまわたしが港で使い始めた色分けに近い。
赤、白、緑、黒。意味までは同じでないにせよ、古代の保管庫も「見ただけで分かる印」を使っていたらしい。
引き出しの底には、小さな金属板が一枚あった。
古い文字を慎重に追う。
「ええと……『物は数のみでなく、行き先と急ぎを記せ』」
前世の倉庫主任が聞いたら、全力で頷きそうな文だった。
わたしは思わず笑ってしまう。
「つまり、正しかったんですね。札のやり方」
精霊は誇らしげに尻尾を立てた。
どうやら褒められているつもりらしい。
引き出しをさらに調べると、奥から港の簡略図が刻まれた薄板も見つかった。
白霧港、その地下の大倉、そして海側に伸びる細い線。線の先には、見覚えのない小さな印がある。
「支庫……?」
声にしたところで、背後から足音がした。
カイル様だ。外套を肩に引っかけたまま、呆れた顔をしている。
「夜中にいなくなったと聞いた」
「いなくなったわけではなく、精霊に連行されました」
「意味が分からん」
「わたしも半分くらいしか分かっていません」
引き出しと薄板を見せると、カイル様の目つきがすぐ変わった。
「隠し棚か」
「記録補助棚だそうです。あと、港の外に別の印があります」
彼は薄板へ顔を寄せた。
「海側の避難小屋……いや、もっと古い何かか」
「まだ断定はできません。ただ、大倉がここ一箇所で終わりではない可能性があります」
それは大きな発見だった。
でも、いま必要なのは夢のある地図より、目の前の運用だ。
わたしは引き出しから赤と緑の古代札を一枚ずつ取り出した。
「まず、これを使わせてもらいます」
「遺物だぞ」
「使われるために残っていたなら、しまい込むほうがもったいないです」
カイル様は少しだけ黙り、それから低く言った。
「お前は本当に、倉庫を見ると遠慮がなくなるな」
「褒め言葉として受け取ります」
「最近そればかりだな」
翌朝、わたしは新しく見つけた補助札を港へ持ち出した。
古代文字のままでは分かりにくいので、裏面へ今の言葉で意味を書き足す。
赤は急ぎ、緑は療養、白は加工、青は保留。
ただの札だ。けれど、昨日までの札よりずっと丈夫で、濡れても消えない。
「すげえ、本物の大倉の札だ」
ニコが両手で持ち上げる。
「落とすと足が痛いので気をつけて」
「そこなの?」
昼には、港のあちこちに新しい札がぶら下がっていた。
古代の仕組みと今の運用が、ようやく少し繋がった気がする。
そしてわたしの机の上には、支庫らしき印の入った薄板が残る。
まだ開けるには早い。
でも、白霧港の下には、わたしたちが思っているよりずっと大きな備えが眠っているのかもしれない。
雪鼬の管理精霊は、その薄板の上へ丸くなって眠りはじめた。
まるで「次はこれだ」と言っているみたいに。




