006 冬眠庫の棚卸し
翌朝、わたしはまだ薄暗いうちから霜守りの大倉にいた。
肩には新しい台帳。腰には炭筆。足元にはニコ。少し離れてヨナスさんがランタンを掲げ、カイル様は入口近くで腕を組んでいる。
昨日までは「古代のすごい倉庫」だった場所が、今日はもう現場だ。
「まず確認します」
わたしは中央台座の前で、集まった三人を見回した。
「この倉庫の中身は、見つけたからすぐ配れるものではありません。古くても状態はいい。でも、何がどれだけあるか、どこまで使えるか、出す順番まで決めなければ、ただの埋蔵品です」
「宝箱を開けたら終わりじゃねえってわけだな」
ヨナスさんが顎髭を撫でる。
「ええ。倉庫は開けてからが本番です」
ニコが、わたしの持つ台帳を覗き込んだ。
「何書いてあるんだ、それ」
「棚番号、品目、状態、使い道。あと、誰に渡すか」
「多いな……」
「多いから、飢えずに済むの」
そう言ってから、青い石の台座へ手を置く。
きゅ、と小さく鳴いて、雪鼬の管理精霊が足元へ現れた。真っ白な尻尾を揺らしながら、わたしの靴の周りを一周する。
「今日は機嫌がよさそうだな」
カイル様が言う。
「帳簿仕事が好きなのかもしれません」
「精霊までお前に似てきた」
それはたぶん褒め言葉ではないけれど、否定もしにくい。
棚卸しは、単純だけれど骨が折れる。
種子は種類ごとに乾き具合を確かめ、薬草は香りと色を見る。保存油は封の劣化を調べ、塩は固まり具合で再利用の可否を分ける。
わたしが判定し、ニコが札を書き、ヨナスさんが棚番号を読み上げる。
カイル様は途中から無言で木箱を運び始めていた。辺境伯家の嫡男にやらせる仕事ではないのだけれど、いまここでいちばん足りないのは身分より腕だ。
「リーゼ、これも使えるのか」
カイル様が持ち上げたのは、銀灰色の魚箱だった。
「開けます」
蓋をずらすと、中には薄い氷膜をまとった白身魚が整然と並んでいた。
匂いはない。目の濁りも少ない。まるで昨日の朝に締めたみたいな状態だ。
「すご……」
ニコが息を呑む。
「古代倉庫の保存がまだ生きていたんですね」
「食えるのか?」
「ええ。ただし、いきなり全部は出しません」
ニコが不満そうな顔をしたので、わたしは魚をひと尾持ち上げて見せた。
「一箱出して、残りを放っておいたら、次に必要な時に困るでしょう。冬の倉庫で大事なのは、『ある』ことじゃなくて『いつまで、どう出せるか』です」
「……分かったような、分かんねえような」
「今日の夕飯で分かるようにします」
午前の終わり頃、地上から慌ただしい足音が響いた。
駆け込んできたのは、港の漁師だった。頬を赤くして、肩で息をしている。
「カイル様、大変だ! 沖から戻った小舟が、鰊を思ったより揚げちまった。だが燻製小屋がもういっぱいで、このままじゃ夜までにもたねえ!」
カイル様の眉が寄る。
「量は」
「木箱で八つ! こんな時に限ってだ」
昨日までなら、嬉しい悲鳴で終わらない話だ。
せっかくの漁獲が、保存できずに腐る。白霧港が負け続けてきた理由のひとつでもある。
「リーゼ」
「やりましょう」
即答すると、カイル様が短く頷いた。
地上へ出ると、桟橋脇には銀色の鰊が山のように積まれていた。
漁師たちの顔は明るいのに、その奥で焦りがにじんでいる。
獲れたのに守れない。いちばん悔しいやつだ。
「全部、大倉へ運んでください。ただし雪の上に直置きしない。布を敷いて、箱ごと」
「そんな地下に入れて平気なのか?」
年配の漁師が怪訝そうに言う。
「平気にします。だから急いで」
港の男たちは半信半疑のまま木箱を担ぎ、地下へ降ろしていく。
わたしは空いている区画をひとつ選び、床と棚板へ順に手を触れた。
「保存」
青白い光が、区画の縁を細く走る。
古代の紋様とわたしの魔法が重なり、空気がぴんと澄んだ。
雪鼬の管理精霊が台座の上で尻尾を立てる。すると壁の刻印がひとつ灯り、区画番号の下に淡い文字が浮かんだ。
『低温維持区画 短期保管』
「読めるのか」
「だいたいですが。ここは短期間で鮮度を保つための場所みたいです」
わたしは鰊の木箱へ札を結びつけた。
赤札は今日出すぶん。青札は明日まで保たせるぶん。白札は塩漬け用。
「ニコ、この色分けを覚えて」
「赤がすぐ、青が明日、白が加工」
「正解」
運び込んだ箱を順に並べ、区画ごと保存処理をかけていく。
全部に強い魔法を使う必要はない。量、順番、人手。そこを揃えれば、少ない力で回せる。
前世でも今世でも、現場ってそういうものだ。
一刻ほどで、八箱の鰊はすべて大倉の中へ収まった。
最後の箱を置いたところで、漁師のひとりが、おそるおそる言った。
「……これで、本当に駄目にならねえのか」
「今夜の炊き出しで一箱使います。残りは明日の朝まで鮮度を見ます。そこで違いを見てください」
「もし保ったら」
「次からは、獲れた日に全部慌てて捌かなくてよくなります。値崩れもしにくい」
ざわ、と空気が動いた。
漁師たちの目の色が変わる。
腹を満たせるかどうかだけじゃない。稼ぎが変わる話だと分かったのだ。
夕方、広場に並んだ鰊の汁物は、昨日の干し魚の鍋よりずっと匂いがよかった。
港の人たちはひと口すすったあと、目を見合わせた。
「朝の魚みてえだ」
「昨日より脂が落ちてねえ」
「地下に入れただけで、こんなに違うのか?」
違うのだ。
正確には、地下に入れただけではない。数えて、分けて、順番を決めて、守る場所を選んだから違う。
鍋の湯気の向こうで、カイル様がわたしの台帳を見下ろした。
最初の頁には、今日書きつけた見出しがある。
『白霧港冬期運用台帳』
「ずいぶん大きく出たな」
「運用は、名前をつけたほうが続きます」
「理屈は分からんが、お前が言うと正しそうに聞こえる」
その時、ニコが広場の端から駆けてきた。
「リーゼさん! さっきの漁師のおっちゃんたち、明日から自分とこの塩樽も見てほしいって!」
「もうですか」
「あと、診療所の薪棚も! ニナ姉が、乾いたやつと湿ったやつ分けたいって!」
忙しくなる。
でも、それは悪い報せじゃない。
白霧港の人たちが、保存を「地味な魔法」じゃなく「使える仕事」として見はじめた証拠だから。
わたしは台帳を閉じ、広場の灯りを見渡した。
まだ足りないものは山ほどある。
けれど、ようやくこの港は、足りないまま耐えるだけの場所ではなくなりはじめていた。
明日は地上倉庫。次は診療所。港まるごとの流れを、ひとつずつ整える。
冬を越える仕組みは、こうして棚ひとつ、箱ひとつ、鍋ひとつから始まるのだ。




