066 零番坂へ出る荷橇
失われた保管都市を探ると決めた翌朝も、白霧港の広域備え板はいつも通り人で埋まっていた。
南三番畑の戻り札。王都近郊の診療院から来た青い書付。海側支庫経由で届いた乾燥棚の返却予定。
昨日までと違うのは、板の横へもう一枚、小さな写し板を立てたことだ。
「探索隊はこれを持っていきます」
わたしは薄板へ線を引きながら言う。
「食糧、播種、療養、返却計画。今ここの板へ掛かっている順番を、そのまま向こうへ持っていく」
ニコがすぐに覗き込んだ。
「昔の門を開ける鍵にするってこと?」
「たぶん。第零配分盤は、物の山を見る場所じゃない。どこがどれだけ足りなくて、誰がどう戻せるかを束ねる場所だったはずだから」
カイル様が頷く。
「探索は小人数だ。白霧港の配分を止めるな」
「はい」
その返事に、自分でも少しだけ安堵した。
宝探しみたいに全員で雪山へ向かうわけにはいかない。
白霧港はもう、発見のために現場を空けていい港ではないのだ。
残るのはニナと台所番、それから当番の兵たち。わたし、カイル様、ヨナスさん、ニコの四人で零番坂へ向かう。
探索隊が持つ荷も最小限にした。
保存穀の包み三つ。
乾燥魚。
温茶葉。
紙板と写し板。
戻り札の控え。
そして、昨夜まで広域備え板へ掛かっていた灰札の束。
「灰札まで持っていくんですか」
出発前、ニナが不思議そうに首をかしげた。
「まだ相談が届いていない土地の分です」
わたしは束を布で巻き直す。
「でも、帯の途中にある。古い配分盤が本当に広域を見るものなら、来ていない不足も勘定へ入れるはずです」
ニナは少し黙ってから、温茶葉の包みを荷へ差し込んだ。
「ならこれも。門が開いても、誰かの台所の先で開くんだって忘れないように」
その言い方が、妙に胸へ残った。
古い都市を見に行くのに、考えているのは結局いまの食卓なのだ。
昼前、わたしたちは北の崩落路へ出た。
零番坂なんて名を、今の地図はもう持っていない。
けれど昨夜ニコが聞き集めた古老たちの話では、昔は「風が坂の下から鳴る道」と呼ばれていたらしい。
「荷橇は軽く引け」
ヨナスさんが古い杭を足で払う。
「ここは重い荷だと滑る。昔も束ねた荷は坂の上でいったん分けたはずだ」
確かに、雪の下から出てきた石列は、ただの山道にしては妙に幅がある。
荷車道ではなく、荷を整えてから降ろすための前庭みたいな広さだった。
わたしは一本の杭へ手を当てた。
保存魔法を薄く流すと、表面の霜が少しだけ均一になる。
すると、ほとんど削れていた刻みの下から、古い線が浮いた。
『空荷返し』
『待機二刻』
「……倉庫の前じゃない」
思わず呟く。
「坂そのものが仕分け場だったんですね」
カイル様が周囲を見回した。
「都市へ降りる前に、荷の軽重と戻り順を揃えていたのか」
つまり保管都市は、物をただ集める場所じゃない。
着く前から、戻りと待機まで折り込んでいた。
坂を下るほど、風の音が変わった。
上では雪面をなでていた風が、途中から足もとで鳴る。
崖の底へ穴があるみたいに、下から冷気が吹き上げていた。
「リーゼさん、あれ」
ニコが指さした先に、半分埋もれた石札があった。
雪を払うと、かすれた文字が出る。
『零番坂 風穴前』
その下には、三本線と丸印。
昨夜の路線控えにあった記号と同じだ。
坂の先は崖で途切れて見えた。
けれど近づくと、岩肌の影に人ひとり分の裂け目がある。
底の見えない暗さではない。むしろ整いすぎた暗さだった。
風が、そこから吹いている。
「門ですね」
わたしは写し板を抱え直した。
「しかも、まだ息をしてる」
白霧港の配分板から写した札が、腕の中でやけに重かった。
この門はきっと、昔の鍵だけでは開かない。
いま不足している土地と、いま戻せる春を持ってこそ開く門だ。
わたしたちは荷橇を裂け目の前で止めた。
零番坂の先にあるものは、過去の遺物じゃない。
たぶん、まだ今と繋がる仕組みだ。




