籠絡と崩壊
あるいは、騎士と魔女。
「腹は決まりましたか?」
「なんのことだ」
「引き取られるのでしょう? 相応のお立場をご用意しないと、彼女は首を縦には振りませんよ?」
「相応の立場ってなんだよ」
「30過ぎてまだそんなことを・・・こちらは代わりが利くのですよ?」
ため息混じりに首を振るベリメールが流し目を送ると、ブランドンは手に持っていた陶器の酒瓶を、煮え切らずにいるランベルトに差し出した。
「オマエはそれで、」
「主人の命令に従います」
ブランドンの一点の曇りもない食い気味な即答に、ランベルトは「うへぇ」とすくめた肩を落としてやっと酒瓶をうけとった。
ベリメールは満足そうに笑って、ランベルトの背を撫でながら健闘を祈る。
「きっと大丈夫ですよ。私どもは[保証人]の立場に甘んじますとも」
──そういえばそうだった。容易に切れぬ縁なんぞ、そっちは早々に結んでいたってことか。
手にした酒瓶に目を細めたランベルトは、ベリメールの見事な手管に舌を巻いた。
口角を上げたまま「それでは[アルフェルク]でお待ちしています」と告げたベリメールは、ブランドンと連なって家に帰って行った。
龍馬にまたがり、あっという間に小さくなった2人の背中を見送ったランベルトは、宿の中に戻り2階にある客室に向かうべく階段を上る。
フロントの男に片手をあげてあいさつしつつ足を進めるが、文字通り目的の部屋の扉の前で二の足を踏んだ。
大きく吸い込んだ息を吐いて、扉をノックしたが、返事はない。
もう一度扉を叩く。
無反応だ。耳を当てて探っても人の気配を感じない。
ランベルトがドアノブに手をかけると、扉はなんの抵抗もなく開いた。
内側から閂がかかっていない。出かけているのか?
大きく開いて中をうかがう。
中庭に向かっている壁の窓が全開で、月明かりが差し込み、少し寒い。
後ろ手に扉を閉めたランベルトは、窓を閉めようと部屋の中に入った。
「うおっ!?」
窓に近づいてようやく、対角線上にあったベットに、腰掛け微動だにしないナギサがいたことに気がついた。
「座ったまま、寝ている、のか?」
ランベルトは、声をかけながらベットに近づく。
「住居侵入ですよ」
「うおっ! 起きてた」
「速やかに出て行ってください」
天蓋枠の柱に背を預け、足を投げ出してぼんやりとした表情のまま身じろぎもせず、座っていたナギサが声だけで淡々と退室を促す。
荷馬車に無理やり乗せた時よりは会話が成立しそうだ。
ランベルトはホッと息を吐いて「良いワインだ。一杯だけでも付き合え」と酒瓶を掲げ、テラコッタのカップを手渡す。
相変わらず話が通じないノンデリ中年に、ナギサは渋々とカップを受け取った。
月明かり頼りの部屋なのではっきり色はわからないが、カップに注がれた赤黒い液体からは確かにアルコールの臭いがする。口元に近づけたカップを恐る恐る傾け、ちびりと舐めるように飲む。甘くて渋みのある味の濃い葡萄ジュースのようだった。
「気に入ったか?」
「一杯飲んだらおとなしく帰ってくださいね」
目を弧に細めたナギサの表情を確認したランベルトは、ベットの隣に躊躇なく腰掛け、自分のカップにワインを注ぐと、寄せた丸椅子の上に酒瓶を置いた。
「ベリメールが酒瓶ごと置いて行った」
「置いて行った? どこに?」
「[アルフェルク]の自宅に帰ったんだよ。家族が待ってる」
「もう夜なのに?」
「守る物が身一つなら、あの2人は夜間移動の方が都合が良いんだ」
「なるほど」
ナギサは、昼間のベリメールの戦闘方法を思い出した。
確かにあれだけの、魔法が使えるなら単体の魔獣や追い剥ぎぐらい、なんの問題も無いのだろう。
言われてみれば、以前ブランドンも単独で馬泥棒を追っていたじゃん。とナギサはそう遠くない過去を懐かしむ。
「ベリメールさんの呪文、とても商人らしい詠唱でしたね」
「あの呪文の意味がわかるのか!?」
「神や精霊に『対価を払うから自分の財産を守るために力を貸せ』と命令してました」
「はぁ〜そりゃベリメールらしい。つか〈精霊魔法呪文〉まで使えるとは。恐ろしいな」
どうやらランベルトには、あの呪文に意味があるようには聞こえていないらしい。
これは全言語対応【翻訳】チートが関係しているってことなのだろうか? ナギサは「別に使えるわけではない」と一応否定して、ワインを一口飲んだ。
「あの魔法はなんだ。どうやって全員を眠らせた?」
「ステータスの提示は、」
「いい。わかっている。どうやったんだ?」
