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森で暮らす魔女




ナギサはひとり、[オリオン国]の街道を歩いた。


夜には夜営地近くの森に入って夜を過ごす。

感覚的に外の気配を感じられるようになるべく、朝までの暗闇をまんじりともせずに過ごす。

夜が明けてから少し眠り、限界まで疲れたら街の宿屋を使えば良い。それまでは人との関わりを極力避けた。これ以上の他者との接触で受けることになる煩わしさから逃れたかった。


だって、理不尽な目に遭っている人が多すぎる。

いや、日本にいるときは、あえて目をを逸らしていただけかもしれない。と思い至る。

自分の家族のことだけで精一杯。誰も自分達を救ってはくれない。そんな大義名分が平和な日本にはあったのだ。

逃げる理由がなくなった今、いやでも目につく困窮者達を見過ごして、自分だけ幸せになることなんてできない。それこそが傲慢な考えだったと結論づける。


ナギサは、つくづくよく作られた日本の義務教育の優秀さに嘆息した。


「柳田國男先生が方言を愛しつつも、国際語を肯定した気持ちが今なら痛いほどわかるわ」


グローバル社会において、日本の[個あってこその多様性]という特異な価値観は間違いじゃなかった。『話せばわかる』という概念のなんと傲慢なことか。

らちもない考えが浮かんでは消える自分の思考逃避に「通常運転通常運転」と、呪文のように唱えると、独り言が多くなった自分に苦笑いして、晴天の長閑な街道をてくてくと足を進めた。


やはりひとりは気楽で良い。

ぼんやりとした目的地に向かって一心不乱でいられる。


街道では、幾度も傭兵に護衛された荷馬車や冒険者風のパーティとすれ違った。

この世界では異質と言われた[烏衣の装備]でひとり歩くナギサに不審な目を向けられるも、話しかけられることは一度もなかった。

なんのことはない。壁の外では皆自分のことで忙しいのだ。わざわざトラブルに首を突っ込まない。それこそが異世界流の処世術だ。


そう気を負うこともなく[カニス国]を闊歩する。1ヶ月を過ぎた頃、なんの問題も無く[プロキオン国]に入り、もう1ヶ月も過ぎると[オリオン国]にあっさりたどり着く。

目立たず、かかわらず、自分の生活にだけ集中してさえいれば、[メスヒカイツ連合国]の小国はどこもあまり違いがない人々の生活を営んでいた。


壁で囲まれ富栄える街、街道の宿場、豊かな農地のすぐ隣で貧困する村。人の暮らす集落では、どこでも同じような問題を抱えていても、同じくらい小さな幸福がある。

それで世界が回っているのはどこの世でも変わらないのだ。と、(なか)ば無理やり納得させてただただ真っ直ぐに歩いた。

日本にいる時と変わらないように過ごせば、日本にいる時と変わらないように過ごせると学んだ。


[オリオン国]の国境を抜け[トレハンツ獣王国]に至る街道を逸れると[クワイエットフォレスト]に入った。

十分とは言いがたいが、この3ヶ月“森”での処世術も身につけた。

恐ろしい魔獣が住まう《魔領域》の夜ですら、〈威圧〉を持ってすれば余計な戦闘に巻き込まれることがないと早々に気づいたのだ。人がいない森の方がナギサには都合が良い。と直ぐに思えた。


ナギサはひとり、獣道にもなっていない藪をかき分け森の中を歩いた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇



