070 王都を指す零番灯
白霧港へ戻ったのは、翌日の昼過ぎだった。
主桟橋ではちょうど南行きの貸出便が出るところで、広域備え板の前には昨日より多い相談札が掛かっている。
探索へ出ている間も、港は止まっていなかった。
「おかえりなさい」
ニナが駆け寄ってくる。
「北門外診療院から追加の青札。あと、南の干し草不足が一段深くなってます」
「板、見せて」
わたしはまだ外套も脱がないまま、広域備え板の前へ立った。
食糧、播種、療養、返却計画。
そこへ、保管都市から持ち帰った零番灯を板の端へ当てる。
保存魔法を薄く流すと、灯板の筋がふっと光り、板の下端へ二つの欄が浮き出た。
『待機』
『代替路』
港にいた人たちが、いっせいに息を呑む。
昨日までなかった欄だ。
でも、ずっと足りなかった欄でもある。
「ニコ、灰札を持って」
「うん」
「カイル様、海側支庫便の余力を」
「今朝の戻りなら一便分ある」
「ニナ、診療院であと二日待てる土地の印をください」
指示を出しながら、零番灯へ現在の札を写していく。
待機欄へ日数を書き、代替路欄へ氷橋便、崖路便、宿場継送の可能な筋を書き込む。
すると灯板の細線が少しずつ整い、広域備え板の字面が「困っている順」から「まだ持つ順」「別の道で送れる順」を含んだものへ変わっていった。
「すごい」
ニコが板を見上げる。
「同じ不足でも、いま出さなきゃ駄目なやつと、別便で間に合うやつが分かる」
「ええ」
わたしは頷く。
「これで先着順でも声の大きい順でもなく、崩れやすい順をもっと正確に見られる」
零番灯は物資を増やさない。
でも、足りない物を足りないまま奪い合わせないための板だった。
その時、灯板の端で赤い点がひとつ脈を打った。
白霧港の外。
王都近郊の線だ。
「追加相談?」
ニナが顔を寄せる。
けれど、点は一つでは終わらなかった。
赤が二つ、三つと並び、やがて北門外へ向かう線の先で、濃い赤へ変わる。
灯板の表面に、短い文字が滲んだ。
『王都北門外』
『備蓄 三日』
『代替路 逼塞』
背中が冷えた。
王都近郊の診療院が苦しいのは、もう知っている。
でもこれは診療院一つの話じゃない。
王都そのものの入口が、三日しか持たないと言っている。
その直後、主桟橋の見張りが鐘を鳴らした。
二回、間をおいて一回。
早馬便の合図だ。
兵が息を切らして広場へ入ってくる。
「王都北門外より急書! 配給列が崩れ、街道筋の倉場町で荷止めが起きています!」
板に出た赤と、使者の声がぴたりと重なった。
零番灯は予言をしたわけじゃない。
不足の順番が崩れる寸前を、先に可視化したのだ。
カイル様が板を見たまま言う。
「王都が持たない」
「ええ」
わたしは灯板の赤線を見つめる。
「しかも、もう王都近郊だけの問題じゃありません。北門が崩れれば、街道も倉場町も巻き込みます」
白霧港の人たちも、ざわめきを飲み込むように黙っていた。
辺境の港が、いつの間にか王都の呼吸まで映す板を持ってしまったのだ。
わたしは広域備え板の最上段へ、新しい見出しを書き足した。
『王都方面 緊急配分』
その下へ、待機、代替路、返却不能の印。
食糧だけではない。療養食、干し草、種の残し方。全部を王都側まで含めて組み替えなければ、今度は国の真ん中から崩れる。
「白霧港は今日まで、辺境の不足へ順番をつけてきました」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「でも次は、王都まで含めた順番を決めます」
零番灯の赤は、まだ小さく脈を打っている。
その光は脅しじゃない。
遅れれば崩れる順番を、もう見えてしまったというだけだ。
失われた保管都市が守っていたのは、きっとこういう瞬間なのだろう。
物が足りなくなる前に、判断が壊れるのを止めること。
白霧港の風は冷たいままだった。
けれど板の前に立つわたしたちの視線は、もう辺境の内側だけを向いていない。
次に守るべき冬は、王都まで繋がっていた。




