エルリック君
「彼らも犯罪者だ。何らかの法を犯し許しなく脱国して、違法な手段で他国に押し入った違法移民。刑を受けるべき犯罪者なんだっ」
「なに言ってんの!? アンタそれ本気でそう思って言ってんの!?」
「こうするより他に手段がないのは向こうも同じなんだよっ」
ランベルトの悲痛な説得に、ナギサは奥歯を噛んだ。
わかる! わかるよ! 郷に入っては郷に従え。わかっている。仮にも現代日本人だった。わかっている。これは自分の、自分だけの勝手な感情だ。ちゃんとわかっている。
でもその犯罪は本当に万死に値する罪なのか!? 正しく何某かの裁きを受けたの!? その裁きは公平だったのか!? 本当にこんな風に蹂躙されるべき罪人だったの!?
ちゃんとわかっている。こんなこと全て愚問だ。ここは日本じゃないんだから。
ムカつく。ただただ気に入らない。クソみたいな世界だ。
胸を焦がすほどに湧き上がる、もはやなにに向けられるべきなのかわからない怒りに、ナギサはランベルトに八つ当たりしたい感情と必死に戦っていた。
来たいと言ったのは自分だ。見たいと言ったのも自分だ。こうなることを選んだのは自分。
価値観の違う世界に拉致られたとは言え、今、ここに居続ける事を選択して、勝手に腹を立てているのもこの自分だ。
ムカつく。ただただ気に入らない。クソみたいな世界だ。クソみたいな世界。
さっきの観衆のブーイングからわかるように、ここで消費されているのは『他者の人生の破滅』だ。この空間ではその身分を問わず誰しもが、他人の必死さや不幸な様を酒の肴に金を散財している。まして、そんなものを得るために、この無駄な照明が維持できるほどの金が使われている。なんて、ろくでもないにも程がある。
自分になんらかの力があるとて、何某かの神様の使命があるとて、自分がこの世界に来た意味が、何かあったのだとしても、もはや微塵も救う価値が見出せない。
「クソがっ!!」
もはや予備動作なく魔力を暴走させそうなナギサの悪態も、最高潮に高まった観衆の歓声にかき消される。そして無慈悲なまま響きわたる馬鹿げた口上に、ナギサはとうとうその表情をなくした。
「そして今夜の大トリ! [幼女誘拐のマギ]の快進撃もここまでだっ! 久々の登場! 今宵最後の執行人![疾風のエル]の登場だぁぁっ!」
「許すわけがっ・・・」
「いい加減にしろっ!!」
叫んだナギサの身を、再度隠すように抱え込んだランベルトが、声をひそめて耳打ちする。
「ここには誰もが、この観衆も! 出場者もっ!! 全員が金をっ何かを得る為にここに来ているんだっ!! よく見ろ! その自慢の目でよく見てみろ! オマエがソレを無視して良い謂れが何処にある!」
見下ろした[闘技場]では、血みどろのクソ野郎の前に、ひとりですっくと立つエルリックがナギサを見上げていた。
目があっている。こっちを見ている。必要なら言ってくれ。金なら私がいくらでも払ってやるからそんなところに居るな。
ナギサは、その身を押さえ込んでいた腕から逃れ、その幼さの残る顔を食い入るように見つめ返した。
なんで、どうして。
ナギサの困惑に気づいているはずのエルリックは、なにも言わずにただ真っ直ぐにこちらを睨んでいる。
「お嬢さんの言っていることは正しい。全部間違っていない。だが、今はエルリックの邪魔をしてやるな」
さらに囁かれた言葉の意味もわからぬままに、説得されてしまったナギサは項垂れ、エルリックから目を逸らしてしまう。
こんな馬鹿げた場所でなにを捨てさせられ、なにが得られると言うんだ!
