045 芽吹きの地図は外へ漏れる
芽出し箱に緑が見えてから、白霧港の空気は少し変わった。
共同台所では献立板の横に「試し床の様子」が書き足され、診療所には薬草苗床の当番表が貼られた。
崖向こうの集落からも、「今年なら畝を一枚起こせる」「風除け石だけなら積める」と戻り札が届く。
人が明日の分だけでなく、その次の季節の話をし始めている。
わたしは第三層から持ち出した地図を、白霧港の現況板へ重ねた。
港南斜面、崖上旧段畑、崖向こう共同畝。
さらに、その先の古い荷路まで薄く浮かぶ。
「種子庫は、白霧港だけの箱じゃありませんね」
わたしが言うと、カイル様が頷いた。
「北辺の畑を順に戻すための中継だ。海が止まっても、土地を殺さないための」
つまり白霧港は、食料を貯める港から、北辺の春を配る港になりうる。
その価値は大きい。
そして大きいものは、だいたい誰かに見つかる。
昼過ぎ、積み替え庭でニコが不自然な荷札を見つけた。
「リーゼさん、これ変」
木箱の側面に打たれた札は、海藻灰の搬入札に見える。
でも紐の結びが南式で、印も白霧港のものより一回り浅い。
行き先欄には、こうあった。
『低温保存試料 港外持出』
「そんな札、今の港にはありません」
「作ってない」
わたしはすぐに答えた。
誰かがもう、低温保存の品を白霧港から抜ける形で想定している。
まだ種子庫の話を広場で大きくしたわけではないのに。
その直後、今度は辺境伯家の使いが一通の封書を持ってきた。
厚手の紙に、王都貴族の紋。
「王都から?」
カイル様が眉を寄せる。
封を切ると、文面はやけに丁寧だった。
北辺再建と農地回復への功績を称えたい。ついては今後の後ろ盾と縁を深めるため、リーゼ・ハルフェンへの婚約打診を正式に検討したい。
「早いですね」
自分でも驚くほど、声が冷えた。
芽が出た途端にこれだ。
港の価値を祝いたいのではない。繋ぎたいのだ。札も、土も、人ごと。
カイル様が手紙を折り直す。
「返事は急がなくていい」
「急ぎません」
むしろ、急いだほうが相手の思うつぼだ。
積み替え庭では、偽装札の木箱がまだ開けられずに置かれている。
手元には婚約打診の封書。診療所裏では、小さな緑が風に揺れている。
春は残せる。
でも残せると分かった瞬間、それを横から持っていこうとする手も必ず出る。
わたしは偽装札の箱と封書を並べて見た。
片方は荷で、片方は人の話。
けれど中身は同じだ。
白霧港の価値が、港の外へ漏れ始めている。




