003 保存魔法の使い道
朝が来た時、わたしの指先はかじかみを通り越して感覚が薄くなっていた。
でも倉庫の中は、昨夜とは別の場所みたいになっていた。
通路は開き、濡れた袋は一箇所に集め、使える乾物は棚ごとに積み直した。
床に直置きされていた塩肉の樽は木台の上へ移し、薬草は小倉庫に隔離した。
たったそれだけで、空気の匂いまで違う。
「……ほう」
朝一番で来たカイルが、倉庫の入口で足を止めた。
隣には診療所の薬師見習いらしい若い女性が立っている。栗色の髪を三つ編みにした、快活そうな人だ。
「ニナ・フロストです。救護用の薬草を取りに来たんだけど……うわ、すごい」
「夜のうちに仕分けました」
「夜のうちに?」
「やると決めたので」
ニナは棚を見回しながら、目を輝かせた。
「薬草の束、湿ったものと乾いてるものが分けてある。これだけでだいぶ違うよ」
「昨日の状態のままだと、匂い移りも進んでいたので」
「分かる人が来てくれて助かったあ……」
その言葉だけで、徹夜の疲れが少し報われた。
「食べられるものは?」
カイルに問われ、わたしは机代わりにしていた木箱の上に一覧を書き出した紙を広げた。
「パンは全滅です。ですが豆と乾燥根菜は七割残せます。塩肉は樽二つ分が可。干し魚は表面の霜焼けがひどいですが、煮込み用なら使える。逆に麦は駄目です。腐敗が芯まで入っています」
「量は」
「町の炊き出し用なら三日。節約すれば四日」
短い沈黙のあと、カイルが紙を手に取った。
字が小さいとか汚いとか言われるかと思ったけれど、彼が見ていたのは別のところだった。
「仕分け基準まで書いたのか」
「次に誰が触っても困らないようにするのが管理です」
「……そうか」
その時、入口で待っていたニコが、鍋を抱えた兵士に手を振った。
昨夜よりだいぶ顔色がいい。途中でヨナスが見つけてくれた乾いた豆を煮てもらい、ちゃんと食べさせてから寝かせたのだ。
兵士たちは、わたしが選り分けた干し魚と根菜で大鍋のスープを作り始めた。
湯気が立つ。
その匂いだけで、倉庫の外で待っていた人たちの表情が和らいだのが分かった。
「リーゼさん、あれ見て」
ニナに袖を引かれて外を見ると、子どもたちが鍋の周りに集まっている。
昨夜のパンを抱えていたニコが、得意げに列を整えさせていた。
「おれ、仕分け手伝ったんだ」
「そう」
「だから最初の一杯、味見していいって」
そんな約束はしていないが、まあいい。
少しだけ笑ってしまった。
炊き出しが始まると、倉庫前の空気が変わった。
食べ物がある。それだけで人はこんなに顔を上げる。
それを見て、わたしは改めて思う。
保存魔法は派手じゃない。でも、ちゃんと腹を満たせる。
「ところで、その魔法はどこで使うんだ?」
カイルに問われ、わたしは空いた木箱を指した。
「試します。昨日のうちに中を乾かしておきました」
箱の中に、豆袋、小さな薬草束、切り分けた干し魚を並べる。
蓋を閉じ、両手を置いて息を整えた。
「保存」
掌から淡い青白い光が広がり、木箱の継ぎ目に細い霜のような紋が走る。
冷たさではなく、張り詰めた静けさが満ちる感覚。
変質を遅らせる、わたしの魔法だ。
「これで、管理された箱の中だけ時間の進みがゆっくりになります。完全停止ではありませんが、食料や薬はだいぶ持つはずです」
「樽にも使える?」
「中身を把握できれば。雑然と積まれている状態だと難しいです」
「つまり、整理してはじめて力を発揮する魔法か」
その言い方は正確だった。
わたしはちょっとだけ嬉しくなる。
分かってくれる人は少ないから。
「ええ。ぐちゃぐちゃの現場では弱いです。でも、整えば強い」
カイルは箱を見つめたあと、ぽつりと言った。
「白霧港向きだな」
まったくその通りで、思わず笑いそうになった。
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めている」
真顔だった。冗談が通じない人らしい。
その後、わたしは午前いっぱいを使って炊き出し用の食材箱を三つ保存し、診療所用の薬草束をまとめ、倉庫の簡易台帳を作り直した。
作業の合間、ヨナスがぽつりぽつりと古い話をしてくれた。
「昔はなあ、港の下にも倉があったんだ」
「地下倉庫ですか?」
「ああ。雪深い年でも食いもんが尽きねえようにって、先祖様が使ってたらしい。今は入口が潰れて、誰も近づかん」
地下倉庫。
その言葉に、わたしの耳が勝手に立った。
「どこですか」
「海側の崖下だよ。今じゃ半分埋もれてる」
「案内してもらえますか」
「今日かい?」
今日だ。
むしろ今すぐ行きたい。
保存魔法持ちの家系が軽視されていたはずなのに、辺境に地下倉庫がある。
それはつまり、かつては必要だったということだ。
「……行きたい理由は分かるが、まずは休め」
カイルに止められた。
正論である。
でも、前世からの悪い癖で、使えそうな倉庫の話を聞くと頭が熱くなるのだ。
「三時間寝ます。そのあと行きます」
「短い」
「長く寝ると勢いが死にます」
ニナが吹き出し、カイルは額を押さえた。
「王都の令嬢はもっと優雅なものだと思っていた」
「わたしもそう思っていました」
でも実際のわたしは、食料が回り始めた現場を見ると眠気より先に次の倉庫を探したくなる種類の人間らしい。
その自覚は、案外悪くなかった。