ナギサの嘆きなんぞ無視して、天井の照明がビカビカと瞬く。
「観客の興奮も最高潮だっ! 今宵のお客様は間違いなくツイてる!! [疾風のエル]の演舞をたっぷりご堪能『アレー』っ!!」
なおも観衆を煽り愉快そうに叫ばれる口上。響くゴングの音。続く勢いを増した大歓声。
うるさい。うるさい。全てが不快だ。
だが流石にわかった。ここで異常なのは自分なのだ。と、ナギサはやっと思い至った。
「ヒャハッ! なぶり殺してやるよ小僧!」
[幼女誘拐のマギ]の幼稚な挑発に、エルリックは無言で背中の双剣に手をかけ腰を落とす。
だが、それまでのように不用意に剣を振り被らない[幼女誘拐のマギ]に、対するエルリックも剣はまだ抜かない。
お互いジリジリと、間合いを詰められずにいる。
血で汚れた[闘技場]で、今晩初めて正しく対戦試合のようなスタートは切られた。
ハスに構え、大きく一歩前に出た[幼女誘拐のマギ]のロングソードが、地面の砂をなぞって下から切り上げられる。
エルリックは、振り上げられたロングソードの流れに沿って背中の剣を抜き、すれ違いざまに振り抜いた。
背中を斬られた[幼女誘拐のマギ]の背後に、羽根のように鮮血が迸る。
エルリックは距離を取るのを許さず、振り下ろした双剣を鞘に戻す動作で振り上げ、今度は[幼女誘拐のマギ]の正面を切りつけた。
流れるような動きに、どちらにも型がある。と、ナギサは思った。
傷が浅いのか、[幼女誘拐のマギ]は怯むことなくロングソードを盾がわりに身に沿わせて、腰を落とす。
剣を構えて距離を空け、対峙する2人に、フロアの歓声が割れんばかりに大きくなった。
絶対におかしい。[幼女誘拐のマギ]はそれまでの荒々しい振る舞いが嘘のようにロングソードを操っている。
エルリックもまた、その双剣に力が乗り切って居ない。どう見ても浅く斬りつけ致命傷になるのを避けている。
『ただ強いだけのやつは稼げない』
ナギサは、館に入った時のランベルトの言葉を思い出し、齧り付くように握っていた柵に額をつけた。
信じられない。意味がわからない。時間をかけて、周囲の欲望を満たしながら、命懸けの斬り合いをしている。16、7歳の子供が、人を楽しませるための殺し合いを。
顔を上げぬまま質問したナギサに、ランベルトは簡潔に答えた。
「エルリック君はアイツを殺すの?」
「・・・あぁ。そうゆう仕事だ」
「そう・・・」
ガキン!
甲高い金属音が響く。
薙がれた[幼女誘拐のマギ]のロングソードが、エルリックの左腕を捉えたが、間一髪、その間には構えた双剣の片方が入っていた。
それなのに、エルリックの顔が痛みに歪む。
双剣よりデカくて重い 金 属 に押し切られたか。
さらに力を込めて押し通す[幼女誘拐のマギ]の顔に愉悦が溢れた。
「執行人を殺せば、罪は重くなるがその分生きながらえるっ! なんて素晴らしい罪刑を考える国なんだ! 俺より狂ってやがる!!」
演技がかったパフォーマンスで、見せびらかすように両手を広げた[幼女誘拐のマギ]に、煽られた観衆は、恥じも外聞もなく歓喜の声を上げた。
[幼女誘拐のマギ]の浴びせるような連撃を、だらりと下がった左腕を庇いながら、舞う様にいなすエルリックに、観衆は大喜びで歓声を上る。
「「「オオォーーーー!」」」
やがて[幼女誘拐のマギ]の力のこもったひと振りが炸裂する。
エルリックのガードに押し返された力を利用して身体ごと回転すると、体重の乗ったロングソードは袈裟斬りに振り下ろされ、今度こそ受けたエルリックの双剣の片方を叩き折った。
「「「オオォーーーー!」」」
地に落ちる双剣の切先。
再び上がる歓声。
観衆が沸きに沸き上がる。
エルリックは、下がっていた左手がかろうじて握っていた剣を利き手に持ち替えた。
息が上がっている。呼吸が浅い。
ナギサは、目を凝らしてエルリックの一挙手一投足を追う。
何度目かの攻防のあと、エルリックの剣が再び相手の皮膚を裂くと、[幼女誘拐のマギ]はすかさず距離をとった。と、直後大きく一歩前に出た。
初手と同じく、地面の砂をなぞって下から切り上げられる[幼女誘拐のマギ]のロングソード。
カツン
初手とは異なり、派手に巻き上げられた砂に紛れて、小さく、ほんのわずかな金属音をナギサも拾った。
「ッチッ」
背中にいたランベルトが、小さく舌打ちをして柵を蹴り、斜向かいの場違いなほど身なりの良い商人集団の前に躍り出る。
煙幕のように舞い上がった砂壁を貫き、一閃の反射が真っ直ぐに向かった先に、すでに待ち構えていたランベルトは、手にした抜き身の剣を跳ね上げ容易に何かを打ち返した。
ギンッ!
