010 吹雪の夜の入港
吹雪が強まり始めたのは、日が沈んですぐだった。
詰所の窓が、ばしばしと雪に叩かれる。
港の見張り台から戻ってきた兵士が、肩の雪を払うより早く言った。
「沖の灯りがひとつ見える。北の漁村の小型船だ」
部屋の空気が一気に張る。
この天気で戻ってくる船は、だいたい無事では済まない。
「積み荷は?」
カイル様が立ち上がる。
「まだ分からん。ただ、帆の張り方が乱れていた」
わたしは机の上の台帳を閉じた。
考えるより先に、必要なものが並ぶ。
赤札の食料。緑札の診療所春箱。黒札の乾いた薪。青札の空き区画。
「港を開けます」
わたしが言うと、カイル様が頷いた。
「やることは分かっているな」
「はい。荷より先に人を受ける準備を」
外へ出ると、風が頬を殴るみたいに冷たかった。
桟橋では兵士たちが綱を準備し、漁師たちが口数少なく位置につく。ニコは赤札と緑札の束を抱え、ヨナスさんは大倉の入口を開けて待っていた。
この前なら、ここで怒号ばかり飛んでいたはずだ。
でも今夜は違う。誰がどこへ立つか、すでに決まっている。
「ニコ、緑札は診療所行き。負傷者が出たら人から先に」
「うん!」
「ヨナスさん、青札区画を二つ空けてください。濡れた荷は地上に置きません」
「任せな」
「ニナには?」
兵士のひとりが聞く。
「もう呼んであります」
言い終えるより早く、診療所側から灯りが二つ揺れた。
ニナが薬箱と春箱を背負い、助手の少年を連れて走ってくる。
「熱湯も持ってきた! 凍えた人から入れるよ!」
「助かる」
やがて、雪の向こうに船影が現れた。
帆は半分裂け、甲板には人影がうずくまっている。岸へ寄せるたび、船体が氷を噛んで嫌な音を立てた。
漁師たちが一斉に綱を投げる。
「いまだ、引け!」
怒鳴り声に合わせて、人が動く。
船がようやく桟橋へ寄った時、甲板から転がるように降りてきた男が叫んだ。
「薬草だ! あと、村の子どもがひとり熱を出してる!」
その一言で、流れが決まった。
「緑札!」
わたしが叫ぶと、ニコが子どもを抱えた母親の前へ飛ぶ。
「こっち! ニナ姉!」
ニナがすぐに春箱を開け、子どもを診る。わたしは船倉を覗き込み、濡れた薬草束と乾いた薬草束を瞬時に分けた。
濡れたものは地上の乾燥棚へ。乾いたものは緑札で診療所へ。食料袋は赤札と青札へ振り分け、魚油の樽は白札で加工場へ回す。
「リーゼ!」
カイル様が、吹雪の音に負けない声で呼ぶ。
「船倉の奥に凍った箱がある。何に見える」
駆け寄って蓋へ触れる。
硬い。でも中身はまだ死んでいない。
「種芋です。これ、駄目にしたら春の植え付けが消えます」
「保てるか」
「大倉へ入れれば」
「なら通す」
それだけで十分だった。
カイル様が兵士を二人つけ、種芋の箱はそのまま青札区画へ運ばれる。風で消えそうな灯りの中、ヨナスさんが入口を押さえ、ニコが札を振って道を作る。
港じゅうが、ひとつの大きな倉庫みたいに動いていた。
一時間後、船から下ろした荷はすべて置き場へ収まり、負傷者も診療所へ送られた。
誰かが倒れる前に温かい飲み物が回り、濡れた外套は黒札の火鉢小屋へ集められる。
混乱はあった。声も荒れた。けれど、止まらなかった。
桟橋の端で、北の漁村から来た船長が深々と頭を下げた。
「助かった……。前の白霧港なら、荷を守るか人を守るかで揉めて終わってた」
わたしは答えに迷って、少しだけ視線を外した。
褒められるのはまだ慣れない。
代わりに、隣のカイル様が静かに言う。
「いまの白霧港は違う」
その声は短いのに、妙に重かった。
わたしは雪の向こうを見た。
大倉へ運ばれた種芋。診療所へ運ばれた薬草。春箱で眠った子ども。火鉢の前でようやく息をつく船乗りたち。
全部ばらばらのようでいて、ひとつの流れの中にある。
「冬を越えるって」
気づけば、独り言みたいに口にしていた。
「その場しのぎの我慢じゃないんですね」
カイル様がこちらを見る。
「どういう意味だ」
「今夜みたいな時に、荷も人も諦めなくて済むようにしておくことです」
吹雪の向こうで、大倉の青い灯りが淡く揺れた。
古代の倉庫も、きっとそういう夜のために作られたのだろう。
ニコが、真っ赤な鼻のまま駆けてくる。
「リーゼさん! さっきの船の人たち、港が別の場所みたいだって!」
「別の場所ではないです」
「でも、前よりすごいって!」
それなら、十分だ。
この夜を越えた時、白霧港の人たちの目はもう変わっていた。
追放されてきた伯爵令嬢を見る目ではない。
冬を回す管理官を見る目だ。
わたしは手袋越しに台帳を握りしめた。
第2章の最初に作った『白霧港冬期運用台帳』は、今夜ちゃんと役に立った。
なら次は、冬を越えるだけでは足りない。
蓄えた余裕を、毎日の食卓へ回していく番だ。
吹雪の夜の港で、わたしはその手応えを確かに掴んでいた。




