037 凍結帳を開く机
王都監察局の机は、白霧港の確認机より広くて、ずっと冷たかった。
磨かれた板の向こうに座っていたのは、出立の日にわたしを切った時と同じ顔ぶれではない。
けれど、その一角にドロワはいた。
相変わらず髭は整っているし、こちらを見る目も「処理が面倒な紙」でも見るみたいに薄い。
「リーゼ・ハルフェン」
上席らしい監察官が言う。
「出頭要請に応じたことは認める。提出物を」
「はい」
革筒を三つ、机へ並べた。
『凍結帳原紙』
『白霧港照合控え』
『外部見届け控え』
それを見た瞬間、ドロワの目が一度だけ細くなる。
「随分な量ですな」
「出頭状に『証言と原本照合』とあったので」
わたしは答える。
「原本だけでは照合になりません。北道急使の控え、春商隊の控え、漁村の戻り札も持参しました」
「監察局の場です」
「ええ。だからこそ、王都の紙だけで閉じないほうがよいかと」
白霧港では三枚控えを広げた。
王都でも、やることは大きく変わらない。
一枚しかない紙は、すぐに偉そうな顔をするからだ。
上席監察官は最初の束を開いた。
赤札。再査定札。まとめ板の写し。海獣被害の報告。氷橋を開いた時刻。崖向こうの戻り札。
ただの弁明ではなく、北で実際に何が動いていたかが分かるように順番を組んである。
「税照合の包みに、なぜ海獣被害と氷橋運用が入る」
別の書記が眉をひそめる。
「白霧港を『飢寒港臨時則』で救済対象として縛るなら、現状の運用実績が必要です」
わたしは黒札荷の控えを示す。
「止まっていない港へ、止まった港用の則を被せるのは誤りです」
白霧港では当たり前の理屈だ。
でも王都では、その当たり前を誰かが机の都合で飛ばす。
ドロワが鼻で笑う。
「北辺の小港の板書きで、王都の則を論じると?」
「論じるのではなく、照合します」
「娘ひとりの手元帳面に、どれほどの信がおありで?」
「娘ひとりではありません」
そこで、隣に立つカイル様が辺境伯家の紋章札を机へ置いた。
「ノルトフェルト辺境伯家嫡男、カイル・ノルトフェルトだ。白霧港の管理責任者として、提出物の過程を証言する」
机の向こうの空気が、少しだけ張った。
王都は北辺を軽く見るけれど、辺境伯家の名まで無視はしにくい。
「さらに」
わたしは二つ目の束を開いた。
「そちらの原記録も必要です。出頭状の起案控え、飢寒港臨時則の発議控え、夜間開扉許可の照合簿」
ドロワがすぐに口を挟む。
「本件はハルフェン家の穀倉不正と白霧港税照合に関する件だ。そこまで広げる必要は」
「赤札の末尾道番号が、わたしを王都から外した時の訂正印と同系統でした」
「憶測ですな」
「なら原記録で否定してください」
否定できるなら、それが一番早い。
できないと困るのは、こちらではない。
上席監察官はしばらく黙っていたが、やがて白蝋の印板を取った。
「ドロワ」
「は」
「起案控えと発議控えを出せ。加えて、ハルフェン伯爵家第二倉の現場照合を本日付で命じる」
その一言で、机の向こうの紙の音が変わった。
書類仕事の静けさではなく、誰かの逃げ道を塞ぎ始める音だ。
ドロワの頬がわずかに強張る。
「本日、ですか」
「原本照合とあったのは、お前の起案した出頭状だろう」
わたしはそこで、ようやくひとつ息を吐いた。
勝ったわけではない。
でも、机の上に置く順番だけは取り返した。
詰所の冷えた板より、こちらの机のほうが広い。
けれど広いだけで、扱いは同じだ。
何を先に見せて、どこへ札を置いて、誰に同じ数字を言わせるか。
それで流れは変わる。
夕刻前、監察官の印付きで現場照合の命が出た。
行き先はもちろん、ハルフェン伯爵家の第二倉。
わたしが最初に切り捨てられた、あの穀倉だ。




