048 海霧の積み替え灯
夜の海側支庫は、灯りをひとつ間違えるだけで海へ消えそうだった。
主桟橋からは見えない入り江へ、戻り箱をひとつだけ置く。
札は『低温保存試料 港外持出』。昼に見つけた偽装札と同じ書きぶりで、わざと少しだけ隙を残した。
わたしたちは支庫の陰に散った。
カイル様は岩影、ヨナスさんは鐘綱のそば、ニコは上の見張り板。わたしは箱の見える位置で、保存魔法を薄く流して紙の湿りと封紐の状態だけを留める。
海霧が濃くなった頃、小舟の櫂音がした。
合図の鐘は鳴らない。正規の便じゃない。
二人組だった。
ひとりが箱を抱え、もうひとりが油紙の書付を確かめる。
「返事が来る前に、見本だけは上へ回せ」
低い声がした。
「婚約が通れば筋は太くなる」
その一言で十分だった。
ニコの短い笛が鳴る。次いで、ヨナスさんが支庫の鐘を一度だけ鳴らした。
正規便ではない者にとっては、あれは道を閉じる音だ。
「動くな」
カイル様が岩影から出ると、相手は反射的に箱を投げた。
でも箱は落ちない。わたしが保存魔法で木口の割れを留めていたから、中の書付ごと崩れず残る。
もうひとりは小舟へ戻ろうとして、氷橋側から回ってきた港の男たちに止められた。
争いは長くならなかった。相手は剣より先に逃げ道を探す手つきで、現場慣れした密輸屋だった。
押さえた油紙を開く。
中には、送り先の控え、青札の写し、それから小さな金箔押しの札が一枚。
『王弟派春待ちの宴 持込見本 北辺再生品』
さらに、その下に短い走り書きがあった。
『婚約返答前に芽床粉二包、耐寒麦一包を先送』
ニナが息を呑む。
「見本って、宴会の飾りですか」
「飾りだけじゃない」
わたしは書付を持つ手に力を入れた。
「味を見て、値を決めて、欲しければ権利ごと取りに来るための見本です」
婚約状は表の手。
海霧の積み替えは裏の手。
でも送り先は同じ場所を向いていた。
白霧港の春は、もう港の中だけの話じゃなくなっている。




