008 診療所に春を残す箱
診療所の物置を開けた瞬間、わたしとニナは同時に眉をしかめた。
乾いた薬草と湿った薪が同じ棚に積まれ、煎じ薬の壺が窓際で冷え切っている。壁際には干し肉と麦粉まで置いてあった。
足りないから混ぜる。混ぜるから駄目になる。白霧港では何度も見た光景だ。
「ごめん、分かってるの。分かってるんだけど、ここまで手が回らなくて」
ニナが頭を掻く。
「責めてません。ただ、これは惜しいです」
「惜しい?」
「あと少しで助かるものが多い」
診療所には、港の生活がそのまま集まる。
風邪、凍傷、空腹、寝不足。重い病だけじゃない。寒さに削られた日々の不調が、少しずつ人を弱らせていく。
だからこそ、ここで物が切れるのはまずい。
「作りたいものがあります」
わたしが言うと、ニナが首を傾げた。
「薬?」
「箱です」
「……また箱?」
「今度は診療所のための箱です」
わたしは物置の机を借りて、必要なものを書き出した。
解熱用の薬草、喉用の煎じ材、薄い粥に混ぜる干し根菜、塩、保存油、小分けの薪束。それに、夜中でもすぐ火を起こせる着火用の乾いた布。
「具合が悪い人が来るたびに、棚をひっくり返して探すのは無駄です」
「それはそう」
「だから症状ごとに、最初の一手がまとまった箱を作るんです。熱用、喉用、衰弱用」
「……あ」
ニナの目が丸くなる。
やっと伝わったらしい。
「来た人を見て、最初に何を出すか。そこまで決めておけば、診る前に慌てなくて済みます」
「それ、いる。すごくいる」
そこからのニナは早かった。
必要な薬草の名前と、代用の可否をどんどん口にする。わたしはそれを書き留め、棚の位置と箱の大きさへ落とし込んでいく。
専門知識はニナ、手順化はわたし。役割が噛み合うと、仕事は驚くほど早く進む。
昼過ぎには、三つの木箱が診療所の机に並んでいた。
緑の紐は熱用。白の紐は喉用。黄の紐は衰弱用。
中身が一目で分かるよう、蓋の裏にも一覧を書いてある。
「名前は?」
ニナが真顔で聞く。
「必要ですか」
「リーゼさん、こういう時ぜったい名前つけるでしょ」
よく分かっている。
「診療初動箱」
「固い」
「じゃあニナがつけてください」
「うーん……春箱」
わたしは思わず笑ってしまった。
「いい名前です」
「でしょ? 冬の真ん中でも、これがあれば一歩目は春に近づける」
その言葉が終わるより早く、表の扉が激しく叩かれた。
若い母親が、小さな女の子を抱いて飛び込んでくる。子どもの頬は赤く、息が熱い。
「ニナさん、熱が……!」
「奥へ! リーゼさん、春箱!」
言われる前に、わたしは緑の紐の箱を持っていた。
ニナは少女の脈を取り、喉を見て、迷いなく箱の中身を指す。
「白い包み、鍋に。次、薄い粥用の干し根菜を少し。喉が赤いから、湯気も吸わせたい」
「分かった」
必要なものが最初から同じ箱に入っているだけで、動きがまるで違った。
棚を開け閉めする回数も、部屋の中を走る距離も減る。母親を待たせる時間が短い。
少女の額へ冷やした布を当てながら、ニナが小さく息をついた。
「いつもなら、ここでまず探すの」
「今日は探さなくて済みます」
「うん。すごい」
夕方、少女の熱が少し下がったころ、診療所の空気は朝よりずっと落ち着いていた。
わたしは空になりかけた春箱の中身を補充しながら、棚へ新しい札を貼っていく。
薬草は乾燥棚。薪は下段。食用と薬用を混ぜない。単純だけれど、守れば強い。
「リーゼさん」
ニナが湯気の立つ椀を差し出してきた。
「休憩。これは命令」
「従います」
椀の中には、昼に残った根菜粥が入っていた。塩気は薄いけれど、体の芯がゆるむ味だ。
診療所の長椅子へ並んで腰かけると、窓の外では雪がゆっくり降り始めていた。
「ねえ、前はね」
ニナがぽつりと言った。
「冬って、何かが足りなくなる季節だったの。薬草も、ごはんも、薪も、気力も」
「いまも足りないです」
「うん。でも、前ほど『次に切れたら終わりだ』って感じがしない」
それは、たぶん大倉のせいだけじゃない。
数えて、分けて、出す順番を決めたからだ。
備えが目に見える形になると、人は少しだけ息をつける。
「春箱、もうひとつ増やしましょう」
わたしが言うと、ニナが笑った。
「賛成。今度は子ども用で」
「では、診療所に春を二箱置きます」
「三箱でもいいよ」
帰り際、入口の棚へ新しい木札を掛けた。
『診療所春箱 使用後は中身を記録』
使ったら書く。減ったら補充する。
それだけで、箱は一度きりの親切ではなく、仕組みになる。
外へ出ると、迎えに来たニコが鼻を赤くして待っていた。
「リーゼさん、港の人がさ、緑札の荷車のこと『春の車』って呼んでた」
「誰がですか」
「みんな」
それを聞いて、少しだけ胸が熱くなった。
冬の町に、春なんてまだ遠い。
でも、遠いからこそ、先に箱へ入れて残しておく価値があるのだ。




