061 広域備え板の朝
白夜祭が終わった翌朝、共同炊事場の長机は鍋ではなく紙束で埋まっていた。
土地の名、人数、残りの在庫。書き方はばらばらなのに、足りなくなりそうだという匂いだけは全部同じだった。
紙の端には泥の指跡があり、急いで書いたらしい文字は途中で何度も止まっている。
祭りのあとに残ったのは賑わいの名残りではなく、各地から押し寄せた「困る前にどうすればいい」という問いだった。
「南の村から三件、王都近郊から二件、診療院経由が四件です」
ニナが仕分けた紙を差し出す。
「みんな、買いたいというより、回し方を知りたいって書いてます。乾燥棚の組み方とか、粥を何日ぶんに割れるかとか」
「足りないと断言する前の相談が多いですね」
わたしは一枚を広げた。
そこには『三十八戸、残り麦十一日、春蒔き分を削るか迷う』と震える字で書かれている。
白夜祭の準備板があった場所へ、新しい板を立てた。
まだ木の匂いが残る板へ、わたしは太い字で見出しを書く。
『広域備え板
土地名
人数
残り日数
播種可否
療養食の要否』
その下に、さらに小さく追記した。
『聞き取り後に色札配分』
板の前には、祭りの後片づけに来ていた港の人だけでなく、昨夜のうちに宿を取った相談客まで集まり始めていた。
白夜祭の勢いで売り買いの延長を想像していた顔が、書かれた項目を見た瞬間に戸惑う。
「先着順では受けません」
わたしは振り返って言う。
「足りない順でもありません。土地と人数と、あと何日もつか。まずそこを揃えます」
ざわめきが広がる。
「細かすぎませんか」
視察帰りの商人が眉をひそめた。
「祭りであれだけ見せたのだから、売れるだけ売ったほうが港も儲かるでしょう」
「細かくしないと、遅いところから倒れます」
わたしは紙束を持ち上げた。
「白霧港は見本を売る港ではなくなりました。なら次は、誰に先に届かせるかまで決めます」
南から来たらしい痩せた女の人が、おそるおそる手を挙げた。
「麦が尽きる前なら、まだ助かるんですか」
その問いに、周囲が静かになる。
今ここにいる人たちは、景気の話より、その答えを聞きに来ているのだ。
「助かる形を、これから決めます」
わたしははっきり答えた。
「だから数字が必要なんです」
カイル様が板の横へ立つ。
「ノルトフェルト家も同じ判断だ。用途と残日数を書けない相談は受けない。見栄や駆け引きで数字を濁した土地から遅れると思え」
それで空気が変わった。
断られたのではなく、測られるのだと皆が理解する。
ニコが新しい木札を抱えて駆けてきた。
「赤は食糧、青は療養食、緑は播種。あと、灰は聞き取り待ち」
「ありがとう。灰札を先に多めに」
「机、もう一つ出す? 主桟橋にも人が並び始めてる」
「お願いします。聞き取り席を二つに増やしましょう」
ニナが横から口を挟む。
「療養食は、病人の数も聞かせてください。熱病持ちと子どもが多い土地は、同じ十一日でも崩れ方が違います」
「書き足します」
わたしは板の欄外へさらに一行を加えた。
『病人・幼子・産後の人数 別記』
書いた文字を見て、わたし自身が息を呑む。
もう、ただの注文板ではない。
ここへ書く数字で、先に守られる順番が決まる。
最初の聞き取り席に着いたのは、さっき手を挙げた南の女の人だった。
夫と二人で村の帳面役をしているらしく、持ってきた紙は粗いけれど正直だった。
「三十八戸、子どもが十六。残り麦十一日。熱を出してるのが三人。蒔くつもりだった種豆、もう半分食べました」
数字にすると、痛みが妙に整って見える。
でも整って見えるからこそ、次の判断へつなげられる。
続いて座ったのは、王都近郊の診療院の使いだった。
こちらは畑ではなく、療養食の話を持ってきた。
「粥を薄くしても、あと九日です。熱の引かない子が七人、産後が二人」
畑と診療院。足りなくなる形は違うのに、残り日数はどちらも短い。
ニナが横で小さく息を吐く。
「同じ九日でも、鍋だけで持つ場所と持たない場所があります」
「分けて見ます」
わたしは赤札とは別に、青札の束を机へ置いた。
「同じ不足でも、崩れ方が違うから」
それを見ていた港の台所番の女性たちが、無言で椅子をもう二つ運んでくれた。
誰も大声では言わないけれど、もうこの板が白霧港だけのものではないと分かり始めている。
わたしは灰札に『南三番畑』と書き、残日数の欄へ掛けた。
その札が板に触れる乾いた音で、祭りのあとの余韻はきれいに消えた。
白夜祭で人を呼んだ。
その結果として来たのは、景気だけじゃない。困りごとの順番だった。
ヨナスさんが入口から紙束の追加を抱えてくる。
「主桟橋だけじゃないぞ。診療所前にも相談待ちだ」
「なら、青札の席も別に作りましょう」
ニナがすぐ立ち上がる。
「温茶を出しながら聞きます。体のことは、座らせてからのほうが話せます」
白霧港はもう、自分たちの在庫だけ数えていればいい港じゃない。
誰の冬が先に尽きるか、その地図まで作らなくてはいけない。
朝の冷たい光の下で、広域備え板の一番上に最初の札が掛かった。
『南三番畑 残り十一日』
その下へ、二枚目の札を掛ける。
『北門外診療院 療養食 残り九日』
その数字を見た瞬間、わたしの中で次の章がもう始まっていた。