「・・・対象者の周りの酸素濃度を10%以下にさげた」
「サン、なんだと?」
「・・・ただ『もう黙れ』と」
「ますますわからんが?」
ナギサはワインを一口飲んだ後、自分の呼吸を確かめるように「はぁ」と小さく息を吐いた。
「低酸素濃度の空気が肺に入って一瞬で昏睡したんです。皆さん直ぐに目覚めたので問題なかったように見えますが、時間や量を間違うとそのまま目覚めないこともありますし、後遺症が、記憶が曖昧になる記憶障害が残る可能性があります」
「いや、ひとつもわからん。だが、昏倒し後遺症が残るも、一瞬で広範囲かつ対象者のみに? 怖いんだけど?」
ナギサが「騎士衛兵や傭兵の間では、対人戦闘で敵の呼吸を止めぬように首を絞めあげ、いわゆる“落として”戦闘不能にする技があるはずでは?」と尋ねると、ランベルトは「それはアサシンのスキルだが!?」と答えた。
ナギサはワインを飲んで「話は戻るけど〜」と、あからさまに話題を変えた。
「ランベルトさんはなんで街に行かなかったの?」
「この辺はウチの、ワーグナーの領地なんだよ。[アルフェルク]には実家がある」
「・・・そこまで聞いてません」
気まずい沈黙が流れると、ランベルトは口に含んだワインを飲み下し静かに問いかけた。
「明日からどうするつもりなんだ?」
「みんなと一緒に王都に戻る気はないです」
「王都じゃなければ良いんだな? それならここにいれば良い。アルフェルクに来い」
ナギサの眉間にシワがよる。この人はなにを言っているんだ?
「・・・獣王国から不興を買い、アイクラ国の貴人に攻撃魔法を放ちました。明るみに出ればご迷惑にしかなりません」
「うちだってパイシス国の侯爵家だ。他国の貴族の言い分なんぞどうにでもできる」
「だからベラベラとよけいなことを喋んなって。ステータス情報の提示は求婚を意味するのでは?」
「あぁ知っている。だから君も本当のステータスを教えてくれ。ナギサ」
──あぁ、あの時、私の名前を呼んだのは
ナギサは、カップに残っていたワインを飲み干すと、空になったカップを丸椅子に置き、赤面を自覚して両手の指を額に当てた。
「どうした?」
「飲み終えたわ。もう行って」
不意に名を呼ばれ、狼狽し始めたナギサに、ランベルトは目を凝らす。
月明かりが縁取る透き通るような白い肌に、憂いを含んで伏せられたまつ毛が揺れている。耳が真っ赤だ。ワインの効能か、そこからグラデーションがかかったようにほんのり桃色に染まった首元に視線が吸い寄せられ、思わず ゴクリ と喉が鳴る。
触れなば落ちんとはこのことか。
「なにを言われても私には街に残る理由がない」
「理由が必要なら求婚もする。だからっ」
その言葉に、ナギサは大きく深い諦念のため息をついた。
「あぁヤダヤダ、今、ほんと、いっぱいいっぱいなんだって、もうほんとうにろくでもない、言わなくてもいいことしか思いうかばないんだってば」
──だから、もうどこかに行ってほしい。
「・・・あなたを傷つけたくない」
「じゃあ口を閉じていればいい」
所在無くシーツを握っていた手に、ランベルトはその大きな手を覆い被せる。
真剣な眼差しで見つめられ、エメラルドの瞳をついぞ覗き込む。
伸ばされた手の先が頬に触れ、少しだけ温度の低い親指が唇をなぞると、ナギサはかっぴらいた目を閉じ集中した。
ゆっくりと近づく体温を肌で感じ、ランベルトの吐いた息が首元にかかると、思いがけず鼻に入った甘い匂いに少しクラッとする。
首元から頬に、頬から唇に、喰むように口付けされ熱をもった呼吸を浴びて流石に気づく。
ここでの接吻は挨拶なんかではなく、はっきりと性的な意味があるんだ。と。
薄く開いた唇に、ねっとりと舌がねじ込まれ、湿った音が真っ暗な部屋に響くと、お互いの吐息が漏れた。
重ねられた手が指に絡むのを受け入れると、こちらの反応を確かめるように、段階を踏んで込められる力に胸が締め付けられる。こちらの焦れた感情を逃す声など絶対に返してあげられやしない。異世界でも、やることは変わらないのだなぁ。なんて、この期に及んでどこまでも冷ややかな自分に薄ら笑いまで込み上げる。
──このままこのクッソ優しい感情に流されるような人間だったらどんなに楽だったか。
ランベルトの手が背中に回り、ベットが軋んだ音に合わせて、ナギサは耳元で囁いた。
「結婚して家に戻るって事は、ランベルトさんはこれから『殿下』と呼んでいたあの方と、貴族本来の仕事をするってこと?」
「・・・は?」
「バーサさんや、エルリック君みたいに、たくさんの酷い目にあっている国民を助けるために?」
