062 足りない畑の地図
昼までに集まった相談札を、わたしは白霧港の大きな地図板へ一枚ずつ移していった。
南の川沿いは黄札。王都近郊の畑は白札。診療院の療養食不足は青札。乾燥棚の貸し出し希望は茶札。
離れた場所のはずなのに、打たれる印は一本の帯みたいに続いていく。
白夜祭の見学路に使った壁いっぱいの地図は、今日はもう祭りの飾りじゃない。
人がどこから来たかを示す板ではなく、どこから先に痩せていくかを読む板だ。
「南二番宿場は、川沿いの畑が泥をかぶったそうです」
ニコが聞き取り札を読み上げる。
「王都の北門外は、芽が出たあとで霜が戻ったって。あと、みんな口をそろえて『去年より種を食べるのが早い』って言ってた」
「霜が遅かったんですね」
ニナが青札を押さえながら言う。
「芽が出たあとに冷えた土地が多い。薬草畑までやられてる」
わたしは黄札の並びを見つめた。
「しかも、同じ時期に保存穀の相談も増えてる。種だけじゃなく、食卓も一緒に痩せています」
地図板の前には、相談に来た人たち自身も残っていた。
自分の土地の札がどこへ掛けられるかを見るうちに、隣の札との距離が近すぎることに気づき始めている。
カイル様が腕を組む。
「局地の不作では済まないな」
そこへ、王都近郊の診療院から来た若い使いが、小さな包みを差し出した。
「土です。先生が見せろって」
包みを開くと、黒い土に白い霜焼けの筋が残っていた。
土塊の中には、途中で傷んだ細根も混じっている。
「冬の冷えを引きずったまま、春を迎えそこねた土ですね」
ニナが眉をひそめる。
「これだと薬草も穀も、根が浅いまま弱る」
「芽床資材を欲しがるわけです」
わたしは包みを閉じる。
「土から立て直さないと、今年の畑は戻らない」
聞き取り席から戻った南の男が、疲れた声で言った。
「麦を残すか、種を残すかで村が割れてる。どっちを取っても次が欠ける」
別の使いは、王都近郊では干し草の値まで跳ね始めていると教えてくれた。
家畜を残せば人の鍋が薄くなる。人の鍋を守れば、耕す力が減る。
足りないのは畑の一枚ではなく、季節をつなぐ手数そのものだ。
その一言が、地図板の前の空気をさらに重くした。
種が食糧に回れば、次の季節も痩せる。
目の前の腹を守るほど、次の春が削れる形だ。
「地図をもう一枚使いましょう」
わたしは隣へ空板を立てた。
『今月』
『次の播種』
『療養』
と三列だけ書く。
「足りないのは物じゃありませんね」
ニナが頷く。
「足りなくなる順番が、あちこちで重なってる」
「ええ。だから、同じ札でも意味が違う」
わたしは黄札を一枚持ち上げた。
「今月を越えるための食糧不足と、次の播種を残せない不足と、病人を支える療養食不足。これを一緒に扱うと、どこかで崩れます」
地図板の前に、黙り込む人が増えた。
相談に来た人たち自身が、線のつながりを見てしまったのだ。
足りない場所が一つなら、売れば済む。
でも、帯のようにつながるなら、売り方から変えなくてはいけない。
わたしは地図板の端へ、小さな印をいくつも打った。
相談がまだ来ていない町だ。
けれど、帯の途中にある以上、何も起きていないとは考えにくい。
「ここも、そのうち来ますね」
ニコが印を見ながら言う。
「たぶん」
「じゃあ先に空札を掛けておく?」
「ええ。来てから慌てるより、そのほうがいい」
まだ届いていない不足のために札を用意する。
その作業が、妙に胸へ重かった。
夕方、わたしは黄札の列へ赤い糸を渡した。
南から王都近郊へ、そして白霧港へ戻る一本の筋。
さらに茶札の列には青い糸を渡す。診療院と薬草畑の不足が、別の形で同じ帯をなぞっていた。
その二本の線を見て、カイル様が低く言う。
「買い占め筋が狙うには、都合がいい帯だな」
「ええ」
わたしは頷いた。
「一つの土地を押さえるより、この帯へ先回りしたほうが高く売れる。だから昨日の大口注文も、町名だけ散らしていたんだと思います」
「つまり、向こうも地図で見てる」
その言葉に、背中が冷えた。
わたしたちが今日ようやく地図へした形を、どこかの誰かはもう値札の並びとして読んでいるかもしれない。
「だから明日、順番を決めます」
わたしは地図板から目を離さず言った。
「もう、誰が先に銀貨を出すかでは回せません。先に守るところを、白霧港側で決めるしかない」
「恨まれますよ」
後ろで、誰かが小さく言った。
「ええ」
わたしは振り返らずに答える。
「でも、決めないほうがもっと崩れます」
主桟橋の向こうはまだ明るいのに、板の前だけ夕方より早く影が落ちていた。
白霧港の地図板は、港の外の飢えまで映し始めていた。