天井の梁に当たって刺さったそれは、さっき折れて落ちた双剣の剣先。
その煌めきに、フロア中の人間が釘付けになって見上げるなか、ただひとりエルリックから目を離さなかったナギサには、ランベルトが金属音を響かせたその瞬間、どうゆうわけか足元の相対する2人が同時に顔を歪めたのが見えた。
皆が折れた剣先に目を奪われる中、それまで死闘を繰り広げていた2人は見つめ合い、何か、何か言葉を告げている。
ナギサは、〈身体強化〉をかけて[幼女誘拐のマギ]の口を読んだ。
『失敗だ。迷うな“エリー”』
次の瞬間、エルリックの剣が[幼女誘拐のマギ]の胸を容赦なく貫く。
[幼女誘拐のマギ]が静かに倒れ伏し、その身を預ける。
エルリックは、手をかけるでもなくソレからそっと身体を離した。
足元に視線を戻した観衆は、一瞬 シン と水を打ったように静まり返ったが、これまでと同じく上がる割れんばかりの歓声。
誰もが直ぐにその興奮を叫び吐き出し、足を踏み鳴らして勝者を讃えフロアを揺らした。
エルリックの視線をなぞって、ナギサはそのまま自分の視線もランベルトに向ける。
『こんなところで何をしているんですか“殿下”』
『皆と同じだよ。せっかくだから得難い物を得る機会を与える為にここにいる』
『お戯れを』
『戯れなどではないさ。現にもう少しだったではないか』
“殿下”の自嘲孕んだ物言いに、ナギサは息を呑んで目を見開く。その視線の相手であるランベルトの顔に、怒りの翳りが初めて見えた。
『オマエら王族がアレらに何をしたか忘れたのか?』
『忌々しい事にまだ10年も経たない。時を待たずともさっさとすげ替えれば良いものを』
ここでやっと、ランベルトは握りしめていた剣を鞘に収めると、大きくため息をついた。
『くだらない自殺願望に平民を巻き込むな』
背を向けたランベルトは『次に見かけたら城に報告する』と言い捨てると、間に侍るこの場にそぐわぬほど身なりの良い商人風の男達ごと“殿下”と呼んだ男を追い払った。
観衆を煽り続ける口上が響き渡るフロアは、出ていく男達を一切気に留めることなく、熱狂の雄叫びを上げ続けている。
ランベルトは、静かに柵に手をかけ[闘技場]に視線を落とす。
エルリックは、ただ真っ直ぐに上のフロアにいるランベルトを見上げている。
2人の間に言葉は無い。ただじっと視線を合わせている。
ナギサは、その2人の表情から、なにも感じ取れずにいた。
それがとてつもなく悲しかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「せっかくおとなしくしていたのに、オマエが我儘を言ってランベルトを連れて来たのか」
「私、ついて来てなんて言ってない」
賭け試合の後のエルリックを出待ちして「よく効くポーションをあげるから」と、やっと常宿に連れ戻した。
ランベルトは、エルリックの頭を乱暴にグリグリ撫でただけで、そのまま部屋に戻った。
なにせ今晩の出来事は、告げぐ・・・相談しなければならない事が山積みなのはわかってる。
ナギサも、この世界での自分の立ち位置を思うと、出せる言葉も見当たらずなにも言わなかった。
エルリックは、当然ベリメール達と同室ではないのだろう。部屋には戻らず、月明かりの下、常宿の中庭で、無事だった剣を布で磨きながら、ナギサに渡された[ポーション]をあおった。
案の定、左腕上腕がポワッと光を放つ。
折れていたのではないか?
時には[ポーション]で治らぬほどの酷い怪我をして、神殿に行くのだそうだ。
いずれも治療は自腹だと言う。それは本当に金になる稼ぎなんだろうか?
痛みに声をあげる事なく、静かに作業していたエルリックに、ナギサは懇願するように質問した。
「ねえエルリック君。どうしてそんなにお金欲しいの?」
「理由教えたら金くれんの?」
「あげる。いくらあれば足りる?」
「いくらでも良いよ。くれれるだけくれよ」
「あげるってば。いくらあれば良い?」
エルリックは、視線を落として「やっぱいらね」と、手を剣のメンテに戻す。
「オマエがどんなに凄腕の魔法師でも、ベリメールさんより優れた商人でも、この国を丸ごと買えるぐらいの金は持ってないだろう?」
「持ってる。お金ならある。いくらでも払ってあげる。だからもうあんな事・・・」
「買えるわけないだろ。オマエってやっぱりバカなんだな」
心臓がジグリと痛む。
こっちがいくら持っていたって、売るわけがない物を買えるわけがない。
それでもナギサは、なす術がなくとも言い縋る。
「じゃあ、あの人、あのさっきの人を殺したら、もうあんなとこに行かない?」
かけられた意外な言葉に、エルリックは目を丸くしてナギサを見つめ返した。
そして、なるほど。全部知られてるってわけか。さすが“凄腕の魔法師”だ。と感心した。
「アイツひとり殺しても、俺らが何人死んでもなんにも変わらないよ」
月夜の薄明かりに照らされ、濃い陰を落とすエルリックの顔は、それでも少年らしい朗らかな笑みを湛えている。
「多分、俺ら全員が死んで居なくなるまで終われないんだ」
ナギサは、両手で顔を覆って泣いた。声を殺して号泣した。
「ホントバカだよな」
心底呆れたように呟いたエルリックは、手を伸ばしてナギサの頭をグイと押すと、それ以上慰めるでも何か要求するでもなく、折れた剣を持って宿の中に入って行った。
わかっている。
バーサさんと同じくエルリック君も自分の足でそこに立っている。誰かのせいで倒れたのだとしても、立ち上がり前進するのは彼らの意思だ。
わかっていた。
不幸と名のつくベクトルを見ても底はみえないし、他人の幸せを見上げてもキリはない。
わかってはいるんだよ。
月明かりの下、中庭に取り残されたナギサには、それでもただ嗚咽を噛み殺して泣くことしかできなかった。