「・・・・・」
なにも答えないランベルトに、ナギサは「フッ」と鼻で笑って言った。
「覚悟もないのに、私を、利用しようとしたのね」
昼間子供達になにも言えなかった自分と重なり鼻白らむ。
──我ながら底意地が悪くて笑っちゃう。やっぱりこの身体には父親と母親の血が流れているんだわ。
「さすがハイブリッド。マジウケんね」
ナギサは、ランベルトに〈昏倒〉の魔法をかけると、宿屋から逃げ出し[シタデル]から姿を消した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「それで、ひとりで帰ってきたのですか!?」
「イテテ。大声出すなよ。探すよちゃんと」
「朝まで寝こけていたのにどうやって?」
次の王都へ向けての運行に向け[アルフェルク]で合流したベリメール達に、昨晩のことを話すと、眉間にシワを寄せて非難するブランドンの言葉が、辛辣に二日酔いのランベルトの頭痛に響いた。
「ブランドンをお貸ししましょうか?」
「いらないよ。こんな口煩いの」
ベリメールが「困りましたね」と、ブランドンとなにやらアイコンタクトを交わし合っている。
横で聞いていたエルリックは、ド直球な質問を投げた。
「なぁ、なんて言って口説いたの?」
「必要なら求婚もするから、まずは実家に来いと」
「は?」
「え?」
「まさか、そのまま言ったのですか?」
「あぁ、難解な言い回しは使わず、はっきりそう告げた」
ブランドンは、拳を額に当て険しい困惑の表情を浮かべ、そういえばこの人ボンボンだった〜と口には出さずに天井を仰いだ。
ベリメールは、持ち上げたティーカップをそのままに、もう片方の手で眉間を抑えてプルプルと肩を震わせている。
そして、腹をよじって爆笑するエルリック。
「エルリック、笑いすぎだ!」
「アハハッいきなりそんなこと言われて喜ぶ平民の女なんていないって!」
「いきなりじゃない。ちゃんと会話の流れで」
「いや勝ち確で挑んだのにっ、逃げられっ、朝まで放置ってアハハッ!」
涙目になるほどゲラゲラ笑いながら「あの女っランベルトを好いてたのにっかわいそぅっウハッ」と、とうとうゲホゲホ咽せ出したので、ランベルトはエルリックの頭をゴチンと殴った。
「俺はともかく。なんであのお嬢さんが俺を」
「ブフッ何かあってもランベルトを最初に回復する」
「ナギサ殿の手作り料理を1番食べてるのはランベルトですよ」
エルリックが「なー」と同意を求めて「子供達を除けばですが」と、ブランドンがうなずきながら指折り数えて論う。
「今回だって、ベットで2人きりを許されたんだろ。あの女は今まで絶対に他の男と2人きりにならなかったじゃないか」
「いや、オマエらとだって夜中に」
「子供達が必ず一緒にいましたが?」
「ブランドンが見てたし。アイツ『監視されてる』ってよく言ってたじゃないか」
ランベルトは口元を抑えて考え込む。
そうだ。部屋の扉に鍵はかかっていなかった。
窓も開いていて視界は明るかった。
ベットで隣に座って質問に答えてくれていた。
──彼女は待っていた?
「焦る必要なか・・・っあぁっ」
ランベルトは、頭を抱え込んでテーブルに突っ伏すと唸り声を上げた。
その様子に、エルリックがまたゲラゲラと指を刺さんばかりに笑い出す。
ティーカップをテーブルの上に戻したベリメールは、これ見よがしにゆっくりと息を吐いて口を開く。
「人選をミスりました。私も、ランベルト様は、ナギサ殿を愛しているのだとばかり」
「まだ始まってもいない」
「愛し始めていたのでしょう?」
「それはっ・・・」
「ただ素直に『これから先も一緒にありたい』と、お告げになれば良かったのです」
「その覚悟もないだろう。と、詰られた」
ベリメールは、目を細めて笑っているんだかそうじゃないのか、よくわからない表情でランベルトをみた。
長年の放蕩を責められているようで気が滅入る。
「では、その覚悟を決めねばなりませんね」
「随分簡単に言う」
ランベルトは「はぁぁぁ」と酒臭いため息を吐くと、両方のこめかみをグリグリともみほぐす。
「そうは言ってもなぁ」
「俺、ナギサがどこに行ったのか知ってる。教えねぇけど」
ジト目を送るランベルトに、エルリックは満足そうに笑う。
ベリメールが「なに彼女が商売を始めればわかりますよ。きっと直ぐにね」と、すっかり肩を落としたランベルトの背を撫で慰めた。
王子様のキスではお姫様の呪いを解くことはできませんでした。