森に入って適当なひらけた場所を探す。

森で暮らす獣賢い。〈威圧〉を放ちながら進めばエンカウントすることも無い。

ナギサは最初に周囲を拒絶する壁を造った。

その壁に、獣避けの〈威圧〉の魔法を付与する。荷馬車に施した〈浮遊〉の魔法と同じく、魔素は周囲から自動的に補充するように魔法陣を組めば終いだ。

これでも近づいてくる魔獣だけ排除すれば良いと気楽に考えていたが、いみじくも近づいてくる魔獣はいなかった。

上手く魔法が作用しているのか、それほどすざましい魔力が仕事しているのかは考えない。


森の魔獣は賢い。小鳥は鳴き、風は吹いている。

ひとりで暮らすには十分な広さのある場所を確保して、ナギサはゆっくりと理想の家を造った。いずれひとりで朽ちるための家。


石の柱と、豊富にある木材で、如何にも森の魔女の家然とした可愛らしい外観の一戸建てを建てた。

煙突からは常に煙が上がり、庭には森で集めた花を植え蔓を這わせて、そこが《魔領域》とは思えないほどのファンタジーなエクステリアに仕上げた。

井戸はいらない。〈水属性〉魔法で必要な分は賄えた。深い穴と溝を〈土属性〉魔法で川まで繋ぎ排水設備も整えた。風呂もキッチンも理想通りに設えた。


鳥の声で朝起きて、森で物資を確保して、気ままに料理と、薬液調合(レシピ)本の読書に没頭し、暗くなったら気の向くままに寝床に入る。


ただひとり穏やかに暮らす。日々整ってゆく気持ちと共に、森での狩りで、魔法のコントロールも安定した。

獲物は主に[フォレストボア]と[フォレストブル]。たまに[コッコ]を見つけて卵の入手も安定したが、日本から持ってきた鶏卵には敵わないので、これは自分で消費する食材にはならなかった。

せっせと[収納]に貯めておく。

同等に[ポーション]の品質向上の研究もした。

様々な薬草の採取と栽培。性能の探究。調合と適度な〈魔力水〉の最適化。いとも簡単に夢中になれた。


ナギサは、日本にいた時には感じられなかった平穏な空間を手に入れた。


持ってきた茶器や他のアイテムを使っても、残してきた弟妹を思い出す事もなくなり、日本での記憶も薄れていく日々を憂う事も無くなったころ、ようやく[道]を造った。

もらったレシピ本は読み潰してしまった。

複製を作り、さらに様々なカリグラフィで書いた。もはや全て暗記した。

他の魔導書が読みたくなった。

暇をつぶすのに必要な物資を手に入れるために、どうしても街に行く必要がある。

街道まで道を続けると、やっと[トレハンツ獣王国]と[オリオン国]に[ポーション]や森で狩った魔獣の肉や素材を売りに行った。


エルリックが教えてくれた通り[トレハンツ獣王国]での[ポーション]の需要はすざましく、所在のわからぬヒト族のナギサが持ち込むアイテムだとて、[トレハンツ獣王国]の国境の集落では、性能の良い[ポーション]は問題なく飛ぶように売れた。

人の立ち入れぬ[クワイエットフォレスト]での収穫物は[メスヒカイツ連合国]で引くて数多の高品質食材としてよく売れた。

やがてナギサは[獣王国][連合国]の国境の森で魔獣を狩る魔女、または規格外の効力のある薬売り[烏衣の魔女]として受け入れられ浸透していった。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「またきたの?」


すっかり整えられた[魔女の家]の壁の外に、いっぴきの大きな魔獣が棲みついた。

真っ白な巨大なボルゾイのような風貌の犬型の魔獣。

門扉からその横顔だけ覗かせた魔獣に[フォレストボア]の残骸を投げ捨てる。

魔獣は、その口を三日月のように吊り上げると、残骸を貪り食って去って行った。


ナギサが森で[フォレストボア]を狩ったさい、近くにいた瀕死のそれを見つけた。

その毛並みの美しさから、勝手に癒しの魔法をかけ、そばにボアの可食部位以外の残骸を捨て置いた。

それだけ。

触らず、声もかけず、気まぐれな自分の孤独を癒し、立ち去ったつもりだった。


しかし魔獣はその力の強大さから、自らの獲物すらも遠ざける存在になってしまっていた。

ただの獣から魔獣に進化した犬型の魔獣は、魔素さえ取り込めれば死ぬことはなかったのに、その魔獣は獣の名残か飢餓に苦しんでいた。

そんなことに気づく余地もないナギサは、うっかり魔獣を餌付けしてしまった。──この小さな生き物の近くにいれば飢えることがない。

そう学んだ魔獣はたびたび[魔女の家]に訪れる常連のひとりになった。


壁を隔てて奇妙な交流は続いたが、犬型の魔獣はそれ以上を互いの領域を犯さず、ナギサも肉の廃棄部位を処分してくれる便利な野生生物として接し、名をつけることも呼ぶこともなかった。

魔女が森に馴染んだ頃、森の魔獣達はその習性に従い、より強力な魔素溜まりに惹かれ集う。

そうとは知らずそんな境遇の魔獣()に守られて、奇しくも[魔女の家]のセキュリティは思いもよらぬ相乗効果を発揮して、対人防壁は他に類を見ないほど強固になっていた。

道はあってもそれを使う人間はいない。その先にどんな価値があろうとも、途中を守る魔獣()にその行手は容赦なく阻まれた。

強力な魔獣の新たな狩場になった道の先で、ナギサはしばらく、煩わしいことのない快適な森での生活を満喫していた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「おい、知ってらが、第一騎士団んとこの養い子が叙爵だどな」

「にゃあな。あの親ナシふたりな。あれから10年経ってねべな。上のおんじ(あ に)だってまだ10やそこらだべ?」

「んだね。あど2年で成人だばって、騎士にはわんか早えぐねが?」

「んでね。亡くした親の伯爵位ば復活させたんだと」

「はぁ〜えらいもんだな。伯爵どな? いぎなり高位貴族な? おどげでねな」


いつものように、門前で[ポーション]の入った木箱を[収納]から出して積み上げていると、気になる話題が耳に入って、思わず聞き耳を立てた。


ナギサは[トレハンツ獣王国]には入国しない。

門にいる熊獣人の衛兵に「ポーションはいらんかね?」と声をかけると難なく売れた。しばらく個人に売っていると、衛兵の熊獣人に紹介された商人ギルドの狐獣人が現れ、まとめて取り引きするようになった。

糸目に金縁のモノクルをつけた商人は、銀色の長髪を片方に結え流し、色白の肌に黒い手袋のような手を持ち、なんと尻尾があった。

しかし冷静に見たらどう見てもロマンスグレーのケモ耳紳士。「いつかその尻尾をブラッシングさせてもらえないかしら」と、募る思いを口走ってしまわぬ様、会うたびに緊張感も増している。

知ってか知らずか、今日もモッフモッフの尻尾を優雅に揺らして良い値段で[ポーション]を買ってくれた。

当然荷馬車に〈浮遊〉の魔法もサービス済みだ。

そして荷馬車に[ポーション]が詰まった木箱を一緒に積んでいる最中、商会員達の会話が気になった。


「だばって、第一期師団長が後見人になるはんで、次で揉めでらんだと」

「なしたごだ?」

「イヌの数がガサっと減るど」

「あぁ、あれんどは[パック]で行動するったいに」

「王も獅子だったいに、解ってやってらんだが?」

「どだべなぁ」

「王妃がヒトだがらなぁ[プライド]形成(つく)らなかったんだべ?」

「他の貴族が『王族はもはや獅子族である必要が無い』ってアレな」

「・・・イヌにするつもりなんだべが?」

「すかっ迂闊なごというなや」

「でも急におかしいべな」

「あぁ、それはアレだねな。その子供、ずだめがして魔法に長けでらんだと」

下のおんじ(おとおと)も、どこぞの国の国家魔法師よりおっかねど」

「魔法までヒトより強えどなったら、ちょしてくるほんずなすが減って良いな」

「最近は[オリオン国]さ稼ぎに出る獣人も増えたしな」

「魔獣の肉の需要がぐんっと増えだんだと」

「お互いこうやって、上手ぐやっていければ良いんだばってな」

「ほんとにな」


[メスヒカイツ連合国]のこちら側3ヵ国[カニス国][プロキオン国][オリオン国]は[冬の国]と呼ばれ、特産物が少ない分[連合国]より隣国の強大国である[トレハンツ獣王国]とのつながりの方が強い。

[連合国]の中でも、[連合]から抜け独立するか、[獣王国]にゆるやかに合併されるかと言われているほどだ。と、この数ヶ月で知った。


[獣王国]はヒト族に思うところはあるようだが、基本的に争いを好まない性質らしく、と、言うより、すでに獣人が多種多様な種族から形成された国家なので、多様性に対する寛容性でいえば、良くも悪くも著しく成熟した国家だった。

故に、ヒト族を脅威としていなかった。

それなのに、亜人を宗教上の理由で差別する[ウハインハイツ聖国]が一方的にいちゃもんをつけている長い長い歴史があるらしく。


ヒト族だけがこうやって争いの種を撒き散らしている。


それがこの世界のおおよそらしい。

ナギサは、少ない人との接触で、こんなふうに情報を得ながら、無関心を決め込んでいる。

自分が異物であることはどこまで行っても変わらない。


その日[魔女の家]に戻ったナギサは、夜の庭にテーブルとイスを引っ張り出し、日本での最後の日に買った、半額のシールのついた惣菜[うずらの卵フライ]と[ガーリックシュリンプ]を[エビスビール]で流し込んだ。


煙草に火をつけ肺いっぱいに煙を吸い込むと、吐いた息を追うように月を見上げる。


犬獣人のエドに渡された[カカポート]の起動のさせ方は、[オリオン国]で買った[魔道具の書]の最初の方に掲載されていた。

ナギサは、いまだにその本のページを開けずにいる。


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